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第十章
私を呼んで 8 くちづけられて
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「ポーレット、今日は旦那様も一緒に遊べる?」
「ええ、もちろんよ。でもそれだけではないの」
「それだけではないって何?」
「うふ、着いてからのお楽しみよ」
にっこり笑うと、フランシスも顔を綻ばせた。
ポーレットは水曜日、フランシスをお迎えついでにと、グナイハウゼン侯爵家から昼食に招待されていた。メイドである自分がとんでもないと、お断りの返事を入れようとしたのだが、フランシスのたっての願いだとメッセージを持って来た使者に請われ、承諾の返事を出したのだ。
お客として招待されているので、メイド用の服ではなく、この世界に来た時に着ていたアプリコット色のドレスを身に付ける。自前のドレスはこれ一着しかないので、早い内にお給金を貯めて、手頃な値段のものを手に入れなければ。髪の毛も下ろし、すずらんの香水をつけて馬車に乗る。
侯爵家では、気取らないピクニック風の昼食が用意されていた。お屋敷の庭でシートを広げ、フランシスと公爵夫人と三人でサンドイッチと果物の昼食をとる。侯爵はタウンハウス(町屋敷)に滞在して仕事をしていると公爵夫人から説明された。
フランシスだけでなく、公爵夫人からも僅かな寂しさが感じ取れる。侯爵夫人はポーレットを気に入ってくれて、もしその気になったらいつでもうちで雇うからと声を掛けてくれた。
そして、冒頭の会話へと戻る。今はツェーンドルフ伯爵邸に向かって馬車を走らせているところだ。伯爵邸に着くと、20人余りの使用人が玄関に並んでいた。その一番前にはカイトがいる。
カイトはまずフランシスを馬車から抱き下ろし、ポーレットには手を差し出した。リーフシュタイン時代を思い出しながら、その手に自分の手を重ねる。優雅に馬車を降りるポーレットに、カイトも使用人達もひとときの間目を奪われた。
過去にこうして誰かの手を取った・・・自分はその人に仕えていて――
そこまで考えたところで頭の中に霧が立ちこめてきた。深く考えなくていいのよ、と声が聞こえてくる。そうだ、きっと大した事ではないのだ・・・深く考えるのはよそう・・・
馬車から降りたフランシスはカイトに緊張して挨拶をする。
「ツェーンドルフ伯爵、今日はお招きありがとうございます!」
微笑みながら、カイトが挨拶を返す。
「グナイハウゼン侯爵家、ご子息のフランシス様。こちらこそ丁寧なご挨拶を頂きありがとうございます。どうぞご存分にお楽しみ下さい」
そう言った後にウィンクをして付け加える。
「私の呼び名はカイトでいいよ」
「分かった!」
「ここに並んでいる使用人達も、今日は仲間に加わってもらうんだ」
「ホントに!?」
フランシスは興奮を隠しきれなくて今にも爆発しそうな勢いだ。
最初は鬼ごっこから始まった。この鬼ごっこは、捕まえても、鬼が変わるわけではなく、ただただ鬼が増えていくシステムだ。最後には皆に取り囲まれて、非情に怖い――
フランシスの笑い声が庭に響き渡る。
「ベイジルさん!」
「ポーレット、早く逃げないと捕まってしまうよ」
「ベイジルさんもですよ! それにしても、結構な人数が駆り出されましたね」
ポーレットが周りを見回しながら、ベイジルと足並みを揃えて、走り出した。
「ああ、使用人の約1/5だ。給金もいつも通り出るから、志願者ですぐにいっぱいになったよ」
ベイジルがポーレットの耳元に顔を寄せて囁いた。
「奥様はいい機会だからと、綻びの修復に出ていらっしゃる」
「分かりました・・・あ――」
ポーレットが口を開けてベイジルを見ている。
