メイストームのあとは飛行機雲

松山あき

文字の大きさ
77 / 91
積乱雲の向こうは夏空

31

しおりを挟む
「はじめは俺だけがヒートがあって、俺だけがパイロットになれないことが嫌なだけだった。」

 記憶を紐解きながら話せば、出来るだけ淡々と話そうと思っていたのに少しだけ声が裏返ってしまう。
 何で自分だけがこんなにもおかしな身体に生まれたのか、それは今でも時折昴希の脳裏に浮かぶ疑問だった。

「高校入ったばっかりのヒートのときに、それが怖くてとにかくたくさん薬飲んだのが最初。」
 
 オメガになんか生まれたくなかったと叫ぶ心は悲しいのに、身体が早く誰かを受け入れなくてはと渇きを覚えたあの頃からずっと昴希はちぐはぐだ。
 心がどんなに拒否をしても、身体が精と快楽を求める。それがクラスの中で自分だけに起きていることだと思うとななおさら惨めでやるせない。

「飲んでなんか変わんの?」

  心の乱れを悟られないよう必死に痛みと不快感に耐える昴希に、おそらく無知から来るのであろう、翼は鋭く切り込んでくる。
 それに対して昴希は静かに首を横に振った。
 
「変わるわけない。気休めだよ。俺の薬は一番弱いのだし。」

 何かしていないと窓から飛び降りたくなりそうな激しい衝動と嫌悪感だった。
 しかしそれを試さない程度の分別と臆病さ、それから周囲の優しさがいつも昴希にストップをかけてきた。

「そうは言っても副作用あるからちょっとすると吐いて、薬ごと吐くから全然効かなくてまた飲むの繰り返し。」

 そうして疲れ切ってトイレで寝るか、たまたま抑制剤が効いてふらふらになりながらベッドに戻るか、毎回そういったことを繰り返してきている。

「……バカみたいだろう。」

 何度やっても何も変わらないと分かっていながら同じことを繰り返す自分に対して思わず嘲笑してしまい、同意を求めるように翼を見るが、真剣な顔をするだけで同じようには笑ってくれない。

 ただじっと昴希の話を聞くその目はいつもと同じ熱をチラつかせながらも落ち着いていて、その静かさが自然と引きつった頬を下げてしまう。
 
「腕噛んだのは、薬と関係ある?」
「……どうだろう。薬のせいで噛んだとかじゃないけど、効かないのが悔しくて……気付いたら噛んでた。」

 本当にみっともない。情けない自分がそこにはいる。
 言葉にするとどうしようもなく自分が小さい気がして、昴希は恥ずかしくて泣きたくなるのを俯いて堪えた。
 
 翼は昴希の深いところを知っても、それに対していいも悪いも言わない。ただ純粋な問いかけを重ねただけで、心配そうな表情は変えずにただじっとこちらを見つめていた。
 それが昴希の不安を余計に煽る。やはり呆れてしまったんじゃないかと。

「こーちゃんはなんで続けたの?」

 瞬間、羞恥なのか怒りなのかカアっと頬が燃えた。
 そしていつものように反射的に心を固く閉ざそうとする。
 
 どうして気づかないフリをしてくれないんだ、と怒りと悲しみが混じり合った感情の波が昴希の身体に打ちつけ、元々どろどろざらざらと嫌な音を立てて流れていた血流が早くなったような気がした。

「…………怖かったから。」
「それは最初でしょ?意味ないって思ったら、こーちゃん続けないじゃん。」

 小さな衝動でついた嘘はすぐに見抜かれてしまう。
 必死に守りを固めた心の一番脆いところを突かれてしまい、裸の自分を見せるような恐怖と羞恥に襲われた。
 
 昴希とは正反対に凪いだ海のような視線と言葉をなげてくる翼は時々容赦がない。
 その容赦のなさに救われたこともあるが、今はただ昴希に強烈な恥じらいを覚えさせるだけだ。
 
