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第九十三話 懐かしい再会
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面会の日が訪れた。
マーレン王城の来賓室。
エリー――本来の名をセレスティアとする少女は、レオンハルトと共に静かにその扉の前へと立った。胸の内には言葉にしがたいざわめきがあり、扉の奥に待つ何者かが、自分の「過去」そのものを連れてくる気がしてならなかった。
コツン、とレオンハルトが扉をノックする。開かれたその先には、二人の見知らぬ男性。そしてすでに同席していたのは、第一王子フリードリヒだった。
戸惑いながらもエリーは一歩足を踏み入れ、用意された椅子へと腰を下ろした。
フリードリヒが場の空気を和らげるように、微笑を浮かべながら言った。
「エリー、こちらにいらっしゃるのはサダール王国よりいらした使節で、後方支援局に所属するエリック=カールトン殿と、エリオット=デスペンダー殿だ」
「……はじめまして……いえ、もしかしたら“はじめまして”ではないのかもしれませんが、生憎、わたしは記憶を失っていて……。今は“エリー”と呼ばれています」
レオンハルトも続けて名乗る。
「第二王子、レオンハルト=ヴァルゼンだ。彼女の保護者のようなものだと思ってくれればいい」
穏やかな紹介のやり取りの後、エリックが一歩前に出て、やや緊張した面持ちで問いかけた。
「……エリー様に、お話しする時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ。どうぞ」
エリックは深く頷き、慎重に言葉を選びながら語り出した。
「エリー様のお名前は、本来“セレスティア=サフィール”様と申し上げます。サダール王国のサフィール伯爵家の次女で、年齢は現在十七歳。……行方が分からなくなったあいだに、お誕生日を迎えられました」
「十七歳……わたしが……?」
驚きと戸惑いを押し殺すように呟くエリー。彼女は自分の歳すら知らなかったのだ。
「……それに、王立学園の特別科に飛び級で入学後、そのまま飛び級で卒業なさっています。そして現在は、サダール王国の後方支援局で局長をお務めです」
「そんな……すごい経歴……それが本当に“わたし”なんですか?」
隣にいたエリオットが、しっかりと頷いた。
「はい、私たちは毎日顔を合わせておりましたし、見間違えるはずがありません。セレス――いえ、エリー様は確かに私たちの大切な局長です。何か、少しでも記憶の手がかりになるようなこと……思い出しませんか?」
しばらく沈黙が落ちる。エリーは眉を寄せて記憶の底を探るように目を伏せたが、やがて小さく首を振った。
「……ごめんなさい。何も……思い出せません」
その答えに、エリックとエリオットは肩を落とし、沈痛な面持ちでうつむいた。
「気づいた時には、この国にいて……ハルトの話だと、凍った湖の上に転移して現れたんだとか。それがどうしてなのか、わたし自身にもわからないんです。……何か、理由に心当たりはありますか?」
エリックとエリオットは顔を見合わせた。明らかに言いづらそうな様子だったが、やがて意を決したように、エリオットが静かに口を開いた。
「……セレスティア様は、転移される直前に……ご婚約者様のもとを訪れておりました。そして、彼と……彼と一人の女性が、肌を重ねるような状況を目の当たりにされ……その衝撃で、転移を発動されたと聞いております」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
エリー、レオンハルト、フリードリヒ――三人の呼吸が止まり、誰もが息をのんだ。
「……婚約者……浮気……?」
エリーの口からその言葉がこぼれ落ちた瞬間、エリオットが慌てて補足する。
「ですが、それは誤解です! 第一騎士団の数名が、レオナルド様を罠にかけたのです。彼は、浮気をしたわけではありません!」
「……レオ、ナルド……レオ……」
その名を口にした瞬間、エリーは苦しそうに眉をひそめ、頭を抱えた。そして、次の瞬間――
「……痛っ……あ、あたまが……!」
そのまま、レオンハルトの腕へとしがみつくように倒れ込み、意識を失ってしまった。
「エリー!」
驚いたレオンハルトは、すぐに彼女を抱きかかえ、フリードリヒたちに一言だけ告げて部屋を出ていった。
