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第3章 過去編 side 拓巳
22、別れの夜
しおりを挟むあの日のことを思うと、今でも胸が張り裂けそうに痛くて苦しくて、思わず両手を心臓のところに当てて、ギュッと目を閉じるんだ。
何度も後悔して、何度も諦めて…… 。
考えたって仕方がないのに、『もしも』の未来を考えて、また苦しくなって……。
だけど、本当に『もしも』あの時に戻れるとしたら、俺はあの病室に戻って、お前の手を引いて連れ出していたかもな。
小学生の俺にそんなこと出来っこないのにさ。
それでも俺は、9歳の自分がお前の手をしっかり握って、一緒に笑顔で雪の夜道に駆け出していく姿を、何度も何度も想像してしまうんだ……。
*
唇を離してからギュッと強く抱きしめて、「行かなきゃ…… 」と呟いた時、床頭台に置かれている赤い時計は、もう午後9時を指していた。
看護師さんが巡回に来る時間だ。
「それじゃ小夏、俺、行くよ」
俺は一旦立ち上がったけれど、未練がましくもう一度ベッドに腰掛けて、小夏をガバッと抱きしめた。
「小夏……お前、俺のこと好き? 」
「うん……大好きだよ」
「小夏は俺と離れたら寂しい? 」
「もちろん! たっくんと離れたら寂しくて死んじゃうよ! 」
「ハハッ……お前、俺と離れたら死んじゃうの?」
小夏の言葉が嬉しくて、嬉しすぎて、泣いてしまいそうだったから……冗談めかして誤魔化した。
そしたら小夏は真剣に怒りだして、俺の両肩を掴んでガクガク揺すった。
「冗談でもそんな怖いこと言わないでよ! 絶対にいなくならないで! ずっと一緒にいてよ! いなくなったら本当に死んじゃうからね! 」
「お前……俺がいなくなったら本当に死ぬの? 」
「死ぬよ。ネズミーランドでたっくんが誘拐された時、心臓が一瞬止まったもん」
ーーそんなことを言うなよ……せっかく決心したのに、黙って行くって決めたのに……俺、自分のことしか考えられなくなる……。
駄目だ……ダメだ、だめだ!
絶対に言っちゃ駄目なんだ……!
「……ハハッ、心臓が一瞬止まった……って…… 」
クスクス笑ったフリをして息を呑み込む。
どうにか呼吸を整えてから、小夏にニカッと白い歯を見せてやると、ふざけてると思ったのか、思いっきり叱られて、そのあと泣かれた。
「笑いごとじゃない! 笑うな! たっくんのバカ! 」
ーー小夏、ごめんな。
分かってるんだ……小夏が真面目に言ってるんだってこと。
ちゃんと聞いてるよ、ちゃんと真剣に受け止めてるよ。
お前が俺にくれた言葉ぜんぶ、記憶に刻みつけてるよ。
「小夏、ごめんな……。分かったよ、離れない。ずっと一緒にいてやるよ。お前が死んだら幽霊になって呪われそうだからな」
「うん、一緒にいて。たっくんが裏切ったら、幽霊になって出てやる。一生呪ってやるからね! 」
ーー小夏……お前と離れたら死んじゃうのは、俺の方だよ。
俺を一生呪ってよ。生き霊にでもなんでもなって、会いに来てよ……。
「ハハッ、怖っ! 分かったよ、分かったからさ……小夏、笑顔を見せて」
小夏がようやく見せた泣き笑いの顔をジッと見つめて、じっくりと瞳に写す。
ーーうん、俺が大好きな女の子の笑顔、瞳に焼き付けた。
あとは……。
俺はさっき編んだばかりの三つ編みからゴムをスッと外し、自分の手首に掛けた。
小夏には悪いけど、これを貰っていくよ。
1つくらい、小夏を感じられる物を持って行ったっていいだろう?
ーーさあ、行かなきゃ。母さんが待っている。
俺はゆっくりドアへと歩いて行き、扉に手を掛けて、最後にもう一度だけ振り返った。
小夏はベッドから立ち上がって見送っている。
俺が大好きな、小さくてウサギみたいな女の子……。
「小夏、お前は俺のもんだからな! ずっと俺を呪ってろよ! 」
それだけ言い捨てて、階段へと走った。
行きたくない!
駄目だ、行かなくちゃ!
だけど、だけど……。
ここで立ち止まったら、もう一歩も動けなくなるって分かっていたから……俺は1度も振り返らずに、階段を駆け下りた。
パタン、パタン……パタン。
階段を下りきったところで足を止め、上からの音に耳を澄ました。
もしかしたら、小夏が追い掛けて来るんじゃないかと思ったから。
追い掛けて来られたら困るくせに、追い掛けて来て欲しいと思っている自分がいる。
ーーもしも今、お前が追いかけて来てくれたら…… 。
早苗さんに一生恨まれたって構わない。ちゃんと目を見て抱き締めて、お前にサヨナラを言いたい。
『小夏、お願いだから追い掛けてきて! 』
だけど、冷え切った踊り場には物音1つ響いてこなくて……。
「ハハッ、そうだよな。アイツは足が痛いんだし、明日また会えると思ってるんだし…… 」
それでもそれから更に10秒数えて、もう一度ゆっくりと10秒数えて……。
俺は肩を落として歩き出した。
救急出入り口から外に出ると、病院から漏れた灯りに照らされて、白い粉雪がヒラヒラと舞っていた。
病院を出てすぐの道でハザードランプを点滅させていたタクシーに乗り込むと、母さんが「東京駅まで」と運転手さんに告げた。
ーーそうか、東京に行くんだ……。
動き出した車窓に手をついて、外の景色に目を凝らす。
ーー小夏、サヨウナラ。
俺のことを忘れないで……恨んでもいいから、この日のことを、ずっと覚えていて……。
雪の粒がくっついた窓ガラスの隙間から、遠ざかっていく病院の建物が見えて、やがて視界から消えていった。
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