夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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7 萌芽

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 晶のことが心配なのは事実だったが、ここ最近何かと疲れている晴也は、ぐっすり眠ってしまった。目覚めてあまり時間に余裕が無いと気づき、ばたばたと出かける用意をする。

「豆乳、卵、トマトとブロッコリー、何でもいいから果物、あれば米粉のパンとカフェインレスのコーヒー……」

 晴也は晶のための買い物をメモして、彼のマンションの住所を、滅多に使わない地図アプリに登録する。
 何やらいそいそと用意している自分が、晴也は腹立たしい。いや、相手が晶であろうが誰であろうが、これは人道の問題だと思う。今日会社に出勤だという美智生も心配しているし、晶の様子を見て報告せねばならない。
 外は寒かった。晴也はマフラーに顔を半分埋めて歩く。山手線を新宿で一度降りて買い物をしてから、高円寺に向かった。
 一度目はタクシーで直接来たので、地図アプリの指示に従っても不安だったが、見覚えのあるマンションに晴也は辿り着く。腕時計を見ると、12時5分前だった。完璧だ。晴也は自画自賛しながら、エントランスのインターフォンで晶の部屋番号を押す。

「はい、入って」

 思ったより元気そうな声だった。あちらはカメラでこちらの姿が見えているだろうから、晴也は無言のまま、開いた扉に入っていく。エレベーターに乗り込み、晴也は思う。なかなか立派なマンションだな、あの会社はまだ駆け出しなのに、給料がいいのか?
 ドアの前のインターフォンの前で、少し晴也は躊躇した。今日この部屋に上がり込んだら、また何か心臓に悪いことが起こりそうな予感がする。晴也はその思いを頭の中から追い払うように、首を軽く振る。

「人道支援だ」

 独りごちてからインターフォンを押すと、音が消える前にドアが開いた。顔を覗かせた眼鏡の晶はいかにも部屋着だったが、一昨日の夜よりは顔色が良いように思えた。

「ありがとうハルさん、嬉しくて泣きそう」
「大げさだな」

 晴也は玄関に入り、食料品の入った袋を本当に嬉しげな晶に渡した。

「えっ、新宿でわざわざ買ってきてくれた?」
「だってこの辺どんなスーパーあるか知らないし」
「駅前で揃うんだ、言っておけば良かった……幾らだった? お金払うから」

 お見舞いだからいいと晴也は言ったが、晶は返すと言う。彼について部屋に上がった時、晴也はその右足首だけがレッグウォーマーに包まれていることに気づいた。

「いや、高い苺とかトマトを買ってしまったから……」

 晶は袋を覗き、苺のパックをそっと出した。潰れやすいものを丁寧に扱える彼が、見ていて何となくほっとする。

「うわ、美味しそう……トマトも、これ食べて二度とその辺で売ってるやつ食えなくなったらどうしょう」

 楽しそうに話す晶に、晴也は釘を刺した。

「パーティしに来たんじゃないぞ、病院行ったのか?」

 晶はテーブルの隅に置いてある白い紙の袋を指さす。吉岡晶様、と書かれた内科の薬袋だった。

「貰ってすぐ飲んだらやけにすっきりしたんだけど? 逆に怖い」
「市販の薬なんか効かないからな、熱は?」

 あくまでも晴也は無愛想に対応したが、晶の眼鏡の奥の目は、ずっと嬉しげに細められていた。

「もうほとんど無い……ハルさん、昼ご飯だ、メシは炊いたよ」

 晴也は声を弾ませる晶に呆れる。

「ご飯あるなら卵の雑炊作るよ……変なもの食べて腹の具合が悪くなるといけない」

 晴也がマフラーを外してコートを脱ぐと、晶はすぐに受け取りハンガーに掛けてくれた。

「寝てろよ」
「もう大丈夫だ」

 ハンガーを壁の出っ張りに引っ掛けた晶は、次の瞬間ふらりとバランスを崩した。晴也は驚き、咄嗟とっさに彼の肩に手を伸ばす。

「ちょ、だから言わんこっちゃない……えっ!」

 晴也は逆に腕の中に取り込まれて、言葉の最後を叫びに変えた。かかった、と晶が耳のそばで嬉しそうに言う。晴也は飛び上がりそうになり、ますます拘束を強められてしまう。

「離せよ馬鹿! こんなことするなら帰るぞ!」
「ハルさんに触れたら元気になれるから」
「俺は神社に置いてる撫で石じゃないぞ!」

 晶の身体はやや熱いように感じた。いつものように仄かにいい匂いがする中に、初めて嗅ぐ匂いが混じっている……晶の肌の匂いだ。晴也は自分でもわかるくらい赤面した。

「飯作るんだから離せよ!」
「少しだけこうしていて」

 晴也は彼とのこんな攻防が日常的になっていることに困惑しつつ、考える。ちょうどいい、説諭しなくてはいけない。

「最近調子に乗ってるだろ、周りに気づかれてるからほどほどにしろ」
「え? 誰か何か言ったの?」
「早川さんが変に思ってるし、ママとミチルさんも何かあったのかって突っ込んできた」

 事もあろうに、晶はくすっと笑った。晴也はカチンとくる。

「早川さんさぁ、ハルさんのこと狙ってないか?」

 耳元で聞く言葉に、晴也はますます腹が立った。

「自分がそうだからって、誰でも彼でもゲイにすんな!」
「早川さん無自覚にあなたのこと気にしてそう」
「キモいわ、マジでやめてくれ」

 晶は少し腕を緩め、正面から晴也の顔を見る。眼鏡の奥の黒い瞳がぎらぎらしていた。ヤバい、近過ぎる、こいつイケメンだから変な気分になる。晴也はのけぞった。

「早川さんはキモくても俺はOK?」
「そう答えたら満足なのか、じゃあそういうことにしとけっ……離せっつーんだよ!」
「逃げて帰らないって約束するなら離す」
「帰らないから! 面倒くせぇんだって」

 晴也は喘ぎながら答えた。その時、頬に熱くてわずかに湿ったものがくっついた。ひあっ、と晴也は息を吸って止める。それはちゅっと音を立てて離れた。

「よっしゃ、マーキングした」

 晶は言いながら、やっと腕を解いてくれた。晴也は無意識に、軟体動物か何かが貼りついた場所に指をやる。くそダンサーはにやにやしていた。晴也は以前彼から手に同じようなことをされたが、あれの数倍の感触の生々しさに呆然となった。

「何を……」
「ほんとは唇にしたいけど、風邪うつしたらいけないから」

 こんな至近距離にいたら一緒だろうが! いけしゃあしゃあと言う晶を殴りたくなる。

「ご飯作ろ?」

 彼は上目遣いで覗き込んできた。何という厚かましい態度! そんな顔をすれば俺がほだされると思ってやがるのか。憎たらしくて、晴也は彼の頭を押し退けてやった。お、と言いながらも踏みとどまる辺り、流石体幹を鍛えているだけのことはある。
 晴也はキッチンに勝手に入って、晶の許可も得ず炊飯器の蓋を開けた。つやつやと美味しそうなご飯が炊けていて、雑炊にするのはもったいなかったが、晴也は無言でしゃもじを突っ込んだ。
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