27 / 30
最終章
第二話 僕の背中には、英雄たちがいた
しおりを挟む煌びやかな装飾、天井から吊るされた無数のシャンデリアの下、貴族たちの視線が一斉に注がれる。
「あの子が、大公閣下の婚約者?」
「まさか、炊事兵だなんて……」
囁かれる声のひとつひとつが、冷ややかな風となって僕の肌を撫でる。
けれど、背筋はまっすぐに伸びていた。
僕の隣には、王国軍最高司令官にして、すべてを背負って立つ人がいるからだ。
「本日、この者を、私の正式な伴侶として紹介する」
その厳かなる声が、会場を静寂に包んだ。
僕は深く息を吸い、堂々と前に一歩出る。
そして、集まるすべての視線を真正面から受け止めながら、一礼した。
「レーヴェ・ノアールと申します。未熟者ではありますが、カイゼル様の隣に恥じぬよう、尽くしてまいります。何卒、よろしくお願いいたします」
一礼する。
張り詰めた沈黙が、長い一瞬となって流れた。
おそらく炊事兵だった僕を、認められない者が多いのだろう。
カイゼル様の隣にはふさわしくない。
そう言われている気がして、僕は顔を上げることができなかった。
「鍋を振ることに、家柄は関係ない。だから俺は、レーヴェの飯を食べたんだ」
静寂を打ち破ったのは、深く響く重低音だった。
前に出てきたのは、無精髭を剃り、身だしなみを整えたヴァル先輩だった。
正装の軍服をまとい、その勲章が鈍く光を反射している。
まるで別人のように威厳があった。
「レーヴェの作る飯に、命を救われた者が何人いたか。それを知らずに笑うやつがいるなら、俺が黙っていない」
「正直、王都の食事より、レーヴェの作る塩むすびのほうが、ずっと心を動かされるんですよね」
三人の炊事班の姿に、場の空気が一変する。
「ヴァル先輩! エド先輩と、ニッキー先輩もっ! 来てくれたんですね!」
「当たり前だろ」
「レーヴェ、婚約おめでとう」
三人が、親しげに僕の肩を叩く。
騒然としていた貴族が、最初は戸惑いがちに、ぽつぽつと拍手をし始める。
だがそれは徐々に熱を帯び、やがて嵐のような拍手へと変わっていった。
三人の炊事班の仲間のおかげで、カイゼル様の伴侶として認めてもらえたようだった。
僕は再び一礼し、微笑んだ。
すると、カイゼル様の手が、そっと僕の背を支えてくれる。
「よくやった。堂々としていたな。誇りに思う」
「ありがとうございます。カイゼル様がいてくださったからです」
見つめ合っていると、「おいおい! 厨房の鍋よりアツアツじゃねぇか!」とエド先輩にからかわれる。
「ちょ、ちょっと……からかわないでください……っ、もう……!」
顔が火照って、思わず視線を落としてしまう。
すると、いつもの柔らかな笑みを浮かべるニッキー先輩が、ふいに身を寄せてくる。
「レーヴェは、火の扱いは得意でも、恋の炎は制御不能みたいですね?」
「なっ……!? ニッキー先輩までっ!? なに言ってるんですかっっ!!」
僕が真っ赤になって叫ぶと、その後ろからヴァル先輩がぼそりと呟いた。
「…………カイゼルがレーヴェを泣かすようなことをしたら、煮込みに入れてやる」
「「「ヒッ!?!?」」」
まさかの一撃に、炊事班の全員が一瞬硬直する。
張り詰めたその中で、カイゼル様だけが凛とした静けさをまとっていた。
「ご心配には及びません」
ゆっくりとヴァル先輩の方へ向き直り、真っ直ぐに言葉を紡ぐ。
「レーヴェを泣かせるようなことは、決してしない。もし涙を流すとしたら、それはこの幸せが溢れて止まらないときだけです」
その瞳は、どこまでも誠実で、深く澄んでいた。
「命に代えても、俺は彼を守ります。……もし守れなかったときは、煮込みでも何でも、お好きにどうぞ」
僕は、思わず息を呑む。
冗談のような言葉なのに、その声には一片の迷いもなかった。
(そんなふうに言ってもらえるなんて……)
胸の奥がじんわりとあたたかくなって、何かが込み上げてくる。
しばらくの静寂ののち、ヴァル先輩がわずかに目を細め、ひとつ深く頷いた。
それだけで、すべてを託す覚悟が伝わってきた。
――僕は今、こんなにも大切にされている。
ただの炊事兵だった僕を、仲間として、後輩として、そして“家族”として思ってくれる人たちがいる。
そのぬくもりが、言葉よりもずっと強く、僕の心に沁みていく。
そこへ、居ても立っても居られないとばかりに、父さんがこっそり話しかけてきた。
「おい……おいおいおいおい、レーヴェ……まさか、あのお方は……」
父さんの視線の先は、ヴァル先輩だった。
僕は家族に、お世話になった炊事班の先輩方を紹介することにした。
「紹介しますね! こちら、ヴァル先輩です。炊事班で、薪割り担当をしていて……」
「ヴァ……先輩……!? いやいやいやいや、このお方は、ヴァレンタイン・レイノルズ公爵閣下じゃないか! 現・元帥だぞ!? 軍のトップだぞ!?!?」
「へっ……? 軍の、トップ……?」
一日の大半の時間を、薪割りに費やしていたヴァル先輩が?
