居酒屋ちろり〜独身男のこだわり晩酌記録〜

松山あき

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二品目 里芋の唐揚げ/夢の中へ(前)

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一年前――。
 
「悪いね、また来るよ」

 よそ行きの笑顔でそう言いながら反町は店を出るが、内心『もう二度と来ねえよ』と思っていた。
 店が大きいわりに一枚板のような渋いカウンター、そして腕のいい板前がいる店だった。日本酒、焼酎、ハイボールばかりの反町にとって、不満と言えばこれらの品揃えが充実しておらず、サワーばかりなのが残念なくらいだった。

 だが、週に一度と決めた外飲みにおいて、つまみは妥協したくないのが反町という男。酒にこだわるなら取り寄せるなり、合羽橋かどこかで良い酒器をそろえれば良いだけだ。
 だが、せっかく外で飲むなら美味しいつまみと一緒に酒を楽しみたい。

 その点、今出てきた店は合格点以上だった。とにかく仕込みが丁寧で、その日の仕入れでおすすめメニューが違う。料理人の技と遊び心が魅力のいい店。
 半年ほど通い、それなりに充実した飲みライフを満喫していた。
 変わったのは二ヶ月ほど前。バイトだという同年代の男が来てからだ。

「俺はここの社長とは昔からの付き合いでね」

 と、聞いてもいないことを初対面でベラベラ話し出すような男で、その中身のない話に付き合うと反町は自分の世界に集中できなくなる。
 今日だって酒を飲みながらネットでスーツを吟味しようと思っていたのにお預けになった。

『この年になると、服選びも時間かかるんだよな』

 これからどうしようかと街をさまよいはじめつつ、凍えた手でスマホの画面を眺める。オジサンすぎず、そのうえ見るからに安っぽくない服を調べる気力はもう失せていた。
 
 一応仕事中は営業課長として、笑顔とトークを薄利多売する反町だが、飲んでいるときまでサービス精神は続かない。
 料理も酒も味わって、自分なりの酒とつまみの「正解」を心の中で転がす。なかなか変わった楽しみであるが、これが反町の一週間の疲れを洗い流す方法でもあった。
 
 昔、酔った勢いで彼女に披露したことがあるが、その三日後に「面倒くさい男、ちょっと無理」と告げられ別れてしまった。
 あれから表では「分かってる俺」は封印してきたが、この楽しみ方なら孤独だが自意識をたっぷり甘やかすことができ、誰にも迷惑はかけない。
 そのうえ、うんちくの悦に浸るために調べたことが意外と営業に活きる。仕事にもまあまあ役に立ち、ストレスも溶けていく、人知れずそういう贅沢を楽しんでいた。

 しかし、あのうるさいだけのバイトは、無神経にも反町から自分だけの喜びに溺れる時間を奪った。

「反町……。ああ、もしかして、あの芸能人と親戚ですか。イケメンですもんね」

 そんなトンチンカンな問いかけにも営業スマイルで応え続けた反町だったが、この日だけはどうしても我慢できなかった。

『年明け初めての飲みがこんなんでたまるか!』

 就職氷河期の荒波にもまれた世代、生粋の営業マンたる反町は、縁起や験は担げるだけ担ぐようにしている。
 初めての飲みは、その年の飲みを占う儀式でもある。だからこそ、この日だけは妥協できなかったのだ。
 バイトに絡まれだして数分、用事ができたと言ってお通しとハイボールだけで出てきてしまった。板前の気の毒そうな、申し訳なさそうな顔が最後にちらりと見えて、少しバツが悪いような気にさせられた。

「それにしても、里芋食いてえな」

 夜空に白い息を吐き出して反町は呟いた。少しにぎやかな通りから遠ざかると、星空がよく見えた。
 
 店の壁に短冊で貼られていた、里芋の味噌そぼろ煮。濃厚な味噌味に昔ながらの芋焼酎を合わせるのも良いか、と思い始めた矢先に絡まれてしまった。
 おかげで口の中はすっかり里芋になっている。

 良い飲み始めのためにも、里芋への欲求を満たすためにも、早く次の店を見つけなくてはいけない。反町は肩を震わせながら歩き出した。

 飲み屋街の灯りから少し遠ざかった静かな通り。
 この先に老舗のオーセンティックバーもあるので、反町も何度か通ったことはあるが、こんな店あっただろうかと見上げる。

「居酒屋 ちろり、ねえ」

 赤提灯とのれんに筆文字で書かれた店名に思わず足を止めた。
 ちろりと言えば酒器だ。日本酒好きにはよく知られた、しかし店によっては置いていないところもある。
 そんなものを店名にするのだから、きっと日本酒のラインナップはそれなりで、必然和食も多い店だろう、と反町は当たりをつける。
 きっとここなら里芋もあるだろう。筑前煮でも良いから里芋が食べたい、と内なる欲求に強く揺さぶられながらも反町が足を踏み出せない理由はいくつかあった。

 まずは何より評判を聞いたことがない店だからだ。情報がなさすぎて一人飲みに適してるかさえわからない。

「なんか、じいさんばっかいそう」

 二つ目は店の雰囲気。よく言えば伝統的で親しみのある、裏を返すと昔の安い居酒屋っぽい、そんな見た目が反町を踏みとどまらせている。
 すりガラスが貼られた格子の入り口、木と白い漆喰を基調とした外壁、のれんは紺色に白抜きの文字、赤提灯とくれば、あまりに“らしい”居酒屋すぎて悩んでしまう。

『一年を占う大事な判断だ。頼む、俺の男の勘……!』

 そう願ったところで強い横風が吹き付ける。ここ数年で細くなった髪が乱され、コートの中に寒さが駆け込んでくる。
 思わず背中からゾクゾクっと震え上がってしまい、反町は逃げ込むようにその店の扉を開けた。

「らっしゃい」
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」

 カウンターの向こうからぶっきらぼうな男の声が、すぐ近くから活発な女の声が聞こえる。
 席には何組か座っていたが、反町が想定していたよりも客層は若い。

 店員の女の子にうなずいて合図をすれば、カウンターの端の席を案内してくれた。隣にコートと鞄を置くと、差し出されたおしぼりを受け取って冷えた指先を温める。

 すると店内のBGMが切り替わり、その独特のギター音に反町はガクッと肩を落としてしまう。
 重く単調なのにどこか惹きつけられてしまうこの曲は、反町がその名前故に十八番にさせられている一曲だ。

『歌に恨みもねえし、いい曲なんだが。この歳になってもいじられんのは、ちょっとなあ』

 幸先の悪さを感じ、もしかしたらこの店も、今年の飲み運もハズレかもしれないという予感が心を通り抜けていった。
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