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エピローグ
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リビングのソファに身体を預けていた三喜雄は、笑いながら最新号の音楽雑誌を閉じた。写真を見る限り、篠原はケルンで会った6年前と全然変わっていない。彼らしいインタビュー記事だが、あの時、そんなに楽しんでいたとは思いもしなかった。初回の練習のあの気まずさも、今となっては良い思い出だ。
それにしても、久しぶりに帰国する篠原は、今回のコンサートに随分気合いが入っているようだ。
負けていられないな。随分と褒めてくれてるけど、篠原くんはヨーロッパで地位を確立してる歌手だから、俺が胸を借りることになる。
三喜雄はジョイントコンサート用の、楽譜の入ったファイルを繰った。「恋するくじら」は11年前と違う色を出したいし、初めて舞台に上げる曲もあるので、全体を通して簡単なプログラムではない。でも、きっと楽しいはずだ。
「恋するくじら」を歌ったほぼ1年後、三喜雄と美奈と篠原で、歌曲のミニコンサートを催したことを思い出す。小さな集まりではあったが、古楽から現代曲まで幅広い時代の曲を3人で歌い、杉本や辻井にも評価してもらえたし、何よりも楽しかった。あんな風になればいい。直後からのフランス留学を決めていた篠原は、いい思い出ができたと言って、終演後に涙ぐんでいた。彼はそれ以降、ほとんど日本に戻っていないのだ。
大学院の3年目にドイツに渡った三喜雄は、留学中に修士課程を終えた。3年半ケルンで学んで帰国し、学校で教えながらプロの歌い手として生活を始めるには、相当の覚悟が必要だった。とある仕事をきっかけに少し名前を知られるようになり、「とろけるバリトン」などと言われるようになった今でも、将来への不安は尽きない。でも、故郷を出て東京に行った友人知人が自分の歌を聴きに来てくれることが増え、遂に音信不通だった、大切な後輩にたどり着けた。
高崎奏人は大学を卒業した後、アメリカで勉強していた数年を経て、東京で働いていた。現在、副業でイラストレーターをしながら、10歳年上のパートナーと仲良く暮らしている。お互い高校生の頃とは生活環境が変わったものの、容姿にほぼ変化の無い(篠原といい、ああいうタイプは年を取らないのだろうか)高崎は三喜雄との再会を喜んでくれた。ピアノはたまにたしなむ程度らしいが、三喜雄が出演するコンサートにパートナーと来てくれるし、昨年は高校のグリークラブの後輩の結婚式に、一緒に出席することもできた。
篠原の早逝した大切な友人は、昨年十三回忌を迎えた。篠原は今回の帰国中に森山の家と墓に行き、彼に関する苦い記憶にひと区切りをつけるつもりだという。そうしないと森山にも申し訳ないと、篠原はメールに書いていた。
それを見た三喜雄は、高崎と再会したことを篠原に報告しようと思っている。篠原とは違う形ではあるが、三喜雄も過去の悔やまれる思い出に区切りをつけることができそうだった。
立ち上がって軽く伸びをした。身体に空気を入れ、ハミングして音が頭蓋の中に響くのを楽しむ。今や三喜雄を応援してくれるのは、家族やこれまで指導を受けた先生、一緒に学んだ友人たちだけではない。顔も知らない沢山の人たちが、コンサートの会場に足を運んでくれるようになっていた。
プロを名乗るようになっても、音楽に自分の全てを賭けるつもりは無い。音楽事務所に拾ってもらったおかげで、声楽業界の面倒くさいしがらみから多少距離を置くことができるのは、幸運だと思っている。しかし、だからといって、歌うことを軽んじている訳ではない。
これからも、歌やそれに伴う出会いは、自分にとって大切なものとなるだろう。そして、自分の歌を聴いてくれる人の期待に応えるため、全ての本番でベストを尽くしたい。そんな結論をやっと出せるようになったことに、三喜雄は誰にともなく感謝した。
今日も三喜雄は音楽の海で、何からも縛られないくじらのように、泳ぎ、歌う。
〈おわり〉
《参考資料》
『ともだちは海のにおい』工藤直子(理論社、1984)
《挿入曲》
恋するくじら ソプラノまたはテノール、バリトン、ピアノのための
原作:工藤直子「ともだちは海のにおい」より
作曲・構成:平田あゆみ