 心の一番奥に隠して、自分さえも見ないで済むように隠してきた澱のようなものがふわっと浮き上がってきて感情を濁らせる。

 静かに、だけれど確実に昴希の心を乱す濁りを感じると、翼の視線も愛情も受けているのが辛くなってきて紙袋を胸に抱え身体を折った。
 
「……こ、こーちゃん?」
「同じでいられるから。」

 うずくまるような格好になったのを見てさすがに動揺した翼の声を無視して、昴希は一言だけそう言った。
 
 本当は背中さえ見てほしくない。このまま小さくなって消えられるならそうしたいほどだという気持ちさえ湧き上がる。
 だがどれだけ卑しくても、そういう自分さえも全部見せないと、翼を受け止める資格を得ることさえできない気がして、昴希は溢れる涙にも構わず身体を震わせて続ける。

「吐いてるときと、痛いときは……性欲なくなるから、みんなと、同じでいられた……。」

 ヒートの衝動の中、翼や直人のように飛べる自分でいられる時間はほとんどない。
 大きな波が襲ってくれば、薬が効いて落ち着くまで求め続ける身体と、それに恐怖する自分に飲み込まれないように必死になるしかない。

 そういう中で吐き気が来て全部が流れるまでの間と、自分の歯が皮膚を破る瞬間だけは真っさらで他の人と変わらない自分がいるような気がしていた。

 そんな一瞬の幻想を捨て身で手に入れようとする自分が、悲しいほど惨めで、腹立たしいほどほど情けない。

 これ以上みっともないところは見せられず、顔を伏せて泣き続ける昴希の背中に躊躇いながら大きな手が触れる。
 戸惑っているのか、撫でるだけなのにぎこちないその手つきが愛しくてしゃくりあげて泣く合間に何とか言葉を繋いでいく。

「でも……もう、それ……ダメだから。」
「え……?」
「薬、飲むの……もう、したくない。」

――「江夏くんはどうするの?」

 智の声が頭の中でこだまする。
 翼を選びたい。それが昴希の答えであり、選ぶためにはこの紙袋を手放さないといけなかった。

「なんで、ダメなの?」

 声を震わせたその問いかけに、やはり翼は翼だと安心してしまう。もどかしいほど全部を伝えないと分からない彼が昴希は憎らしいほど好きになっていた。

 ぐしゃぐしゃに汚れて歪んだ酷い顔だろうと思いながらゆっくり身体を起こす。昴希を支えるように寄り添う体温が嬉しくて、最後に一筋涙を流して翼を見つめた。
 
「薬、飲みすぎて……長い間入院した人がいる。……それもたくさん。」

 それは昴希を躊躇わせる残り時間の見えない時限爆弾だった。

 依存からの脱却と同時に薬の調整を行うのは一朝一夕にはいかないようで、年単位の入院になることもあるらしい。
 それに入退院を繰り返すともまことしやかに噂されている。

「翼をその間一人にするって分かってて、付き合おうなんて言えない。」

 かわいそうなほど昴希だけを求める翼と手を繋ぐためには、これ以上同じことは繰り返せない。
 智の焦るような声も、自分が溺れるように薬を飲んでしまった過去も、この爆弾を止めるにはそれしかないのだと昴希の弱い心に強く訴えてくる。

 いつか一人にするかもしれないと分かっていて、騙すように好きだと言えるほど昴希も無責任にはなれない。何の躊躇いもなく恋人になれると思えて初めて翼の手を取れるように感じていた。

 そこまで分かっているのに抑制剤はまだ手元にある。
 これがなくなったときに、自分はどこまで自分でいられるか分からないのが昴希に恐ろしいまでの不安をもたらして捨てられなかった。

 視線を落とせば短い時間でシワだらけになった抑制剤の袋が目に入る。表面にびっしりと凹凸が刻まれたそれが、ハリボテも保てなくなった今の情けない自分のようだと思ってしまう。

 全てを話し終えたと実感すると、再び涙が溢れ出す。
 ふと視線を上げると、眉間にシワを寄せ考えこみながらも昴希を心配している優しい瞳と目が合った。

 そんな翼の姿にすごく申し訳なさを覚えて、どうしていいか分からずに昴希はひとまず下手くそな笑顔を作って見せた。
 それを見た途端、翼は眉間のシワを深くしてから不器用な掌で昴希の背中を優しく撫でる。
 吸い込まれてしまいそうな瞳でこちらを覗くので、昴希も視線を逸らさずにその奥にある心を見つめた。

