夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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9 結花

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 晶がアーモンドを噛む自分をじっと見つめていることに気づき、何だよ、と晴也は軽く凄んだ。

「今俺の脳内がハルさんを男なのか女なのか判断しかねてて、女のハルさんにも飲み屋でちょいムラムラしてたから、俺はゲイじゃないんだろうかと悩んでる」

 晴也は目の前の男がこんな風に言うのは、自分をからかうためというよりも、単にあけすけなだけだとだいぶ理解してきていた。

「ちなみに何にムラムラしてたんだよ」
「ふくらはぎとか指の爪とか」
「……特殊な性癖でもあるのか?」

 半ば呆れつつ言う。マニキュアを塗って、落とし忘れて会社に行くようなことになるとまずいので、晴也は爪に何もつけない。そんなものに欲情する晶がさっぱりわからなかった。

「俺はハルさんの手が好きだ、そういうの無い? パーツフェチみたいなの」
「うーん、あまりないかも」

 晴也は踊っている晶は文句無しに好きだが、こうして普通に向き合って、惹かれる部分があるかと問われると、ちょっとぴんと来ない。

「……あ、でも俺おまえの」

 晴也は口をつぐんだ。ヤバい、垂れ流すところだった。晶は目を輝かせる。

「何、俺の何が好きだって?」

 顔と、肌の匂い。晴也には確かに面食いの傾向がある。晶のことは常々いい男だと思っていて、彼が何をしていても(ちんこという言葉を連発していたとしても)目の保養だ。
 肌の匂いは、晶の看病に来た日以来、嗅覚に刷り込まれてしまったような感覚が続いていた。思い出すと何故か胸の奥がざわざわして、埋もれ火を宿した炭のように熱くなる。認めたくないが、これは少し、性的なニュアンスがあるような気がする。

「いや、あの、この匂い……いつもショウさんから微かに香るんだけど」

 晴也は頬が熱くなるのを自覚しながら言った。晶はああ、と言って立ち上がり、テレビの横の棚から木の箱を下ろした。テーブルの上でその蓋を開けると、あのオリエンタルノートが嗅覚を刺激する。

「少し煙るけど好きなら焚くよ」

 晶は細い緑色の線香を1本摘んで、着火ライターで先を軽く炙った。箱から陶器の長細い皿を出し、その小さな穴に引っかけるようにして線香を立てる。細い煙が上がり、匂いが広がった。

「火災報知器に引っかからない?」

 晴也は思わず訊いた。今のところ大丈夫、と晶は笑う。
 この香りだが少し違う、と晴也は感じる。晶のスーツやタオル、さっき着ていたセーターから匂っていた香りよりも、角がある気がした。……もしかしたら、晶自身の匂いと混じって、あのふわっとした匂いに変わっているのかも……思い至り、晴也はますます赤くなった。

「いろいろ試したけど俺もこれが一番好きで……疲れた時に焚くんだけど、いろんなものに移ってるんだな」

 晶は言いながら、チーズを口に入れた。

「……ショウさん明日何かあるの?」

 晴也は自分が変な気分になって来たのをごまかすべく、話題を振って杏露酒を飲んだ。彼は明日の午後に実家に帰って、バレエスタジオのクリスマス会を手伝うと言った。
 晶の実家は茨城の取手市だ。母親が運営するバレエ教室で、晶は毎週月曜、ダンスを子どもたちに教えているらしい。運動がてらの初級クラスなので、より専門的にダンスを学びたいという子たちには、レッスンをしているダンサーを紹介しているという。

「それで明日もトナカイの恰好で踊るんだ」

 晴也は昨夜のステージを思い出して、笑った。晶は観に来る? と言った。

「いや、そんなとこ行ったら俺不審者だし……」
「3月になったら発表会あるから、観に来てやってよ……ほとんどクラシックだけど」

 そう言う晶は先生の顔をしていた。少なくとも晴也にはそう見えて、ちょっと切なくなる。元通りには踊れないと言われ、自分の夢を道半ばで諦めて、無限の未来の種を持つ子どもたちを指導する――どんな気持ちなんだろうか?
 そんなに沢山飲めなくて、1時間ほどで切り上げた。晶が食器を片づける間に、晴也は丁寧に歯磨きをする。近い距離で人と話す仕事をする者は、常に口許を美しくしておかなくてはいけない。ママにそう教えられ、晴也はめぎつねで働き始めてから、歯磨き粉を選んでフロスも使うようになった。口をすすぐと、リップクリームをしっかり塗る。

「寝てて、起きてたら足の指ほぐしてあげる」

 同じく歯を磨きに来た晶は、寝室のドアに目をやりながら言った。晴也は密かにどきっとして、晶に悟られないように鼻で深呼吸した。
 水を飲んでから寝室に入り、晴也はこの間押し倒されてキスされた現場を眺める。ベッドにバスタオルは敷かれていなかったが、枕は2つ並んでいた。晴也は勝手に照れた。
 足は解してほしいが、ここは寝てしまうしかない。自分の心臓の大きな音が鼓膜を叩いている。晴也はベッドに上がり、壁際に身体を寄せて布団を胸までたくし上げた。あ、この匂い……枕に頭を乗せると、いきなりざわざわ混じりの心地良さが押し寄せる。晴也の瞼が一気に重くなった。
 とろりとした眠気が意識にたゆたう中、布団が持ち上げられた。小さな機械音は、エアコンを切ったか、タイマーをセットしたのだろうか。明かりが消えたらしく、瞼の向こうが暗くなった。
 晴也は一気に温もりに包まれた。弾力があって温かくて、いい匂いがするものの中にすっぽり収まっている。自分のものでない呼吸音が、耳のそばで規則的に続く。くっそ、いきなりこれかよ。晴也はちらっと思ったが、温もりが心地良過ぎて抗えなかった。
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