「ま、まさか、息子がヴァレンタイン・レイノルズ元帥のもとで働かせていただいていたとは……。し、失礼ながら握手を……っ!」
どさくさに紛れて、ヴァル先輩に握手をしてもらった父さんは、「もう手は洗わないっ!」と叫び、ただの熱烈なファンにしか見えなかった。
その横で、母さんも興奮気味に言った。
「あの銀の髪の美しいお方! お顔だけでわかるわ。魔物も人間も、狙った獲物は逃さない……弓聖、ニコロ・マクミラン様よね!?」
「え? えーっと、ニッキー先輩も、炊事班のメンバーだけど……。おかわりの列を整備してくれたり、皿洗いは僕より早いです」
「はあ!? おま、おま、おまえ、伝説の弓聖に皿洗いなんかさせてたのか!?」
兄ふたりに、信じられないという顔を向けられる。
「いやでも、ニッキー先輩は率先して手伝ってくれてて……」
「ちなみに、エドゥアルド様には、なにをやらせていたんだ……? 平民の希望の星――槍聖エドゥアルド・テオフィロス様に……」
「エ、エド先輩? エド先輩は、魔物狩りもしてくれますけど、玉ねぎやパセリを細かく刻んでくれました。繊細な作業が得意なんです」
「おいやめろよ、繊細とか言うなって」
生まれつき手先が器用なだけだ、と照れるエド先輩だったけど、僕の家族は声を揃えて絶叫した。
「パ、パセリ……!? 伝説の槍聖がパセリ刻んでるって何それ!?!? 意味がわからない!!!!」
驚愕する僕の家族だけど、周りで話を聞いていた貴族たちも、同様の反応だった。
「伝説の三人が認めてる……」
「やはり、あの噂は本当だったのか」
「――彼が、次代の英雄」
そのときに、先輩たちが『俺たちはレーヴェの指示のもとで働いていた』と話すものだから、周りの人たちの見る目が変わっていた。
とてもいい方に――。
「先輩たちって、やっぱり有名人……?」
「お前……まだ気づいてなかったのか……!? その先輩たち、全員“伝説”なんだぞ!? 英雄だぞ!?」
「えっ……えっ、でも、ヴァル先輩、いつも黙って薪割りをしてて……」
その人が元帥だなんて、誰が想像できただろう。
戸惑う僕に、カイゼル様がふっと笑った。
「レイノルズ公爵は、俺の師匠だ。剣を極めたから、次は斧を極めようとしていたらしい」
「ええっ!? ヴァル先輩が、カイゼル様のお師匠様!?」
ふたりが顔を合わせても、話すことはあまりなかったし、まさか師弟関係だったとは思いもしなかった。
(それに、エド先輩もニッキー先輩も、すごい人気だ……)
あっという間に、父さんと同世代の貴族たちに囲まれるふたりは、誰の目から見ても英雄だった。
「……みんな、そんなにすごい人たちだったの……?」
僕の家族がびっくり仰天しているけれど、誰よりも驚いているのは僕自身だった。
そんな僕の頭をくしゃっと撫でるヴァル先輩は、普段は見せないような、とびっきりの笑みを浮かべる。
それは、どんな賛辞よりもあたたかな祝福だった。
2,694
あなたにおすすめの小説
推し様たちを法廷で守ったら気に入られちゃいました!?〜前世で一流弁護士の僕が華麗に悪役を弁護します〜
ホノム
BL
下級兵の僕はある日一流弁護士として生きた前世を思い出した。
――この世界、前世で好きだったBLゲームの中じゃん!
ここは「英雄族」と「ヴィラン族」に分かれて二千年もの間争っている世界で、ヴィランは迫害され冤罪に苦しむ存在――いやっ僕ヴィランたち全員箱推しなんですけど。
これは見過ごせない……! 腐敗した司法、社交界の陰謀、国家規模の裁判戦争――全てを覆して〝弁護人〟として推したちを守ろうとしたら、推し皆が何やら僕の周りで喧嘩を始めて…?
ちょっと困るって!これは法的事案だよ……!
追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される
水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。
行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。
「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた!
聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。
「君は俺の宝だ」
冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。
これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。
【完結】僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
⭐︎表紙イラストは針山糸様に描いていただきました
【本編完結】落ちた先の異世界で番と言われてもわかりません
ミミナガ
BL
この世界では落ち人(おちびと)と呼ばれる異世界人がたまに現れるが、特に珍しくもない存在だった。
14歳のイオは家族が留守中に高熱を出してそのまま永眠し、気が付くとこの世界に転生していた。そして冒険者ギルドのギルドマスターに拾われ生活する術を教わった。
それから5年、Cランク冒険者として採取を専門に細々と生計を立てていた。
ある日Sランク冒険者のオオカミ獣人と出会い、猛アピールをされる。その上自分のことを「番」だと言うのだが、人族であるイオには番の感覚がわからないので戸惑うばかり。
使命も役割もチートもない異世界転生で健気に生きていく自己肯定感低めの真面目な青年と、甘やかしてくれるハイスペック年上オオカミ獣人の話です。
ベッタベタの王道異世界転生BLを目指しました。
本編完結。番外編は不定期更新です。R-15は保険。
コメント欄に関しまして、ネタバレ配慮は特にしていませんのでネタバレ厳禁の方はご注意下さい。
婚約者の王子様に愛人がいるらしいが、ペットを探すのに忙しいので放っておいてくれ。
フジミサヤ
BL
「君を愛することはできない」
可愛らしい平民の愛人を膝の上に抱え上げたこの国の第二王子サミュエルに宣言され、王子の婚約者だった公爵令息ノア・オルコットは、傷心のあまり学園を飛び出してしまった……というのが学園の生徒たちの認識である。
だがノアの本当の目的は、行方不明の自分のペット(魔王の側近だったらしい)の捜索だった。通りすがりの魔族に道を尋ねて目的地へ向かう途中、ノアは完璧な変装をしていたにも関わらず、何故かノアを追ってきたらしい王子サミュエルに捕まってしまう。
◇拙作「僕が勇者に殺された件。」に出てきたノアの話ですが、一応単体でも読めます。
◇テキトー設定。細かいツッコミはご容赦ください。見切り発車なので不定期更新となります。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
契約結婚だけど大好きです!
泉あけの
BL
子爵令息のイヴ・ランヌは伯爵ベルナール・オルレイアンに恋をしている。
そんな中、子爵である父からオルレイアン伯爵から求婚書が届いていると言われた。
片思いをしていたイヴは憧れのベルナール様が求婚をしてくれたと大喜び。
しかしこの結婚は両家の利害が一致した契約結婚だった。
イヴは恋心が暴走してベルナール様に迷惑がかからないようにと距離を取ることに決めた。
......
「俺と一緒に散歩に行かないか、綺麗な花が庭園に咲いているんだ」
彼はそう言って僕に手を差し伸べてくれた。
「すみません。僕はこれから用事があるので」
本当はベルナール様の手を取ってしまいたい。でも我慢しなくちゃ。この想いに蓋をしなくては。
この結婚は契約だ。僕がどんなに彼を好きでも僕達が通じ合うことはないのだから。
※小説家になろうにも掲載しております
※直接的な表現ではありませんが、「初夜」という単語がたびたび登場します
虐げられΩは冷酷公爵に買われるが、実は最強の浄化能力者で運命の番でした
水凪しおん
BL
貧しい村で育った隠れオメガのリアム。彼の運命は、冷酷無比と噂される『銀薔薇の公爵』アシュレイと出会ったことで、激しく動き出す。
強大な魔力の呪いに苦しむ公爵にとって、リアムの持つ不思議な『浄化』の力は唯一の希望だった。道具として屋敷に囚われたリアムだったが、氷の仮面に隠された公爵の孤独と優しさに触れるうち、抗いがたい絆が芽生え始める。
「お前は、俺だけのものだ」
これは、身分も性も、運命さえも乗り越えていく、不器用で一途な二人の成り上がりロマンス。惹かれ合う魂が、やがて世界の理をも変える奇跡を紡ぎ出す――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる