4 / 10
二品目 里芋の唐揚げ/夢の中へ(前)
しおりを挟む
一年前――。
「悪いね、また来るよ」
よそ行きの笑顔でそう言いながら反町は店を出るが、内心『もう二度と来ねえよ』と思っていた。
店が大きいわりに一枚板のような渋いカウンター、そして腕のいい板前がいる店だった。日本酒、焼酎、ハイボールばかりの反町にとって、不満と言えばこれらの品揃えが充実しておらず、サワーばかりなのが残念なくらいだった。
だが、週に一度と決めた外飲みにおいて、つまみは妥協したくないのが反町という男。酒にこだわるなら取り寄せるなり、合羽橋かどこかで良い酒器をそろえれば良いだけだ。
だが、せっかく外で飲むなら美味しいつまみと一緒に酒を楽しみたい。
その点、今出てきた店は合格点以上だった。とにかく仕込みが丁寧で、その日の仕入れでおすすめメニューが違う。料理人の技と遊び心が魅力のいい店。
半年ほど通い、それなりに充実した飲みライフを満喫していた。
変わったのは二ヶ月ほど前。バイトだという同年代の男が来てからだ。
「俺はここの社長とは昔からの付き合いでね」
と、聞いてもいないことを初対面でベラベラ話し出すような男で、その中身のない話に付き合うと反町は自分の世界に集中できなくなる。
今日だって酒を飲みながらネットでスーツを吟味しようと思っていたのにお預けになった。
『この年になると、服選びも時間かかるんだよな』
これからどうしようかと街をさまよいはじめつつ、凍えた手でスマホの画面を眺める。オジサンすぎず、そのうえ見るからに安っぽくない服を調べる気力はもう失せていた。
一応仕事中は営業課長として、笑顔とトークを薄利多売する反町だが、飲んでいるときまでサービス精神は続かない。
料理も酒も味わって、自分なりの酒とつまみの「正解」を心の中で転がす。なかなか変わった楽しみであるが、これが反町の一週間の疲れを洗い流す方法でもあった。
昔、酔った勢いで彼女に披露したことがあるが、その三日後に「面倒くさい男、ちょっと無理」と告げられ別れてしまった。
あれから表では「分かってる俺」は封印してきたが、この楽しみ方なら孤独だが自意識をたっぷり甘やかすことができ、誰にも迷惑はかけない。
そのうえ、うんちくの悦に浸るために調べたことが意外と営業に活きる。仕事にもまあまあ役に立ち、ストレスも溶けていく、人知れずそういう贅沢を楽しんでいた。
しかし、あのうるさいだけのバイトは、無神経にも反町から自分だけの喜びに溺れる時間を奪った。
「反町……。ああ、もしかして、あの芸能人と親戚ですか。イケメンですもんね」
そんなトンチンカンな問いかけにも営業スマイルで応え続けた反町だったが、この日だけはどうしても我慢できなかった。
『年明け初めての飲みがこんなんでたまるか!』
就職氷河期の荒波にもまれた世代、生粋の営業マンたる反町は、縁起や験は担げるだけ担ぐようにしている。
初めての飲みは、その年の飲みを占う儀式でもある。だからこそ、この日だけは妥協できなかったのだ。
バイトに絡まれだして数分、用事ができたと言ってお通しとハイボールだけで出てきてしまった。板前の気の毒そうな、申し訳なさそうな顔が最後にちらりと見えて、少しバツが悪いような気にさせられた。
「それにしても、里芋食いてえな」
夜空に白い息を吐き出して反町は呟いた。少しにぎやかな通りから遠ざかると、星空がよく見えた。
店の壁に短冊で貼られていた、里芋の味噌そぼろ煮。濃厚な味噌味に昔ながらの芋焼酎を合わせるのも良いか、と思い始めた矢先に絡まれてしまった。
おかげで口の中はすっかり里芋になっている。
良い飲み始めのためにも、里芋への欲求を満たすためにも、早く次の店を見つけなくてはいけない。反町は肩を震わせながら歩き出した。
飲み屋街の灯りから少し遠ざかった静かな通り。
この先に老舗のオーセンティックバーもあるので、反町も何度か通ったことはあるが、こんな店あっただろうかと見上げる。
「居酒屋 ちろり、ねえ」
赤提灯とのれんに筆文字で書かれた店名に思わず足を止めた。
ちろりと言えば酒器だ。日本酒好きにはよく知られた、しかし店によっては置いていないところもある。
そんなものを店名にするのだから、きっと日本酒のラインナップはそれなりで、必然和食も多い店だろう、と反町は当たりをつける。
