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第九話
54.
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「じゃあ、分かってみる?」
やたらと近くから声が響いたと思ったら、すぐ近くまでやってきていた。影が落ちる。さすが現役。ついでにエースフォワードと思う体躯だ。でかい。
――良いもの、もってるのになぁ、と思う。自分の背が低いとは思わなかったが、現役時代は百八十の大台に選手は羨ましかった。
「話す気があるなら聞くけど。折角なんだから今は部活……」
「そうじゃなくて」
馬鹿にするように笑って、もたれていた壁に向かって、作倉が腕を伸ばす。
「顧問だ何だって言ってさ、そうやってつまんないこと言うくらいなら、もっと簡単にさ、やる気引き出してよ」
「……はぁ?」
「センセーの言うところの楽しかった深山のサッカー時代、似たようなことやってたんじゃないの」
深山にいたころ。俺がしていたこと。
寮はあれだけ綺麗になったのに、ここはあまり変わっていない。
――色、白いですよね。先輩は。
不意に思い浮かんだのは、同じ場所だったからだろうか。二人きりで過ごした時間はそんなになかったはずなのに、だからなのか、数少ない場面が色濃く記憶に残っている。
「だから何の話だ」
けれど、そのすべてはあのころに捨て去ってきたものだ。淡々と問い返したそれに、作倉も変わらない調子で笑う。
「見ちゃったんだよね」
「……何を」
「俺にあれだけ偉そうなこと言っておいて、外部の人間と学校でイチャついてんの」
言うべきことが、一瞬、頭から飛んだ。
――あれ、か。
「外部の人間って言うか、卒業生だよね。しかも、超有名な」
「あのな。作倉」
「実際がどうであれ、十分、面白がられる噂になると思うけど。良いの? センセーは」
完全に面白がっているのが分かって、噛み殺し切れない溜息が自然と漏れる。
「実際がどうだか分からないそれがあったとして、現時点でおまえと俺、どっちに信用票が集まると思ってるんだ」
見上げた先で、作倉が白けた表情で眉を上げた。
「何それ、つまんねー。もうちょっと可愛い反応できないわけ、センセー」
「可愛い反応が欲しいなら、相手を選んだらどうだ」
選び方を失敗した日には、部活動停止じゃ済まないレベルの事象を引き起こしそうだけれども。
――そう思うと、ここでストレス発散してるだけマシなのかもな。
寮で勉強を見ていた時と言い、人を馬鹿にすることでしか、ガス抜きできないのかと思うと、多少心配でもあるが。
「できなくはないでしょ、できなくは。もうちょっとビクついてみるとか、縋ってみるとか」
「そんなもの見たいか? おまえ」
「見たい、見たくないかで言ったら見てみたい。面白そうだから」
「おい。いい加減、近い」
傍から見れば、それこそ誤解を与えかねない距離感であることは想像に難くない。そしてそうなった場合、実害が大きいのは俺だ。
このご時世、何をどう捉えれて体罰だなんだと騒がれかねないのだから面倒だ。軽く肩を押し返すと、その手を作倉が取った。
「……おい」
「良いじゃん、ちょっとくらい。暇なんだし」
「暇だったらグラウンドに行け、グラウンドに。そっちの方がずっと有意義だろうが」
繰り返した苦言に、呆れた顔で作倉が小さく笑う。
「センセーって、人を苛つかせるの上手いって言われない?」
かもしれない、と思ってしまったのは、ここ最近聞く懐かしい顏を呆れさせているだろう自覚はあったからだ。
富原にしろ、折原にしろ。そう思われていたとしてもなんら不思議ではない、けれど。
「暴力沙汰起こしたら、一発で部活動停止だからな」
「逆に聞くけど、それが脅しになると思う?」
「……ならないなら、問題だな、おまえが」
それほどまでに自棄になっていることが、ではあるが。面白くない、つまらないと繰り返す。その気持ちは想像しようと思えばできるのかもしれないが、共感はできそうにない。
そう思うと、自分は恵まれていたのだとも思うけれど。
――折原も、そうだったのだろうか。