「何だ、ポーレット?」
「つーかまーえたー!!」
フランシスがベイジルの足にかじりついている。ポーレットが我慢できずに笑い出した。
「ポーレットも捕まえた!」
今度はポーレットにしがみつく。
「ポーレット、笑っている場合じゃないだろう」
「すいません、つい」
「最後の一人は誰だ!?」
「旦那様だ・・・」
見るとカイトが見事な身のこなしで逃げ続けている。
「普通に逃げてるように見えるのに、なぜ捕まらないのかしら?」
「あと、ちょっとというところで身体がフイッと避けるんだよなあ、それに時々アクロバティックだし」
ベイジルが号令を出す。
「お前達! 見惚れていないで、旦那様を捕まえろ!」
「うわ、はい!」
――結局はフランシスが捕まえた
次は、お屋敷の中でかくれんぼだ。このお屋敷はコの字型になっている。玄関側が南向きで東西に長く、とにかく広い。カイトが簡単に説明をする。
「地下室と三階部分は使用禁止。一階と二階部分も入ってはいけない部屋には鍵が掛かっている。全員捕まえるのは大変だから、15人見つけたところで、鬼の勝ちとする。鬼は・・・フランシスがやるかい?」
フランシスがブンブンと頭を縦に振った。こんなに大掛かりなかくれんぼは初めてだし、これだけの大人が真剣に、しかも楽しそうに相手をしてくれるのも堪らない。フランシスが数を数え始めた。大人たちが一斉に散る。
カイトは二階に上がると、西側のコの字の一番先に当たる部屋に向かった。フランシスが数を数えている玄関からは遠いが、入り口の扉を開けておけばすぐに入ってくるだろう。
その部屋には、この時代にしては珍しく作り付けのクローゼットがある。天井から床までの縦に長いそれは、ちょうど使われていない上に、土足で簡単に隠れられる。やたら目に付くので、きっとすぐに見つけてくれるはずだ。
その部屋に近付いた時に、中から声が聞こえてきた。
「ポーレット、一緒に隠れよう」
「フレディ、それでは意味がないわ。別々に隠れましょう」
「今日、君が着てる服・・・とても可愛い。髪も下ろしていると、緩いウェーブがかかっていてさらさらで・・・」
「やっ、放して!! 触らないで!」
カイトが部屋に足を踏み込んでフレディを睨みつけた。
「一体何をしているんだ――」
「だ、旦那様!!」
フレディがポーレットの左手を放し、髪に触ろうと出しかけていた手を引っ込める。ポーレットはすぐにカイトの傍に走り寄ってその背中に隠れ、フレディは肩を落とした。
「フレディ、君にはこれからすぐに厩舎の掃除をやってもらおう。今後の行動もチェックさせてもらう」
「かしこまりました」
「それから、ポーレットへの謝罪だ」
「ポーレット・・・ごめん。もう二度としないから」
ポーレットはカイトの背中から顔を出し、こくんと頷いた。フレディが部屋から出ていくと、カイトが心配げにポーレットに話しかける。
「大丈夫だったかい?」
「はい、旦那様がすぐに来て下さいましたから」
髪の毛に男性恐怖症を抑えてくれるドラゴンの守護を受けていて良かった。そうでなかったら、男嫌いの自分は怯えて動けなくなるか、泣き叫んでいたことだろう。
その時、百を数え終わり、二階に勢いよく上がってくる足音が聞こえた。
「そこへ――」
カイトがポーレットの背中に手を当てて、例の大きなクローゼットに導いた。使われていないクローゼットの中は、がらんとしていて木の匂いがする。中に入って戸を閉めると真っ暗で何も見えなくなったが、所々の隙間から光が洩れ入ってくるので、目が慣れるとカイトの姿形と表情も分かるようになった。
フランシスの足音が聞こえてきた。二人して扉の隙間から外の様子を伺い見ると、入り口のドアから興味を持って入ろうとしている様子が覗き見える。見つかったら盛大に驚かなきゃ、とポーレットが考えていると、他の部屋からガシャン! と何かが落ちた音が聞こえてきた。フランシスは振り返るとそのままそちらに走り去る。遠くで『見つけた~』と声がした。