「すまない。しばらく彼女を休ませる。話の続きはまた後に」
重たく閉ざされた扉の向こう、残された三人は、互いの顔を見合わせ、今後についての相談を続けた。
「……再会は果たせたが、セレスティア嬢は“レオ”という名を聞くと強く頭痛を訴えるようだ。それも尋常ではない。彼女が私を“ハルト”と呼ぶのも、それを避けるためなのだ。彼女は……今や、常にレオンハルトの傍で過ごしている。それは……紛れもない事実だ」
フリードリヒの言葉に、エリックは苦渋の表情を浮かべながらも頷いた。
「……本来は、公にはできぬことですが。彼女は耳に転移陣を刻んだ魔道具を着けており、とっさの動揺で転移が発動したのだと考えています。座標は不明でしたが……その先がここだった、と」
「なるほど……しかし、あの状況で記憶を失い、そして今、平穏に暮らしている。ならば……今もなお“婚約者”として彼女を待っている男がいるのか?」
フリードリヒの問いに、エリオットが静かに答えた。
「……はい。一応、婚約は解消されておらず、彼女が戻ることを待っております。ただ、この状況です。サダール国王陛下のご判断次第ではありますが……」
フリードリヒは深く息を吐き、壁の一点を見つめながら言った。
「……正直なところ、私はこのまま“エリー”として、彼女にマーレンで暮らしてほしいと願っている。レオンハルトも、ここまで人に心を向けるのは……初めてに近いからな。だが……サダールの王と、家族の思いがあるとなれば、簡単にはいかぬだろう」
エリックは静かに頷いた。
「はい。陛下も、そして後方支援局の仲間たちも、家族も……皆が無事を信じて探してきたのです。こうして命を救っていただいたこと、深く感謝しております。記憶が戻らぬことは残念ですが、早急にご家族のもとへお連れしたい……それが、我々の使命です」
フリードリヒは少しの間、思案したのちに頷いた。
「……まずは様子を見ることだな。急くべきではない。王城内に部屋を用意する。しばらくはここで滞在し、状況の変化を見ながら、今後のことを決めていこう」
それが、今のところ下せる最善の判断だった。
かくして、セレスティアを巡る想いは交錯し、運命の歯車はまた、静かに音を立てて動き始めていた――。
マーレン王城の来賓室。
エリー――本来の名をセレスティアとする少女は、レオンハルトと共に静かにその扉の前へと立った。胸の内には言葉にしがたいざわめきがあり、扉の奥に待つ何者かが、自分の「過去」そのものを連れてくる気がしてならなかった。
コツン、とレオンハルトが扉をノックする。開かれたその先には、二人の見知らぬ男性。そしてすでに同席していたのは、第一王子フリードリヒだった。
戸惑いながらもエリーは一歩足を踏み入れ、用意された椅子へと腰を下ろした。
フリードリヒが場の空気を和らげるように、微笑を浮かべながら言った。
「エリー、こちらにいらっしゃるのはサダール王国よりいらした使節で、後方支援局に所属するエリック=カールトン殿と、エリオット=デスペンダー殿だ」
「……はじめまして……いえ、もしかしたら“はじめまして”ではないのかもしれませんが、生憎、わたしは記憶を失っていて……。今は“エリー”と呼ばれています」
レオンハルトも続けて名乗る。
「第二王子、レオンハルト=ヴァルゼンだ。彼女の保護者のようなものだと思ってくれればいい」
穏やかな紹介のやり取りの後、エリックが一歩前に出て、やや緊張した面持ちで問いかけた。
「……エリー様に、お話しする時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ。どうぞ」
エリックは深く頷き、慎重に言葉を選びながら語り出した。
「エリー様のお名前は、本来“セレスティア=サフィール”様と申し上げます。サダール王国のサフィール伯爵家の次女で、年齢は現在十七歳。……行方が分からなくなったあいだに、お誕生日を迎えられました」
「十七歳……わたしが……?」
驚きと戸惑いを押し殺すように呟くエリー。彼女は自分の歳すら知らなかったのだ。
「……それに、王立学園の特別科に飛び級で入学後、そのまま飛び級で卒業なさっています。そして現在は、サダール王国の後方支援局で局長をお務めです」
「そんな……すごい経歴……それが本当に“わたし”なんですか?」
隣にいたエリオットが、しっかりと頷いた。
