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零参 欄干擬宝珠に駆引きの舞
四刀
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「……あの夜に酒場に居た、しかも香りが残るほど俺と近づいたとなると、まず顔は覚えてる奴らばかりだ。数は多いが絞れる条件も多い。腕が立って、逃げ足が速く、変わった煙玉を仕入れられる奴。……そうだ、『乱れ髪で曲芸ができる奴』ってのも条件に入れとくか?」
「もう一つ。あの『幽霊』、やけに体が小さかった。大きいものを小さく見せることはできない。酒場に入れる歳であの体格とすると、かなり候補は絞られる」
僕と紫煙は、墨染の詰め所で紙に向かい合っていた。下手人について話し合うためだ。
「念のため聞くが、あれが女だった可能性は?」
「男だ。俺の目利きの確かさは知ってるだろう?」
「……」
筆の軸で手の甲を叩けば、紫煙は声を出さずに笑った。
「じゃあ後は、刀士の情報を集めてからだな」
「簡単に言う……」
「ん? ああ、任せとけよ」
忍びと刀士との関係は、あまり良いとは言えない。役割の境界があいまいなためか、お互い意地を張っているきらいがある。体が小さくとも武技をもって真正面から戦い、公に諍いを鎮める刀士と、体が大きくともほぼ暗器を使い裏から任務をこなす忍びでは性質が違いすぎるのも一因だろう。互いの事に口を突っ込むのは、出来なくはないが手間がかかってしまうのだ。いきなり刀士の情報をまとめて手に入れるなど、広い伝手を持つ紫煙くらいにしかできないだろう。どこまで交流を広げているのか僕には測りきれない。
(それにしてもあの下手人……首と刀に悪意を放った理由は何だ?)
「そういえば、一昔前に流行った芝居があったな。『女子斬り』とかいう。知ってるか?」
急に紫煙が、打たれた甲をさすりながら言い出した。
「いや……」
「じゃあ軽く話を教えてやるよ。一幕目だけな」
「何か関係があるのか?」
「聞けば分かるさ」
話の成り行きで、僕は紫煙の語りを聞くことになってしまった。
ヰヰヰヰヰヰヰ
昔、刀狂いの男がいた。男は刀士だったが、幸か不幸かその御代には長く戦がなかった。平和が長く続くと刀は無用の長物となるわけで、刀士であっても帯刀して店に入るのを断られる始末。男は道場の中で竹光(竹製の模造刀)を振るばかり、その道場にも他の者は誰も来ない。刀に魅せられていた男が、自分の刀以外を見る機会などそう無かった。
男はとうとう刀を狩り始める。刀を持つ数少ない者や家を襲っては、彼らと刀で斬り結ぶ事を悦び、刀を奪って自らのものとしたのだ。男は強く、正体がばれる事もなかった。この平和な世に刀を頑として持ち続けている者達は、やはり後ろ暗いところがある者が多く、奪われた盗まれたと言い出した者は少なかった。もっとも男は悪人から奪うと決めていた訳ではない。ただ妄執に取り憑かれて集めた刀は、とうとう九十九にも及んだ。
『次の一本でとうとう百。百の刀を己が物とすれば、おれの絶え間ない渇きもきっと癒されよう』
しかし、さすがの男もやり過ぎた。九十九もの刀が消えれば流石に刀持ちは警戒する。男は百本目の刀をなかなか探せずにいた。
ある日、男は背の低い旅の者が刀を帯びているのを見つける。それは、鞘入りの姿を見ただけで惚れてしまうような名刀だった。百本目の刀を奪おうと、男は人気のない橋まで旅の者を追う。
『その刀を寄越してもらおうか』
それはできない、と旅者は言った。
『ならば俺に勝てば良い』
それもできない、と旅者は言った。
『私は刀のいろはも知らぬただの女。この刀は、昔騙され売り飛ばされた娘の身請け金の代わりにするのに必要なのです。どうか、見逃してください』
女のような高い声なのを良い事に、よくもそんな嘘を吐く。激昂した男は旅者に斬りかかった。
