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第六話
34.
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ということは、つまり、今のこの状況は、全くの誤算なんだろう。
少なくとも、あのころの俺にとっては。
サッカーから離れたら、折原からも離れられると思っていた。
いつかそうやって、薄れていくのだろうと信じていた。
あのときの熱は、すべて若さゆえの過ちだったのだと。
寮と言う狭い空間に閉じ込められていたがゆえに、誤認してしまったものだったのだと。
そう誰かに言い切ってほしかった。
**
『電話だったら大丈夫ですか』
折原にしては珍しい食い下がるような返信に気が付いたのは、朝になって起動させた時だった。
それを態の良い言い訳に、もう一度携帯の電源を落として家を出た。
「佐野さ、昨日」
講義も終盤に差し掛かり至る所で雑談が目立ち始めている大講義室で、降ってきた隣からの呼びかけに、機械的に板書を写していた手を止めて、庄司に視線を移す。
栞と真知ちゃんとは専攻は違うが、庄司とは何の因果かゼミまで一緒だ。
だからというわけではないが、何を考えているのかは大まかであれば分かる気もしていた。
「なんつうか、ごめんな。あいつ悪気はねぇけど、子どもみたいなとこあるじゃん」
「別に気にしてねぇ、っつうか、いまさらだろ」
思い立ったら即行動の栞の行動力には出逢った当初のころから驚かされてばかりだった。どちらかと言わなくとも、俺は決断が遅いから。その勢いを羨ましいと思ったことは、ないつもりだけれども。
「まぁなぁ。折原くんに逢いに足しげく通って、挙句おまえと引き合わせたからなぁ」
「……」
「すげぇ行動力だと思うよ。まぁ、本人、そっちの自覚はねぇだろうけど」
そっちが差しているのはなんだと考えようとして、やめた。
ひどく面倒だった。
「今日、おまえ、バイト?」
「いや、……あぁ、うん」
バイト、とおざなりに溜息をもらしたが、庄司はそうかと応じただけだった。
本当は、バイト自体今日は入っていなかった。
授業だって、サボったらどうにもならないようなレベルのものはなかったのだ。
「佐野ってさ、全部自分で捨ててから、後悔するタイプだろ」
「どういう意味だよ」
尖った声になったのは、真理を突いていたからなのだろうか。
庄司は小さく笑って、
「そのまんま。なんかおまえ、そんな感じ」
「そんなこと、ねぇだろ」
「おまえが捨てて、捨てきれなかったもの数えてみたほうがいいんじゃねぇのって、ただのおせっかいだって。怖い顔すんなよ」
こう見えても、俺、あのころの深山のファンなんだと軽口をたたくようにして庄司は口にして、打ち切った。
あのころ、俺が在籍していたころの深山は「深山史上最強」と称されていた。
県内では負け知らずだったし、俺も出場していた2年の冬の高校選手権は決勝の国立の地に立った。
折原が最高学年だった年は、三冠を飾ったと知っている。
俺は、試合を見になんて、行けなかったけれど。
俺にはもうできないサッカーをしている後輩を見るのが嫌だったんじゃない。
折原を見るのが嫌だった。
折原の姿に心動かされるなんて冗談じゃなかったし、折原が俺に気が付くかどうかなんてそんな馬鹿な賭けじみたことを考えるのは心底嫌だった。
憧れ。憧憬。
でも、きっとそれは俺もたぶん同じなのだろう。
だから、捨ててしまいたいし、捨ててしまいたくない。
俺は、もしかしたらもうずっと、そんな矛盾を抱えたまま生きているのかもしれなかった。
まだどこか幼い顔つきの折原が笑う。
「先輩」と、それしか知らないみたいに何度も何度も口にする。
その声がずっとずっと、残ってる。幻みたいに。あるいは、呪いみたいに。
思い至った思考に、失笑しそうになってしまった。
呪いだとすれば、それは間違いなく俺が折原にかけたものだと思った。
今もあのころと同じ温度で、折原は「先輩」と笑いかけてくる。
俺はもうおまえの先輩じゃねぇし、おまえは俺とはもう全然、全然違うだろ。
それは確かに、再会してから俺が何度か義務じみた思いで諭した台詞だった。
「そんなことないですもん」と折原がかすかに視線を落とす。
そして――、どこか影を帯びたそれに、「違う」と無性に叫びたくなったのだった。
おまえには似合わない。
そんな風に自分の感情を表現してみていたけれど、それは正しくない。分かっている。
俺が知ってる、あのころのおまえは、きっとそんな顔をしなかった。
俺がその時感じたのは、そんな馬鹿みたいなことで。
折原に何度、「おまえは過去にとらわれているだけだ」と知った風な顔で言っただろうと思う。
でも、俺だって同じだ。
忘れられるわけがない。離れられるわけがない。
でもそれがおかしいと分かっていたから、駄目だと分かっていたから、物理的にでもいいから終わらせたかったんだ。
なのに――。
それを今、またこうやって「新しい関係を始めたい」と言った折原を切り捨てることが出来なかったのは、間違いなく俺の未練だ。
どうしようもない俺の未練だ。
そして、今、これだけ嫌だと思っているそれは――。
あのころの折原は、俺を、佐野悠斗と言う存在を捨てないだろうと俺は思っている。傲慢だとも思うがそれは事実なのだ。
少なくとも、あの狭い箱の中にいた俺たちにとって。
でも、今はそうじゃないだろうと知っている。
それが、たまらなく嫌だ。
なぁ、折原。
おまえが忘れるまででいい。消化できるまででいいなんて思ったのは、間違いなく防衛本能でしかなくて。
普通でいいと思うのは、関係を深めた後に、普通じゃない俺たちの関係を切り捨てられるのがたまらないからで。
それはつまり……――。
それ以上を考えたら、駄目だと思った。
戻れなくなる。
今がぎりぎりのラインだと、ふと思った。ロスタイム3分。
あと少し、守りきれば笛が鳴る。
試合の終了を知らせる、高いホイッスル。
それですべてが終わってくれればいいのに、と思った。
少なくとも、あのころの俺にとっては。
サッカーから離れたら、折原からも離れられると思っていた。
いつかそうやって、薄れていくのだろうと信じていた。
あのときの熱は、すべて若さゆえの過ちだったのだと。
寮と言う狭い空間に閉じ込められていたがゆえに、誤認してしまったものだったのだと。
そう誰かに言い切ってほしかった。
**
『電話だったら大丈夫ですか』
折原にしては珍しい食い下がるような返信に気が付いたのは、朝になって起動させた時だった。
それを態の良い言い訳に、もう一度携帯の電源を落として家を出た。
「佐野さ、昨日」
講義も終盤に差し掛かり至る所で雑談が目立ち始めている大講義室で、降ってきた隣からの呼びかけに、機械的に板書を写していた手を止めて、庄司に視線を移す。
栞と真知ちゃんとは専攻は違うが、庄司とは何の因果かゼミまで一緒だ。
だからというわけではないが、何を考えているのかは大まかであれば分かる気もしていた。
「なんつうか、ごめんな。あいつ悪気はねぇけど、子どもみたいなとこあるじゃん」
「別に気にしてねぇ、っつうか、いまさらだろ」
思い立ったら即行動の栞の行動力には出逢った当初のころから驚かされてばかりだった。どちらかと言わなくとも、俺は決断が遅いから。その勢いを羨ましいと思ったことは、ないつもりだけれども。
「まぁなぁ。折原くんに逢いに足しげく通って、挙句おまえと引き合わせたからなぁ」
「……」
「すげぇ行動力だと思うよ。まぁ、本人、そっちの自覚はねぇだろうけど」
そっちが差しているのはなんだと考えようとして、やめた。
ひどく面倒だった。
「今日、おまえ、バイト?」
「いや、……あぁ、うん」
バイト、とおざなりに溜息をもらしたが、庄司はそうかと応じただけだった。
本当は、バイト自体今日は入っていなかった。
