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第七話
43.
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変わらないと言うのは、なんなのだろう。
変わっていたつもりで、けれど成し得ていないのだとしたら、それは3年前からじゃない。もっと、ずっと昔。
この学園にいたころからなのかもしれなかった。
「折原。この後、時間があるなら、ちょっと付き合わないか」
佐野も、と。上機嫌の監督に水を向けられて、記入していた練習記録から顔を上げる。
学生だった頃は無縁だったそれも、指導する立場になってみれば扱いが当然変わってくる。練習終了後、時枝が毎日持ってくる部誌の隅々まで目を通すのも日課になっていた。
――俺たちがここの生徒だった頃、どんなことを富原が書いていたのだろうと懐かしんだこともあるが、なんとはなしに想像がつくような気もしている。
「あー……、俺は」
「行かないんですか、先輩」
ボールペンを宙に浮かせたまま、濁した俺の言葉を遮るように、この学園にいたころのような後輩の顔で折原が笑いかけてきた。
正面から視線が合ったのは、駅で逢った瞬間をのぞけば随分と久しぶりで。
そして思い知る。未だにどこかしこりを持ってしまっているのは、俺だけなのだろう、と。
部活の時間中、部員たちと“らしい”コミュニケーションをとっているのを視界の片隅に抑えてはいたけれど、折原はどこまでも折原のままだった。
そしてふと思い出したのが、大学生だった頃。一度だけ折原に連れられてこの学園に足を運んだ日のことだった。
「そこまで急ぎの仕事もないだろう。たまのことなんだ、いいじゃないか」
「そうですよ。先輩、俺がいる間くらい相手してくださいよ」
「……いつまでこっち居るの、おまえ」
「一カ月くらいはまだいますかね。あ、そうだ。監督。また時間が合えば、顔出しましょうか、俺。良かったら、ですけど」
ぱっと折原の視線が逸れて、監督の方に戻っていく。一抹の寂しさを覚えたことを追い出すように練習記録を閉じる。疑いようもない。これは、俺が求めていたはずの正常な距離感のはずだ。
「来てくれるのなら嬉しいが。いいのか、折原」
「何言ってんですか、監督。水臭いなぁ。俺、深山には感謝してますし、だから監督にも感謝してるんです」
恩返しがやっとできる年齢になってきたんだって思って使ってやってください、と。朗らかに口にする折原は、模範的で理想的なOB像そのものだった。
「それに」と折原が笑う。「監督も先輩も、俺に本当に会わせたかった子は別にいるんじゃないんですか」
「まぁ、監督と先輩がお手上げな後輩を、俺がどうのこうのできるとは思いませんけどね」
「外部からの刺激が必要なときも多いよ。佐野はともかくとして、俺は教育者でもないしな」
「俺もそんなできたもんじゃないですよ」
自分が指導者ではなく教育者に分類されるのは間違いはないのだろうけども。
今日もすでに取り逃がした後である。そしてそれを折原に早々目撃されてしまった後でもある。
「監督。飲みませんから俺が車出しますよ。どこにしますか」
これ以上、この場で話をしていたくなかった。そう思うのが自分の勝手で取り除けていなかった未練だと理解しているから、尚更。
机上を片付けて立ち上がると、折原が「飲まないんですか」と顔を覗き込んできた。
こいつと一緒に酒を飲んだことがあっただろうかと思いながら、「飲まない」と首を振る。あまりにも愛想がないかと「下戸だから」と付け加える。
「そうでしたっけ」
「そうなんだよ。だから気にすんな。――帰りは送ってやるから」
図るように首を傾げた折原の視線から逃れるように、車のキーを持ち上げる。監督は「頼んだぞ」と鷹揚に笑んで、それ以上は口にしないでくれた。
変わっていたつもりで、けれど成し得ていないのだとしたら、それは3年前からじゃない。もっと、ずっと昔。
この学園にいたころからなのかもしれなかった。
「折原。この後、時間があるなら、ちょっと付き合わないか」
佐野も、と。上機嫌の監督に水を向けられて、記入していた練習記録から顔を上げる。
学生だった頃は無縁だったそれも、指導する立場になってみれば扱いが当然変わってくる。練習終了後、時枝が毎日持ってくる部誌の隅々まで目を通すのも日課になっていた。
――俺たちがここの生徒だった頃、どんなことを富原が書いていたのだろうと懐かしんだこともあるが、なんとはなしに想像がつくような気もしている。
「あー……、俺は」
「行かないんですか、先輩」
ボールペンを宙に浮かせたまま、濁した俺の言葉を遮るように、この学園にいたころのような後輩の顔で折原が笑いかけてきた。
正面から視線が合ったのは、駅で逢った瞬間をのぞけば随分と久しぶりで。
そして思い知る。未だにどこかしこりを持ってしまっているのは、俺だけなのだろう、と。
部活の時間中、部員たちと“らしい”コミュニケーションをとっているのを視界の片隅に抑えてはいたけれど、折原はどこまでも折原のままだった。
そしてふと思い出したのが、大学生だった頃。一度だけ折原に連れられてこの学園に足を運んだ日のことだった。
「そこまで急ぎの仕事もないだろう。たまのことなんだ、いいじゃないか」
「そうですよ。先輩、俺がいる間くらい相手してくださいよ」
「……いつまでこっち居るの、おまえ」
「一カ月くらいはまだいますかね。あ、そうだ。監督。また時間が合えば、顔出しましょうか、俺。良かったら、ですけど」
ぱっと折原の視線が逸れて、監督の方に戻っていく。一抹の寂しさを覚えたことを追い出すように練習記録を閉じる。疑いようもない。これは、俺が求めていたはずの正常な距離感のはずだ。
「来てくれるのなら嬉しいが。いいのか、折原」
「何言ってんですか、監督。水臭いなぁ。俺、深山には感謝してますし、だから監督にも感謝してるんです」
恩返しがやっとできる年齢になってきたんだって思って使ってやってください、と。朗らかに口にする折原は、模範的で理想的なOB像そのものだった。
「それに」と折原が笑う。「監督も先輩も、俺に本当に会わせたかった子は別にいるんじゃないんですか」
「まぁ、監督と先輩がお手上げな後輩を、俺がどうのこうのできるとは思いませんけどね」
「外部からの刺激が必要なときも多いよ。佐野はともかくとして、俺は教育者でもないしな」
「俺もそんなできたもんじゃないですよ」
自分が指導者ではなく教育者に分類されるのは間違いはないのだろうけども。
今日もすでに取り逃がした後である。そしてそれを折原に早々目撃されてしまった後でもある。
「監督。飲みませんから俺が車出しますよ。どこにしますか」
これ以上、この場で話をしていたくなかった。そう思うのが自分の勝手で取り除けていなかった未練だと理解しているから、尚更。
机上を片付けて立ち上がると、折原が「飲まないんですか」と顔を覗き込んできた。
こいつと一緒に酒を飲んだことがあっただろうかと思いながら、「飲まない」と首を振る。あまりにも愛想がないかと「下戸だから」と付け加える。
「そうでしたっけ」
「そうなんだよ。だから気にすんな。――帰りは送ってやるから」
図るように首を傾げた折原の視線から逃れるように、車のキーを持ち上げる。監督は「頼んだぞ」と鷹揚に笑んで、それ以上は口にしないでくれた。
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