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11 風雪
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晶は閉店する30分前にめぎつねを去り、混雑した割に客の引きは早かったので、晴也が予測したほど彼を待たせることにはならなかった。改札を出るとロングコートに身を包んだくそダンサーの姿が目に入り、晴也はやはりくすぐったくなる。何だこれ、同棲ごっこか。
晶の様子が僅かにいつもと違うように思えたのは、気のせいではなかった。晴也より長い時間晶についていたナツミが、閉店作業が済んでからバックヤードで教えてくれた。
「ロンドンから来たお友達と夕方に会ったって話してたよ、あちらはお仕事で来日したらしいけど、会おうと言われて戸惑ったって」
美智生が2枚目のクレンジングシートで、額と頬を拭きながら応じる。
「何で戸惑うんだ、外国から友達が来てくれたら嬉しくないか?」
「私もそう思うけど、ショウさんは微妙な雰囲気醸し出してた……何か頼まれたっぽい」
何を? とママが訊く。彼はふわふわしたニットから薄手の男物のセーターに着替えていた。
「え、ショウさんが頼まれたなら舞台じゃないですか? お友達は演出家だって言ってましたし」
美智生が鏡越しに晴也を見た。晴也は小さく肩を竦めるジェスチャーで、知らない、と答えておいた。
晴也を迎えに来た晶は、嬉し気に口許を緩めた。
「おかえり、お疲れさま」
「……ゆっくりしてくれてたらいいのに」
「そこは一応、俺はハルさんの安全を確保したいから」
あ、そう、と言いながら晴也は晶と連れ立って階段を降りた。小さくありがと、とつけ足した。
「お酒飲むならコンビニ寄るよ、明日の朝の分はしっかり買ったのにお酒があまり無いの忘れてたから」
「お酒はいい、ゆっくり休もう」
晴也は右に歩く男を少し見上げる。
「ハルさんと一緒にいたいだけなんだ、ほんとに」
晴也は返事に困る。たぶん彼と自分では熱量が違うので、俺も、と答えるには違和感があった。
「……うん、……米粉のパンだけ手に入らなかった、ごめん」
「ああ、気を遣わせてごめん、構わないよ」
膝を壊してから食べ物を選んでいる晶は、自宅ではグルテンとカフェインフリーを心がけている。米粉でできたパンを初めて晶の家で食べた時、ぽそぽそした食感に驚いたが、味は悪くないし、腹持ちするのがいいと思った。
マンションに着いて部屋の扉を開けた時、中が明るいのと、ふわりと暖かかったことに、想定外にほっとした。
「ちょっとの時間だからつけっぱなしで出たんだ、嫌なら次から気をつける」
晶に言われて、晴也はいいよ、と答えた。室温以上の温もりに顔が自然と綻び、自分の顔を見てつられたように笑う晶を、可愛らしいなと思う。
「……誰かが部屋にいる感じがいい」
晴也は照れくさくなり、晶の顔から視線を外し、部屋に上がる。
「だったら一緒に暮らそう」
晶の言葉にどきりとする。晴也は何も答えず、コートを脱いでネクタイを緩めた。
「嫌?」
「えっと……そういうことは簡単に決められない」
「どうして?」
どうしてと言われても……。晴也はやや混乱する。晶は自分と違い、やりたいと思ったらすぐに動く人種なのだ。リスクを考えずに。
「……生活費の折半とか、決めなきゃいけないこといっぱいあるし、長い時間一緒にいたら絶対お互いに嫌な面が見えるようになる」
晶はくすっと笑う。何がおかしい。
「あのなぁ、そうやって後先考えずにおまえが取った行動のせいで、俺の平和が脅かされてるって分かってる? 同じことじゃないのか?」
「渋谷の件はごめん、一生謝る」
深々と頭を下げられて、晴也は言葉を引っ込めた。晶に背を向け、スーツとシャツを脱いでいると、やけに視線を感じ、晶をちらっと見る。彼の目には自分に対するただならぬ興味が浮かんでいて、晴也は思わずキッチンに身を隠した。