旅者は刀を抜かなかった。いや、抜刀も知らなかったのだろう。倒れた旅者の被り笠と外套が外れて、長い髪と乳房が顕わになり、荒事に携わったことのない柔らかい手が空を掴んで力を失う。男は本当に、何も知らない女を斬ってしまったのだ。
『地獄に落ちるも道理のおれも、人を殺した事は無かった。刀士として、いつか戦が起こった時に天守の敵を刎ねるのがおれの初めてと思っていた。抵抗もできぬ女子を斬って何が刀士よ。何が刀狂いよ。おれにはもう、刀は持てぬ……』
男は涙し、血に塗れた愛刀をへし折った――
ヰヰヰヰヰヰヰ
「……それで、なぜここから得物を杖に持ち替えた男が殺した女の形見の娘を連れて全国を旅し、女子の形をした妖怪ばかりを退治する話が始まるんだ?」
「さあ? 脚本書いた奴に言ってくれ」
紫煙は肩をすくめる。
「この演し物、お披露目の年からかなり人気だったらしくてな。さすがに何年も経った今じゃ新しい演目に主流は移ってるが、たまにあちこちの芝居屋で演ってたりするんだよ。今度観に行かないか」
「なぜ観に行く話になる?」
「というのは冗談として。数年前、刃傷沙汰がやけに多かった年があったのを覚えてるか?」
「……なるほど」
話が見えてきた。
「刀士の奴らも、不安になったんだろう。今じゃ思いもよらないが、遠くないうちにもしかしたら、刀士なんてものは要らなくなるかもしれない。その心配は誰かしら抱えているところに、一幕だけ見れば刀士の要らない舞台で、刀士を悪く見せるような話が人気になった。刀士を皆、刀狂いだと思われちゃたまらないと気を張る奴がいる一方、気を張りすぎて張り子が破けちまった奴も居た」
こいつは、一見別々に見える事柄の繋がりを見つけ出すのが上手い。
「……ま、別にこの芝居を観て気が立った奴が今度の下手人だとまでは言わないが、刀士の奴らにも色々あるって事だよ」
ぽんと膝を打って、紫煙は暗くなりかけていた空気を散らした。
「さて、俺は少し昼寝するか! お前さんもちゃんと休めよ」
「ああ」
……紫煙が去った後、僕は紙をまとめながら、刀狂いだった男の台詞を思い返してみる。
『例え妖怪でも女は切れない、その気持ちはよく分かる。しかし、かの妖怪がただの女でないことは明白。そこでどうだ、女子を斬った事のあるおれならば、今更罪を重ねたところで地獄に落ちる運命は変わらぬーーおれに妖怪退治、任せてはくれまいか』
一度道を踏み外した者は、もう戻れない。よく聞く話だが、実際には、うち倒されても這い上がって元の道に戻る者も居れば、歩みに傷がついただけであっさりと道を自ら逸れていく者も居る。あの青白い仮面の犯人を元の道に戻らせることは、僕にできるだろうか?
首を振って、立ち上がる。ぼんやりしている暇はないだろう。あのような情けない捕り物逃しをしないために修練が必要だ。それに……。
「何用だ、烏羽」
話しかけながら振り返れば、背後にずっと感じていた悪意の主が、驚いたように跳ねた。椋実の「巴」が一人、烏羽だ。
「! ……ふん、多少は察しが良いようですね。ま、まあ、私が来た用事も見抜けないようでは、まだまだ小物、いえ、どうあがいても寸足らずの小物でしたねえ? 探すのに苦労したんですよ?」
烏羽は、会うたびいつも、墨染で最も小さい僕の背をからかう。確かにこいつは、墨染の者全てを集めても甲田くらいしか勝てないほどの背高だ。しかし、それを自慢にする理由はよく分からない。椋実の「弄り」に、さして背は役立たないはずだ。そして忍びとしては、忍ぶには、低い方が良い。
「……話を聞いているんですか? そんなことだから火事なんて起こすんでしょう、この無能が」
「聞いている。この刀を『直す』んだろう?」
僕は腰から「造花」を引き抜いた。
「聞いているなら、さっさとしてくださいよ。小物と違って私は忙しいんです。ふさわしくも評価されていますからね? ふん、受け取りましたよ。全く……わざわざ墨染などに私が足を運ばなければならないなんて、ああ忌々しい。針が刺さったのを放っておくなんて、なんと野蛮なんですか!」
