わからないから、教えて ―恋知らずの天才魔術師は秀才教師に執着中

月灯

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番外編

ぼくの知らない君のこと

 課外を終えて準備室に戻ると、すでにジルベルトの迎えが来ていた。いつも通りソファに寝そべり、本を開いている。その黒髪が揺れ、黄玉の眸が扉を振り返った。

「アーサー」
「ただいま、ジルベルト」
「うん」

 こくり、と魔術師が頷く。そして「……おかえり」と不慣れな響きが一拍遅れて続いた。ジルベルトが本を閉じ、すくりと立ち上がる。

「遅かった」

 ぎゅ、と腰に手が回る。すりすりと首元に懐かれた。声音に滲む拗ねに、アーサーは苦笑しながらその背を抱き返す。

「ちょっと質問が長引いてね」
「うん」

 ジルベルトが唸るように頷き、腕の力を強めた。態度こそ不穏だが、怒っているわけではない。ただただアーサーが戻ってこなくて寂しかったのだ。ということを、なんとなく近頃になってわかってきた。微笑ましいな、とアーサーは密かに思っている。むかし、弟妹も帰りが遅いとこうして玄関口で待ち構えていたものだ。
 だが、それにしたって少し度合いが過ぎるような。いつもは多少長引いたところで、ここまで不機嫌になることはない。そこでふと、アーサーは机に置かれた本に目を留めた。

「あ、『星花』だ」

 学院誌『星花』。
 有志の教師と編集委員による、伝統ある年刊誌だ。そろそろ百冊が近いらしい。その内容は多岐にわたり、学生代表論文の要旨から行事の記録、食堂の人気メニューのレシピ、保健教諭の趣味のクロスワードパズル、校長のナイトキャップは孫からの贈り物でウサギ柄、なんてゴシップまで取り揃える。

「これ読んでたんだ?」

 ジルベルトは顔を上げてアーサーの視線を追い、小さく頷いた。

「アーサーが載っていた」
「あー……ああ、そうだね」

 そういえばそうだった。
 バラエティ豊かな学院誌のなかでも特に人気を誇るコーナーとして、「先生に百の質問!」がある。文字通り、教師陣がひたすらインタビューに答えていく記事だ。好物やプロフィールといった定番の質問のほか生徒の投書質問もあり、未回答厳禁おふざけ上等の無礼講。アーサーも学生の頃は毎年読むのを楽しみにしていた。
 だが、いまやアーサーは質問を受ける側である。

「はは、なんというか知り合いに見られるのは……こう、照れくさいな」

 好きな食べ物は、初めて使った魔術は、犬派か猫派か、学院時代の印象深い思い出、なんてありきたりな質問から、恥ずかしい秘密をひとつ暴露、最後におねしょした年齢、初恋について……と突っ込んだ質問も多い。
 しかも聞き取りは対面で、嘘感知器具を用いて行なわれる。適当に誤魔化そうものなら感知器がピーピー鳴って「あ、正直に答えてください」だ。なにが編集委員たちをここまで駆り立てるのだろうか。
 とにかく、そんな記事だから知り合いに見られるのは非常に恥ずかしい。

「全部読んだ」
「……うん」

 できれば読まないでほしいな、と言おうとしたが遅かった。よく見れば机の上には『星花』のバックナンバーが三冊積まれている。

「……アーサー」
「ん?」

 さきほどから、どうにもジルベルトの表情は暗い。もともと明るい顔ではないが、輪をかけてひどい気がする。いったいどうしたのか。だがそう問いかける前に、おもむろに唇を重ねられた。

「ん、っ」

 ほとんどかぶりつくような勢いだった。硬い歯が唇肉に沈み、痛みに思わず身を引く。が、押さえ込まれて微動だにもしなかった。

「じるべ、んむっ」
「アーサー」

 舌をねじ込まれ、アーサーのそれを絡め取る。じゅっと強く吸われると同時、もはや慣れ親しんだどっと魔力が流れ込んできた。ぐらりと視界が揺らぐ。それは迸りに似て荒々しく、そのくせアーサーへの執着を隠さない。

「……いっそ」

 絡め取るような欲につい膝を折りそうになって――しかしそこで囁かれた「閉じ込めたい」という不穏な言葉に、アーサーは咄嗟に腕を張った。

「っ、ジルベルト」
「……なんだ」

 胸を押し、むりやり身を離す。ジルベルトが不服そうに眉を寄せた。その眸に燻る熱と傷心の色に、アーサーの背がぞくりと震える。口の端に垂れた涎を拭う手が震えた。

「アーサー」

 名を呼ばれる。たったそれだけで不機嫌を訴えられた。声の端が震えていたから、振り払われたことに傷ついているのかもしれない。おそるおそる、その手が再びアーサーへと伸びる。それを反射で捕まえた。ますますジルベルトの眉間に皺が寄る。