「そっ、そんな風に毎日いやらしい目で見られるのも微妙だし」
「なら目の前で着替えるな」
自分が同性から性的な興味を抱かれている状況に、晴也はまだ慣れていない。
晶の様子が僅かにいつもと違うように思えたのは、気のせいではなかった。晴也より長い時間晶についていたナツミが、閉店作業が済んでからバックヤードで教えてくれた。
「ロンドンから来たお友達と夕方に会ったって話してたよ、あちらはお仕事で来日したらしいけど、会おうと言われて戸惑ったって」
美智生が2枚目のクレンジングシートで、額と頬を拭きながら応じる。
「何で戸惑うんだ、外国から友達が来てくれたら嬉しくないか?」
「私もそう思うけど、ショウさんは微妙な雰囲気醸し出してた……何か頼まれたっぽい」
何を? とママが訊く。彼はふわふわしたニットから薄手の男物のセーターに着替えていた。
「え、ショウさんが頼まれたなら舞台じゃないですか? お友達は演出家だって言ってましたし」
美智生が鏡越しに晴也を見た。晴也は小さく肩を竦めるジェスチャーで、知らない、と答えておいた。
晴也を迎えに来た晶は、嬉し気に口許を緩めた。
「おかえり、お疲れさま」
「……ゆっくりしてくれてたらいいのに」
「そこは一応、俺はハルさんの安全を確保したいから」
あ、そう、と言いながら晴也は晶と連れ立って階段を降りた。小さくありがと、とつけ足した。
「お酒飲むならコンビニ寄るよ、明日の朝の分はしっかり買ったのにお酒があまり無いの忘れてたから」
「お酒はいい、ゆっくり休もう」
晴也は右に歩く男を少し見上げる。
「ハルさんと一緒にいたいだけなんだ、ほんとに」
晴也は返事に困る。たぶん彼と自分では熱量が違うので、俺も、と答えるには違和感があった。
「……うん、……米粉のパンだけ手に入らなかった、ごめん」
「ああ、気を遣わせてごめん、構わないよ」
膝を壊してから食べ物を選んでいる晶は、自宅ではグルテンとカフェインフリーを心がけている。米粉でできたパンを初めて晶の家で食べた時、ぽそぽそした食感に驚いたが、味は悪くないし、腹持ちするのがいいと思った。
マンションに着いて部屋の扉を開けた時、中が明るいのと、ふわりと暖かかったことに、想定外にほっとした。
「ちょっとの時間だからつけっぱなしで出たんだ、嫌なら次から気をつける」
晶に言われて、晴也はいいよ、と答えた。室温以上の温もりに顔が自然と綻び、自分の顔を見てつられたように笑う晶を、可愛らしいなと思う。
「……誰かが部屋にいる感じがいい」
晴也は照れくさくなり、晶の顔から視線を外し、部屋に上がる。
「だったら一緒に暮らそう」
晶の言葉にどきりとする。晴也は何も答えず、コートを脱いでネクタイを緩めた。
「嫌?」
「えっと……そういうことは簡単に決められない」
「どうして?」
どうしてと言われても……。晴也はやや混乱する。晶は自分と違い、やりたいと思ったらすぐに動く人種なのだ。リスクを考えずに。
「……生活費の折半とか、決めなきゃいけないこといっぱいあるし、長い時間一緒にいたら絶対お互いに嫌な面が見えるようになる」
晶はくすっと笑う。何がおかしい。
「あのなぁ、そうやって後先考えずにおまえが取った行動のせいで、俺の平和が脅かされてるって分かってる? 同じことじゃないのか?」
「渋谷の件はごめん、一生謝る」
深々と頭を下げられて、晴也は言葉を引っ込めた。晶に背を向け、スーツとシャツを脱いでいると、やけに視線を感じ、晶をちらっと見る。彼の目には自分に対するただならぬ興味が浮かんでいて、晴也は思わずキッチンに身を隠した。
「そっ、そんな風に毎日いやらしい目で見られるのも微妙だし」
「なら目の前で着替えるな」
自分が同性から性的な興味を抱かれている状況に、晴也はまだ慣れていない。
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