「行ってしまいましたね」
ポーレットがクスリと笑って見上げると、思っていたよりすぐ傍にカイトが立っていた。彼は言葉もなくポーレットをただ見つめている。
頬を染め、薄暗くて良かったと身を引こうとすると、手を伸ばしてきて髪の毛を一房掴み、触り心地を楽しむように指ですっと梳く。サラサラと指の間から流れ落ちていく髪を追って前に屈み、またその髪を掴んでくちづけた。
「香水はつけている・・・?」
「あ・・・あの・・・」
真っ赤になった顔で、どうしていいか分からずに立ち尽くしていると、雰囲気でカイトが我に返ったのが分かった。掴んでいた髪の毛を放す。
「申し訳ない・・・私にフレディを叱る権利はないな」
ここできっかけを作らないと――
リリアーナはカイトの目の前で左側の髪の毛を後ろに払い、右に顔を傾けると首筋を差し出した。心臓が早鐘のように打っている。恥かしくてどうにかなってしまいそうだ。
「旦那様が確かめて下さい・・・」
カイトは一瞬動きを止めたが、すぐにポーレットに言い聞かせるように優しく微笑んだ。
「悪かったね。大丈夫だ、私は領主の権限で使用人に手をつけたりはしない。そんな事は無理にしなくていいんだ」
一瞬の気詰まりな沈黙の後に、カイトが扉に手を掛けた。
「・・・他の場所に隠れるとしよう」
ポーレットがその手を掴もうとする。
「でしたら私が出て行きます」
「触らないでくれ!」
その手を荒く払いのけられた。
「あ・・・」
ポーレットの目尻からは涙が溢れてきた。頭では自分を忘れているのは分かっている。だが、愛する人に拒絶された事と、怒鳴られて手荒く払いのけられた事は思った以上の衝撃であった。
「も・・・申し訳ございません・・・出過ぎた真似を・・・いたし・・・」
払われた手を胸の前で握り締め、懸命にお詫びの言葉を並べるが、嗚咽と重なって上手く言えない。
「君は――」
手が伸びてきて強引に引き寄せられ、きつくその胸に掻き抱かれた。
「せっかく私から逃がしてあげようとしたのに」
カイトが首筋に鼻をすりつけながら、唇ではキスを落としていく。
「すずらんの香りだ・・・」
「はい・・・」
突然のことに頭が真っ白になり、涙も止まりただ返事をする。
「ここも香る」
くちづけは耳の後ろへと辿り着き、そこを舌で舐られた。
「あ・・・んっ・・・」
「ずっと・・・馬車を降りる君を見た時から・・・ずっとこうしたかった」
カイトは一度顔を離すと、両手で頬を優しく包み上からポーレットを見下ろした。
(こんな目でカイトに見つめられるのは久しぶりだ)
嬉しくて、涙がまた零れ出てきた。カイトが手に涙を感じてはっとする。
「やはり嫌なのか・・・?」
ポーレットは頬から放そうとするカイトの手に自分の手を重ねて首を振った。
「はやく、キスして下さらないかと思って・・・」
カイトの緊張が、重なったポーレットの手に伝わってくる。
いとおしげに見つめられ、抱き締められると髪に顔を埋めてきた。固い身体をその身に感じて、ポーレットは溜息をつく。
「君は、私を欲望に駆り立てる」
耳元で囁かれた後に唇が重なった。砂漠で旅人がやっとオアシスを見つけたように、ポーレットの口の中をいつまでも貪り続ける。そして時々角度を変え、ポーレットにそっと息をさせる。笑ってしまう話ではあるが鼻で息をするのが苦手なリリアーナに、いつもカイトは息をさせてくれていた。
カイトは覚えてくれている――
思わず嬉しさに身を震わせると・・・
「何を考えている」
目を細めたカイトがくちづけを中断し、険悪な香りがする瞳で見下ろしていた。
「私以外のことを考えるのは許さない」
