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狼とスープ
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ガシャンッ けたたましい音を立ててグラスが砕け散った。
「ふざけやがって!」
悪態をついて怒りを露にしたのはアル・コルヴァだ。
「……」
チェバン・ボルツは静かに湯気の立つカップを口に運んでいる、中身は砂糖たっぷりのココアだ、彼は酒も煙草もやらない。
狼と字名される男は普段は物静かな男だ、多少上背はあるがくたびれた中年男にしか見えない。
しかし……一度狩りを始めるとその印象は豹変する、目に映る全てを殺戮するまで変身は解けない。
「神獣の暗殺なんてチェバンと一体何の関りがあるというのだ!新政府の若造共が馬鹿にしやがって!!」
チェバン民族が建国した新たな国ドルムント、その政府からの命令書にあったのは神獣ムトゥスの暗殺だ。
ほとんど下界に姿を現さない神獣はラインハウゼンとドルムントの国境を分けるアンドス山脈の最高峰、アコンガ山の山頂近くに住まうという。
人が行ける場所ではない。
「新たな商売の邪魔になるんじゃないの?」
ボルツの声は穏やかで呑気だ、笑みさえ浮かんでいる。
「ああ、あれか、アコンガ山の密輸ルートのことだな、新政府の奴らその事を俺達には知らせずにいやがる、それも気に入らん!」
「なにを運ぶつもりなのだろう、美味しいものならいいのにね」
「大方麻薬か何かだろ、重量のある物や凍結するものは運べない、食料品は無理だ、利益などでない」
「やっぱりそうかぁ、ああ、赤いビーツのスープが懐かしいよ」
「そうだな、兄弟はあれが好きだったな」
「うん、ジャガイモやニンジンをたっぷり入れて、最後にクリームを回しかける、焼き立ての黒パンと合わせる最高なんだ!ああ、食べたいなぁ」
「ラインハウゼンでビーツは見ないからな、良し決めた、こうしよう!」
「何だい?」
「神獣暗殺なんてどうでもいい、アコンガ山の低地をグルッと迂回して国に帰ろう、なあに神獣なんていなかったと言えばいい、そしてビーツのスープを喰おう!」
「いいね、僕も出来れば神獣は殺したくない、だって彼はチェバン民族を殺していないもの、恨みはないよ」
「そうさ、仇敵はラインハウゼンの人間だろう、今更手を結んで商売するなんて虫酸が走るってもんだ」
「ありがとう、コルヴァ、嬉しいよ」
「当然だ、兄弟はもう十分働いた、ここいらで休暇があったってチェバンの民は誰も悪くは言わないさ、さあ、そうと決まれば準備は俺に任せておけ、忙しくなるぞ」
コルヴァは地図を広げると帰国のルートを探し始める、低地を迂回するとはいえ登山装備も必要だ、途中から宿も無くなるから食料も持ち込むとなると馬はだめだ、山に強いのはロバ以外の選択はない。
ノーマンの街を抜けていこう、一番近い。
武器はどうする?一応暗殺の体で準備はしておかないと後から命令を無視したなどといちゃもんを付けられるかもしれない、相手は鳥、高性能のライフル銃が必要だ。
重いし嵩張るから登山には不向き、それに高所の雪山では銃身が凍結して発射出来ても一発、その後の装填は無理だ、コスパが悪いが仕方がない、言い訳料だと考えて自分が担ごう。
ふと見るとボルツは首を傾げて寝ている、手にはココアのカップを持ったままだ。
そっと指から解いてテーブルにおいた。
「酒も飲まずに良く眠れるもんだ」
まるで少年のような無垢な寝顔だ、なんの夢をみているのだろう、不幸な生い立ちの兄弟の肩にコルヴァはそっと毛布をかけると静かに机に向かい必要な品物をメモに書き留めていった。
ボルツ少年は見ていた、兄弟が、親が、仲の良かった友達が、そして想いを寄せ合った幼馴染が無残に殺されていく様を。
昨日までの穏やかな日々は、こうもあっけなく終わる、昨日まで笑顔で生きていた者の声は聞くことはできない、今ではどんな声だったのか記憶は朧げだ。
ラインハウゼンの軍隊がチェバンに突然戦争を仕掛けてきた、ボルツの村は最初に襲撃された、大隊規模の戦力は個々の能力で上回るチェバンの兵士を蹂躙した。
住民は皆殺しにされて家々と共に燃やされ灰になった。
母の起点でボルツは井戸の中に落とされて助かった、暗く冷たい井戸の中で震えながら悲鳴を聞いていた、狭い水路の中を這いずり偶然に脱出できたのは三日後だった、
手足は凍傷になったが幸い指を失わずには済んだ。
低体温症の身体と痛む足で戻った村は死の廃墟、焼かれた家屋は打ち壊され黒焦げの遺体が放置されていた。
多分あれが母で父なのだと人型の炭の大きさで理解した。
誰も……いない、悪魔の様な敵も救済の神もいない、いたのは狼だけだった。
ボルツは村中の焼け跡から遺体を貪ろうとする狼を追い払いながら、穴を掘り墓に埋めた、ナイフを見つけた、父から学んだ通りに振るうと数頭の狼を殺せた、小物を殺すと群れになって襲ってきたが、一番大きなボスを後ろから回り込んで逆襲してやった、殺したボスの遺体を大きな木にぶら下げてやったら群れは近づいては来なくなった。
才能があった、暗殺の才能が。
村人全ての墓を建て終わってから行く当てもなく彷徨った、道案内と目的をくれたのは若い女たちの遺体だった。
連れ去られ凌辱を受けた遺体が道端に打ち捨てられていた、見つける度に墓を掘り埋葬し祈りを捧げた、女たちの怨念が行くべき道を示し、なすべき事を教えた。
復讐ではなく殺戮の終焉をもたらせと、侵略と暴力を止めさせろと。
村を襲った大隊に追いついたのは二月後、隊長の天幕に夜半静かに忍び寄り首を切って殺した、身体ごとぶら下げたかったがまだ小さな身体では叶わない、仕方なく首だけをぶら下げた。
群れは恐れをなして遠ざかった。
チェバン・ボルツとは狼を狩る悪魔、いや悪魔を狩る悪魔なのだ。
「ふざけやがって!」
悪態をついて怒りを露にしたのはアル・コルヴァだ。
「……」
チェバン・ボルツは静かに湯気の立つカップを口に運んでいる、中身は砂糖たっぷりのココアだ、彼は酒も煙草もやらない。
狼と字名される男は普段は物静かな男だ、多少上背はあるがくたびれた中年男にしか見えない。
しかし……一度狩りを始めるとその印象は豹変する、目に映る全てを殺戮するまで変身は解けない。
「神獣の暗殺なんてチェバンと一体何の関りがあるというのだ!新政府の若造共が馬鹿にしやがって!!」
チェバン民族が建国した新たな国ドルムント、その政府からの命令書にあったのは神獣ムトゥスの暗殺だ。
ほとんど下界に姿を現さない神獣はラインハウゼンとドルムントの国境を分けるアンドス山脈の最高峰、アコンガ山の山頂近くに住まうという。
人が行ける場所ではない。
「新たな商売の邪魔になるんじゃないの?」
ボルツの声は穏やかで呑気だ、笑みさえ浮かんでいる。
「ああ、あれか、アコンガ山の密輸ルートのことだな、新政府の奴らその事を俺達には知らせずにいやがる、それも気に入らん!」
「なにを運ぶつもりなのだろう、美味しいものならいいのにね」
「大方麻薬か何かだろ、重量のある物や凍結するものは運べない、食料品は無理だ、利益などでない」
「やっぱりそうかぁ、ああ、赤いビーツのスープが懐かしいよ」
「そうだな、兄弟はあれが好きだったな」
「うん、ジャガイモやニンジンをたっぷり入れて、最後にクリームを回しかける、焼き立ての黒パンと合わせる最高なんだ!ああ、食べたいなぁ」
「ラインハウゼンでビーツは見ないからな、良し決めた、こうしよう!」
「何だい?」
「神獣暗殺なんてどうでもいい、アコンガ山の低地をグルッと迂回して国に帰ろう、なあに神獣なんていなかったと言えばいい、そしてビーツのスープを喰おう!」
