昭和幻想鬼譚

文月 沙織

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夏前の夜 三

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 香寺の神経質そうな白い頬がひきつっているのが、望にはたやすく想像できる。
「先生、そんな子どもみたいに泣きわめくものではないだろう。さっきは承知してくれたではないか?」
 勇の声には冷たい揶揄がこもっている。
「それは……、それはっ」
 承知したのではなく、驚愕のあまり言葉が出なかったのだろう。それを、父が強引に話を終わらせてしまったのだ。
 望は同情したが、助けにいくことなどできなかった。自分が非力だからというだけでなく、助けたいと思えないのだ。なぜなら、助けてしまえば、この先の展開が見られないからだ。
 悪漢が姫君を襲えば、たいての男はそのまま見ていたいと内心思っているものだ。
 香寺のほっそりとした肢体、いつも伏せがちな目。望は胸に思い描く。
 暇さえあれば書物を手に己の世界にこもっている、いかにも学究の徒らしき知的な雰囲気にあふれた彼が、今、欲望に燃える男たちに追い詰められて動揺しているのかと思うと、ぞくぞくしてくる。
「そんな怯えた顔をしなくていい。ひどいことはせん。それどころか、儂はあんたを楽しませてやりたいのだ。あんたのような、いかにもお利巧さんの優等生が、気持ちよくて乱れたらどんなものなのか、前から見たくてたまらなかった」
「今夜はたっぷり見れますよ、雨沼さん」
 勇の声は悪党そのものだ。
 男らしく、その名のとおり勇ましく強い勇を、望は仁を想うのとはまた別の意味で好きだし、尊敬しているが、勇にはこういう残酷で過激な一面があることも最近知ってしまった。貪婪で、おのれの欲望を満足させるに躊躇しない怖いところもある人だったのだ。
 また、こまったことに、そういう悪い面を見てしまっても好きなのだ。勇を蔑む気がまるでしない。
 少年はときに正義漢よりも悪党に惹かれてしまうものだ。じっさい学院でも不良っぽい生徒は、一部では顰蹙を買いながらも、一部では憧憬の目でみられることもある。とくに下級生から。
「さぁ、先生、そんな聞き分けないことを言ってないで、こっちへ来るがいい。あんたも男なら、いったん約束したことは守らないとな」
 勇が手を伸ばしたのが見えた。まだ軍服姿のままだ。
 ガラス越しに繰り広げられる男たちの情欲絵図は、望の心身を焦がしぬく。
 望は一歩、近づいた。
 香寺の呻くような泣き声がいっそう高くなり、望の鼓膜に突き刺さる。
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