途端にまた唇を塞がれ、目の前のカイト以外考えられなくなった。
#この作品における表現、文章、言葉、またそれらが持つ雰囲気の転用はご遠慮下さい。
「ええ、もちろんよ。でもそれだけではないの」
「それだけではないって何?」
「うふ、着いてからのお楽しみよ」
にっこり笑うと、フランシスも顔を綻ばせた。
ポーレットは水曜日、フランシスをお迎えついでにと、グナイハウゼン侯爵家から昼食に招待されていた。メイドである自分がとんでもないと、お断りの返事を入れようとしたのだが、フランシスのたっての願いだとメッセージを持って来た使者に請われ、承諾の返事を出したのだ。
お客として招待されているので、メイド用の服ではなく、この世界に来た時に着ていたアプリコット色のドレスを身に付ける。自前のドレスはこれ一着しかないので、早い内にお給金を貯めて、手頃な値段のものを手に入れなければ。髪の毛も下ろし、すずらんの香水をつけて馬車に乗る。
侯爵家では、気取らないピクニック風の昼食が用意されていた。お屋敷の庭でシートを広げ、フランシスと公爵夫人と三人でサンドイッチと果物の昼食をとる。侯爵はタウンハウス(町屋敷)に滞在して仕事をしていると公爵夫人から説明された。
フランシスだけでなく、公爵夫人からも僅かな寂しさが感じ取れる。侯爵夫人はポーレットを気に入ってくれて、もしその気になったらいつでもうちで雇うからと声を掛けてくれた。
そして、冒頭の会話へと戻る。今はツェーンドルフ伯爵邸に向かって馬車を走らせているところだ。伯爵邸に着くと、20人余りの使用人が玄関に並んでいた。その一番前にはカイトがいる。
カイトはまずフランシスを馬車から抱き下ろし、ポーレットには手を差し出した。リーフシュタイン時代を思い出しながら、その手に自分の手を重ねる。優雅に馬車を降りるポーレットに、カイトも使用人達もひとときの間目を奪われた。
過去にこうして誰かの手を取った・・・自分はその人に仕えていて――
そこまで考えたところで頭の中に霧が立ちこめてきた。深く考えなくていいのよ、と声が聞こえてくる。そうだ、きっと大した事ではないのだ・・・深く考えるのはよそう・・・
馬車から降りたフランシスはカイトに緊張して挨拶をする。
「ツェーンドルフ伯爵、今日はお招きありがとうございます!」
微笑みながら、カイトが挨拶を返す。
「グナイハウゼン侯爵家、ご子息のフランシス様。こちらこそ丁寧なご挨拶を頂きありがとうございます。どうぞご存分にお楽しみ下さい」
そう言った後にウィンクをして付け加える。
「私の呼び名はカイトでいいよ」
「分かった!」
「ここに並んでいる使用人達も、今日は仲間に加わってもらうんだ」
「ホントに!?」
フランシスは興奮を隠しきれなくて今にも爆発しそうな勢いだ。
最初は鬼ごっこから始まった。この鬼ごっこは、捕まえても、鬼が変わるわけではなく、ただただ鬼が増えていくシステムだ。最後には皆に取り囲まれて、非情に怖い――
フランシスの笑い声が庭に響き渡る。
「ベイジルさん!」
「ポーレット、早く逃げないと捕まってしまうよ」
「ベイジルさんもですよ! それにしても、結構な人数が駆り出されましたね」
ポーレットが周りを見回しながら、ベイジルと足並みを揃えて、走り出した。
「ああ、使用人の約1/5だ。給金もいつも通り出るから、志願者ですぐにいっぱいになったよ」
ベイジルがポーレットの耳元に顔を寄せて囁いた。
「奥様はいい機会だからと、綻びの修復に出ていらっしゃる」
「分かりました・・・あ――」
ポーレットが口を開けてベイジルを見ている。
「何だ、ポーレット?」
「つーかまーえたー!!」
フランシスがベイジルの足にかじりついている。ポーレットが我慢できずに笑い出した。
「ポーレットも捕まえた!」