授業だって、サボったらどうにもならないようなレベルのものはなかったのだ。
「佐野ってさ、全部自分で捨ててから、後悔するタイプだろ」
「どういう意味だよ」
尖った声になったのは、真理を突いていたからなのだろうか。
庄司は小さく笑って、
「そのまんま。なんかおまえ、そんな感じ」
「そんなこと、ねぇだろ」
「おまえが捨てて、捨てきれなかったもの数えてみたほうがいいんじゃねぇのって、ただのおせっかいだって。怖い顔すんなよ」
こう見えても、俺、あのころの深山のファンなんだと軽口をたたくようにして庄司は口にして、打ち切った。
あのころ、俺が在籍していたころの深山は「深山史上最強」と称されていた。
県内では負け知らずだったし、俺も出場していた2年の冬の高校選手権は決勝の国立の地に立った。
折原が最高学年だった年は、三冠を飾ったと知っている。
俺は、試合を見になんて、行けなかったけれど。
俺にはもうできないサッカーをしている後輩を見るのが嫌だったんじゃない。
折原を見るのが嫌だった。
折原の姿に心動かされるなんて冗談じゃなかったし、折原が俺に気が付くかどうかなんてそんな馬鹿な賭けじみたことを考えるのは心底嫌だった。
憧れ。憧憬。
でも、きっとそれは俺もたぶん同じなのだろう。
だから、捨ててしまいたいし、捨ててしまいたくない。
俺は、もしかしたらもうずっと、そんな矛盾を抱えたまま生きているのかもしれなかった。
まだどこか幼い顔つきの折原が笑う。
「先輩」と、それしか知らないみたいに何度も何度も口にする。
その声がずっとずっと、残ってる。幻みたいに。あるいは、呪いみたいに。
思い至った思考に、失笑しそうになってしまった。
呪いだとすれば、それは間違いなく俺が折原にかけたものだと思った。
今もあのころと同じ温度で、折原は「先輩」と笑いかけてくる。
俺はもうおまえの先輩じゃねぇし、おまえは俺とはもう全然、全然違うだろ。
それは確かに、再会してから俺が何度か義務じみた思いで諭した台詞だった。
「そんなことないですもん」と折原がかすかに視線を落とす。
そして――、どこか影を帯びたそれに、「違う」と無性に叫びたくなったのだった。
おまえには似合わない。
そんな風に自分の感情を表現してみていたけれど、それは正しくない。分かっている。
俺が知ってる、あのころのおまえは、きっとそんな顔をしなかった。
俺がその時感じたのは、そんな馬鹿みたいなことで。
折原に何度、「おまえは過去にとらわれているだけだ」と知った風な顔で言っただろうと思う。
でも、俺だって同じだ。
忘れられるわけがない。離れられるわけがない。
でもそれがおかしいと分かっていたから、駄目だと分かっていたから、物理的にでもいいから終わらせたかったんだ。
なのに――。
それを今、またこうやって「新しい関係を始めたい」と言った折原を切り捨てることが出来なかったのは、間違いなく俺の未練だ。
どうしようもない俺の未練だ。
そして、今、これだけ嫌だと思っているそれは――。
あのころの折原は、俺を、佐野悠斗と言う存在を捨てないだろうと俺は思っている。傲慢だとも思うがそれは事実なのだ。
少なくとも、あの狭い箱の中にいた俺たちにとって。
でも、今はそうじゃないだろうと知っている。
それが、たまらなく嫌だ。
なぁ、折原。
おまえが忘れるまででいい。消化できるまででいいなんて思ったのは、間違いなく防衛本能でしかなくて。
普通でいいと思うのは、関係を深めた後に、普通じゃない俺たちの関係を切り捨てられるのがたまらないからで。
それはつまり……――。
それ以上を考えたら、駄目だと思った。
戻れなくなる。
今がぎりぎりのラインだと、ふと思った。ロスタイム3分。
あと少し、守りきれば笛が鳴る。
試合の終了を知らせる、高いホイッスル。
それですべてが終わってくれればいいのに、と思った。
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