「次からは椋実に持ってこいと?」
技術屋衆、椋実の仕事場には、様々なものが作られる関係で、あまり立ち入りが許されなかったはずだが。
「そうは言っていませんよ無能! 話の流れを読んでください。野蛮な扱いを受けている『造花』とこのような猥雑な場所に放り込まれる私に対して、何か思う所はないのかと聞いているんです。第一、紫煙殿が連絡しなかったら、このまま」
僕は話を切るように刀を烏羽に渡した。
「……これ、血濡れてはいないのですよね?」
たしか潔癖だったか、嫌そうに触れる烏羽に状況を説明する。簡単にまとめたが、
「そんな野蛮な事を?」
「まさか刀身を打ち合ってはいないでしょうね?」
「はぁ? そんな無粋なことを?」
「なぜそこで針を外したんです? 本当に無能じゃありませんか」
「麻痺毒の針?! そっ、そういう事は早く言ってくださいよ触れて私が昏倒したらどうするつもりですか!」
……烏羽の茶々が何度も入り、時間を取られる。
「もう麻痺は抜けている。何度も言ったように抜刀はしていない」
「はぁ……分かりましたよ、無能に刀は持ち腐れだということが」
烏羽は目を細め、呆れたように息をついた。
「持ち腐れとは?」
「言葉の通りですよ! どうしてこんな良い刀を持っていて橋上の輩ひとり捕縛できないんです? ただの刀じゃあありません、この私が、手ずから、歪みを細かく直して整えた自慢の刀ですよ?」
「……そうだったのか」
「私だけではありません、蘭茶が打って召鼠が紛った刀です。どれだけの価値があるか分かりますか? ……それを抜きもせず、むざむざ傷つけて帰ってきた? 馬鹿は貴方だけです、私を馬鹿にするのはやめてくださいよ! おまけに、煙の中に何もせず突っ込んでいくなんて。愚かとしか言いようがありませんね」
その指摘は、痛いところだった。完全に僕の落ち度だ。「それほど大事な刀ならば、模造刀を頼んでいた僕に渡すべきではないだろう」などと反じる気にもなれない。
「…………精進する」
「ええそうしてください、無能。無能は無能なりに、刀も使えるように鍛えるべきですね、そんな能がもしあれば。そのとき、小賢しく弄するだけでなく、抜刀できていれば、紫煙殿が近づく時間を稼げたはずですよ」
「え?」
「刀士は腐っても刀士だと言っているんです。そ奴は粗暴で下劣な通り魔には違いありませんが、それでも始めは貴方にゆるい一撃で抜刀の機会を与えた。刀での勝負、打ち合いを望んでいたのではありませんか?」
「!」
「考えもしませんでしたか。ふん、これだから墨染は嫌なんですよ。誇りも何もない陰気なねずみの臭いが骨にまで染みついている。それで刀士と張り合っているつもりなんですから滑稽ですよ」
烏羽は、舌を出して首を振り、嫌そうに僕を見下ろした。
「より確実な方法に頼ろうとしたんでしょう? 手先のことに気を取られて、相手の誇りを踏みにじった。だから、そ奴は煙玉という同じく姑息な手段で応じたんですよ。貴方は、だから愚か者で無能で粗暴なんですよ。はぁ……『造花』は預かっていきますよ」
僕は……僕が、何も言えずにいるうちに、烏羽は去っていった。
(……)
僕はそれからすぐに道場に駆け込み、無人のそこで、ただひたすらに竹光を振るった。
『刀士の奴らにも色々あるって事だよ』
その色々が、まだ僕には分からない。僕があの下手人の何を踏みにじってしまったのかも、思い及ばない。ただもつれる頭の中を、真っ白にしたかった。
「はぁ、はあ……」
気がつけば、手元が薄暗くなっていた。見やる窓の外の空の青が、うっすら地平から伸びてきた赤い陽によって鈍くなりつつあるのだ。だいぶ長いこと打ち込んでしまったらしい。すべきことは幾らでもあったのだが、今日はもう無理そうだ。僕は低く息をついた。ため息をついたつもりはない。
「……ここに居たか、『霜月』」
「陽炎さん!」
