18 / 24
18
しおりを挟む
俺は悩んだ。彼が里砂の言う通りの反応をすると、俺にも予想はついたから。
なにもしないで帰るし、二度とここには来ない。
そうすれば俺は、これ以上傷ついたり、悩んだりしないですむのかもしれない。心穏やかに、冷たい雨を待ったりしないで、落ち着いて暮らせるのかもしれない。
そうしたいと思った。もう、彼を待ったりなんかしないで。でも、そうしたらずっと、彼の影から逃れられなくなるのも分かっていた。
「……ひとりで大丈夫。」
声は、少し震えた。本当に大丈夫なのかは、自分でも分からなかった。本当は全然大丈夫じゃないのかもしれなかった。それでも、俺は単純に、彼に会いたくて。
「そう。」
里砂は、長い髪を指先で梳きながら、そう囁くと、すいと立ち上がった。
「里砂、」
言いたいことはいくらでもあった。ありがとうと、ごめんね。そして、これからも友達でいてほしいということ。いや、それはあまりに自分勝手だろうか。でも、それでも、望まずにはいられない。俺には、里砂しかいない。
そんな俺の混乱した内面を見透かすみたいに、里砂はふわりと目を細めた。
「あんたのお母さんね、時々道で会ったりするんだけど、そのたびに、あんたのことを訊かれるわ。」
「……え?」
「心配なのね。息子のこと。」
じゃあ、それだけ、と言って、里砂が俺に背を向ける。白いコートの後ろ姿を、俺は慌てて追いかけた。頭はさらに混乱していた。母親が、俺を心配している? ゲイであることがばれてから、どうしようもない冷たい川を挟んでしか会話ができなくなった、母親が?
里砂、と、何度でも呼びかけそうになった。それは、助けを求めるみたいに。でも、その度に辛うじて思いとどまった。さすがに情けなすぎて、そんなことはできなかった。
玄関で茶色いショートブーツを履いた彼女は、くるりと俺の方に向き直ると、片手で俺の肩を抱き寄せた。俺は驚いて、一瞬硬直した。里砂と、こんなふうに肉体的な接触をするのは、記憶にある限りははじめてだった。
すぐに俺の肩から身を離し、ぽんぽん、となだめるみたいにそこを叩いた彼女は、にっこりと笑った。それは、見慣れた里砂の笑顔だった。
「じゃあね。上手くやるのよ。また電話するわ。」
うん、と、頷くので精いっぱいだった。笑い返したいと思ったけれど、上手くできた自信はない。赤い傘を持った里砂は、そのまま部屋を出て行った。
外はもうすっかり朝で、雨はやんでいて、白い朝日がいっぱいに射していた。
雨が止んだ。
彼は、今どこで誰といるのだろうか。
なにもしないで帰るし、二度とここには来ない。
そうすれば俺は、これ以上傷ついたり、悩んだりしないですむのかもしれない。心穏やかに、冷たい雨を待ったりしないで、落ち着いて暮らせるのかもしれない。
そうしたいと思った。もう、彼を待ったりなんかしないで。でも、そうしたらずっと、彼の影から逃れられなくなるのも分かっていた。
「……ひとりで大丈夫。」
声は、少し震えた。本当に大丈夫なのかは、自分でも分からなかった。本当は全然大丈夫じゃないのかもしれなかった。それでも、俺は単純に、彼に会いたくて。
「そう。」
里砂は、長い髪を指先で梳きながら、そう囁くと、すいと立ち上がった。
「里砂、」
言いたいことはいくらでもあった。ありがとうと、ごめんね。そして、これからも友達でいてほしいということ。いや、それはあまりに自分勝手だろうか。でも、それでも、望まずにはいられない。俺には、里砂しかいない。
そんな俺の混乱した内面を見透かすみたいに、里砂はふわりと目を細めた。
「あんたのお母さんね、時々道で会ったりするんだけど、そのたびに、あんたのことを訊かれるわ。」
「……え?」
「心配なのね。息子のこと。」
じゃあ、それだけ、と言って、里砂が俺に背を向ける。白いコートの後ろ姿を、俺は慌てて追いかけた。頭はさらに混乱していた。母親が、俺を心配している? ゲイであることがばれてから、どうしようもない冷たい川を挟んでしか会話ができなくなった、母親が?
里砂、と、何度でも呼びかけそうになった。それは、助けを求めるみたいに。でも、その度に辛うじて思いとどまった。さすがに情けなすぎて、そんなことはできなかった。
玄関で茶色いショートブーツを履いた彼女は、くるりと俺の方に向き直ると、片手で俺の肩を抱き寄せた。俺は驚いて、一瞬硬直した。里砂と、こんなふうに肉体的な接触をするのは、記憶にある限りははじめてだった。
すぐに俺の肩から身を離し、ぽんぽん、となだめるみたいにそこを叩いた彼女は、にっこりと笑った。それは、見慣れた里砂の笑顔だった。
「じゃあね。上手くやるのよ。また電話するわ。」
うん、と、頷くので精いっぱいだった。笑い返したいと思ったけれど、上手くできた自信はない。赤い傘を持った里砂は、そのまま部屋を出て行った。
外はもうすっかり朝で、雨はやんでいて、白い朝日がいっぱいに射していた。
雨が止んだ。
彼は、今どこで誰といるのだろうか。
10
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
先輩のことが好きなのに、
未希かずは(Miki)
BL
生徒会長・鷹取要(たかとりかなめ)に憧れる上川陽汰(かみかわはるた)。密かに募る想いが通じて無事、恋人に。二人だけの秘密の恋は甘くて幸せ。だけど、少しずつ要との距離が開いていく。
何で? 先輩は僕のこと嫌いになったの?
切なさと純粋さが交錯する、青春の恋物語。
《美形✕平凡》のすれ違いの恋になります。
要(高3)生徒会長。スパダリだけど……。
陽汰(高2)書記。泣き虫だけど一生懸命。
夏目秋良(高2)副会長。陽汰の幼馴染。
5/30日に少しだけ順番を変えたりしました。内容は変わっていませんが、読み途中の方にはご迷惑をおかけしました。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる