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最終章 2人の未来編
38、結婚しね? (後編)
しおりを挟む穂華さんが心から本当に愛していたのは、生涯でただ1人、マイクさんだけだったのかも知れない……。
そんな風に考えていたら、鼻の奥がツンとしてきた。
目の縁まで涙が盛り上がってきたから、慌ててスンと大きく鼻をすすって誤魔化してみる。
「なんだよ、泣いてんの? 小夏はホント泣き虫だな」
「違う!……風が冷たかったから……」
「お前って、自分のことじゃ泣かないくせにさ、俺のことになるとすぐに泣いちゃうんだよな」
ーー駄目じゃん私、全然誤魔化せてないし……。
「だって……」
「そんなの嬉しくて愛おしくて……手放せないよ」
優しく頬擦りされて、頬が震え出す。
慌ててもう一度、大きく息を吸い込んだ。
「そんなに辛そうな顔をするなよ。 俺はこの顔に産んでもらって感謝してるんだぜ。だって、 このブルーの瞳のおかげで横須賀から離れる事になって、流れ着いたあの街で小夏と出会えたんだ」
「私も…… たっくんに会えて良かった。ブルーの瞳のたっくんで良かった。好きになった人がたっくんで良かった……」
「うん……俺にはそう言ってくれる人がいる。それだけでもういいんだ……」
たっくんはただただ、 愛されたかったんだ。
『君はここにいていいんだよ』と、 この世に生まれてきた事が間違いではないのだと、 誰かに肯定して欲しかっただけなんだ。
ひたすら母親に尽くし、その愛を求めていた少年は、最期の今際の言葉で少しでも救われたのだろうか……そうでないと、あまりにも報われない。
「アレだな……パンドラの箱だ」
「パンドラの箱?ギリシャ神話の?」
急に話題が変わって、あれっ?と顔だけたっくんの方に振り向いた。
「そう。パンドラが神ゼウスから持たされた箱を開けて、あらゆる厄災を地上に放ってしまっただろ?」
「うん……」
「俺も、いろんな事が次々と襲い掛かってきて、いろんな物がこの手から零れ落ちて行ってさ…… もう俺の中には何も残ってない、希望なんか持ってたって無駄なんだって、一度は諦めて……」
「うん……」
「俺はお前への気持ちをテープでグルグル巻きにして、箱の奥底に封印したんだよ。 そしてもう二度と封印を解くことはないと思っていた。……そう決めていた」
もう駄目だ。これ以上、涙を堪えるなんて出来ない。
私は身体ごとたっくんに向き直って、その胸に思いっきり顔を押し付けた。
「ハハッ……やっぱり泣いてる」
たっくんはそう言って、コートで肩を包み込んでくれた。
頭の上にチュッとキスを落としてから、そのまま言葉を続ける。
「だけど……だけどさ、空っぽだと思っていた俺の中に、1つだけ希望が残ってたんだよ。俺のパンドラの箱に最後に残っていたのは『小夏』だった。小夏が俺の封印を解いて、心を取り戻してくれたんだ」
「うん……うん……」
「小夏……お前が俺の希望で夢で光なんだ」
「ううっ……たっくん……」
「小夏……俺と一緒にいてくれてありがとう。お前という希望のお陰で、俺は生きてこられたんだ」
ーーたっくん……。
たっくんがそう言って微笑んでくれるのなら、私はそうでありたいと思う。
あなたがカイのように雪の国に迷い込んだら、私はゲルダとなって連れ戻しに行こう。
光を見失い絶望の闇に捕われそうになったら、私が女神となって抱き締めよう。
進む道を誤りそうになったら、私が太陽となって、ヒマワリのあなたを振り返らせる。
私はあなたの望むもの全部…… 友であり、恋人であり、妻となって、これからもずっと、あなたと共に歩いて行きたいんだ。
「たっくん……大好きだよ」
「うん、俺も」
「ずっと一緒にいようね」
「当然」
あなたが幼い頃からずっと望み続けてきたもの……例えば家族の団欒とか、無償の愛……とか。
人が当たり前のように口にする『普通』を受け取ることが出来なかったあなたに、それが当たり前だと、普通にそこにあるものなんだと思えるようになって欲しい。
毎日交わされる、『おはよう』『おやすみ』、『お帰り』『ただいま』の挨拶。
朝はまな板を叩く包丁の音と味噌汁の香りで目が覚めて、食卓には家族分の箸が並んでいる。
行ってらっしゃいのキスの後は、ベランダから見送る私に手を振るあなた。
疲れて帰ってくると、家の窓には煌々と明かりが灯っていて……。
出迎えるのはあなたの家族。
あなたを夫と呼び、お父さんと呼ぶ、あなたの家族がいつでもそこで待っている……
そういうもの全てをあなたに与える存在に、私はなりたい。
あなたがそれを当然だと思えるようになるまで……ウンザリする程、何度でも何度でも愛のシャワーを浴びせ続けるんだ。
「小夏……」
「ん?」
「結婚しね?」
「うん、する」
「返事、早過ぎね?」
「嫌だった?」
「いや、最高」
「ふふっ……」
遠く海の向こうには、プカプカと白い綿雲が浮かんでいて、その下を貨物船が汽笛を鳴らしながら横断して行った。
その景色を見渡しながら、青い海の向こう側に想いを馳せて、私たちはしっかりと手を握りあっていた。
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