お迎えはいちご味の飴玉で。

れい

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お迎えはいちご味の飴玉で。

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時刻は夕暮れ時。
カランカラン、と古びた鐘の音がした。
木製のテーブルを拭いていた手を止め、私は顔を上げる。
いらっしゃいませ、と私は笑みを浮かべて、そのお客様を、奥のテーブル席に通した。

ここは、「ジュバック」という名の喫茶店だ。
喫茶店のくせに、何故か夕暮れから夜にかけてしか営業しない、喫茶店。
それでも客足はそこそこある。たぶん、マスターがイケメンなのと、コーヒーがおいしいからだと、私は思ってる。

私は一ヶ月前からここでアルバイトとして働き始めた。
たまたま学校帰りに入ったこの店で、オールバックの渋い顔をしたマスターに一目惚れして、働きたいと申し出たのがきっかけだ。
マスターにそう話しかけた時、驚いていたのをやけに覚えている。
だって別にこの店はアルバイトを募集していた訳でもないし、何ならマスター以外に、他に働いている従業員はいないからだ。
それでもマスターは、いいよ、と私が働くことを許してくれた。何故だかは、分からない。今思えば、ただの気まぐれだったのかもしれない。

働き始めて一ヶ月。マスターは私以外のアルバイトを雇うつもりはないようだ。
嬉しかった。シフトが入り放題ということもあったが、それよりも、もし女の子のバイト仲間が出来たら、きっとマスターを好きになってしまうだろうから。
それを私は許せない。想像ですら、したくない。マスターが、他の女の子といるだなんて。
今は私だけが、マスターのいるカウンターの中へ入ることが許される。そんな些細な特別が、なんでこんなに頬を緩ませるのだろう。
お客様のブレンドコーヒーの注文を通しに、私はカウンターへと駆け寄った。

「マスター、ブレンドコーヒーをお願いします」

「……ああ、わかった」

マスターは少しだけ笑って、オーダー票を受け取った。
一人の時は無愛想な癖に、たまに優しく微笑むその顔が、たまらなく好きだ。
棚から綺麗な白いカップを手に取ったマスターは、不意にその手を止めて入り口のドアを見やる。
マスターの横顔を見ていた私も、つられてドアに目を向けた。
カランカラン、と鐘の音がする。
マスターは時々、お客様が来る前に、その気配が分かるみたいだった。

「いらっしゃいませ、……お席に御案内します」

一瞬だけ言葉を詰まらせた私は、平然を装ったまま、そのお客様を、カウンター席へと案内した。
テーブル席はまだ空いていた。カウンター席に通す時は、何か言われるのではないかといつもどきどきする。
だけど、このお客様も、何も言わずカウンター席へと腰を下ろした。

(口紅と、左手の薬指……)

私は水を用意しながら、ちらりとそのお客様を盗み見た。
大人の女性だ。ブロンドの髪を緩く巻いて、真っ赤な口紅に、身体のラインがはっきり出るドレス。肩だけに羽織ったベージュのジャケット。近寄れば香水の香り。きっと自分に自信を持っている、勝気な方だ。道行く全ての人が振り返りそうな、気品と美貌を持っている。

だけどそんなことより、口紅の端から漏れるようにちいさく伸びる、黒い茨のようなそれが、私の目を奪っていた。その茨は、彼女の左手の薬指にも巻き付いている。茨の指輪みたいだ、と私は水を渡す時に、思わず数秒、見つめてしまっていた。

「何か?」

女性の声に、私はコップを持つ手を震わせた。
しまった。
見ていたのを、気付かれたらしい。
マスターの視線を感じる。
すっ、と震える指先で水を彼女の手元に置くと、私は体の前で手を揃えて、バレないように、少しだけ強く、右手を握った。

「……、素敵な指輪、ですね」

実際は真っ黒の棘だらけで、見えやしないのだけれど。
そういうと彼女は、あぁ、と横目でそれを見て、そっと外すと小さなハンドバッグにしまい込んだ。棘は指輪についていたみたいだ。閉められたハンドバッグのファスナーから、挟まれた茨が、しゅるりと音もなくバッグの中へ潜り込む。

「ご注文がお決まりでしたら…」

「カプチーノをいただけるかしら」

「かしこまりました」

私は彼女から逃げるように、足早にカウンターへ駆け込んだ。
マスターへ渡すオーダー票に、カプチーノと書いて、口紅、指輪、と付け加えた。
マスターはそのオーダー票を見て、小さく頷くと私の頭を宥めるように撫でた。

黒い茨の正体が、何かは知らない。
だけど見るのはこれが初めてじゃなかった。
前はそう、確か、ビジネスマンの腕時計。あと、若者のスマートフォンにもついていた。
以前マスターにそれを聞いてみたら、次にそれを見たらそのお客様はカウンター席へと通すように言われた。
そう言えばあの時も、マスターは少し驚いた顔をしていたっけ。

私はテーブル席のお客様の席へ、水を注ぎにまわった。
漂うコーヒーの香り。振り向けば、マスターが女性にカプチーノを振舞っていた。
女性は無表情のまま、スマートフォンを弄っている。
マスターはそんな彼女を気にすることもなく、厨房での作業に戻った。

カラン、カラン。

再び鐘の音が鳴った。
ドアを潜ってきたのは若い男性だ。
いらっしゃいませ、と言った私を、その男性は手で軽く制した。
どうやら、カウンターの女性と知り合いらしい。
女性はさっきスマートフォンを見ていた時とは打って変わった明るい表情で、その男性を隣に招いた。

