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好きになれない1
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しおりを挟む「じゃあ、あとはよろしく」
小一時間後、今度こそと言わんばかりに真木が腰を上げたが、要領は少しわかったので、日和は素直に「はい」と請け負った。
子どもたちは大人しくそれぞれの課題に取り組んでいる。
「恵麻と雪と紺は数学。進捗度合いは本人に聞いて確認してくれたらいいから。凛音は英語。あきは……」
「俺、もう終わった! マキと一緒にごはんつくる」
「マジか。助かるわ。じゃあな、中学生組は頑張れよ」
終わった、終わったとはしゃぐ暁斗に小さなブーイングが起こる。小学生と中学生なら、する内容もやる量も違うだろう。日和は小さく笑った。
「日和くんはほら、あれだ。塩見さんと同じ大学の後輩だから、きっと頭も良いぞ」
「ちょ、真木さん。変なハードルを上げないで下さいよ……」
日和の訴えは、「じゃ、よろしく」とのおざなりな声と、ぱしんと閉まる襖の音で返されて終わった。一人になってしまって、所在ない気分で問題に取り組む子どもたちを見渡す。
よどみなくシャーペンを走らせている髪の長い少女が恵麻。中学三年生。その隣で集中力が持たないのか、やる気が出ないのか。シャーペンが一向に動いていない少年が雪人だ。中身はさておいて、名前から判ずるに肉体的性別は男で間違いないらしい。ちなみにこちらも中学三年生。英和辞書を捲っているボブカットの少女が璃音。彼女が中学二年生。彼女たちから少し離れたところで問題と格闘している少年が紺。中学三年生で璃音の兄でもあるらしい。
兄妹揃ってとなると親も大変そうだなぁ。ここだって無料なわけがないのだし。そんな余計なお世話をやける程度に落ち着いてくると、少々、暇だ。日和が面倒を看なくとも、みな黙々と集中している。
「ぴよちゃんさぁ」
おもむろに顔を上げた恵麻に問いかけられ、しばらくしてから自分のことかと気が付いた。
「えー、と。恵麻ちゃん。どうしたの?」
「まきちゃんのこと、怖くなかった?」
てっきりわからない設問でもあったのかと思いきや、ただの世間話だったらしい。
「怖い?」
「うん。たまにね、まきちゃんのこと、怖いって言って身構えちゃう人がいるの。優しいんだけどね、まきちゃん。黙ってると、お顔が怖いから」
「ははは」
なんとも答えづらい。けれど、たしかにどちらかと言えば、怖い顔かもしれない。整っているかいないかで言えば、整っている顔だからこそ、余計に。喋り出すとそうでもないが、黙っているときの雰囲気は近寄りがたいと言えば近寄りがたい。ただ。
――最初に見たのが、アレだったからなぁ。
生徒を見る表情は、優しかった。つまり、そういうことだ。俺に対する扱いは雑だとは思ったけれど。
正直にそうとも言えず、乾いた笑みを浮かべるに留めた日和に、恵麻が続けた。
「前にね、駄菓子屋のおばちゃんにも言われてたから」
「ん? なにを?」
「あそこのスタッフの若いお兄ちゃんたちはきっと昔はワルだったんだって。それが優海さんと出逢って更生してお手伝いを始めたんだろうって」
「……」
「誰が元ヤンだ、というか、そもそもフリースクールをなんだと思ってるんだって。和くんと二人で言ってたから、実際は違うみたいだけど」
「そう、なんだ」
「うん。まきちゃん、絶対に嘘は吐かないから」
誰だ、和くんって。そして、なんだ、その信頼感。
……まぁ、あの若さで民間のフリースクールに骨を埋めようとしている人種だもんなぁ。
そんなこともあるのかもしれない。どちらにせよ、教師一家に生まれ育ったというだけで、なんとなく教育学部に進学した自分とは相容れないに違いない。――いい人では、あるのだろうけれど。
場を任されたなけなしの責任感で、日和は手の止まっている恵麻に続きを促す。
「そろそろ続きに取りかかろうか。恵麻ちゃんは午前中にどこまで終わらせるの?」
「今日は、この章が終わるところまでかな。木曜までにあと二つやって、金曜日にテストするって決めたの」
「へぇ、じゃあ、もう少し頑張ろうか。わからないところがあったら聞いてね。このページの最後までやれたら、教えてくれる? 一回、そこで答え合わせをしようか」
「うん!」
「あの、俺ははじめて今日ここに来たから」
「知ってるよ?」
「いや、その、だから、いつもとやり方が違うとか、こういうふうに進めたいとか。そういう要望があったら教えてね。俺に気を使わなくてもいいから」
「なんかぴよちゃんって」
「ん?」
「見た目のわりに真面目なんだね」
今度こそ笑うしかなくて、眉を下げる。髪を染めているわけでもなければ、派手な服装を好んでいるわけでもない。それなのに、初見の中学生にまでそう言われてしまうのだから、もはや自分ではどうしようもできない。
――姉ちゃんなんか、他人事だと思って、いっそのこと、もっと顔を利用したらいいのに、とか言うけど。そんな小器用な真似ができる性格だったら、こんなことになってねぇし。
こんなこと。休みの日の朝っぱらから、たいして親しくもなかったゼミの先輩に押し切られ、よくわからないまま子どもたちの勉強を見ている現状。
溜息を呑み込んで、子どもたちの様子を窺う。日和が指導するまでもなく、みんなペンを走らせている。そのなかで、少し動きが鈍いのが雪人だ。
……どうしようかな。
声をかけたほうがいいのだろうかと思案していると、廊下からカレーの匂いが漂ってきた。なんだか、実家に戻ってきたみたいだ。
「あ、カレーだ」
ぱっと雪人が顔を上げる。日和に、というよりはひとりごとの調子で言葉を紡ぐ。
「がんばって、早く終わらせよっと」
先ほどまでとは桁違いのスピードでペンを動かし始めた雪人を見守っていると、凛音が、
「お昼はみんなで一緒に食べるんだよ」
と教えてくれた。
「よかったね、ぴよちゃん。カレーはまきちゃんのメニューの中で数少ない当たりなんだよ」
不味いカレーってあんまり食べたことないけどなぁ、と思いながら、「そうなんだ」と頷く。
「冷蔵庫にあるものをなんでも入れるから微妙な味になるんだよ、まきちゃんの場合」
「ねー。何年もお昼ごはんを作ってるのに、なんで上手にならないんだろうね」
子どもとは、かくも無邪気で残酷なものである。恵麻と凛音の雑談を苦笑いで聞きながら、襖の向こうへと意識を傾ける。
声変わり前の甲高い声と、応じる静かな声。今の時間、この子たちと同じ年頃の子どものほとんどが、学校の教室で授業を受けている。ここは、学校とはまったく違う。
家に似ていると改めて思った。日和の実家というよりも、「帰る場所」、「受け止めてもらえる居場所」といったイメージとしての家。畳の部屋で教材を広げ、台所からはごはんのにおいが漂ってくる。
――こういうのも、有りなのかもしれない。
いつの間にか、恵麻と凛音の話の輪に雪人が加わり、勉強を続けているのが紺だけになっていた。あともうちょっとがんばろうか。日和の声かけに、問題集にみんなの意識が向き直る。久しぶりに、にぎやかな人数で囲んだ昼食は、たしかに絶品ではなかったけれど美味しかった。
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