「いいね、僕も出来れば神獣は殺したくない、だって彼はチェバン民族を殺していないもの、恨みはないよ」
「そうさ、仇敵はラインハウゼンの人間だろう、今更手を結んで商売するなんて虫酸が走るってもんだ」
「ありがとう、コルヴァ、嬉しいよ」
「当然だ、兄弟はもう十分働いた、ここいらで休暇があったってチェバンの民は誰も悪くは言わないさ、さあ、そうと決まれば準備は俺に任せておけ、忙しくなるぞ」
コルヴァは地図を広げると帰国のルートを探し始める、低地を迂回するとはいえ登山装備も必要だ、途中から宿も無くなるから食料も持ち込むとなると馬はだめだ、山に強いのはロバ以外の選択はない。
ノーマンの街を抜けていこう、一番近い。
武器はどうする?一応暗殺の体で準備はしておかないと後から命令を無視したなどといちゃもんを付けられるかもしれない、相手は鳥、高性能のライフル銃が必要だ。
重いし嵩張るから登山には不向き、それに高所の雪山では銃身が凍結して発射出来ても一発、その後の装填は無理だ、コスパが悪いが仕方がない、言い訳料だと考えて自分が担ごう。
ふと見るとボルツは首を傾げて寝ている、手にはココアのカップを持ったままだ。
そっと指から解いてテーブルにおいた。
「酒も飲まずに良く眠れるもんだ」
まるで少年のような無垢な寝顔だ、なんの夢をみているのだろう、不幸な生い立ちの兄弟の肩にコルヴァはそっと毛布をかけると静かに机に向かい必要な品物をメモに書き留めていった。
ボルツ少年は見ていた、兄弟が、親が、仲の良かった友達が、そして想いを寄せ合った幼馴染が無残に殺されていく様を。
昨日までの穏やかな日々は、こうもあっけなく終わる、昨日まで笑顔で生きていた者の声は聞くことはできない、今ではどんな声だったのか記憶は朧げだ。
ラインハウゼンの軍隊がチェバンに突然戦争を仕掛けてきた、ボルツの村は最初に襲撃された、大隊規模の戦力は個々の能力で上回るチェバンの兵士を蹂躙した。
住民は皆殺しにされて家々と共に燃やされ灰になった。
母の起点でボルツは井戸の中に落とされて助かった、暗く冷たい井戸の中で震えながら悲鳴を聞いていた、狭い水路の中を這いずり偶然に脱出できたのは三日後だった、
手足は凍傷になったが幸い指を失わずには済んだ。
低体温症の身体と痛む足で戻った村は死の廃墟、焼かれた家屋は打ち壊され黒焦げの遺体が放置されていた。
多分あれが母で父なのだと人型の炭の大きさで理解した。
誰も……いない、悪魔の様な敵も救済の神もいない、いたのは狼だけだった。
ボルツは村中の焼け跡から遺体を貪ろうとする狼を追い払いながら、穴を掘り墓に埋めた、ナイフを見つけた、父から学んだ通りに振るうと数頭の狼を殺せた、小物を殺すと群れになって襲ってきたが、一番大きなボスを後ろから回り込んで逆襲してやった、殺したボスの遺体を大きな木にぶら下げてやったら群れは近づいては来なくなった。
才能があった、暗殺の才能が。
村人全ての墓を建て終わってから行く当てもなく彷徨った、道案内と目的をくれたのは若い女たちの遺体だった。
連れ去られ凌辱を受けた遺体が道端に打ち捨てられていた、見つける度に墓を掘り埋葬し祈りを捧げた、女たちの怨念が行くべき道を示し、なすべき事を教えた。
復讐ではなく殺戮の終焉をもたらせと、侵略と暴力を止めさせろと。
村を襲った大隊に追いついたのは二月後、隊長の天幕に夜半静かに忍び寄り首を切って殺した、身体ごとぶら下げたかったがまだ小さな身体では叶わない、仕方なく首だけをぶら下げた。
群れは恐れをなして遠ざかった。
チェバン・ボルツとは狼を狩る悪魔、いや悪魔を狩る悪魔なのだ。
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