*この作品中の歌詞表記は、原作(『ともだちは海のにおい』「恋するくじら」ほか)に準じています。ただし、2人が歌っている時は、長い音符や休符を表すために、原作に無い読点や三点リーダーを使っています。
それにしても、久しぶりに帰国する篠原は、今回のコンサートに随分気合いが入っているようだ。
負けていられないな。随分と褒めてくれてるけど、篠原くんはヨーロッパで地位を確立してる歌手だから、俺が胸を借りることになる。
三喜雄はジョイントコンサート用の、楽譜の入ったファイルを繰った。「恋するくじら」は11年前と違う色を出したいし、初めて舞台に上げる曲もあるので、全体を通して簡単なプログラムではない。でも、きっと楽しいはずだ。
「恋するくじら」を歌ったほぼ1年後、三喜雄と美奈と篠原で、歌曲のミニコンサートを催したことを思い出す。小さな集まりではあったが、古楽から現代曲まで幅広い時代の曲を3人で歌い、杉本や辻井にも評価してもらえたし、何よりも楽しかった。あんな風になればいい。直後からのフランス留学を決めていた篠原は、いい思い出ができたと言って、終演後に涙ぐんでいた。彼はそれ以降、ほとんど日本に戻っていないのだ。
大学院の3年目にドイツに渡った三喜雄は、留学中に修士課程を終えた。3年半ケルンで学んで帰国し、学校で教えながらプロの歌い手として生活を始めるには、相当の覚悟が必要だった。とある仕事をきっかけに少し名前を知られるようになり、「とろけるバリトン」などと言われるようになった今でも、将来への不安は尽きない。でも、故郷を出て東京に行った友人知人が自分の歌を聴きに来てくれることが増え、遂に音信不通だった、大切な後輩にたどり着けた。
高崎奏人は大学を卒業した後、アメリカで勉強していた数年を経て、東京で働いていた。現在、副業でイラストレーターをしながら、10歳年上のパートナーと仲良く暮らしている。お互い高校生の頃とは生活環境が変わったものの、容姿にほぼ変化の無い(篠原といい、ああいうタイプは年を取らないのだろうか)高崎は三喜雄との再会を喜んでくれた。ピアノはたまにたしなむ程度らしいが、三喜雄が出演するコンサートにパートナーと来てくれるし、昨年は高校のグリークラブの後輩の結婚式に、一緒に出席することもできた。
篠原の早逝した大切な友人は、昨年十三回忌を迎えた。篠原は今回の帰国中に森山の家と墓に行き、彼に関する苦い記憶にひと区切りをつけるつもりだという。そうしないと森山にも申し訳ないと、篠原はメールに書いていた。
それを見た三喜雄は、高崎と再会したことを篠原に報告しようと思っている。篠原とは違う形ではあるが、三喜雄も過去の悔やまれる思い出に区切りをつけることができそうだった。
立ち上がって軽く伸びをした。身体に空気を入れ、ハミングして音が頭蓋の中に響くのを楽しむ。今や三喜雄を応援してくれるのは、家族やこれまで指導を受けた先生、一緒に学んだ友人たちだけではない。顔も知らない沢山の人たちが、コンサートの会場に足を運んでくれるようになっていた。
プロを名乗るようになっても、音楽に自分の全てを賭けるつもりは無い。音楽事務所に拾ってもらったおかげで、声楽業界の面倒くさいしがらみから多少距離を置くことができるのは、幸運だと思っている。しかし、だからといって、歌うことを軽んじている訳ではない。
これからも、歌やそれに伴う出会いは、自分にとって大切なものとなるだろう。そして、自分の歌を聴いてくれる人の期待に応えるため、全ての本番でベストを尽くしたい。そんな結論をやっと出せるようになったことに、三喜雄は誰にともなく感謝した。
今日も三喜雄は音楽の海で、何からも縛られないくじらのように、泳ぎ、歌う。
〈おわり〉
《参考資料》
『ともだちは海のにおい』工藤直子(理論社、1984)
《挿入曲》
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原作:工藤直子「ともだちは海のにおい」より
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*この作品中の歌詞表記は、原作(『ともだちは海のにおい』「恋するくじら」ほか)に準じています。ただし、2人が歌っている時は、長い音符や休符を表すために、原作に無い読点や三点リーダーを使っています。
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