居酒屋ちろり〜独身男のこだわり晩酌記録〜

松山あき

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二品目 里芋の唐揚げ/夢の中へ(後)

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 気を取り直してずり落ちた肩をもとに戻してから、女の子が持ってきたメニューに目を通す。
 普段は酒から見ていくが、今日絶対に変えられないのはつまみの方だ。
 里芋が入っていそうなつまみ、と懸命に探したが、今日は唐揚げしかないらしい。

 塩を軽く振りサクッと仕上げた唐揚げは嫌いではない。だが、せっかく「ちろり」なんて酒飲みへの挑戦状みたいな名前の店に来た以上、反町は日本酒を頼みたい衝動も頭をもたげていた。
 店の挑戦をあえて引き受けるならば揚げ物は避けるべきだし、里芋を食べるならハイボールか焼酎のソーダ割りが無難だろう。
 悩みだし、思考がぐるぐると巡りだしたところで、反町は一旦酒のメニューに目を移した。
 ここはあえて敵を知ってから、本丸を撃つのが無難だ。そう思いつつお品書きを見渡すと、そのラインナップに中々良いセンスだとうなずいた。

 日本酒も焼酎もほど良い数の品揃えで、有名なものに偏りすぎていないのが、反町の心をくすぐる。
 獺祭も新政もそれ自体はいい酒だし、反町も好きだ。だが、それだけでは味気ない。店のこだわりが見えるラインナップだからこそ、こちらも挑戦のしがいがあるというものだ。

『あ。今日は絶対これだ。……初しぼり!』
 
 季節限定酒のページが、突如として反町の目を見開かせた。
 初しぼりの酒はちょっとした縁起物だ。何でもその年に初めてとれた初物は福を呼ぶという。
 今年最初の飲みに相応しい一杯を見つけ、反町はそっと手を挙げる。

「大将、いいかい」
「はいよ」
「里芋の唐揚げはどういうものなんだ?」

 初しぼりの微炭酸のような口当たりであれば油を多少和らげてくれるだろうが、衣が厚すぎたり下味が濃いめなら、一旦は無難に刺身に逃げて、初しぼりのあとで芋焼酎のソーダ割りに挑戦すればいい。

「うちのは出汁で炊いてから薄く粉をまぶして揚げてます。素揚げに近いかもしれません。一緒に藻塩とゆず塩をお出ししています」
「じゃあ、それと初しぼりで」
「初しぼりはグラスだけですが、良いですか?」
「はい」

 注文が終わるとすぐに女の子が箸とお通しを持ってきてくれた。
 白い小鉢にほうれん草のおひたしが盛り付けられている。今乗せたばかりだとわかるふわふわとしたかつお節に反町の食欲がそそられる。
 
 まずはこの店の実力を見るように、おひたしを口に運ぶ。味が薄いおひたしでは話にならない。
 だが、この店のものはだし醤油がしっかり馴染んだほどよい塩気と、かつお節の力強さが反町の口の中で調和していくものだった。
 これなら里芋の唐揚げも期待ができると、早くも気分が昇り調子に切り替わる。

「あ。お客さん」

 ニマニマとほうれん草を堪能する反町に、無愛想に大将が話しかけてきた。
 昔気質の職人らしい性格のようだが、おかげでこのおひたしに出会えたと思うと、急にぶっきらぼうなのが良いところのように感じられてくる。
 そんな反町を見て大将は僅かに口角を上げる。そしてほとんど空になった初しぼりの瓶を掲げてこう言った。

「ラッキーだね。初しぼりはこれで終わりだ」

 この店の接客は全て女の子任せかと思いきや、いい顔でそんなことを言うものだから、反町も驚いてドキリとしてしまう。
 数瞬後、大将の口角は戻ってしまい、真剣な表情でワイングラスに初しぼりらしい若々しさを感じる色味を注いでくれた。

「おまたせしました。」

 カウンター越しでもいいのに、と反町は思ったが、大将はわざわざ出てきて反町の右隣にお酒を置いていった。
 目を合わせながら首を傾げたが、真っ白な紙のコースターの上に置かれたグラスを真上から覗いてみて『なるほど』と合点がいった。

「綺麗な青冴えだ」

 透明でどこか青みがかった、春先の草原のような爽やかな色を大将は見せたかったらしい。

 初しぼりのような香り高い日本酒をわざわざワイングラスに入れるところといい、酒の色をみせようという姿勢といい。この店の大将は飲む側の人間だと、その心遣いだけで合格を出した。

『最初は微妙だと思ったが、お通しは丁寧だし、酒も俺の好みだ』

 今日は我慢しなくて正解だったと、期待に胸が躍り出すのを感じていた。
 反町の経験上、フレッシュな酒とおひたしは相性がいい。いや、そうでなくてももう我慢できないと、逸る気持ちを懸命に隠してグラスの脚を優しく摘んで口に近づける。

