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走ることを止める時
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「おー、あけましておめでとう」
寒い正月になった。息が白くなる。大輝は2年ぶりに顔を見る同級生に向け、手を挙げた。昨日関西に戻ってきた春斗は、これまでの人生の全てを賭けたと言っていいレースを終え、すっきりした顔をしていた。
「あけましておめでとう、初詣につき合ってもらって悪いな」
4年間の東京暮らしですっかり標準語になった春斗には、やはり少し戸惑ってしまう大輝だ。
「心配せんでも俺は近所で1回済ませてるしな……そやけど激走やったなぁ、石田先生テレビ見て泣いとったで」
高校陸上部の顧問の名が出ると、春斗は、えへへ、と照れ笑いを見せた。彼はこんな風に子どもみたいな顔をするが、いつも黙したまま、走ることへの闘志をふつふつと滾らせているのだ。
私鉄の支線への乗り換え口は、既に参拝客で賑わっていた。列ができているエスカレーターを避け、階段を降りる。積もる話はたくさんあるが、喋り散らかすのは憚られ、黙って身体を寄せて電車の中に乗り込んだ。春斗は自分を盾に、人混みから大輝を守るような位置取りをした。
大輝と春斗は、高校の陸上部で知り合った。優秀な成績を残す選手をコンスタントに輩出しながらも、高校生になってから始めた初心者にも居心地のいいクラブだった。
大輝の学年は全員、長距離初心者だった。その中で頭角を現したのが春斗で、インハイなどで上位入賞常連の選手に成長した。彼に触発された大輝も中堅の走り手となり、春斗とは互いにいろいろなことを話せる仲となった。
高3になり、大輝は地元の大学を第一志望校にし、割と活動が盛んな陸上部に入部したいと考えた。しかし春斗は、関東の大学を志望した。その大学に希望する学部があったことと、密かな野心を抱いていたからだ。
「俺、箱根で走りたいと思てるんやけど」
クラブボックスでの突然の春斗の告白に、石田教諭と大輝以外の全員が笑った。春斗の志望校の陸上部が、箱根駅伝出場の常連校でなかったこともある。しかし彼は力説した。
「常連校の陸上部でずっとレギュラーになれへんよりか、毎年予選会に出てて、何とかレギュラーになれそうなとこで走ったら、可能性あると思うんや」
こいつ、ほんまにやりよるかも。大輝は二の腕に鳥肌が立つのを感じた。春斗は、勝つと宣言したレースには必ず勝ってきた。それを間近で見てきたからだ。
電車はすぐに神社の最寄駅に到着し、広くない改札口に人が群がった。そこから吐き出された2人は、土が剥き出しになった畑を横目で見ながら、神社を目指す。吹きつける北風は冷たいが、着物姿の人々が破魔矢を持ち歩く様子が、正月の華やぎを感じさせた。
「まあでもあれはほんまに大変なレースやわ、お疲れ……夢叶ってよかったなぁ」
大輝は春斗をあらためてねぎらった。友人は最後のチャンスで、箱根駅伝の出場切符を手に入れたのだ。大学のチームが予選会で20位までに入り、春斗の個人タイムが上位だったため、連合選抜チームのメンバーに選ばれた。
春斗が走ったのは「花の2区」。石田教諭の家に同級生が集まり、テレビの向こうで力走する春斗を応援した。公式記録は残らないものの、彼は区間2位のタイムで襷を繋いだ。
「うん、ほんとに見たことの無い景色を走ったって感じでさ」
遠い目になる春斗が、少し眩しい。大輝も11月の全日本大学駅伝で、補欠から本番のメンバーに選ばれ走ったけれど、箱根はやはり特別だ。
「みんな、支えてくれる人がいるから走れたってインタビューで答えるじゃん? あれマジで、それしか言葉出ないよ……ひろちゃんにはずっと関西から助けられた、感謝してる」
「いやいや、そんな」
こんな風に言われると、かなり照れくさい。春斗は自分とは比べ物にならないくらいポテンシャルが高く、しかも努力家で、遠い存在になるとばかり思っていた。しかし彼はこの4年間、練習で帰省が叶わない中、いつも大輝にはまめに近況報告をしてくれたのだった。
「……春斗、ほんまに走んのやめるんか?」
大輝はそっと訊く。春斗は関西で就職すると3回生の夏には決めていて、本当にたまたま、希望する部署は違うが、大輝と同じ大阪の会社から内定をもらっていた。その会社には、陸上部は無い。
春斗は大輝を見つめる。
「ひろちゃんこそ、質問返しだけど」
「俺はもうええわ、十分走らせてもろた」
「4年間怪我もしてないし、タイムも上がってるのに」
「おまえもやろ、あんなコース走って、マジ化けもんか」
笑いながら、神社の参道に入る。三が日は過ぎているので進めないほどではないが、人混みに風の寒さが遮られ、昇り道で身体が温まってきた。