きっとここなら里芋もあるだろう。筑前煮でも良いから里芋が食べたい、と内なる欲求に強く揺さぶられながらも反町が足を踏み出せない理由はいくつかあった。
まずは何より評判を聞いたことがない店だからだ。情報がなさすぎて一人飲みに適してるかさえわからない。
「なんか、じいさんばっかいそう」
二つ目は店の雰囲気。よく言えば伝統的で親しみのある、裏を返すと昔の安い居酒屋っぽい、そんな見た目が反町を踏みとどまらせている。
すりガラスが貼られた格子の入り口、木と白い漆喰を基調とした外壁、のれんは紺色に白抜きの文字、赤提灯とくれば、あまりに“らしい”居酒屋すぎて悩んでしまう。
『一年を占う大事な判断だ。頼む、俺の男の勘……!』
そう願ったところで強い横風が吹き付ける。ここ数年で細くなった髪が乱され、コートの中に寒さが駆け込んでくる。
思わず背中からゾクゾクっと震え上がってしまい、反町は逃げ込むようにその店の扉を開けた。
「らっしゃい」
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
カウンターの向こうからぶっきらぼうな男の声が、すぐ近くから活発な女の声が聞こえる。
席には何組か座っていたが、反町が想定していたよりも客層は若い。
店員の女の子にうなずいて合図をすれば、カウンターの端の席を案内してくれた。隣にコートと鞄を置くと、差し出されたおしぼりを受け取って冷えた指先を温める。
すると店内のBGMが切り替わり、その独特のギター音に反町はガクッと肩を落としてしまう。
重く単調なのにどこか惹きつけられてしまうこの曲は、反町がその名前故に十八番にさせられている一曲だ。
『歌に恨みもねえし、いい曲なんだが。この歳になってもいじられんのは、ちょっとなあ』
幸先の悪さを感じ、もしかしたらこの店も、今年の飲み運もハズレかもしれないという予感が心を通り抜けていった。
「悪いね、また来るよ」
よそ行きの笑顔でそう言いながら反町は店を出るが、内心『もう二度と来ねえよ』と思っていた。
店が大きいわりに一枚板のような渋いカウンター、そして腕のいい板前がいる店だった。日本酒、焼酎、ハイボールばかりの反町にとって、不満と言えばこれらの品揃えが充実しておらず、サワーばかりなのが残念なくらいだった。
だが、週に一度と決めた外飲みにおいて、つまみは妥協したくないのが反町という男。酒にこだわるなら取り寄せるなり、合羽橋かどこかで良い酒器をそろえれば良いだけだ。
だが、せっかく外で飲むなら美味しいつまみと一緒に酒を楽しみたい。
その点、今出てきた店は合格点以上だった。とにかく仕込みが丁寧で、その日の仕入れでおすすめメニューが違う。料理人の技と遊び心が魅力のいい店。
半年ほど通い、それなりに充実した飲みライフを満喫していた。
変わったのは二ヶ月ほど前。バイトだという同年代の男が来てからだ。
「俺はここの社長とは昔からの付き合いでね」
と、聞いてもいないことを初対面でベラベラ話し出すような男で、その中身のない話に付き合うと反町は自分の世界に集中できなくなる。
今日だって酒を飲みながらネットでスーツを吟味しようと思っていたのにお預けになった。
『この年になると、服選びも時間かかるんだよな』
これからどうしようかと街をさまよいはじめつつ、凍えた手でスマホの画面を眺める。オジサンすぎず、そのうえ見るからに安っぽくない服を調べる気力はもう失せていた。
一応仕事中は営業課長として、笑顔とトークを薄利多売する反町だが、飲んでいるときまでサービス精神は続かない。
料理も酒も味わって、自分なりの酒とつまみの「正解」を心の中で転がす。なかなか変わった楽しみであるが、これが反町の一週間の疲れを洗い流す方法でもあった。
昔、酔った勢いで彼女に披露したことがあるが、その三日後に「面倒くさい男、ちょっと無理」と告げられ別れてしまった。
あれから表では「分かってる俺」は封印してきたが、この楽しみ方なら孤独だが自意識をたっぷり甘やかすことができ、誰にも迷惑はかけない。
そのうえ、うんちくの悦に浸るために調べたことが意外と営業に活きる。仕事にもまあまあ役に立ち、ストレスも溶けていく、人知れずそういう贅沢を楽しんでいた。