「アーサー」
「ジルベルト。閉じ込めるのはだめ」
「……何故」
「僕が嫌だから」

 アーサーは端的に告げ、その手に己の指を絡めた。

「それに、言いたいことは別だよね?」
「……」
「なにか伝えたいことがあるんだろ。ちゃんと言葉にしてくれないと、僕はわからないよ」

 怒ってないからね。そう伝わるよう穏やかに返すと、ジルベルトは途方に暮れたような顔をした。ああ、やっぱり本人にもわかっていなかったのかも。アーサーは内心で苦笑した。この図体の大きな恋人は、ときどき年端もいかない幼子のようになる。己の感情を言い表す言葉を知らないから、行動に出る。
 それからたっぷり数分は待った。そうしてぽつりとジルベルトは答えた。

「己の無知に腹が立った」
「無知?」

 ジルベルトが頷く。黄玉の眸に影が差した。

「ぼくの知らないアーサーがいる。それが、腹立たしい」

 アーサーは慎重にその答えを咀嚼した。机の上の『星花』を振り返る。「先生に百の質問!」コーナーには教師のプライベートが赤裸々に綴られている。

「ぼくは、きみが猫が好きなことを知らなかった」

 生のタマネギが苦手なのも、実家のテディベアの名前も、眼鏡をかけ始めた年齢も。そうジルベルトは続けた。

「ぼく以外に初恋を捧げたことも」

 詰るような視線に、アーサーは堪らず目を逸らした。この恋人の悋気が強いことは知っているが、出会う前の――というか、物心ついてすぐの淡い思い出なのでさすがに許されたい。初恋と言ったって、あとから思えばそうだった、くらいのものだ。きちんとした交際はジルベルトが誓って初めてである。いや、本当に。
 ここまで言われれば、ジルベルトの不機嫌の理由は明らかだった。

「つまりあれを読んで、その……妬いたんだね」
「……妬いた」

 ジルベルトは口内で言葉を転がし、しっかりと頷いた。

「そうだ。妬いた」

 堂々とした口調とは裏腹に、ジルベルトは窺うように手を伸ばしてくる。アーサーも今度は避けなかった。大人しく腕の中に収まってやると、頭上でほっと息を吐かれる。アーサー、と名を呼ばれた。切羽詰まった声だった。

「ぜんぶ、知りたい」
「いいよ」
「……ぼくだけが、アーサーを知っていればいい」
「それはちょっと無理だなぁ」

 途端、腕に力が籠もった。苦しい。苦情を込めて腕を叩くと、少しだけ力が緩む。

「閉じ込めるのは、だめか」
「うん。だめ」
「そうか」

 わかった、としぶしぶながら頷く恋人はなんだかんだ聞き分けがいい。いまのところは。
 アーサーはひっそりと笑った。要するに、ジルベルトは不安なのだ。アーサーが他の誰かに気を移さないか、ジルベルトに飽きないか。そんなの杞憂でしかないのに。

「ジルベルト」

 アーサーは腕の中で身をよじり、恋人の頬を包んだ。そうして背を伸ばし、唇を重ねる。判を押すようにぐっと押しつけ、その薄い唇をちろりと舐めた。
 ジルベルトがはっと目を見開く。

「それで、なにから知りたい?」

 閉じ込められるのは困るが、恋人の独占欲は嬉しいものだ。かつて欲しくてたまらなかった、焦がれに焦がれたものだ。
 アーサーこそ、この魔術師がいつ自分に飽きるんじゃないかと恐ろしくて堪らない。

「……全部」
「うん、いいよ」

 答えると同時、再び唇を塞がれる。尋ねるんじゃなかったの、とおかしくて笑えば、その隙間から舌を差し入れられた。手が腰を掴み、身体の輪郭を撫で下ろす。アーサーは息の合間を縫って、その襟を引いた。

「ジルベルト、ここじゃいやだ」
「わかった」

 皆まで言う必要はない。直後ぐにゃりと視界が揺らぎ――見慣れた寝室の天蓋がアーサーを迎えた。



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ここまでお読みくださりありがとうございました!
また機会があれば番外編を投稿したいと思います。
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