29 / 98
第四話
28.
しおりを挟む
「あー、走った! なんかでも楽しいですよね……って、先輩大丈夫っすか?」
折原の手がやっと離れて足が止まったのは、住宅街から少し外れたところにある小さな公園だった。
深山の寮生だった頃に、1~2回来たことがあったような気もするが、そんなことはどうでもいい。
「……折原」
「先輩?」
きょとん、とした表情で覗き込んできた折原の頭を腹いせに軽く叩いて、息を吐く。言いたくはないが、膝が笑う。
「現役のおまえの体力と一緒にすんな」
下り坂全力疾走とか、なんの罰ゲームだ。じとりと睨むと、折原が途端、情けなく眉を下げる。その変化を見てしまうと、これ以上苛めるのも忍びなくなってきて、「水」と単語を口にしてみる。
途端、犬よろしくぱぁっと表情を輝かせた折原が、「自販機行ってきます!」と勢いよく走り出して行った。5分どころか2分で戻ってきそうな勢いだった。
だからどこの駄犬だ、と笑いそうになって、誤魔化すように俯いた。
「あいつ、いつまで俺のこと、同じ土俵に置いとくつもりだ」
違うだろう。当たり前だろう。
何度も言ったはずなのに、折原はあのころばかり見ている気がする。
何を考えているか分からないと思ったのは、その「ぶれ」なのかもしれない、と思って、けれどそれも仕方がないのかもしれないとふと思った。
折原が、もし俺に固執しているとしたら、それはすべてあの頃に起因しているはずで、現在にその事由が存在するはずがない。
予想に違わず、折原はあっという間に戻ってきた。「はい!」と笑顔で渡されたペットボトルを受け取って、ん? と思わず首を傾げてしまった。
「おまえ、コンビニまで行ってたの、わざわざ」
「だって、先輩、軟水嫌いなんでしょ?」
だから当然。とでも言うように、折原が笑う。あぁもう馬鹿じゃないのかと思ってしまった。
「なぁ、おまえ、何がしたいの」
「なにって、どのことがですか?」
「おまえは、俺に今を見て欲しいって言ってたよな。でも俺には、おまえがあのころに引きずられてるようにしか思えない。おまえは俺をいつまであのころの俺だと思ってるんだ?」
「しょうがないじゃないですか」
困ったようにと言うよりかは、どこか苦しそうにも見えたし、何故か慈しむようにも見えてしまった。
「俺にとって、先輩は特別だったから、ずっと」
さっきも聞いたと、思った。
それはおまえの思い込みだろうと思った。
俺の何が、そんなにあのときのお前の琴線に触れたのか、俺は今でも理解できない。
全く、理解できない。
「今も、ずっと」
「……おまえのそれは、刷り込みだって言わなかったか、俺」
「俺も違うって言いませんでしたっけ」
どこまでも真剣な顔で、そんな台詞を口にするから厄介なんだと思った。心底、思う。
今も――昔も。
子どもの頑なな思い込みが消えないのと、同じような頑固さで、折原が言うそれは、まるで毒そのものだ。
「なぁ、もう一回、キスしたら忘れるか、おまえ」
なんの衝動だ、と冷静な頭がどこかで叫んでいる。
なんで俺は折原を前にすると、ふいにこのようなことを言ってしまうんだろう。
自分の感情が制御できない。馬鹿だ。馬鹿すぎる。分かって、いるのに。
「あのころの名残だ、おまえのそれは。だったら、今を認識したら、忘れるか、おまえは」
高校生だった当時と同じ場所に立ったところで、今の俺とおまえは違う。
悪い顔じゃない、とあのころの俺たちを知る人に言われたことは、希望のようにも思えた。
そうだ、だから、過去にしてくれ。過去の記憶にして、思い出にして、いつかすべてなかったものにしてくれ。
折原だけではなく、自分に対しても、俺はそうであってほしいと考えている。
自分に対してだけで言えば、俺はあの日からずっと、願い続けているのかもしれない。
「先輩」
怒っても仕方がない、と半ば想像していたにもかかわらず、折原の声は静かだった。
「俺はね、先輩と俺の関係性が始まったのはあの頃だから、あのころが特別だし、それとは別に今の先輩も知りたい。これからも傍にいて知っていきたいって思う。これって、愛じゃないの」
「呑まれるような言葉、使うんじゃねぇよ、ガキ」
冗談に、なっていただろうか。今、吐き出すようにしてどうにか口にした、これは。
そうであってほしいと、心底思った。
折原の手がやっと離れて足が止まったのは、住宅街から少し外れたところにある小さな公園だった。
深山の寮生だった頃に、1~2回来たことがあったような気もするが、そんなことはどうでもいい。
「……折原」
「先輩?」
きょとん、とした表情で覗き込んできた折原の頭を腹いせに軽く叩いて、息を吐く。言いたくはないが、膝が笑う。
「現役のおまえの体力と一緒にすんな」
下り坂全力疾走とか、なんの罰ゲームだ。じとりと睨むと、折原が途端、情けなく眉を下げる。その変化を見てしまうと、これ以上苛めるのも忍びなくなってきて、「水」と単語を口にしてみる。
途端、犬よろしくぱぁっと表情を輝かせた折原が、「自販機行ってきます!」と勢いよく走り出して行った。5分どころか2分で戻ってきそうな勢いだった。
だからどこの駄犬だ、と笑いそうになって、誤魔化すように俯いた。
「あいつ、いつまで俺のこと、同じ土俵に置いとくつもりだ」
違うだろう。当たり前だろう。
何度も言ったはずなのに、折原はあのころばかり見ている気がする。
何を考えているか分からないと思ったのは、その「ぶれ」なのかもしれない、と思って、けれどそれも仕方がないのかもしれないとふと思った。
折原が、もし俺に固執しているとしたら、それはすべてあの頃に起因しているはずで、現在にその事由が存在するはずがない。
予想に違わず、折原はあっという間に戻ってきた。「はい!」と笑顔で渡されたペットボトルを受け取って、ん? と思わず首を傾げてしまった。
「おまえ、コンビニまで行ってたの、わざわざ」
「だって、先輩、軟水嫌いなんでしょ?」
だから当然。とでも言うように、折原が笑う。あぁもう馬鹿じゃないのかと思ってしまった。
「なぁ、おまえ、何がしたいの」
「なにって、どのことがですか?」
「おまえは、俺に今を見て欲しいって言ってたよな。でも俺には、おまえがあのころに引きずられてるようにしか思えない。おまえは俺をいつまであのころの俺だと思ってるんだ?」
「しょうがないじゃないですか」
困ったようにと言うよりかは、どこか苦しそうにも見えたし、何故か慈しむようにも見えてしまった。
「俺にとって、先輩は特別だったから、ずっと」
さっきも聞いたと、思った。
それはおまえの思い込みだろうと思った。
俺の何が、そんなにあのときのお前の琴線に触れたのか、俺は今でも理解できない。
全く、理解できない。
「今も、ずっと」
「……おまえのそれは、刷り込みだって言わなかったか、俺」
「俺も違うって言いませんでしたっけ」
どこまでも真剣な顔で、そんな台詞を口にするから厄介なんだと思った。心底、思う。
今も――昔も。
子どもの頑なな思い込みが消えないのと、同じような頑固さで、折原が言うそれは、まるで毒そのものだ。
「なぁ、もう一回、キスしたら忘れるか、おまえ」
なんの衝動だ、と冷静な頭がどこかで叫んでいる。
なんで俺は折原を前にすると、ふいにこのようなことを言ってしまうんだろう。
自分の感情が制御できない。馬鹿だ。馬鹿すぎる。分かって、いるのに。
「あのころの名残だ、おまえのそれは。だったら、今を認識したら、忘れるか、おまえは」
高校生だった当時と同じ場所に立ったところで、今の俺とおまえは違う。
悪い顔じゃない、とあのころの俺たちを知る人に言われたことは、希望のようにも思えた。
そうだ、だから、過去にしてくれ。過去の記憶にして、思い出にして、いつかすべてなかったものにしてくれ。
折原だけではなく、自分に対しても、俺はそうであってほしいと考えている。
自分に対してだけで言えば、俺はあの日からずっと、願い続けているのかもしれない。
「先輩」
怒っても仕方がない、と半ば想像していたにもかかわらず、折原の声は静かだった。
「俺はね、先輩と俺の関係性が始まったのはあの頃だから、あのころが特別だし、それとは別に今の先輩も知りたい。これからも傍にいて知っていきたいって思う。これって、愛じゃないの」
「呑まれるような言葉、使うんじゃねぇよ、ガキ」
冗談に、なっていただろうか。今、吐き出すようにしてどうにか口にした、これは。
そうであってほしいと、心底思った。
3
あなたにおすすめの小説
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
【R18+BL】ハデな彼に、躾けられた、地味な僕
hosimure
BL
僕、大祇(たいし)永河(えいが)は自分で自覚するほど、地味で平凡だ。
それは容姿にも性格にも表れていた。
なのに…そんな僕を傍に置いているのは、学校で強いカリスマ性を持つ新真(しんま)紗神(さがみ)。
一年前から強制的に同棲までさせて…彼は僕を躾ける。
僕は彼のことが好きだけど、彼のことを本気で思うのならば別れた方が良いんじゃないだろうか?
★BL&R18です。
ルイとレオ~幼い夫が最強になるまでの歳月~
芽吹鹿
BL
夢を追い求める三男坊×無気力なひとりっ子
孤独な幼少期を過ごしていたルイ。虫や花だけが友だちで、同年代とは縁がない。王国の一人っ子として立派になろうと努力を続けた、そんな彼が隣国への「嫁入り」を言いつけられる。理不尽な運命を受けたせいで胸にぽっかりと穴を空けたまま、失意のうちに18歳で故郷を離れることになる。
行き着いた隣国で待っていたのは、まさかの10歳の夫となる王子だった、、、、
8歳差。※性描写は成長してから(およそ35、36話目から)となります
黒の執愛~黒い弁護士に気を付けろ~
ひなた翠
BL
小野寺真弥31歳。
転職して三か月。恋人と同じ職場で中途採用の新人枠で働くことに……。
朝から晩まで必死に働く自分と、真逆に事務所のトップ2として悠々自適に仕事をこなす恋人の小林豊28歳。
生活のリズムも合わず……年下ワンコ攻め小林に毎晩のように求められてーー。
どうしたらいいのかと迷走する真弥をよそに、熱すぎる想いをぶつけてくる小林を拒めなくて……。
忙しい大人の甘いオフィスラブ。
フジョッシーさんの、オフィスラブのコンテスト参加作品です。
わがまま放題の悪役令息はイケメンの王に溺愛される
水ノ瀬 あおい
BL
若くして王となった幼馴染のリューラと公爵令息として生まれた頃からチヤホヤされ、神童とも言われて調子に乗っていたサライド。
昔は泣き虫で気弱だったリューラだが、いつの間にか顔も性格も身体つきも政治手腕も剣の腕も……何もかも完璧で、手の届かない眩しい存在になっていた。
年下でもあるリューラに何一つ敵わず、不貞腐れていたサライド。
リューラが国民から愛され、称賛される度にサライドは少し憎らしく思っていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる