96 / 190
美しいとき 二
しおりを挟む
うっとりと雨沼が濁った目を絵に向ける。こんな目で見られたら、気の弱い女性ならふるえあがるだろうな、と望はこっそり思った。
「これはな、橘小夢の絵で、澤村田之介という大昔の有名な女形を描いたものだ」
澤村田之介は女形役者として絶大な人気を得ていたが、不幸なことに脱疽にかかって四肢切断を余儀なくされたという。
「右脚をなくしても義足をつけて舞台に出たが、その後またさらにもう片方の脚、右手首、左手の小指以外の指すべてを切断せねばならなくなり、結局、最後には狂死した」
恐ろしい話を雨沼は笑いながら語る。
ふつうの人間でも、そんな目にあえば大変な悲劇だが、それが美貌で知られた歌舞伎役者なのだから、その悲痛さは筆舌つくしがたいだろうに、雨沼の目は夢見るようで、望の背は寒くなる。
「……ふふふふ。わからんだろうな。この世で最もすばらしいときというのは、美が滅びゆく瞬間なのだ。澤村田之介のような美貌と才にめぐまれた当代随一の名女形の肉体が崩れこわれていく瞬間こそは、まさしく至高の美がきらめいた瞬間なのだよ」
望は黙っていた。
美しいものを壊したい、という願望が男にはあるらしい。
それは望のもっている征服欲と、似ていて違うものなのかもしれない。
望はたしかに香寺や仁を汚したい、という欲望はあるが、やはり完全に壊してしまいたい、とまでは思わない。
(僕はやっぱり、先生や仁さんにはいつまでも美しくいてほしいな。澤村田之介とかいう役者のように、肉体が崩れていくなんて、とんでもない。そんなことになったら、僕の方が悲しみと恐怖で死んでしまいそうだ)
自分の嗜好も幾分、ゆがんでいることは認めるが。
「ちかいうちに、是非、香寺君と会いたいね」
雨沼の卑しい笑みに背筋がこわばる。だが、断る権利は望にはない。
もともと香寺は雨沼に買われたのだ。
望は、雨沼の許しを得て、香寺と関係を結んでいるに過ぎない。
おそらくは、年下で教え子でもある望にいいようにされることで、香寺の屈辱感をいっそう大きくし、被虐性をたかめようというつもりなのだろう。
「これはな、橘小夢の絵で、澤村田之介という大昔の有名な女形を描いたものだ」
澤村田之介は女形役者として絶大な人気を得ていたが、不幸なことに脱疽にかかって四肢切断を余儀なくされたという。
「右脚をなくしても義足をつけて舞台に出たが、その後またさらにもう片方の脚、右手首、左手の小指以外の指すべてを切断せねばならなくなり、結局、最後には狂死した」
恐ろしい話を雨沼は笑いながら語る。
ふつうの人間でも、そんな目にあえば大変な悲劇だが、それが美貌で知られた歌舞伎役者なのだから、その悲痛さは筆舌つくしがたいだろうに、雨沼の目は夢見るようで、望の背は寒くなる。
「……ふふふふ。わからんだろうな。この世で最もすばらしいときというのは、美が滅びゆく瞬間なのだ。澤村田之介のような美貌と才にめぐまれた当代随一の名女形の肉体が崩れこわれていく瞬間こそは、まさしく至高の美がきらめいた瞬間なのだよ」
望は黙っていた。
美しいものを壊したい、という願望が男にはあるらしい。
それは望のもっている征服欲と、似ていて違うものなのかもしれない。
望はたしかに香寺や仁を汚したい、という欲望はあるが、やはり完全に壊してしまいたい、とまでは思わない。
(僕はやっぱり、先生や仁さんにはいつまでも美しくいてほしいな。澤村田之介とかいう役者のように、肉体が崩れていくなんて、とんでもない。そんなことになったら、僕の方が悲しみと恐怖で死んでしまいそうだ)
自分の嗜好も幾分、ゆがんでいることは認めるが。
「ちかいうちに、是非、香寺君と会いたいね」
雨沼の卑しい笑みに背筋がこわばる。だが、断る権利は望にはない。
もともと香寺は雨沼に買われたのだ。
望は、雨沼の許しを得て、香寺と関係を結んでいるに過ぎない。
おそらくは、年下で教え子でもある望にいいようにされることで、香寺の屈辱感をいっそう大きくし、被虐性をたかめようというつもりなのだろう。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
25
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる