ハナサクカフェ

あまくに みか

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佐藤唯の場合

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 たぶんずっと、これからもこういう空気はついて来るのだと、唯は思った。胸の奥、心がある場所が重い。ずっと、重いのだ。



 智也と離婚したのは、妊娠二十六週目の頃だった。
 お腹が急激に大きくなり、ポコポコ胎動が感じられるようになってきた頃、アイツの浮気が発覚した。
 相手は、スタイリストになる前から、ずっと智也のカットモデルをしていた女の子だった。
 ああ、あの子か。
 話を聞いて、すぐに顔が浮かんできた。唯も智也と同じお店で、美容師をしていたからだ。妊娠がわかってからは、仕事はお休みしていた。
 「で、どうするの?」と唯が聞くと、智也は小さな声で「唯に任せる」 と言った。
 任せるって何だよ。お前がしたことなのに、自分で決められないのか。もっと他に、言うことがあるだろうが。
 気分が悪かった。
 心の中では、数えきれない罵詈雑言が溢れ出てきたが、それら全てを打つける気力がなかった。一つ溜め息をついてから言った。
 「離婚しましょう」
 アイツは俯いたまま、頷いただけだった。机の上に置いてあった雑誌で殴ってやりたかった。
 「ねえ、最後に聞かせて。父親としての自覚はあったの?」
 痛い沈黙が続いて、アイツは小型犬みたいな目をして、こう言った。
 「だって唯、妊娠して変わっちゃったんだもん」
 血が出るくらい唇を噛んで、耐えた。実際、血が出ていたかもしれない。
 怒りや悲しみや絶望、目の前の男をボコボコにしてやりたい衝動も、全部耐えた。あたしの怒りとか負の感情が、お腹の子に伝わらないか、それだけが心配だった。
 「もう、いい」
 二度とお前の顔なんか見たくない。お前の為に、涙なんか流してやらない。お前の為に、割く時間が勿体ない。子どもが産まれても、絶対に会わせない。
 離婚後に同僚から聞いた話だと、唯が妊娠する前からアイツはあの女と付き合っていたらしい。一体どこまでクズなのか。
 唯は、美容師の仕事を辞めて、全く関係のない事務の仕事を始めた。全ては、お腹の子の為。この子だけが、今のあたしを支えてくれる。

 


 「……それで、一人で出産して、仕事復帰してって感じです」
 いつもと同じように、簡潔に説明してみせた。
 「一人で育てるって、案外楽なことも多いですよ。何で私だけって思うこともないし。自分一人しかいないし。まあ、風邪ひいた時は、キツイですけどね」
 同情も、質問もいらない。ただ、普通に接してくれればいい。
 「そうだったのね。厚かましくて、ごめんなさい」
 頭を下げた櫻子さんを見て、唯は我に返った。アイツの話になると、ついイライラした口調になってしまう。
 「でも、お祝いはするでしょう?」
 顔を上げて、櫻子さんは優しく微笑んだ。
 「もちろんです」
 唯も笑顔で返す。今日は柚の誕生日会。アイツのことは綺麗さっぱり忘れてしまおう。
 
 「みなさん、ちょっと聞いてください」
 櫻子さんが、和室で遊んでいる親子に話しかける。
 「突然だけど、これから柚ちゃんの一歳のお誕生日会をします。お時間がある人は参加して下さい」
 わぁっと拍手と歓声があがる。
 「私、旦那さんに連絡して花束持ってきてもらいます」
 「まぁ、ゆりさんいいの?」
 「じゃあ、わたしは写真とりまーす。飾り付けもしていいですか?」
 「流石、元インフルエンザ!」
 「だ、か、ら!インフルエンサーです!田辺さん」
 ハナサクカフェが一気に明るくなった気がした。初めて会う人もいるのに、みんなが協力してくれることが、嬉しかった。
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