他にも引く手は数多だったろうに、深山を選んで、深山で過ごして。あの日々を後悔してはいないのだろうか。
「良いから、とりあえず離せ。作倉」
僅かに声に滲み出た苛立ちに、まずかったなとは思ったが、出てしまったものは仕方がない。自分の力が純粋に落ちているのか、現役の運動部員との差なのか。自分の力だけで動かせない状況は気持ちの良いものではない。
「なんで?」
「なんでって、逆に聞くけど。何がしたいの、おまえは」
人を揶揄って遊ぶのが楽しいのだかなんだか知らないが。溜息交じりのそれに、作倉はやる気なく問題を解いているときと変わらない調子で首を傾げた。
「んー、そうだな。じゃあ、キスとか?」
「……は?」
「だって、傷つくったら、さすがに問題でしょ。センセーも言ってたじゃん」
確かに似たようなことは言った。言ったが、話が全く違う。
「それでどうしてそうなる!」
勢い裏返った声は、最早、意思疎通のできない未知の生物に出逢った心境の所為だ。
「ちょっと興味があったから? 男と遊ぶってどういう感じなのかなって」
「おまえ、あれだけあり得ない、気持ち悪いって言っといて、何を言ってんだ、何を」
「あー、じゃあ、ごめんなさい」
いかにも適当そうに謝って。そのくせ肩を掴む指先はぎりぎりと壁に押し込んでくる。
「あれと関係してんのかって思うと、それはそれで面白いし」
作倉の言う「あれ」が何なのかは分かったは分かった。
「俺の身近で言えば、時枝が嫌がりそうだから。興味ある」
「おい、ちょっと待て、ちょっ……!」
拮抗していた押し合いが負けて、軸足が滑った。砂埃が舞って、影が落ちる。
「えー、そこはセンセーもうちょっと踏ん張ってよ」
「おまえみたいなガタイ、支えられるわけねぇだろうが……」
自分がどれだけ無駄に、選手としては無駄ではないとは思うけれどもだ、でかいと思ってるんだ。まるで床に押し倒されているみたいに悪化した状況には触れたくないのだけれども。
「何してるんですか?」
ガラとドアが開いた音がしたと同時に、つい先ほど別れたばかりの声が降ってきて。そのタイミングの悪さに、隠しきれない溜息が零れ落ちた。
やたらと近くから声が響いたと思ったら、すぐ近くまでやってきていた。影が落ちる。さすが現役。ついでにエースフォワードと思う体躯だ。でかい。
――良いもの、もってるのになぁ、と思う。自分の背が低いとは思わなかったが、現役時代は百八十の大台に選手は羨ましかった。
「話す気があるなら聞くけど。折角なんだから今は部活……」
「そうじゃなくて」
馬鹿にするように笑って、もたれていた壁に向かって、作倉が腕を伸ばす。
「顧問だ何だって言ってさ、そうやってつまんないこと言うくらいなら、もっと簡単にさ、やる気引き出してよ」
「……はぁ?」
「センセーの言うところの楽しかった深山のサッカー時代、似たようなことやってたんじゃないの」
深山にいたころ。俺がしていたこと。
寮はあれだけ綺麗になったのに、ここはあまり変わっていない。
――色、白いですよね。先輩は。
不意に思い浮かんだのは、同じ場所だったからだろうか。二人きりで過ごした時間はそんなになかったはずなのに、だからなのか、数少ない場面が色濃く記憶に残っている。
「だから何の話だ」
けれど、そのすべてはあのころに捨て去ってきたものだ。淡々と問い返したそれに、作倉も変わらない調子で笑う。
「見ちゃったんだよね」
「……何を」
「俺にあれだけ偉そうなこと言っておいて、外部の人間と学校でイチャついてんの」
言うべきことが、一瞬、頭から飛んだ。
――あれ、か。
「外部の人間って言うか、卒業生だよね。しかも、超有名な」
「あのな。作倉」
「実際がどうであれ、十分、面白がられる噂になると思うけど。良いの? センセーは」
完全に面白がっているのが分かって、噛み殺し切れない溜息が自然と漏れる。
「実際がどうだか分からないそれがあったとして、現時点でおまえと俺、どっちに信用票が集まると思ってるんだ」
見上げた先で、作倉が白けた表情で眉を上げた。
「何それ、つまんねー。もうちょっと可愛い反応できないわけ、センセー」
