夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第八話

48.

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「大変だね、センセー。下っ端の顧問って」
「そう思うなら、真面目に授業に参加してくれ。美作先生も困ってたぞ」
「あー、まぁ、そりゃ、留年は出したくないんじゃね、自分のクラスから」

 寮の食堂で俺と問題集とを前に、やる気なく頬杖を付いていた作倉が、笑った。くるくると器用に右手でペンを回しているが、問題を解く気は一切無さそうだ。

 ――これでも寮監に無理言って、利用時間後の食堂を借りてんだけどなぁ。

 俺たちの頃と変わらず、午後九時で食堂の利用時間は終了。学習室もあるはあるが、そこを騒がしくするわけにもいかない、との理由でこの場所に決めたは良いものの。

「と言うか、作倉。これ、時枝の問題集じゃねえか。おまえのはどうした」

 作倉が持ち込んだ問題集の裏表紙を見とめて、俺は思わず眉を上げた。真面目に使っていた形跡があると思ったら、そう言うことか。

「え? 机の中だけど。教室の」
「なんでだ。聞いてなかったのか?」
「聞いた。聞いた。聞きました。聞いたから、こうして真面目に待ってたんじゃん」

 はいはい、と言わんばかりのそれに、落ち着けと言い聞かせる。名門校で教師が体罰とか。洒落にならない。これが現役時代の後輩じゃなくて良かったと考えてしまって、無意識に頭を振った。

「部活も今日は真面目に出たし。文句ないでしょ? 時枝がしつこくてさぁ、帰ろうと思ってたのに。あいつ、ホント、好きだね。センセーのこと」

 連想ゲームのように浮かんだ顔を追い出して、問題集の前学年の振り返り問題のページを広げて戻す。馬鹿なわけじゃないと思うんだけどねぇ、と美作先生は言っていたが、実際どこまで積み重ねがあるのかがまず問題だ。

「キャプテンだからだろ。作倉のことも気にかけているし」

 真面目なんだよ、と言い足して、問題を指す。

「ほら、とりあえずやってみて、このページ。二年の復習問題だけど、作倉、去年もあんまり授業出てないだろ。どこまで理解できてるのか分からないから」

 まぁ、それも度が過ぎるとストレスだろうが。昼休みについ頼みやすさで連絡係を頼んでしまったが、よくよく考えると悪いことをした。
 あとでフォローいれとくか。と言うか、そもそもとしてこいつも十時までには部屋に戻さないとやばいし。
  ……大変だな、部長にしろ監督にしろ、何にしろ。集団の面倒を看ると言うのは。自分で教職を選んでおいてなんだが、自分が教師と言うものに向いているのかどうかは甚だ怪しい。
 設問に目をやるでもなく、作倉がまたペンを一回転させた。

「それって俺への嫌味? でも、真面目が何の役に立つんだって話じゃない? 結局は才能でしょ」
「俺はそう言う話をしていたつもりはないんだが」
「あっそ。じゃあ、なんで俺が寮を抜け出すかって方の話にする? 時枝がさぁ、煩いのなんのって。バレたらどうするんだって、もうしつこい、しつこい」
「しつこいも何も、佐倉のために注意してくれてるんだろ」
「そう? 自分の為でしょ、自分の為。俺の所為で部活動停止ーなんてなったら、困るのあいつらじゃん」

 しれっと言い放つ性根を注意すべきか、部活の仲間との関係性を全く創り上げられていないことを諭すべきか。そもそもとして、とっとと読解させるべきか。

「で、聞きたい? 聞きたくない?」
「――なんでなんだ?」

 問題を解かせることは諦めて、話を促す。乗せられている気がしないでもないが、解決しなければならないことの一つには違いない。

「だって、つまんねぇじゃん。センセーだって分かるでしょ。ほら、俺も健全な男子高校生だから、溜まっちゃうんだよね」
「だからって、それで作倉が抜け出して良い理由にはならないと思うんだが。その理屈で言えば、作倉以外の寮生はどうなる」
「インポなんじゃね。知らないけど。それか性欲まで全部、サッカーまみれになってんじゃないの。馬鹿みてぇ」