「……こーちゃんは、薬飲みすぎないでいれたら、俺のこと好きって言ってくれんの?」

 返事の代わりに一つ頷く。
 すると紙袋を潰しそうなほど力が込められた昴希の手を翼が優しく包みこんだ。
 心が子どものようなところがあるせいか、不思議なほど翼の手のひらは温かい。

「じゃあこれ、オレが預かる。」

 突然の申し出に驚きつつも、瞬きを繰り返しつつ昴希はもう一度頷いた。

「薬足りなくなったり、こーちゃん怖い思いしたらすぐもってくから。」
「持ってきたらダメなんだって……。」

 思わず吹き出してから、きっと大丈夫だと昴希は思った。翼になら預けてもいいと、そっと紙袋から手を引いた。
 残った翼の手が紙袋を包んで、昴希の膝から自分の身体の横に移動させるのを見て、何だか身体が軽くなった気がした。たった百グラムくらいの重さなのに。

「翼。ヒート終わったら、一緒に捨ててくれるか?」
「うん。」

 これが昴希がねだってした初めての約束だった。
 きっとこの約束があれば、次のヒートは大丈夫だと自然とそう思えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番じゃない僕らの恋~俺の唯一だった君~

伊織
BL
高校1年生の蓮(れん)は、成績優秀で運動神経も抜群なアルファ。 誰よりも大切に想っているのは、幼い頃からずっとそばにいた幼なじみのオメガ・陽(ひなた)だった。 初めての発情期(ヒート)──それは、蓮と陽の関係を静かに、でも確実に変えていく。 「陽が、知らない誰かに抱かれるのは嫌だ」 その言葉をきっかけに、陽は蓮だけに身体を預けるようになる。 まだ番にはなれない年齢のふたり。 触れ合えば触れ合うほど、高まる独占欲と焦燥、そして不安。 ただ一緒にいられる今を、大切に過ごしていた。 けれど、優しくあるはずのこの世界は、オメガである陽に静かな圧力を与えていく。 気づけば、陽が少しずつ遠ざかっていく。 守りたくても守りきれない。 アルファであるはずの自分の無力さに、蓮は打ちのめされていく。 番じゃない。 それでも本気で求め合った、たったひとつの恋。 これは、ひとりのアルファが、 大切なオメガを想い続ける、切なくて愛しい学園オメガバース・ラブストーリー。

【BL】『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとでした

圭琴子
BL
 この世界は、αとβとΩで出来てる。  生まれながらにエリートのαや、人口の大多数を占める『普通』のβにはさして意識するほどの事でもないだろうけど、俺たちΩにとっては、この世界はけして優しくはなかった。  今日も寝坊した。二学期の初め、転校初日だったけど、ワクワクもドキドキも、期待に胸を膨らませる事もない。何故なら、高校三年生にして、もう七度目の転校だったから。    βの両親から生まれてしまったΩの一人息子の行く末を心配して、若かった父さんと母さんは、一つの罪を犯した。  小学校に入る時に義務付けられている血液検査日に、俺の血液と父さんの血液をすり替えるという罪を。  従って俺は戸籍上、β籍になっている。  あとは、一度吐(つ)いてしまった嘘がバレないよう、嘘を上塗りするばかりだった。  俺がΩとバレそうになる度に転校を繰り返し、流れ流れていつの間にか、東京の一大エスカレーター式私立校、小鳥遊(たかなし)学園に通う事になっていた。  今まで、俺に『好き』と言った連中は、みんなΩの発情期に当てられた奴らばかりだった。  だから『好き』と言われて、ピンときたことはない。  だけど。優しいキスに、心が動いて、いつの間にかそのひとを『好き』になっていた。  学園の事実上のトップで、生まれた時から許嫁が居て、俺のことを遊びだと言い切るあいつを。  どんなに酷いことをされても、一度愛したあのひとを、忘れることは出来なかった。  『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとだったから。

