151 / 237
第4章 束の間の恋人編
1、ギュッてしてもいい?
しおりを挟む小夏、お前は止まっていた時計の針が動き出す瞬間の音って聞いたことがあるか?
俺はあの日、高校の掲示板の前で、その音をハッキリと聞いたよ。
周囲の景色も人も、全てが止まって無音になったその空間に、いきなり『カチッ』て秒針の動く音が斬り込んで来るんだ。
6年前に別れたあの瞬間に、全部凍りついて止まっていた俺の心と小夏との時間が、再び動き出した音だ。
俺は小夏と再会してからというもの、せっかく動き出した針が二度と止まることの無いように、大切に大切に、ビクビクしながら見守って、祈ってきた。
だけど気付いたんだ。
時計の針を再び止めるとしたら、それは紗良でも朝美でも、ましてや小夏でもない。
俺自身の過去が追い掛けてきて、俺の足を暗闇から引っ張り引き摺り下ろすんだ。
俺が過去に呑み込まれて小夏を諦めたその瞬間が、俺の時間が止まる時だ。
だから小夏、どうか俺が小夏を好きでいることを許して欲しい。
過去を振り切って未来に向かう勇気を……針を進める力を俺に与えてくれないか?
*
全てを語り終えたたっくんが、「そんだけ……」と最後の一言を発した途端、部屋の中に沈黙が訪れた。
たっくんの過ごしてきた6年間は、『そんだけ』の4文字で終わらせるには、あまりにも長くて過酷なものだった。
何か声を掛けるべきなんだろう。
だけど、言うべき言葉が見つからない。
『大変だったね』、『辛かったね』、『可哀想だね』、『悲しかったね』、『頑張ったね』
そんな陳腐な言葉が頭の中を横切っていったけれど、どれも正解じゃないことだけは分かっている。
「俺のこと……嫌いになった? 愛想尽かした?」
ローソファーにギシッと背中を預けながら、たっくんが驚くほどか細い声で問いかけた。
「そんなことない……」
たっくんに身体ごと向き直り、正座して答えたら、彼は前を向いたままチラッと視線だけ寄越す。
「嘘つくなよ。同情なんかいらねえよ。軽蔑したって……ハッキリ言えよ」
「してない!」
自分でも驚くほど大きな声が出て、たっくんの肩がビクッと跳ねたのが見えた。
「私は同情も軽蔑もしていない!ただ……ただ……悲しいだけ」
「悲しい?」
そこで漸くたっくんの顔がこちらを向いた。
「悲しいよ……。私がたっくんの側にいたかった。たっくんが辛いとき、涙を流してたとき……私も一緒に泣けなかったのが、ただただ悔しくて、悲しいの」
そこまで口に出したところで、胸の縁ギリギリまで溜まっていた悲しみが、一気に溢れて流れ出した。
一旦流れ出した感情は、もう自分でも止めることができない。
「う……ゔ~……うぁ~~~っ!」
小さな子供のように号泣したら、たっくんが困ったような辛そうな顔をして、私を胸に抱き寄せた。
「小夏……泣くなよ」
「ゔ~~っ……」
「泣くな……お前は俺なんかのために涙を流さなくたっていいんだ。母さんの男狂いや育児放棄なんて今に始まった事じゃない。知ってるだろ?」
「…………。」
「朝美とのことだって……俺は傷ついてなんかない。思春期だし、そういうことに興味があったし気持ち良かったから、何度か相手したってだけの事。ヤっていい気持ちになったのはお互い様なんだし、あんなのみんなやってる事だ。どうって事ない」
ーーそんなの嘘だ。
こっそり逃げ出したくなるほどの家にいて、平気であるはずがない。
たっくんの心は深く深く抉られて、そこにぽっかり大きな血溜まりが出来てるんだ。
それでヒリヒリと痛まない筈がない。
私がたっくんの腕の中で首を横に振ると、幼い子をあやすように、背中をポンポンと優しく叩いてなだめられた。
「俺に触れられて……嫌じゃない?」
もう一度首を横に振ったら、頭の上で大きく息を吐く音がして、背中を抱く手に力が篭った。
「こうやって抱きしめられるのは?」
「……嫌じゃない」
「もっとギュッてしてもいい?」
「…………ギュッてして……」
その言葉を待っていたように更にギュッと腕が狭められ、私の顔はたっくんの胸に強く押し付けられる。
息が苦しくなったけれど、この腕から逃れたいとは思わなかった。
「はぁ~~っ、良かった……」
「えっ?」
「ずっと怖かった……俺がしてきた事を知ったら……小夏は逃げて行くと思った」
「逃げないよ……絶対」
たっくんが「うん」と頷いたのが、胸の振動を通じて伝わってきた。
「小夏が俺の腕の中にいる。もうそれだけで十分だ。それだけで……俺は幸せだって思える」
その言葉に、止まりかけていた涙がまたじんわり滲んできて、たっくんの白いシャツを濡らした。
「俺は今、幸せだ……幸せなんだ。そう思える事が嬉しいんだ……。小夏、お前のお陰だ。ありがとう……」
「たっくん……ゔ~~っ……」
たっくん……。
たっくん、私の元に戻ってきてくれて、ありがとう。
私を諦めないでいてくれて、ありがとう。
ずっと写真を持っていてくれて、ありがとう。
高校で見付けてくれて、ありがとう。
全部話してくれて、ありがとう。
抱きしめてくれて、ありがとう。
幸せだって思ってくれて、ありがとう。
生きていてくれて……本当に、本当にありがとう。
沢山のありがとうを伝えたいけれど、今はまだ胸が震えて言葉にならないから……。
涙が止んだその時に、どうか心からの『ありがとう』を受け取って下さい。
0
あなたにおすすめの小説
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
隣の家の幼馴染と転校生が可愛すぎるんだが
akua034
恋愛
隣に住む幼馴染・水瀬美羽。
毎朝、元気いっぱいに晴を起こしに来るのは、もう当たり前の光景だった。
そんな彼女と同じ高校に進学した――はずだったのに。
数ヶ月後、晴のクラスに転校してきたのは、まさかの“全国で人気の高校生アイドル”黒瀬紗耶。
平凡な高校生活を過ごしたいだけの晴の願いとは裏腹に、
幼馴染とアイドル、二人の存在が彼の日常をどんどんかき回していく。
笑って、悩んで、ちょっとドキドキ。
気づけば心を奪われる――
幼馴染 vs 転校生、青春ラブコメの火蓋がいま切られる!
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる