美里

文字の大きさ
31 / 36

しおりを挟む
老婆は二人を二階にある客室に通した。並んだ三部屋が客室のようだったが、他に客が泊まっているような様子はなかった。二人が通された部屋は、二階の一番奥だった。
 中は6畳の和室で、部屋の奥に小さな卓袱台が置かれていた。そこに鏡がぼんやり虚ろに光を反射していた。
 老婆は卓袱台に茶器の用意をすると、押し入れを開けて布団を二組敷いた。動作は角ばって緩やかだったが、手を貸すことを許さないなんらかの空気が彼女からは発せられていた。
 ごゆっくり。
 彼女が囁くように言い、部屋を出ていくと、当たり前のことだが夕と藤は二人っきりになった。
 「……お茶を、淹れましょうか。」
 寒かったですものね、と、藤が卓袱台の前に膝をついた。
 夕は、その背中を見つめていた。
 こぽこぽと、花がらのポットの湯を青い急須に注ぎながら、落ち着かない、と、藤が呟いた。夕も、同感だった。
 「……なにか、命じてくださいよ。私は、もう10年以上、そういう形でしか人と関わっていないんです。」
 急須から湯呑へ茶を注ぎ入れながら、藤ははっきりとそう言った。
 命じてください。
 その言葉の真剣さに、夕はいっそたじろいだ。
 父の匂いが鼻先に漂った気がした。そんなものが感じられるほど、父に近づいたことなどないくせに。
 「脱げ。」
 父の匂いを振り払うように発した言葉は、突発的だった。口にしてから、その内容に自分で驚いたくらいに。
 脱げ。
 その一言に、藤はびくりと肩を弾ませた。ぽつん、と一滴、茶の雫が卓袱台に散った。
 焦った夕は、焦って首を横に振った。
 違う、そういう意味じゃないと。
 「いつまでもそんな着物着てたら息が詰まるだろ。脱いで、浴衣に着替えろよ。」
 そう言いながら、傍らの籠に入れてあった浴衣と帯を、藤に向かって放る。
 浴衣と帯は、藤の背中にぽすんと触れて止まった。
 ゆっくりと夕を振り返った藤は、分かりました、と微笑んだ。そして、するするとしなやかな動作で帯を解いた。
 その姿から視線を外しつつ、夕は畳の上へ胡座をかいて座り込んだ。
 本当は、分かっていた。
 息が詰まるから着物を脱がせようとしたのではない。そこに漂う父の匂いに耐えられなかったのだ。
 いつも藤は、制服のように高価な藤色の衣を着ていた。それは、今日も。
 「明日、どこかで服を買おう。」
 名に因んだりしなくていい。なにか、藤に似合う洋服を。
 はい、と、浴衣の帯を結びながら、藤はやはり従順に頷いた。

 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

窓のない部屋の、陽だまりみたいな君

MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。 そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。 ​そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。 完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。 ​「五分だけ、ここにいさせてくれないか」 ​一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。 次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。 住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。

処理中です...