「遅かったじゃない、待ちくたびれちゃったわ」

「まぁそう言うなって、泊まりで仕事だっていって来てるから明日の夜まで大丈夫だ」

「一日だけなの?」

甘えた声で、女の人は駄々をこねるように男の人の腕に抱き着いた。
男性も満更でもない様子。恋人同士……なのだろうか。

「お前こそ、この間旦那に怪しまれたって言ってたじゃねーか」

「あの人は今週いっぱい、九州で出張だから大丈夫よ」

私はさり気なく男性の手元に水を置いて、笑みを絶やさずカウンター内へと戻った。
恋人同士、と言っても、いけない関係のようだ。
よく見れば男性のスーツのポケットから、黒い茨が顔を出していた。あの中には、何が入っているんだろう。

テーブル席に座っていたお客様が帰って、店の中はマスターがコーヒー豆を触る音と、私が食器を洗う音と、カウンター席の男女の笑い声だけになった。
女性のカプチーノはもう空っぽで、男性が後から頼んだアイスコーヒーはすっかり氷が溶けて薄くなっている。
マスターのアイスコーヒーはおいしいのに、と私は少し残念な気持ちになった。

「会計頼むよ」

どれくらい時間が経っただろうか。
唐突に男の人が手を挙げ、立ち上がった。
隣に立った女の人の腰を抱きよせていて、女の人は恍惚とした目で彼を見上げている。
私がレジへ駆け出そうとするが、突然エプロンの首元を掴まれ、マスターは後ろからこっそり私に耳打ちした。

(あれ、持ってきて)

私はいつもより高い声で返事をすると、猛烈に熱を持った片耳を抑えて、足早に物置へと向かった。

近い、ずるい。

そんな文句や怒りのような嬉しさのような感情が入り交じった顔の私が、戸棚のガラスに映った。
のたうち回りたい衝動を、足音を鳴らして蹴散らす。
私は物置の奥に置かれたマスターの机へと真っ直ぐ向かい、引き出しを勢いよく開けた。

中を滑ってきたのは、丸い銀の缶だ。
表にステッカーが貼ってあるが、何語か分からない文字が書いてあって、読めない。
マスターは、茨のついたお客様が来るといつもこの中から飴を一つ渡して見送るのだった。
ちなみに私は、この飴をもらったことがない。
くれてもいいのに、と少しだけ片方の頬を膨らませて、私は銀の缶を乱暴に引っ掴むと店に戻った。

「……あぁ、お待たせしました」

お会計はもう終わっていたらしい。
男女と談笑していたマスターが、私をふりかえった。
持っていた缶をマスターに手渡すと、マスターは目を細めて、中からピンクの包み紙の飴を二つ取り出す。
そしてそれをお客様に、一つずつ手渡した。
二人はおいしそう、と言って、その場で飴を口に含む。いちご味ね、と女性が笑った。
マスターはその顔を見て、珍しく、満足そうに微笑んでいた。

「ありがとうございました」

マスターの後ろでお客様に頭を下げる。私が顔を上げると同時に、マスターは店の鍵を閉めた。
さっきのが最後のお客様。今日はもう閉店だ。
私の横をするりと通り抜けたマスターに、私はあの、と声をかけた。

「マスター、あの飴私も食べてみたいです」

「だめだ。おいしくない」

マスターはさっさとカウンター内に戻ってしまった。
私はお客様が座っていた椅子を戻しながら、えー、と口を尖らせる。

「でも、さっきいちご味って」

「あれはちゃんと目的があってだな……」

マスターはそこまで言って、ふぅ、とため息を吐いた。
私は首を傾げて、カウンターに身を乗り出す。
たぶん興味津々な目をしていたんだと思う。
マスターは少し困ったように、カウンターの向こうで眉を寄せていた。

「目的って?茨が関係してるの?いつも茨のお客様には」

ぴっ。

捲し立てるような早口。それはカウンター越しに、マスターの指が私の唇に触れたことで止まった。
私はぴたりと、時間が止まったように動けなくなった。
魔法みたい。うずうずしていた心が、一瞬で真っ白に、そして徐々に、ドキドキに変わる。
私の心臓の音以外、何も聞こえない気がした。

「あれはね、印なんだよ」

ドクン、ドクン、と脈打つ中、マスターの低い声が囁く。
私は目を見開いたまま、瞬き以外許されず、マスターをじっと見つめ返すしか出来ない。
カウンターを挟んでいるとは思えないほど、マスターを近くに感じた。
たぶん、マスターも、こちら側へ身を乗り出していた。

「冥王が、悪い子を見つけるための、印」

マスターの目が、瞬きの隙に一瞬、紫色に光った気がした。気がしただけだ。もういつもと同じ、少し茶のかかった黒い瞳。
そして、微笑んだ唇の隙間から、やけに尖った犬歯が見えた。
私はマスターの言ったことなんてそっちのけで、ただただ真っ白な頭の中、マスターは意外と犬歯が鋭い、と脳内に刻み込んだ。

「さて、今日はもういいから、明日もよろしく頼むよ」

マスターはぱっと私から遠ざかると、ひらひらと片手を振った。
その顔はいつもの、渋い顔をしたマスターだ。
私は一瞬間を置いて、放心状態から我に返ると、挨拶もそこそこに猛ダッシュで帰宅。
赤い顔は、見られなかったと思う。見られなかったと信じたい。でなければ明日からやっていけない。

「ほんと……小悪魔……」

一人帰り道、にやける口元を抑えきれず、私は頬を思いっきり叩いた。

だけど、本当は小悪魔なんかより質が悪いことを、私が知るのはもっと先の話。
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