今度はポーレットにしがみつく。
「ポーレット、笑っている場合じゃないだろう」
「すいません、つい」
「最後の一人は誰だ!?」
「旦那様だ・・・」
見るとカイトが見事な身のこなしで逃げ続けている。
「普通に逃げてるように見えるのに、なぜ捕まらないのかしら?」
「あと、ちょっとというところで身体がフイッと避けるんだよなあ、それに時々アクロバティックだし」
ベイジルが号令を出す。
「お前達! 見惚れていないで、旦那様を捕まえろ!」
「うわ、はい!」
――結局はフランシスが捕まえた
次は、お屋敷の中でかくれんぼだ。このお屋敷はコの字型になっている。玄関側が南向きで東西に長く、とにかく広い。カイトが簡単に説明をする。
「地下室と三階部分は使用禁止。一階と二階部分も入ってはいけない部屋には鍵が掛かっている。全員捕まえるのは大変だから、15人見つけたところで、鬼の勝ちとする。鬼は・・・フランシスがやるかい?」
フランシスがブンブンと頭を縦に振った。こんなに大掛かりなかくれんぼは初めてだし、これだけの大人が真剣に、しかも楽しそうに相手をしてくれるのも堪らない。フランシスが数を数え始めた。大人たちが一斉に散る。
カイトは二階に上がると、西側のコの字の一番先に当たる部屋に向かった。フランシスが数を数えている玄関からは遠いが、入り口の扉を開けておけばすぐに入ってくるだろう。
その部屋には、この時代にしては珍しく作り付けのクローゼットがある。天井から床までの縦に長いそれは、ちょうど使われていない上に、土足で簡単に隠れられる。やたら目に付くので、きっとすぐに見つけてくれるはずだ。
その部屋に近付いた時に、中から声が聞こえてきた。
「ポーレット、一緒に隠れよう」
「フレディ、それでは意味がないわ。別々に隠れましょう」
「今日、君が着てる服・・・とても可愛い。髪も下ろしていると、緩いウェーブがかかっていてさらさらで・・・」
「やっ、放して!! 触らないで!」
カイトが部屋に足を踏み込んでフレディを睨みつけた。
「一体何をしているんだ――」
「だ、旦那様!!」
フレディがポーレットの左手を放し、髪に触ろうと出しかけていた手を引っ込める。ポーレットはすぐにカイトの傍に走り寄ってその背中に隠れ、フレディは肩を落とした。
「フレディ、君にはこれからすぐに厩舎の掃除をやってもらおう。今後の行動もチェックさせてもらう」
「かしこまりました」
「それから、ポーレットへの謝罪だ」
「ポーレット・・・ごめん。もう二度としないから」
ポーレットはカイトの背中から顔を出し、こくんと頷いた。フレディが部屋から出ていくと、カイトが心配げにポーレットに話しかける。
「大丈夫だったかい?」
「はい、旦那様がすぐに来て下さいましたから」
髪の毛に男性恐怖症を抑えてくれるドラゴンの守護を受けていて良かった。そうでなかったら、男嫌いの自分は怯えて動けなくなるか、泣き叫んでいたことだろう。
その時、百を数え終わり、二階に勢いよく上がってくる足音が聞こえた。
「そこへ――」
カイトがポーレットの背中に手を当てて、例の大きなクローゼットに導いた。使われていないクローゼットの中は、がらんとしていて木の匂いがする。中に入って戸を閉めると真っ暗で何も見えなくなったが、所々の隙間から光が洩れ入ってくるので、目が慣れるとカイトの姿形と表情も分かるようになった。
フランシスの足音が聞こえてきた。二人して扉の隙間から外の様子を伺い見ると、入り口のドアから興味を持って入ろうとしている様子が覗き見える。見つかったら盛大に驚かなきゃ、とポーレットが考えていると、他の部屋からガシャン! と何かが落ちた音が聞こえてきた。フランシスは振り返るとそのままそちらに走り去る。遠くで『見つけた~』と声がした。
「行ってしまいましたね」