「はい、私たちは毎日顔を合わせておりましたし、見間違えるはずがありません。セレス――いえ、エリー様は確かに私たちの大切な局長です。何か、少しでも記憶の手がかりになるようなこと……思い出しませんか?」
しばらく沈黙が落ちる。エリーは眉を寄せて記憶の底を探るように目を伏せたが、やがて小さく首を振った。
「……ごめんなさい。何も……思い出せません」
その答えに、エリックとエリオットは肩を落とし、沈痛な面持ちでうつむいた。
「気づいた時には、この国にいて……ハルトの話だと、凍った湖の上に転移して現れたんだとか。それがどうしてなのか、わたし自身にもわからないんです。……何か、理由に心当たりはありますか?」
エリックとエリオットは顔を見合わせた。明らかに言いづらそうな様子だったが、やがて意を決したように、エリオットが静かに口を開いた。
「……セレスティア様は、転移される直前に……ご婚約者様のもとを訪れておりました。そして、彼と……彼と一人の女性が、肌を重ねるような状況を目の当たりにされ……その衝撃で、転移を発動されたと聞いております」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
エリー、レオンハルト、フリードリヒ――三人の呼吸が止まり、誰もが息をのんだ。
「……婚約者……浮気……?」
エリーの口からその言葉がこぼれ落ちた瞬間、エリオットが慌てて補足する。
「ですが、それは誤解です! 第一騎士団の数名が、レオナルド様を罠にかけたのです。彼は、浮気をしたわけではありません!」
「……レオ、ナルド……レオ……」
その名を口にした瞬間、エリーは苦しそうに眉をひそめ、頭を抱えた。そして、次の瞬間――
「……痛っ……あ、あたまが……!」
そのまま、レオンハルトの腕へとしがみつくように倒れ込み、意識を失ってしまった。
「エリー!」
驚いたレオンハルトは、すぐに彼女を抱きかかえ、フリードリヒたちに一言だけ告げて部屋を出ていった。
「すまない。しばらく彼女を休ませる。話の続きはまた後に」
重たく閉ざされた扉の向こう、残された三人は、互いの顔を見合わせ、今後についての相談を続けた。
「……再会は果たせたが、セレスティア嬢は“レオ”という名を聞くと強く頭痛を訴えるようだ。それも尋常ではない。彼女が私を“ハルト”と呼ぶのも、それを避けるためなのだ。彼女は……今や、常にレオンハルトの傍で過ごしている。それは……紛れもない事実だ」
フリードリヒの言葉に、エリックは苦渋の表情を浮かべながらも頷いた。
「……本来は、公にはできぬことですが。彼女は耳に転移陣を刻んだ魔道具を着けており、とっさの動揺で転移が発動したのだと考えています。座標は不明でしたが……その先がここだった、と」
「なるほど……しかし、あの状況で記憶を失い、そして今、平穏に暮らしている。ならば……今もなお“婚約者”として彼女を待っている男がいるのか?」
フリードリヒの問いに、エリオットが静かに答えた。
「……はい。一応、婚約は解消されておらず、彼女が戻ることを待っております。ただ、この状況です。サダール国王陛下のご判断次第ではありますが……」
フリードリヒは深く息を吐き、壁の一点を見つめながら言った。
「……正直なところ、私はこのまま“エリー”として、彼女にマーレンで暮らしてほしいと願っている。レオンハルトも、ここまで人に心を向けるのは……初めてに近いからな。だが……サダールの王と、家族の思いがあるとなれば、簡単にはいかぬだろう」
エリックは静かに頷いた。
「はい。陛下も、そして後方支援局の仲間たちも、家族も……皆が無事を信じて探してきたのです。こうして命を救っていただいたこと、深く感謝しております。記憶が戻らぬことは残念ですが、早急にご家族のもとへお連れしたい……それが、我々の使命です」
フリードリヒは少しの間、思案したのちに頷いた。
「……まずは様子を見ることだな。急くべきではない。王城内に部屋を用意する。しばらくはここで滞在し、状況の変化を見ながら、今後のことを決めていこう」
それが、今のところ下せる最善の判断だった。
かくして、セレスティアを巡る想いは交錯し、運命の歯車はまた、静かに音を立てて動き始めていた――。
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