「可愛い反応が欲しいなら、相手を選んだらどうだ」
選び方を失敗した日には、部活動停止じゃ済まないレベルの事象を引き起こしそうだけれども。
――そう思うと、ここでストレス発散してるだけマシなのかもな。
寮で勉強を見ていた時と言い、人を馬鹿にすることでしか、ガス抜きできないのかと思うと、多少心配でもあるが。
「できなくはないでしょ、できなくは。もうちょっとビクついてみるとか、縋ってみるとか」
「そんなもの見たいか? おまえ」
「見たい、見たくないかで言ったら見てみたい。面白そうだから」
「おい。いい加減、近い」
傍から見れば、それこそ誤解を与えかねない距離感であることは想像に難くない。そしてそうなった場合、実害が大きいのは俺だ。
このご時世、何をどう捉えれて体罰だなんだと騒がれかねないのだから面倒だ。軽く肩を押し返すと、その手を作倉が取った。
「……おい」
「良いじゃん、ちょっとくらい。暇なんだし」
「暇だったらグラウンドに行け、グラウンドに。そっちの方がずっと有意義だろうが」
繰り返した苦言に、呆れた顔で作倉が小さく笑う。
「センセーって、人を苛つかせるの上手いって言われない?」
かもしれない、と思ってしまったのは、ここ最近聞く懐かしい顏を呆れさせているだろう自覚はあったからだ。
富原にしろ、折原にしろ。そう思われていたとしてもなんら不思議ではない、けれど。
「暴力沙汰起こしたら、一発で部活動停止だからな」
「逆に聞くけど、それが脅しになると思う?」
「……ならないなら、問題だな、おまえが」
それほどまでに自棄になっていることが、ではあるが。面白くない、つまらないと繰り返す。その気持ちは想像しようと思えばできるのかもしれないが、共感はできそうにない。
そう思うと、自分は恵まれていたのだとも思うけれど。
――折原も、そうだったのだろうか。
他にも引く手は数多だったろうに、深山を選んで、深山で過ごして。あの日々を後悔してはいないのだろうか。
「良いから、とりあえず離せ。作倉」
僅かに声に滲み出た苛立ちに、まずかったなとは思ったが、出てしまったものは仕方がない。自分の力が純粋に落ちているのか、現役の運動部員との差なのか。自分の力だけで動かせない状況は気持ちの良いものではない。
「なんで?」
「なんでって、逆に聞くけど。何がしたいの、おまえは」
人を揶揄って遊ぶのが楽しいのだかなんだか知らないが。溜息交じりのそれに、作倉はやる気なく問題を解いているときと変わらない調子で首を傾げた。
「んー、そうだな。じゃあ、キスとか?」
「……は?」
「だって、傷つくったら、さすがに問題でしょ。センセーも言ってたじゃん」
確かに似たようなことは言った。言ったが、話が全く違う。
「それでどうしてそうなる!」
勢い裏返った声は、最早、意思疎通のできない未知の生物に出逢った心境の所為だ。
「ちょっと興味があったから? 男と遊ぶってどういう感じなのかなって」
「おまえ、あれだけあり得ない、気持ち悪いって言っといて、何を言ってんだ、何を」
「あー、じゃあ、ごめんなさい」
いかにも適当そうに謝って。そのくせ肩を掴む指先はぎりぎりと壁に押し込んでくる。
「あれと関係してんのかって思うと、それはそれで面白いし」
作倉の言う「あれ」が何なのかは分かったは分かった。
「俺の身近で言えば、時枝が嫌がりそうだから。興味ある」
「おい、ちょっと待て、ちょっ……!」
拮抗していた押し合いが負けて、軸足が滑った。砂埃が舞って、影が落ちる。
「えー、そこはセンセーもうちょっと踏ん張ってよ」
「おまえみたいなガタイ、支えられるわけねぇだろうが……」
自分がどれだけ無駄に、選手としては無駄ではないとは思うけれどもだ、でかいと思ってるんだ。まるで床に押し倒されているみたいに悪化した状況には触れたくないのだけれども。
「何してるんですか?」
ガラとドアが開いた音がしたと同時に、つい先ほど別れたばかりの声が降ってきて。そのタイミングの悪さに、隠しきれない溜息が零れ落ちた。
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