ポーレットがクスリと笑って見上げると、思っていたよりすぐ傍にカイトが立っていた。彼は言葉もなくポーレットをただ見つめている。
頬を染め、薄暗くて良かったと身を引こうとすると、手を伸ばしてきて髪の毛を一房掴み、触り心地を楽しむように指ですっと梳く。サラサラと指の間から流れ落ちていく髪を追って前に屈み、またその髪を掴んでくちづけた。
「香水はつけている・・・?」
「あ・・・あの・・・」
真っ赤になった顔で、どうしていいか分からずに立ち尽くしていると、雰囲気でカイトが我に返ったのが分かった。掴んでいた髪の毛を放す。
「申し訳ない・・・私にフレディを叱る権利はないな」
ここできっかけを作らないと――
リリアーナはカイトの目の前で左側の髪の毛を後ろに払い、右に顔を傾けると首筋を差し出した。心臓が早鐘のように打っている。恥かしくてどうにかなってしまいそうだ。
「旦那様が確かめて下さい・・・」
カイトは一瞬動きを止めたが、すぐにポーレットに言い聞かせるように優しく微笑んだ。
「悪かったね。大丈夫だ、私は領主の権限で使用人に手をつけたりはしない。そんな事は無理にしなくていいんだ」
一瞬の気詰まりな沈黙の後に、カイトが扉に手を掛けた。
「・・・他の場所に隠れるとしよう」
ポーレットがその手を掴もうとする。
「でしたら私が出て行きます」
「触らないでくれ!」
その手を荒く払いのけられた。
「あ・・・」
ポーレットの目尻からは涙が溢れてきた。頭では自分を忘れているのは分かっている。だが、愛する人に拒絶された事と、怒鳴られて手荒く払いのけられた事は思った以上の衝撃であった。
「も・・・申し訳ございません・・・出過ぎた真似を・・・いたし・・・」
払われた手を胸の前で握り締め、懸命にお詫びの言葉を並べるが、嗚咽と重なって上手く言えない。
「君は――」
手が伸びてきて強引に引き寄せられ、きつくその胸に掻き抱かれた。
「せっかく私から逃がしてあげようとしたのに」
カイトが首筋に鼻をすりつけながら、唇ではキスを落としていく。
「すずらんの香りだ・・・」
「はい・・・」
突然のことに頭が真っ白になり、涙も止まりただ返事をする。
「ここも香る」
くちづけは耳の後ろへと辿り着き、そこを舌で舐られた。
「あ・・・んっ・・・」
「ずっと・・・馬車を降りる君を見た時から・・・ずっとこうしたかった」
カイトは一度顔を離すと、両手で頬を優しく包み上からポーレットを見下ろした。
(こんな目でカイトに見つめられるのは久しぶりだ)
嬉しくて、涙がまた零れ出てきた。カイトが手に涙を感じてはっとする。
「やはり嫌なのか・・・?」
ポーレットは頬から放そうとするカイトの手に自分の手を重ねて首を振った。
「はやく、キスして下さらないかと思って・・・」
カイトの緊張が、重なったポーレットの手に伝わってくる。
いとおしげに見つめられ、抱き締められると髪に顔を埋めてきた。固い身体をその身に感じて、ポーレットは溜息をつく。
「君は、私を欲望に駆り立てる」
耳元で囁かれた後に唇が重なった。砂漠で旅人がやっとオアシスを見つけたように、ポーレットの口の中をいつまでも貪り続ける。そして時々角度を変え、ポーレットにそっと息をさせる。笑ってしまう話ではあるが鼻で息をするのが苦手なリリアーナに、いつもカイトは息をさせてくれていた。
カイトは覚えてくれている――
思わず嬉しさに身を震わせると・・・
「何を考えている」
目を細めたカイトがくちづけを中断し、険悪な香りがする瞳で見下ろしていた。
「私以外のことを考えるのは許さない」
途端にまた唇を塞がれ、目の前のカイト以外考えられなくなった。
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