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しおりを挟む誰もいなかったはずの湖に、突如として銀色の鱗が美しいドラゴンが姿を現す。
湖の水を飲んでいたのか、勇ましい顔だけでもレヴィよりも大きかった。
(っ……僕の想像よりも、何倍もおっきい!!)
レヴィの全身に鳥肌が立つ。
すると、すっとドラゴンが立ち上がる。
長い尻尾が揺れるが、足音が全くしない。
背に生えた大きな翼は、少し動かしただけで、木の葉を全て吹き飛ばしてしまいそうだ。
この世の頂点に君臨するに相応しい、圧倒的な存在であった。
『愛し子よ。立派に成長したな』
ゆったりとした口調のドラゴンの大きな口から、鋭い歯が見える。
思わず平伏してしまいそうな威圧感と、あまりの神々しさに、レヴィは声も出ない。
だが、ベアテルは違った――。
「レヴィ、下がっていろ」
ドラゴンを警戒するベアテルが、剣を抜く。
レヴィと同じ薄紫色の瞳が、ベアテルを見定めているかのように細められた。
レヴィが睨まれているわけではないのだが、背筋がぞくりとする。
『お主、愛し子に婚姻指輪を贈ったのか? 浮かれる気持ちはわからんでもないが、大切なことを忘れておるぞ』
……レヴィの聞き間違いだろうか。
確かに、レヴィは未だベアテルから婚姻指輪を貰ってはいない。
レヴィ自身もすっかりと忘れていた。
それを、まさかドラゴンに言われるとは思っていなかったレヴィは、呆気に取られる。
「――もしや、リンドヴィルム様か」
ベアテルの問いかけに、ドラッヘ王国の神と崇められている銀のドラゴンが頷いた。
『この地を、かつてのような美しい場所に戻してくれた愛し子には、感謝しておる。お主たちには、とっておきのものを用意してやろう。我の鱗で、指輪を作れば良い。決して壊れることはないだろう』
(えええっ!?!? 僕たちの婚姻指輪に、リンドヴィルム様の鱗を!? なんて贅沢な贈り物なんだっ!!)
子を宿すことのできる貴重な代物を、婚姻指輪に使用するだなんて、考えたこともなかった。
元々、とんでもなく硬いドラゴンの鱗は、そう簡単に壊れるものではないため、うまく加工すれば、縁起の良い指輪になるに違いない。
それでも、恐れ多いとレヴィが思っていれば、リンドヴィルムは爪の先で、腹部を掻いた。
レヴィの目の前で、銀色の鱗がぽろぽろと落ちていく。
ただ、腹を掻いているだけのように見えるが、痛くはないのだろうか。
レヴィが心配していれば、『どれだけでもくれてやる』と告げたリンドヴィルムが、笑った。
アーデルヘルムは盗みを働いたが、そんなことをせずとも、鱗がほしいと頼めば、分け与えてくれそうな太っ腹なドラゴンだった。
笑った顔は、ニヤッと、どこか悪い笑みに見えた気がしたが、リンドヴィルムは、レヴィとベアテルのことを祝福していたのだ――。
「なにが目的だ。レヴィに関わることなら、俺が黙ってはいない」
『お主も成長したな。共に成長できる存在に巡り合えたのだ。今後、魔物の王が復活した際には、お主が先陣を切れ。恐るることはない。そこにいる愛し子が、お主を守ってくれるだろう』
「なにが目的かはわからないが、俺はレヴィのためなら、例え相手が神であろうとも、容赦はしない」
ドラゴンを前にしても恐れることなく、ベアテルが剣を構えた。
(っ……かっこいい)
相変わらず、会話は成立していない。
とんでもない状況なのだが、レヴィを守るために立ち上がったベアテルの雄々しい姿に、レヴィはうっとりと見惚れてしまう。
(僕のためなら、神にも歯向かうだなんて……! ベアテル様が素敵過ぎて、辛いっ!! ……って、違う違う!! ベアテル様が、また勘違いしてるよおおおお――――っ!!!!)
有難いお言葉をくださっているドラゴンに、ベアテルが牙を剥く。
今にも斬りかかろうとするベアテルに、レヴィは悲鳴を上げていた。
「ベアテル様ッ!! 落ち着いてくださいっ!! リンドヴィルム様は、婚姻指輪を忘れていると、教えてくださっただけですっ!!」
「…………は?」
肩の力が抜けた様子のベアテルに駆け寄り、剣をおさめてもらう。
場の空気を変えるべく、レヴィは務めて明るい声を出した。
「もうっ。しっかりしてそうに見えて、実はベアテル様は、うっかりさんなんだから!」
「っ……俺が、うっかりさん……」
レヴィに小突かれたベアテルが、愕然と呟く。
「っ、俺は、指輪はレヴィと一緒に選びたいと思って……石だけは、取り寄せているところで……うっ、すまない」
「謝ることじゃありませんよ? 僕も、ベアテル様と一緒に選びたいですっ。だって、一生身につけておくものなんですよ?」
「っ……そうだな。一生……」
レヴィは当たり前のことを話したというのに、ベアテルは感極まっていた。
なんと可愛い人なのだろう。
レヴィの言葉に、一喜一憂するベアテルが、たまらなく愛おしくて仕方がない。
『まったく、初々しい夫夫だな』
「「っ!!」」
リンドヴィルムが呆れたように話し、今度はベアテルも反応する。
ドラゴンの声が、レヴィ以外の人間にも届いたのだ――。
『人間とは随分と会っていなかったから忘れていただけで、我は特別な存在故、人間の脳に直接話しかけることもできるぞ?』
「わお……さすがはリンドヴィルム様ですっ! 僕以外の人にも声を届けられるなんてっ!」
『うむ。我が話したいと思う人間が、今までいなかったから話しかけなかっただけだ』
ベアテルとも、動物と意思疎通のできる喜びを共有したいと、常々思っていたレヴィは感動していたが、ベアテルは信じられない面持ちで、リンドヴィルムを見上げていた。
それから、魔王が復活した際には、ベアテルが討伐部隊を率いること。
レヴィはベアテルを守るために、同行することを助言された。
不死鳥バルドヴィーノをつれていくようにとも。
そうすれば、異世界から勇者を召喚する必要もなくなるだろうと、リンドヴィルムが話してくれた。
最後はベアテルが謝罪し、リンドヴィルムと和解する。
レヴィもアーデルヘルムのことを謝罪すれば、『あの強欲な人間のことか』と、かなり根に持っていたようだが、リンドヴィルムは許してくれた。
◇
かなりの時間を湖で過ごしていたこともあり、死の森の入り口付近には、多くの使用人たちが待ち構えていた。
そこに、レヴィとベアテルが、ドラゴンの鱗を両手いっぱいに抱えて帰ってきたのだ。
全員が、失神しそうになるほど喜んでいた。
「ドラゴンの姿を見たのですか!?」
「それも、リンドヴィルム様に、鱗を分け与えられただなんてっ!! なんという快挙っ!!」
「レヴィ様なら、と思ってはいたが、まさかこんなに大量に……っ!?」
使用人たちだけでなく、その場に居合わせた者たちも、目が飛び出そうなほど驚愕している。
ドラゴンの鱗でレヴィたちの婚姻指輪を作るためには、国に献上する分も多く必要になるだろうと、リンドヴィルムが配慮してくれたのだ。
皆がドラゴンの鱗を触りたがり、陽の光に透かしてみたりと、鱗に触れただけで大騒ぎだった。
「また気が向いた時に、お姿を見せてくださるみたいですよっ。みなさんも、会えるといいですね」
「「「っ……はいっ!!」」」
「レヴィ様っ! 今度は、俺たちと一緒に湖に行ってくれませんか?」
皆が目を爛々と輝かせている。
ドラゴンに遭遇したことで、レヴィはさらに人気者になってしまった。
これからドラゴンを見たいがために、大勢の人たちが湖に押しかけることになるだろう。
(みんなとも行きたいとは思うけど……。ベアテル様とのふたりきりの時間が……)
レヴィがほんの少しだけ残念に思っていると、挙手していた者たち全員が、ベアテルに睨まれ、一瞬にして黙っていた。
「ヴヴヴヴヴッ!!!!」
ピンと張り詰めたような空気の中、番犬たちの吠える声が響く。
一斉に吠えている様子から、ウィンクラー辺境伯家にとって害のある者が訪問したのかもしれない。
「ま、魔物じゃないですよね……?」
「それはないとは思うが、俺が見て来る。レヴィは邸の中にいてくれ」
「っ、でも……」
「大丈夫だ。レヴィのことは、俺が必ず守る」
ベアテルを信じて待つことにしたレヴィだったが、居ても立っても居られない。
戦うことはできずとも、ベアテルになにかあった時にすぐに治癒を施せるよう、鱗を使用人たちに預けたレヴィは、ベアテルの後を追う。
「レヴィに会わせてくれ! 私は、レヴィを助けに来たんだ!」
誰が来たのかと思えば、邸の門にしがみつき、レヴィに会わせろと喚いているのは、かつての婚約者であるテレンスだった――。
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