しかし、あのうるさいだけのバイトは、無神経にも反町から自分だけの喜びに溺れる時間を奪った。
「反町……。ああ、もしかして、あの芸能人と親戚ですか。イケメンですもんね」
そんなトンチンカンな問いかけにも営業スマイルで応え続けた反町だったが、この日だけはどうしても我慢できなかった。
『年明け初めての飲みがこんなんでたまるか!』
就職氷河期の荒波にもまれた世代、生粋の営業マンたる反町は、縁起や験は担げるだけ担ぐようにしている。
初めての飲みは、その年の飲みを占う儀式でもある。だからこそ、この日だけは妥協できなかったのだ。
バイトに絡まれだして数分、用事ができたと言ってお通しとハイボールだけで出てきてしまった。板前の気の毒そうな、申し訳なさそうな顔が最後にちらりと見えて、少しバツが悪いような気にさせられた。
「それにしても、里芋食いてえな」
夜空に白い息を吐き出して反町は呟いた。少しにぎやかな通りから遠ざかると、星空がよく見えた。
店の壁に短冊で貼られていた、里芋の味噌そぼろ煮。濃厚な味噌味に昔ながらの芋焼酎を合わせるのも良いか、と思い始めた矢先に絡まれてしまった。
おかげで口の中はすっかり里芋になっている。
良い飲み始めのためにも、里芋への欲求を満たすためにも、早く次の店を見つけなくてはいけない。反町は肩を震わせながら歩き出した。
飲み屋街の灯りから少し遠ざかった静かな通り。
この先に老舗のオーセンティックバーもあるので、反町も何度か通ったことはあるが、こんな店あっただろうかと見上げる。
「居酒屋 ちろり、ねえ」
赤提灯とのれんに筆文字で書かれた店名に思わず足を止めた。
ちろりと言えば酒器だ。日本酒好きにはよく知られた、しかし店によっては置いていないところもある。
そんなものを店名にするのだから、きっと日本酒のラインナップはそれなりで、必然和食も多い店だろう、と反町は当たりをつける。
きっとここなら里芋もあるだろう。筑前煮でも良いから里芋が食べたい、と内なる欲求に強く揺さぶられながらも反町が足を踏み出せない理由はいくつかあった。
まずは何より評判を聞いたことがない店だからだ。情報がなさすぎて一人飲みに適してるかさえわからない。
「なんか、じいさんばっかいそう」
二つ目は店の雰囲気。よく言えば伝統的で親しみのある、裏を返すと昔の安い居酒屋っぽい、そんな見た目が反町を踏みとどまらせている。
すりガラスが貼られた格子の入り口、木と白い漆喰を基調とした外壁、のれんは紺色に白抜きの文字、赤提灯とくれば、あまりに“らしい”居酒屋すぎて悩んでしまう。
『一年を占う大事な判断だ。頼む、俺の男の勘……!』
そう願ったところで強い横風が吹き付ける。ここ数年で細くなった髪が乱され、コートの中に寒さが駆け込んでくる。
思わず背中からゾクゾクっと震え上がってしまい、反町は逃げ込むようにその店の扉を開けた。
「らっしゃい」
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
カウンターの向こうからぶっきらぼうな男の声が、すぐ近くから活発な女の声が聞こえる。
席には何組か座っていたが、反町が想定していたよりも客層は若い。
店員の女の子にうなずいて合図をすれば、カウンターの端の席を案内してくれた。隣にコートと鞄を置くと、差し出されたおしぼりを受け取って冷えた指先を温める。
すると店内のBGMが切り替わり、その独特のギター音に反町はガクッと肩を落としてしまう。
重く単調なのにどこか惹きつけられてしまうこの曲は、反町がその名前故に十八番にさせられている一曲だ。
『歌に恨みもねえし、いい曲なんだが。この歳になってもいじられんのは、ちょっとなあ』
幸先の悪さを感じ、もしかしたらこの店も、今年の飲み運もハズレかもしれないという予感が心を通り抜けていった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
せんせいとおばさん
悠生ゆう
恋愛
創作百合
樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。
※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる