炊き出しをしていただけなのに、大公閣下に溺愛されています

ぽんちゃん

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第二章

第五話 女神の正体

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 カイゼル様に渡したあの日以来、甘いお菓子を作る日々が続いている。
 ヴァル先輩のつてで届くわずかな砂糖と、狩りで得た魔物の脂。
 それらを使って、できる範囲で、少しでも疲れた誰かの癒しになればと、毎日焼いていた。


 そして今日も、厨房にエリンが顔を出した。


「いたいた! レーヴェ!」

 透き通るような水色の髪を肩先でゆらすエリンは、同じ色の瞳でまっすぐこちらを見る。
 清楚な印象をまとっていながら、どこか近寄りがたい美しさではなく、不思議と話しかけやすい空気を纏っていた。

「あのね、今日は医療班の子たちが疲れてて……。甘いものが少しあると、うれしいなあ、なんて」

「もちろん。ちょうど焼けたところなんだ」

 できたばかりのクッキーをいくつか包んでエリンに渡すと、彼女はとびきりの笑顔でお礼を言って出ていった。

「ありがとう、レーヴェ。本当に、あなたのそういうところ……変わらないのね」

 その時は、それだけで胸があたたかくなった。

 けれど――

 

「聞いた!? エリン様が、またクッキーを配ってくれてたのよ!」

「すっごくおいしかったよな、あれ……。甘くて、優しい味で……」

「癒される……女神様って、やっぱり違うなぁ……」


(……エリン様?)

 クッキーを渡したのは、僕だ。
 でも、そのことに触れる人はいなかった。

 僕が作ったクッキーのはずなのに、どうやらみんなは、エリンが作ったと勘違いしているようだった。

 きっと、配った人の印象だけが残ったのだろう。
 そう自分に言い聞かせ、僕は気にしないようにした。



 でも翌日、医療班のテントを通りかかったとき。
 ふと聞こえた話に、僕は自分の耳を疑った。

「エリン様って、どうしてあんなに料理上手なんでしょうね」

「しかも忙しいのに、クッキーまで手作りしてるなんて……。まさに女神だ」

「ええ、本当よ。あの人がいるだけで、みんな頑張れるって感じ」

「俺、こないだ軽傷だったけど、エリン様が来てくれて、痛みが消えた気がしたんだよな……」

「もしかして、回復魔法とか使えるんじゃない?」

「治療中の兵士たちも、みーんなエリン様に夢中よね」

「もう、あの人のためなら命張れるわ……!」


 ――手作り、だって?


 足が止まり、息が詰まった。

 クッキーの配布は、確かにエリンがやっていた。
 でも作っていたのは、僕だ。


 けれど、人々の記憶に残るのは、誰が“焼いたか”ではなく、誰が“渡したか”。

 そしてその“渡した人”は、何も言わず、まるでそれが自分の手柄かのように、賞賛を浴びていた。

(もしかして、エリンはわざと黙ってる?)

「いや、そんな……エリンは、そんなこと……」

 不安が首を絞めるように膨らんでいく。


 そしてその疑いが、日に日に“確信”へと変わっていくのに、時間はかからなかった。


 怪我から回復した兵士たちが言っていた。

「僕、もうすぐ戦線に戻るんですけど、エリン様のクッキーがあれば百人力って感じです!」

「ほんとそれ。あの包みを開けた瞬間、天国の香りがしたんだよな……」

「もう一度だけ会って、お礼言いたいな……。あの人の微笑み、忘れられないんだ」

(どうして……)

 心にさざ波のようなざわめきが広がる。
 僕が求めていたのは“ありがとう”でも、“賞賛”でもなかったはずなのに。

(……僕が勝手に期待しすぎてるのかな。誰も悪くないのに、胸がこんなに苦しいのはどうしてだろう)

「女神様がそばにいてくれて、本当に救われたんだ」

「エリン様がくれた、あのクッキーの味が忘れられない」

 今や彼女は、“癒しを与える女神”として、兵士たちの信仰の対象になっていた。
 表彰されるかもしれないという噂も、耳に届いた。

 別に、僕が目立ちたいわけじゃない。
 女神様になりたいわけじゃない。

 ただ、クッキーを一緒に焼いてくれるヴァル先輩や、砂糖を届けてくれるカイゼル様の顔が浮かぶと、胸が締めつけられた。





 その日の夕方、エリンがまた厨房にやって来た。

「レーヴェ! 今日もお願いしていい? あの子たち、すごく楽しみにしてるの」

 明るい笑顔を浮かべるエリンは、もしかすると、あの噂を知らないのかもしれない。
 そう感じた僕は、思い切って尋ねてみることにした。

「……ねえ、エリン。あの噂、聞いてる?」

 思ったよりも声が震えてしまった。
 おどおどする僕を見て、エリンはふふっと笑った。

「ああ、あの噂のことね? ふふっ、聞いてるわよ。“エリン様の手作りクッキー”って、みんな感動してくれてるみたい」

「っ……」

 あっさりと噂を認めたエリンが、悪びれもなく笑っている。
 まさかこんな返事が返ってくるとは思っていなかった僕は、言葉を失ってしまった。

「私が作ったなんて、一言も言ってないのよ? “どうぞ”って渡しただけ。それなのに、みんなが勝手に勘違いしちゃって……。困っちゃうわよねぇ」

 エリンの困っているふうで、まったく困っていない笑顔に、僕は頬が引きつるのがわかった。

「そ、それなら、炊事班が作ってるって言ったらいいんじゃない?」

「そうね、次からそうしてみる! ……みんなが信じるかはわからないけどっ」

 その瞬間、彼女の口元がほんの一瞬、冷たくゆがんだように見えた。

「ふふっ、最近は“お菓子もらえる?”って、私のところに来る子が多くて困っちゃうのよね。レーヴェのおかげで、人気者になっちゃったみたい」

(……それって、僕のおかげじゃないよ)

 もう、僕は何も言えなくなっていた。


「じゃあ、またもらっていくわね。ディルクにも渡してあげたいの」


 そう言って、クッキーの包みを手にしたエリンは、さっさと厨房を後にした。

 

 ――ディルクにも?

 僕が作ったと、言わないまま?

 

 彼が怪我をしていたとき、僕は心を込めて、何もかもを込めてクッキーを焼いた。
 でも、何の返事も言葉もなかった。

 それはきっと、僕が“届けていないこと”になっていたから――。

 

(……僕の想いは、消されてたんだ)

 

 心に氷のような冷たい感情が走った。

 そして、静かに一つの決意が芽生える。

 

 ――ディルクに会いに行こう。

 

 ディルクなら、ちゃんと話せばわかってくれる。

 そう信じて、僕は歩き出した。












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