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裏 あしながおじさまは元婚約者でした
いつかきっと
しおりを挟む8月中旬の土曜日。
朝哉は雛子がいる白椿学園の学生寮の前に愛車を停めると、エンジンを切って車を降りた。
時刻は夜の8時過ぎ。黒い門は固く閉じられており、中に入ることは出来ない。
朝哉はその鉄柵の隙間から、寮の窓を黙って見上げる。
――ヒナの部屋はあそこだな。
彼女の部屋の位置はしっかり覚えている。
今まで何度もここに雛子を送ってきた。
門の外から笑顔で手を振って見送った。
人目を気にしながら軽いキスを交わしたことだってある。
――けれど、もう……
手を振りあうどころか、彼女の顔を見ることさえかなわなくなる。
なぜなら自分は、明日の朝、ニューヨークに旅立ってしまうからだ。
出来る限りのことはした。
抜かりは無いはずだ……と思う。
渋る父親を説得し、白石工業と白石メディカを救うための策を探った。
そして最終的に定治と時宗が下した決断が、白石メディカの買収だ。
取締役会の過半数をコントロールできるだけの株式を有したうえで株主総会を開き、大介をCEOから解任する。
そしてその後M&Aを仕掛けてクインパスから役員を送りこみ、経営改善をおこなう。
もちろんすべてを父親任せにするわけにはいかない。
朝哉もニューヨーク行きの準備を進めるかたわら、限られた時間のなかで精一杯のことをした。
大介は愚かにも、社長就任後すぐに古参の社員を一斉解雇している。
元の社長であった宗介を慕っていた社員が邪魔だったのだろうが、愚かにもほどがある。
強引なやり方で追い出された社員たちのなかには、大介を快く思っていないものが少なからずいるはずだ。
そこを狙って説得工作にあたるのが朝哉に課せられた仕事だった。
会社の秘書と弁護士を伴って、株主の家を一軒づつまわり、彼らが所有している株を売ってくれるよう説得していく。
大介が社長になってからというもの会社の評判は芳しくなく、白石メディカの株は今ではただの紙切れ同然だ。
それでも他社に魂を売り渡すことを善しとしないものも依然いて、そこを何度も訪問しては根気よく誠意を伝えていった。
真夏の猛暑のなか、蝉の鳴き声を聞きながらアスファルトの道を歩き回るのは骨の折れる仕事だった。
ほかにもNYU編入のためのTOEFLスコアの取得や諸手続き、父のお供で参加する関連会社役員のゴルフ接待まである。
けれどそんなものは、雛子の苦しみに比べたら些細なことだ。
大介が社長を解任されれば収入がなくなり生活に困窮する。
その皺寄せは必ず雛子に及ぶだろう。
両親を亡くし、家と財産を奪われ婚約者にも裏切られた彼女が、今度は父の遺した会社を買収され、遂には学校生活や住む場所さえも失おうとしているのだ。
まだたった16歳の少女にとって、それがどんなに過酷で耐えがたいことか……
考えただけでも胸が張り裂けそうだ。
しかし、その救護策として、雛子には『あしなが雛の会』から奨学金が与えられることになっている。
『日本の未来を担う優秀な若者を支援する』ことを目的として、日本国内の高校生の中から独自の調査方法で給付対象者を選び、学業の援助をする民間非営利団体。
そこから雛子には、授業料に寮費の全額免除、そして学用品購入費として月々10万円も支給される。
しかも返済不要の給付型。
けれどそんなのは嘘っぱちだ。
『あしなが雛の会』なんて団体はこの世に存在しないし、雛子が奨学生に選ばれたという事実もない。
すべては雛子のために考えられた計画だ。
これは朝哉が渡米し、白石メディカのM&Aがなされたあとで実行に移される。
段取りは赤城に任せてある。
彼なら万事うまくことを進めてくれるだろう。
――本当は自分がそばにいて慰めたかったけれど。
それは絶対にかなわない、するわけにはいかないから。
せめてニューヨークの空の下から見守ることを許してほしい。
――ヒナ、君と白石メディカは、俺が絶対に守ってみせる。
それが自分の将来を売り渡してでも望んだこと。
賽はもう投げられた。
この先に雛子との明るい未来が待っていると信じて進むしかないのだ。
朝哉は明かりの灯る2階の窓を、もう一度じっと見上げる。
今すぐ大声で雛子の名を叫びたい衝動をグッと抑えこみ、車に乗りこんだ。
「ヒナ、待っていて」
――いつかきっと、会いに行くから……
車のエンジンをかけて最後にもう一度だけ窓を見ると、朝哉は自分に言い聞かせるように「うん」とうなずいて、アクセルを踏みこむのだった。
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