 サッカー漬けの毎日を送るチームメイトや寮生たちを鼻先で笑い飛ばして、作倉がペンを机の上に投げ捨てた。カン、と乾いた音が静かな寮内に響く。

「と言うか、センセーも途中までか知らないけど、寮にいたことあるんでしょ。なら分かるでしょ、この息苦しさと言うか、……なんと言うか、あるじゃん。まぁ、そう言うの」

 分からなくはないと思ったのは、身に覚えがあったからだ。現実からどこか切り離されたような、閉塞的な世界。そこに思春期の子どもを詰め込むのだ。一種、異様な世界が出来るのは、ある種、当たり前で。

 ――俺は、あるかなって思ったよ。

 ふと蘇ったのは、大学時代の友人の声だった。夏だった。まだ、あいつと、――折原と「付き合う」だなんて馬鹿な選択をする前の。
 あってもおかしくないと思ったよ。寮って、なんと言うか独特だろ。おまえと折原とが何かあったって言っても、俺はあるかもなって思うよ。
 そんな馬鹿みたいなことがまかり通る、隔離された空間だけで起こりえた「普通」。それを息苦しいと思う感覚は、間違っていないとは思う、けれど。

「それとも、センセーのころは違った?」
「……え?」
「だって、あれと一緒だったんでしょ」
「あれ? あれってなんだ」

 要領を得ない話に問いかけ直すと、「あれはあれだって」とまた笑う。

「あの、ホモ。あれが一番実績のあるOBだとか、深山もたかが知れてる」
「……」
「まぁ実際、最近じゃ県大会だってベスト4が精々だし、全国制覇どころか全国も夢のまた夢だけどね」
「作倉」

 またこれも時枝に返さないと駄目だからと言い聞かせて、手の付いていない問題集を閉じる。それでも思っていたよりもそれは大きく響いた。

「仮にも先輩なんだから。そういう言い方をするな」
「ふぅん。先輩だから?」

 この学園のOBで、実績のある相手で、日本を代表するストライカーで。そんな誹謗を受ける謂れもなくて。……明るい道を歩んでいくべきはずだった、俺の後輩で。

「でも、先輩だからって理由だけで無条件に尊敬しろなんて、いかにも体育会系な説教だけど。出来るわけなくね?」
「最低限の敬意くらいは示しても良いとさえ思わないわけか」

 おまえたちが普段使っている遠征用のバスも誰の寄贈だと思っているのだとまでは言いたくないが。

「じゃあ、それを言うなら、俺らが被った損害も考えてみてって話じゃん」
「損害?」
「想像しようとしないのって、センセーも所詮、そっち側だからだよね」

 そっち側と言うのは、一体、どちら側だなんて聞くまでもない。見当はすぐに付いた。何の話かも。

「だって、すげぇ、ずるい言い逃げだったでしょ、あれは。本人は良いよ。どうせ、日本をすぐに出るんだし。言ってすっきりもしただろうしさ。センセーもそうだよね。昔の話だから関係ないし?」

 あの冬の日。ワイドショーで何度も流れていたであろう映像。俺は、最初の一度しか見てはいないが。それは俺が意図的に情報を遮断していたから、と言うだけで。

「結局さぁ、面白おかしく言われる矛先が向いたのって、現役生だった俺らじゃん」

 その当時、作倉はまだ深山の生徒ではなかったはずだが、――まぁ、でもそう言う話でもないか、これは。
 いくつもの感情が渦巻いて、そして消えた。
 監督は一切、その手の話はしないが、あの当時、深山にクレームが幾多届いたことも事実だと知っているし、入学志望者が減ったとも聞いた。けれど、結局、折原は変わらずに活躍を続けていたし、こうして今、監督は深山に折原を呼び、現役生が来校を歓ぶ。
 それで良いじゃないかと、思っていたかった。
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