 グラスを傾ける前から強烈に未熟な青リンゴのような香りが駆け抜けていく。この粗削りで、期待に満ちた瞳をする新卒社員のような香りこそ、初しぼりの魅力だ。
 慎重に香りごと飲み込むように酒を滑りこませると、舌の上がわずかにピリリとする。この独特の柔らかい棘も冬の醍醐味だと、深く息を吐いた。

 開けて日にちが経っていないのだろう。フレッシュなまま最後の一杯として味わえるのがありがたく、反町は心の中で合掌する。

 そうしていると、カウンターの奥からシュワーっと油に野菜を入れた時特有の音がして、澄んだ油の香りが漂ってきた。
 油を替えたばかりなのか、それともこだわりで毎日替えているのか。反町にとって一つ確かなのは、いい油で揚げ物している時の匂いは胃を刺激することだけだ。

 その香りさえつまみにしながら、慎重にワイングラスを煽る。あまり飲み過ぎてはこのあとの楽しみが半減すると、精一杯自制しながら、ぼんやりと少しずつ落ち着きを見せはじめた店内を見渡した。

「はい。おまたせしました。こっちが藻塩で、こっちがゆず塩。好きな方を使ってお召し上がりください」

 ほわっと里芋から上がる湯気が反町の鼻を包み込む。
 片栗粉を揚げたとき特有の白さを見せる里芋は六角形に剝かれていて仕事の丁寧さを感じさせる。
 懐紙の下から覗く深いブラウンの皿も、骨太な雰囲気でありながら優しく里芋を支えていた。

 反町は待望の里芋を慎重に一つ箸で摘むと、まずは何もつけずにかぶりつく。
 ねっとりとした粘り気の中から噛む度に出汁の味が控えめに顔を出す。揚げたてがもたらすホクホクした感触も堪能し、熱々のまま喉をくぐらせると、胃に落ちていきながら内臓を温めてくれる気がした。

 そのホッとする安定感が冷めないうちに今度は初しぼりを流し込む。

『やっぱり初しぼりが少し負けるが、この重さが抜けきらない感じもたまらん』

 味付けそのものは繊細だが、揚げ物の油はお酒の初々しさだけでは洗い流しきれないらしい。
 だが、この里芋の余韻が後を引くのを楽しむのもまた一興である。

 二つに仕切られた薬味皿を眺めてみると、店員がゆず塩だと言っていた方には少し黄色いものが混じっていた。柚子の皮だろうか。

『まずは、藻塩を軽く振って……』

 小さく衣を破る音を響かせながら口に入れると、反町の口にスタンダードながら安定感のある味が広がっていく。
 藻塩の持つ力が、じゅわっと芋の旨味を引き出す。まさに王道にして至高という味わいだ。

 対してゆず塩はどうだろうか。こういった変わった塩が最近多いが、ただのおしゃれではないかと、反町は疑っているところもある。

 ちょんっと少しだけゆず塩をつけて恐る恐るかじってみると、ほんのりと爽やかな風味が舌や鼻に抜けていった。
 思いがけず里芋をさっぱりさせる柚子の力を堪能したところで、反町はハッと気づいてしまう。

 思いついたその衝撃と情熱のまま再びゆず塩をつけた里芋を口に放り込み、柚子の香りが留まっているうちに日本酒を投入してみた。

『予想通り。柑橘の香りで少し軽くなった油の余韻なら、これで十分中和される』

 あまりの発見に楽しくなってしまい、そのループを数回繰り返すが、すぐにグラスは空になってしまった。

 酒泥棒がどこかにいたんじゃないかとすら思えるほどあっけない終わりに、反町の口からふーっとため息が漏れる。

 いつの間にか店には他の客はおらず、この空間には反町の他、カウンターで野菜を切る大将だけになっていた。
 ねぎを刻むリズミカルな音と、BGMは全くテンポが合っていないが、不思議と調和しているような気がして、カウンターからその様子を眺めていると、ふいに大将と目が合ってしまう。

「お客さん、うまそうに食いますね」
「あー……。あはは。食い意地張っていて恥ずかしいです」
「料理人にとっちゃ、どんな言葉より嬉しい褒め言葉みたいなもんです。……次のお酒、どうします?」

 やはりどこか柔らかい顔で大将は反町に尋ねた。
 できればお代わりをして再度ゆず塩との調和を楽しみたいが、この一杯で終わりだと言っていたことを思い出し目を伏せて考え込む。

「やっぱり、芋かな。ソーダ割りで」
「はいよ。芋ソーダ、すぐに用意します」

 今度はスタンダードに藻塩で味わうことを想像しながら待つ反町の耳に、里芋のようにねっとりとした中毒性のある声と曲とが聞こえてくる。
 その曲に答えるように反町は心の中で呟いた。

『ありがたいことに俺の探しものは見つかったよ』

 この日を境に、反町は毎週足繁くちろりに通うようになったのだった。
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