境内に着くと、大輝は手を合わせて、自分と春斗が怪我も無く部活を全うできたことや、家族の健康を感謝した。今年は……就職先に早く慣れ、春斗と楽しく働けますよう。
顔を上げ横を見ると、春斗は随分長く手を合わせていた。そして、二人して古いお守りを納め(春斗は一昨年のお守りをやっと返納できたのだった)、新しいものを買う。
「何長いことお祈りしとったん?」
参道を戻りながら、大輝は春斗に訊いた。春斗は、ふふっと笑う。
「あのさ、俺たちの行く会社、陸上部は無いけどサークルはあるらしいんだ」
初耳だった。タイムや成績に縛られずに走るのは、悪くない。春斗は続ける。
「大阪マラソンにグループ参加とかしてるみたい」
「うわ、フルマラソンかいな、無理」
「そう言わずに、ひろちゃんに参加を検討してほしいのと、あと……春から大阪市内でルームシェアしないか?」
いきなり話が変わったので、大輝は春斗を見て立ち止まりそうになってしまった。彼からエスコートされるように背中をそっと押され、進まされる。
「あ、ごめん……俺ら住んでるとこから通勤できるやん、1時間くらいかな」
大輝が言うと、春斗は、うーん、と首を傾げた。
「大学の傍で4年間過ごしたから、1時間の通勤ラッシュに耐える自信が無い」
「えーっ、通勤より走る練習のほうがしんどないか?」
春斗は大輝の反論に、少し笑っただけだった。春斗と暮らすことはともかく、家賃がもったいない気がするので、大輝は返事を保留しておく。
「まあその前に、卒論ちゃんと仕上げな」
「そうだな」
後で温かいものを飲もうという話になった。駅に着いて、大輝がICカードを鞄から探っていると、春斗はぼそっと呟いた。
「俺欲しいものは絶対手に入れるから、ひろちゃんは俺と一緒に走って、一緒に暮らすことになるよ」
大輝は、自分の名を聞いたように思ったが、電車が来るのが見えたのでそちらに気を取られた。
「春斗、走るで」
「お、競走するか」
ICカードを改札にかざし、走り始める。今年はいい年になりそうな気がした。
*初出 2026.1.3 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「正月」「初詣」
あ、箱根駅伝見てましたね(笑)。実際に関西の大学の陸上部は、有力な高校生長距離選手を、箱根駅伝出場校に取られがちです。常連校にとっても箱根駅伝は、学生スポーツの中でもちょっと特殊な位置づけだと思います。歴史も長いので、大学のアーカイブ部署が展示のネタによく使います(羨ましい限りです)。
寒い正月になった。息が白くなる。大輝は2年ぶりに顔を見る同級生に向け、手を挙げた。昨日関西に戻ってきた春斗は、これまでの人生の全てを賭けたと言っていいレースを終え、すっきりした顔をしていた。
「あけましておめでとう、初詣につき合ってもらって悪いな」
4年間の東京暮らしですっかり標準語になった春斗には、やはり少し戸惑ってしまう大輝だ。
「心配せんでも俺は近所で1回済ませてるしな……そやけど激走やったなぁ、石田先生テレビ見て泣いとったで」
高校陸上部の顧問の名が出ると、春斗は、えへへ、と照れ笑いを見せた。彼はこんな風に子どもみたいな顔をするが、いつも黙したまま、走ることへの闘志をふつふつと滾らせているのだ。
私鉄の支線への乗り換え口は、既に参拝客で賑わっていた。列ができているエスカレーターを避け、階段を降りる。積もる話はたくさんあるが、喋り散らかすのは憚られ、黙って身体を寄せて電車の中に乗り込んだ。春斗は自分を盾に、人混みから大輝を守るような位置取りをした。
大輝と春斗は、高校の陸上部で知り合った。優秀な成績を残す選手をコンスタントに輩出しながらも、高校生になってから始めた初心者にも居心地のいいクラブだった。
大輝の学年は全員、長距離初心者だった。その中で頭角を現したのが春斗で、インハイなどで上位入賞常連の選手に成長した。彼に触発された大輝も中堅の走り手となり、春斗とは互いにいろいろなことを話せる仲となった。
高3になり、大輝は地元の大学を第一志望校にし、割と活動が盛んな陸上部に入部したいと考えた。しかし春斗は、関東の大学を志望した。その大学に希望する学部があったことと、密かな野心を抱いていたからだ。
「俺、箱根で走りたいと思てるんやけど」
クラブボックスでの突然の春斗の告白に、石田教諭と大輝以外の全員が笑った。春斗の志望校の陸上部が、箱根駅伝出場の常連校でなかったこともある。しかし彼は力説した。
「常連校の陸上部でずっとレギュラーになれへんよりか、毎年予選会に出てて、何とかレギュラーになれそうなとこで走ったら、可能性あると思うんや」
こいつ、ほんまにやりよるかも。大輝は二の腕に鳥肌が立つのを感じた。春斗は、勝つと宣言したレースには必ず勝ってきた。それを間近で見てきたからだ。
