【完結】彼女が本当に得難い人だったなんて、後から気づいたってもう遅いんだよ。

すだもみぢ

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第三話 結婚してたのか

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 静かに亜里沙を見つめる篠原に、亜里沙は自分の唇についた水滴を舐めとっている。

「ああ、あれね……」

 どこか懐かしそうに目を細め、そして困ったように亜里沙も笑みを作った。

「うん、私も謝らなきゃいけないのかな。……本当はね、それ、嘘だって知ってたんだ」

 何かを続けて言いたそうだった篠原は、亜里沙のその反応に口を閉ざす。どういうことだ、と絞り出すような声が彼の喉奥から聞こえた。


 …………。
 なんで俺、ここにいいるんだろう。
 これって思い切り修羅場ではないだろうか。
 俺、こんなところにいていいのだろうか。少しずつスツールを後ずさりさせて他人のふりを装おうか。
 息を殺してそんなことを考えながら、早く話題が変わるのを待つだけだ。ここで空気を読めないことを言って、悪役になりたくないし。
 しかし、空気に徹する俺をよそに、過去の恋人同士の話は続いていく。
 
「当時、貴方の会社と取引してたエージェント、うちの父の会社の一つだったの。貴方の会社に問題がなかったって教えてくれてたわ」
「……それを知ってて、別れたのか?」

 なぜ、と篠原は絞り出すような声を上げる。
 
 「そんな嘘つくくらい、私と別れたいんだろうなって思ったからよ。私の何が悪かったかわからないけど……会社が成長している時期だったから、貴方は恋人より仕事、そっちに集中したかったんだろうなって」

 カクテルグラスの中身を、ぐいっと亜里沙は飲み干す。
 その飲みっぷりは彼女が物慣れた女のようで恰好よく見えた。
 
「でも、貴方もいいご縁に巡り合えたようだし、本当によかったし安心したよ。――お幸せに」

 じゃ、あっちにも挨拶してくるね、と立ち上がった亜里沙がよろけたように見え、思わず手を差し出した。その時にフォーマル用のハンドバッグに場違いなかわいらしいイラストのキーホルダーが揺れたのが目に入る。

「あ、啓介くん、ごめんねぇ」

 恥ずかしそうに、自分の支えを断る彼女は首を竦めている。
 足元はヒールのない靴だからそのせいでよろけたわけではないようだが、思わず他に彼女の足を引っかけそうなものがないか、危ないものがないか、ついつい目を配ってしまう。

「いいってことよ……今、何か月だっけ?」
「5か月だよ。早苗、元気にしてる? 俊太くんも元気?」
「おう、みんな元気も元気。亜里沙に会えたら今のうちに遊んでおきなって伝えてと言われたから言っておく」
「そっかー」

 じゃあね、と亜里沙が歩いていくと、入口近くにいた誰かが彼女に近づき声をかけている。

「亜里沙、旦那来てるぞ」
「あ、もう迎えにきたのぉ?」
「それだけお前が心配なんだろ」

 ははは、と愚痴る彼女を皆がほほえましく見送っていたが、一人黙ったままだった篠原がぽつん、と呟いた。

「旦那……? 亜里沙、結婚してたのか……?」
「あ? ああ、一年くらい前、だったか?」

 夫婦そろって亜里沙の結婚式にも出た。あの時はさすがに俊太を親に預けて二人で出席した。どうしても幸せを見届けたい相手だったから。
 学生時代の友人が特別なのは、お互いの利害を考えず純粋に相手の幸福を願える、そういうところに出るのだろう。
 
「今日も亜里沙、妊娠中だけど二次会だけでも出たいって顔出したみたいだぜ。つわり大丈夫なのかなぁ」
「妊娠!?」
「お前、あいつのバッグのキーホルダー見てなかったのか? 妊娠5か月って言ってたし、あんだけのん兵衛なのがアルコール飲んでなかったんだから気づけよ。フォーマルな場なのにヒールなしの靴だったろ?」

 実際自分だって、子供が産まれてからそういうことが分かるようになったから人のことは言えないが。
 人は誰かと触れ合うことでのみ成長していくことがある。そして新しい人生のステージは、決して自分一人で迎えることはできないのだ。それを妻の早苗と一人息子の俊太が教えてくれた。
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