至高のオメガとガラスの靴

むー
BL
幼なじみのアカリちゃんは男の子だけどオメガ。 誰よりも綺麗で勉強も運動も出来る。 そして、アカリちゃんから漂うフェロモンは誰もが惹きつけらる。 正に"至高のオメガ" 僕-ヒロ-はアルファだけど見た目は普通、勉強も普通、運動なんて普通以下。 だから周りは僕を"欠陥品のアルファ"と呼ぶ。 そんな僕をアカリちゃんはいつも「大好き」と言って僕のそばに居てくれる。 周りに群がる優秀なアルファなんかに一切目もくれない。 "欠陥品"の僕が"至高"のアカリちゃんのそばにずっと居ていいのかな…? ※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。 【至高のオメガとガラスの靴】←今ココ  ↓ 【金の野獣と薔薇の番】  ↓ 【魔法使いと眠れるオメガ】

【完結】出会いは悪夢、甘い蜜

琉海
BL
憧れを追って入学した学園にいたのは運命の番だった。 アルファがオメガをガブガブしてます。

金曜日の少年~「仕方ないよね。僕は、オメガなんだもの」虐げられた駿は、わがまま御曹司アルファの伊織に振り回されるうちに変わってゆく~

大波小波
BL
 貧しい家庭に育ち、さらに第二性がオメガである御影 駿(みかげ しゅん)は、スクールカーストの底辺にいた。  そんな駿は、思いきって憧れの生徒会書記・篠崎(しのざき)にラブレターを書く。  だが、ちょっとした行き違いで、その手紙は生徒会長・天宮司 伊織(てんぐうじ いおり)の手に渡ってしまった。  駿に興味を持った伊織は、彼を新しい玩具にしようと、従者『金曜日の少年』に任命するが、そのことによってお互いは少しずつ変わってゆく。

両片思いのI LOVE YOU

大波小波
BL
 相沢 瑠衣(あいざわ るい)は、18歳のオメガ少年だ。  両親に家を追い出され、バイトを掛け持ちしながら毎日を何とか暮らしている。  そんなある日、大学生のアルファ青年・楠 寿士(くすのき ひさし)と出会う。  洋菓子店でミニスカサンタのコスプレで頑張っていた瑠衣から、売れ残りのクリスマスケーキを全部買ってくれた寿士。  お礼に彼のマンションまでケーキを運ぶ瑠衣だが、そのまま寿士と関係を持ってしまった。  富豪の御曹司である寿士は、一ヶ月100万円で愛人にならないか、と瑠衣に持ち掛ける。  少々性格に難ありの寿士なのだが、金銭に苦労している瑠衣は、ついつい応じてしまった……。

花喰らうオメガと運命の溺愛アルファ

哀木ストリーム
BL
αからの支配から逃げるには、この方法しかなかった。 Ωの辰紀は、αが苦手とする強い匂いを放つ花を、ヒートが始まる前から祖母に食べさせられていた。 そのおかげでヒート中にαに襲われることから逃れていた。  そして祖母が亡くなったある日。両親に売られてしまった祖母の形見を探しに骨董品屋に向かうと、先に祖母の形見を集めているαの有栖川竜仁と出会う。彼を騙して祖母の形見を回収しようとしていたが、彼には花の匂いが効かなかった。それどころか両親が隠したはずの首輪の鍵を持っていて、番にされてしまう。 「その花は、Ωを守る花ではない。喰らわれるのは君の方だよ」  花の中毒症状から救おうと手を差し伸べる竜仁。  彼は、祖母を苦しめたαの孫だと知りーー。 11月から更新します。

Ωだから仕方ない。

佳乃
BL
「Ωだから仕方ない」 幼い頃から自分に言い聞かせてきた言葉。 あの人と番うことを願い、あの人と番う日を待ち侘びていた僕は今日もその言葉を呟く。 「Ωだから仕方ない」 そう、Ωだから仕方ないのだから。

処理中です...