夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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番外編2

嘘と建前(1)

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「おまえ、なんでそうベタベタと触りたがるの、人の身体」
「そうですか?」

 と応じた次の瞬間、自分の手が先輩の肘のあたりを触っていたことに気がついた。完全に無意識だった。

「……ですね」

 ほら見ろという視線に居心地が悪くなって、指を浮かす。持っていきどころがない。
 そんなこちらの様子にはいっさい気を留めない調子で、先輩が本に視線を戻した。言いたいことは言い終わったとばかりのそれだ。

 ――いや、まぁ、邪魔だったんなら悪かったとは思うけど。なんていうか、言い方。

 もうちょっとほかにないのかっていう。触りたい理由とか、好きだから以外にないと思うんですけど。
 それなのに、風呂上がりに隣に座っただけで、なんでこうも邪険にされないといけないのか。……触ったからか。

「あー……、じゃあ、まぁ、はい。気をつけます」
「ん」

 今度は目線ひとつ動かなかった。いや、まぁ、べつにいいんだけど。もろもろを呑み込んで、あてつけがましくない程度に距離を開けて座り直す。
 無意識に触ってもあれだし、メール仕事でもしようかな、とタブレット端末を手に取ったにもかかわらず、また目が向いてしまった。
 煩わしさがなくなったと言わんばかりに、先輩は淡々とページを繰っている。なんだかなぁ、と思っているうちに、ばちりと目が合った。
 こんなところでいちゃいちゃなんてしようとも思いませんよ、といった淡白そうな顔。

「なに、さっきから」

 いや、あんたもヤッてるとき、けっこうベタベタ俺の身体触ってますけどねって言ったら、このオフ中、意地でも触ってこなくなるんだろうな、まず間違いなく。
 ……と、いう答えがあっさりと出てしまったので、当たり障りのない顔で「なんでも」と応じるに俺は留めた。
 一時の優越感で、残りのオフを犠牲にするという選択肢は、さすがにない。

「俺もちょっとしよっかな、仕事」

 取ってつけたように呟いて、端末のロックを解除する。そんな気分じゃないんだけどなぁと辟易としながらも、口にした手前、メールもちゃんと立ち上げる。正直、ものすごく面倒くさい。
 俺が内容を確認して文面を考えているあいだも、隣ではとても規則正しく本のページが繰られる音がしていた。

「……」

 怒ってはない。いや、これは本当に。建前でもなんでもなく、俺も悪かったなと思ってるし、そもそもとしてこのくらいのことでムッとしてたら、やっていけないし。めちゃくちゃ馬鹿らしい理由だし。
 こぼれそうになった溜息を呑み込んで、どうにか指を動かし始める。
 繰り返すが、なにひとつとして怒ってはいない。ただ、端的に言って、まぁ、ちょっと拗ねてはいた。




「あ、おかえりなさい」
「ただい……」

 ま、と言いかけたところで、先輩が黙り込んだ。ドアノブを掴んだまま俺を――より正確に言うと、膝の上のものを凝視している。

「……なぁ」
「はい?」
「おまえ、なんか怒ってる?」
「なんでですか、怒ってないですよ」
「いや、だって」

 ドアを閉めて近づいてきた先輩が、釈然としない様子で「それ」と示してくる。それ。それなりにデカいサイズのぬいぐるみ。さもなんでもないという顔で「だから怒ってないですって」と重ねて否定する。
 なにやってんの、じゃなくて、なんか怒ってる、が先に出たあたり、思い当たる節がないことはないんだな、と思いながら。

「っていうか、怒ってぬいぐるみ買ってくるとか完全変な人じゃないっすか」
「いや、……」

 今、まぁそうだけどって思ったな、この人。

「というか、なんなの、それ」
「ステゴちゃんです」

 ピンク色のまるっこいフォームをもふもふとこねながら応じる。

「ステゴ?」
「ステゴサウルス」
「あぁ」

 ピンク色のトカゲかと思った、と呟いた先輩は、ものすごく怪訝そうな顔をしていた。

「なんで買ったの?」
「べつに」

 おもねるような問い方に、なんとなくステゴちゃんと見つめ合う。
 撫で心地が良くそれなりにデカいぬいぐるみであればなんでもよかったので、「べつに」としか言いようがないところはある。あるのだが。

「なんか癒されるなぁって。見てください、このつぶらな瞳」
「つぶらもなにも無機物なんだけど」
「無機物だから、俺がどれだけ触っても嫌な顔ひとつしないし」
「……」
「ほら、昨日、先輩、なんでそう触りたがるのって言ってたじゃないですか」
「いや、まぁ」
「だから考えたんですよ、俺。あ、手が寂しいから伸びるのかなーって」

 そんなわけはなかったが、これ見よがしにもふもふとステゴちゃんをこねながら、俺は続けた。

「解決策です」

 合理的でしょ、と言うと、怒ってはない、という確認が飛んできた。

「うん」
「拗ねては?」
「ないです」

 嘘だけど、まぁ、たぶん、あと一、二日したら切り替えられるし。そういう意味で嘘ではない。

「いや、まぁ、べつにいいんだけど」

 おもねるのも面倒になった調子で切り捨てた先輩が(この人のこういう切り替えの早さはふつうにひどいと思う)、おもむろにスマホを取り出した。嫌な予感しかしない。

「なんか生徒が言ってたから」
「え? 生徒さんがなにを」
「『めちゃくちゃ真剣にぬいぐるみ吟味してる男の人いるな~って思ってよく見たらサッカーの折原選手だった』」
「……」
「っていうのがプチバズってんだけど、知ってた? 受ける、だって」

 深山スマホ持ち込み禁止じゃなかったっけ、という疑問がふつふつと湧いてきたが、問題はたぶんそこじゃない。

「そんな真剣に吟味してたの、おまえ」
「……」
「ネットで買えばよかったのに」
「いやだって、どうせ買うなら手触り大事でしょ」
「たぶんそれ吟味だと思う」

 曖昧ながらも断定されて、「隠し撮り」とひとりごちる。たしかにいろいろ確認はしたけど、そこまで目立つ真似はしていないつもりなのに。日本こわい。

「は、してないかな」気遣いもなにもない判定を下されてしまった。「そのぬいぐるみは撮ってるけど」

 生徒の喧嘩の仲裁じゃないんだから、もっと俺をあからさまに贔屓してほしい。

「似たようなもんだと思う」

 溜息を吐いて、抱えていたステゴちゃんに顔を埋める。

「めっちゃ届きそう、ステゴちゃん」

 はぁ、ともう一度溜息を吐いたところで、ふと俺は思いついた。

「亜衣ちゃんいるかな」
「そんな何匹もはいらない。置く場所ないし」
「じゃあ、ひとつくらいならいります?」
「まぁ、聞いてみてもいいけど」

 いかにも渋々と頷いた先輩の視線は、ステゴちゃんに向けられていた。

「届いたら、の話だけど。どうすんの、残り」
「寄付かなぁ」

 なんとなく俺もステゴちゃんに視線を向け直して、呟く。三度目の溜息は、なにやってんだろうなぁ、という自己嫌悪が多分に含まれていた。ステゴちゃんがかわいいことだけが救いだが、それ以外に救いがない。
 はぁ、と四度目の溜息。さすがに憐れになったのか、もの言いたげな視線は送られてきたものの、先輩はそれ以上はなにも言わなかった。
 それが、ちょうど今から一週間ほど前のできごとである。
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