電車はすぐに神社の最寄駅に到着し、広くない改札口に人が群がった。そこから吐き出された2人は、土が剥き出しになった畑を横目で見ながら、神社を目指す。吹きつける北風は冷たいが、着物姿の人々が破魔矢を持ち歩く様子が、正月の華やぎを感じさせた。
「まあでもあれはほんまに大変なレースやわ、お疲れ……夢叶ってよかったなぁ」
大輝は春斗をあらためてねぎらった。友人は最後のチャンスで、箱根駅伝の出場切符を手に入れたのだ。大学のチームが予選会で20位までに入り、春斗の個人タイムが上位だったため、連合選抜チームのメンバーに選ばれた。
春斗が走ったのは「花の2区」。石田教諭の家に同級生が集まり、テレビの向こうで力走する春斗を応援した。公式記録は残らないものの、彼は区間2位のタイムで襷を繋いだ。
「うん、ほんとに見たことの無い景色を走ったって感じでさ」
遠い目になる春斗が、少し眩しい。大輝も11月の全日本大学駅伝で、補欠から本番のメンバーに選ばれ走ったけれど、箱根はやはり特別だ。
「みんな、支えてくれる人がいるから走れたってインタビューで答えるじゃん? あれマジで、それしか言葉出ないよ……ひろちゃんにはずっと関西から助けられた、感謝してる」
「いやいや、そんな」
こんな風に言われると、かなり照れくさい。春斗は自分とは比べ物にならないくらいポテンシャルが高く、しかも努力家で、遠い存在になるとばかり思っていた。しかし彼はこの4年間、練習で帰省が叶わない中、いつも大輝にはまめに近況報告をしてくれたのだった。
「……春斗、ほんまに走んのやめるんか?」
大輝はそっと訊く。春斗は関西で就職すると3回生の夏には決めていて、本当にたまたま、希望する部署は違うが、大輝と同じ大阪の会社から内定をもらっていた。その会社には、陸上部は無い。
春斗は大輝を見つめる。
「ひろちゃんこそ、質問返しだけど」
「俺はもうええわ、十分走らせてもろた」
「4年間怪我もしてないし、タイムも上がってるのに」
「おまえもやろ、あんなコース走って、マジ化けもんか」
笑いながら、神社の参道に入る。三が日は過ぎているので進めないほどではないが、人混みに風の寒さが遮られ、昇り道で身体が温まってきた。
境内に着くと、大輝は手を合わせて、自分と春斗が怪我も無く部活を全うできたことや、家族の健康を感謝した。今年は……就職先に早く慣れ、春斗と楽しく働けますよう。
顔を上げ横を見ると、春斗は随分長く手を合わせていた。そして、二人して古いお守りを納め(春斗は一昨年のお守りをやっと返納できたのだった)、新しいものを買う。
「何長いことお祈りしとったん?」
参道を戻りながら、大輝は春斗に訊いた。春斗は、ふふっと笑う。
「あのさ、俺たちの行く会社、陸上部は無いけどサークルはあるらしいんだ」
初耳だった。タイムや成績に縛られずに走るのは、悪くない。春斗は続ける。
「大阪マラソンにグループ参加とかしてるみたい」
「うわ、フルマラソンかいな、無理」
「そう言わずに、ひろちゃんに参加を検討してほしいのと、あと……春から大阪市内でルームシェアしないか?」
いきなり話が変わったので、大輝は春斗を見て立ち止まりそうになってしまった。彼からエスコートされるように背中をそっと押され、進まされる。
「あ、ごめん……俺ら住んでるとこから通勤できるやん、1時間くらいかな」
大輝が言うと、春斗は、うーん、と首を傾げた。
「大学の傍で4年間過ごしたから、1時間の通勤ラッシュに耐える自信が無い」
「えーっ、通勤より走る練習のほうがしんどないか?」
春斗は大輝の反論に、少し笑っただけだった。春斗と暮らすことはともかく、家賃がもったいない気がするので、大輝は返事を保留しておく。
「まあその前に、卒論ちゃんと仕上げな」
「そうだな」
後で温かいものを飲もうという話になった。駅に着いて、大輝がICカードを鞄から探っていると、春斗はぼそっと呟いた。
「俺欲しいものは絶対手に入れるから、ひろちゃんは俺と一緒に走って、一緒に暮らすことになるよ」
大輝は、自分の名を聞いたように思ったが、電車が来るのが見えたのでそちらに気を取られた。
「春斗、走るで」
「お、競走するか」
ICカードを改札にかざし、走り始める。今年はいい年になりそうな気がした。
*初出 2026.1.3 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「正月」「初詣」
あ、箱根駅伝見てましたね(笑)。実際に関西の大学の陸上部は、有力な高校生長距離選手を、箱根駅伝出場校に取られがちです。常連校にとっても箱根駅伝は、学生スポーツの中でもちょっと特殊な位置づけだと思います。歴史も長いので、大学のアーカイブ部署が展示のネタによく使います(羨ましい限りです)。
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