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【番外編】

妊娠狂想曲 (1) 天馬

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 その日天馬が帰宅したのは午後9時を過ぎていて、午後からオペを2件立て続けにこなしたせいもあって、かなり疲れていた。
 今日は忙しくて託児所に顔を出せなかったし、仕事終わりの楓花と一緒に帰ることも出来なかった。

 圧倒的な楓花不足にストレスはMAXを迎えようとしていたけれど、帰るコールをした時の楓花の鈴のような声に癒され、彼女の笑顔に会えるのを楽しみに、もちろんアクセル全開で帰って来たのだった。


「ただいま~」

 LDKから楓花がひょっこり顔を出したと思ったら、そのまま大慌てで駆けてくる。

「お帰りなさい。また帰るコールから7分! 安全運転してって言ってるのに」

 楓花はそう言って唇を尖らせながらも天馬の手からブリーフケースを受け取り、啄むようなただいまのキスを受け止める。

「今日はずっと顔を見れなかったからな。今のキスで漸く元気が出た」

「ふふっ、それじゃあシャワーを浴びて食事をとって、もっと活力を養ってください」

「それでもまだ50%だな。楓花を抱いたら漸く充電完了だ」
「う~ん……」

「えっ?」
「ん?……とりあえず、シャワー浴びて!その間におかずを温め直しておくから」

 その時の楓花の困ったような表情が気になったけれど、その意味を考える間もなく背中をグイグイ押され、寝室でネクタイを緩めた。


 今日の夕食は夫婦別々だった。
 午後8時を過ぎても天馬が帰らない場合は楓花に先に食べてもらうようにしているから。
 なので楓花は夕食を既に終えているのだけど、天馬が食べる間は隣でお茶を飲みながら一緒にいてくれる。

 食事はテーブルで向かい合わせなのが普通なんだろうけど、元々モデルルームだったこの部屋のダイニングテーブルは大き過ぎて、反対側だと距離が遠過ぎる。
 だから天馬の希望で同棲開始時からずっと、2人が座るのは隣り合わせだ。

 一時はもっと小さいテーブルを買おうかと考えた事もあったけれど、それだと楓花が隣に座ってくれなくなってしまう。
 だから絶対に買い換えるものか……と天馬は思っている。


「おっ、今日は豪勢だな」

 その日のメニューは鯛めし、鯛入り茶碗蒸し、三つ葉と鯛のお吸い物に里芋の煮転がし、ほうれん草と豆腐の白和えに大根の漬物だ。
 
 里芋の煮転がしは昨日の残り物だけど、その他は今日仕事から帰ってから作ったものだから、スーパーで鯛が安かったのかな? と思いながら美味しくいただく。


「ご馳走様、今日も美味しかったよ」

 食器を重ねてシンクに運ぼうとしたら、紺のスウェットの袖を引っ張られた。

「ねえ天馬、ちょっと座って。こっちを向いて」
「えっ?」

 ダイニングの椅子を引き、膝を突き合わせて向かい合う。
 緊張した表情の楓花に胸騒ぎがする。改まって話すことって何だろう? 

ーー俺は浮気なんてしてないし、叱られる覚えも無いぞ。

 あっ!

 暴走か?! 安全運転って言われてるのに今日も7分で帰って来たから……。

 だってそんなの仕方ないだろう?
 電話後の速攻ダッシュもアクセルを踏む足に自然に力が加わってしまうのも、考えるより先に身体が勝手に動いてるんだ。不可抗力じゃないか。

ーーもしかすると、これが結婚後初の夫婦喧嘩になるのかも知れない……。

 そんなことをグルグル考えていたら、「実はね……」と、楓花が天馬の膝に手を置いた。

ーーああ、やっぱり楓花と喧嘩なんて絶対に嫌だ! 謝って済むことなら速攻で謝って……

 そこまで考えたところで、楓花の口から予想外の言葉が発せられた。

「まだ確実じゃないんだけど……陽性だったの」
「えっ?……」

 一瞬何のことかと思ったけれど、頬を染めて照れ臭そうにしている表情で察することが出来た。

「陽性って……えっ、本当に? 今日? 調べたの?」

 コクンと頷かれ、心臓がドクンと跳ねる。
 胸に起こった驚きを、すぐに喜びが追い越していく。
 楓花の両手を握り締め、今聞いた嬉しい報告を改めて聞き直す。

「本当の本当に?……本当か!」
「うん。1週間待っても生理が来なかったから判定薬で調べてみたら、ピンクのラインが出たの」

 胸にジワジワと喜びが込み上げ感動に変わる。
 とうとう……待ちに待った……。

「楓花、でかした!」
「きゃっ!」

 ガバッと抱きついて、すぐに反省した。
 
ーー赤ちゃんが大変だ!

 慌てて離れてお腹に目をやる。

「ごめん!赤ちゃんが驚いちゃうな。ごめん、本当に悪かった」

「ふふっ、気が早いよ。まだ確定じゃないし。近いうちに産婦人科で診てもらってくるね」

 楓花はそう言っているけれど、たぶん間違いないと思っているんだろう。
 だからお祝いに鯛づくしの食卓になったのに違いない。

 天馬も妊娠は確定だろうと思う。
 出来たのはたぶん初めて中で出したあの夜だ。
 たった1つの精子と卵子が結ばれてくれたんだろう。

ーーまあそれは、いずれ判明するとして、問題は……。

「産婦人科、俺も一緒に行くよ」
「ええっ、天馬は忙しいでしょ」

「忙しいけどどうにかする。絶対に行く。それと、主治医は絶対に女医な」
「ええっ!」

「何が嬉しくて奥さんの身体を他の男に弄られなきゃいけないんだよ」
「弄るって……」
「弄るじゃないか、大事なところを!」

 天馬はそれから速攻で近くの産婦人科医(女医に限る)を検索しまくった。

 検索しながら指が震えた。
 喜びで震えたのではない。そっちはちゃんと妊娠が確定してからだ。
 この震えは悔しさから……己の選択を悔やむ後悔と怒りの震えだ。

ーーくっそ~! どうして内診するのが俺じゃないんだよ!
 どうして赤ん坊を取り上げるのが俺じゃないんだよ!
 どうして産婦人科医を目指さなかったんだ……俺のバカヤロー!

 怒りをキーボード にぶつけながら、天馬はパソコンの画面を次々とクリックし続けた。


 妊娠確定前から、既に大騒ぎが始まっていた。
 そしてそれは、周囲の人々にも伝染して行く。
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