威圧感のある声に姿勢を正すと、道場の入り口から墨染が長、陽炎さんが入ってくるところだった。気配に気付けなかった。
「何用でしょうか!」
「いい、楽にしろ」
不機嫌そうな顔だが、これが陽炎さんの常だ。声が張り上がっていなければ怒ってはいない。
「……露霧との合同練習、参加する気か?」
「はい」
「即答か」
「はい」
「お前は……」
陽炎さんは深く息を吐いた。
「何でしょうか」
「お前の正体が明らかになれば、俺の首が飛ぶだけでは済まない。分かっているな?」
「……はい」
僕は、内心ひやりとするものを抱えながら、頷いた。もう紫煙に気付かれてしまった、など、言えない。
忍びにならんとする者は、まずその身元を細かに調べられる。僕が女の身を隠してたった一人でこの環樹の国の中枢における忍び衆、墨染の忍びとなるのはほぼ不可能だ。……墨染の長である陽炎さんの手引きでもなければ。彼は唯一、僕の秘め事を初めから知っている方だ。
僕は、陽炎さんがなぜ僕に協力してくださったのか知らない。
『環樹に着いたら、陽炎という男を訪ねなさい。何も言うことはない。彼が助けてくれるだろう』
ただ、司様のその言葉だけを聞いて墨染に来た。そして、その通りだった。陽炎さんは本来あるはずの身元調べを何も行わずに、それどころか一言も話す間も無く、男忍び「霜月」を引き受けたのだ。その理由を聞いたことはない。もし陽炎さんも裁の国から来た間者だったとしても、僕に話せる事ではないだろう。
そんな事を思い返しながら、僕は陽炎さんを見上げた。
「誰にも悟られない自信はあるか」
「はい!」
僕にはこう答えることしかできない。変装が完璧でなかろうと、露霧国を調べる機会を失うわけにはいかないのだ。
「ふむ」
陽炎さんの目が、僕の身体を這った。嫌らしい目ではない。一身に激しい訓練をした後に、男の装いが崩れていないか確かめているのだろう。背まで見透すような強く苛烈な目だ。その中にわずか、哀しみがよぎったようにも見えた。
(……)
少し前に、風の噂で聞いた。彼には幼くして亡くなった娘が居たのだという。もし生きていれば、僕ほどの歳だったらしい。そんな、話だ。
「……早く今の任を終わらせろ。穴が空く分、先に済ませる事は多いぞ」
「はい!」
来た時同様、気配を消すようにして陽炎さんは出て行った。飄々とした紫煙とは違う、薄紙を剥いでいくような静かな去り方だった。陽炎さんほどの手練れに気配を消したまま近づかれたら、僕は気付けるだろうか? 本当に、誰にも気づかれず秘め事を隠し通せるだろうか。
……などと考えている暇はない。今夜の見回りに向けて、僕は着替えに向かった。
「もう一つ。あの『幽霊』、やけに体が小さかった。大きいものを小さく見せることはできない。酒場に入れる歳であの体格とすると、かなり候補は絞られる」
僕と紫煙は、墨染の詰め所で紙に向かい合っていた。下手人について話し合うためだ。
「念のため聞くが、あれが女だった可能性は?」
「男だ。俺の目利きの確かさは知ってるだろう?」
「……」
筆の軸で手の甲を叩けば、紫煙は声を出さずに笑った。
「じゃあ後は、刀士の情報を集めてからだな」
「簡単に言う……」
「ん? ああ、任せとけよ」
忍びと刀士との関係は、あまり良いとは言えない。役割の境界があいまいなためか、お互い意地を張っているきらいがある。体が小さくとも武技をもって真正面から戦い、公に諍いを鎮める刀士と、体が大きくともほぼ暗器を使い裏から任務をこなす忍びでは性質が違いすぎるのも一因だろう。互いの事に口を突っ込むのは、出来なくはないが手間がかかってしまうのだ。いきなり刀士の情報をまとめて手に入れるなど、広い伝手を持つ紫煙くらいにしかできないだろう。どこまで交流を広げているのか僕には測りきれない。
(それにしてもあの下手人……首と刀に悪意を放った理由は何だ?)
「そういえば、一昔前に流行った芝居があったな。『女子斬り』とかいう。知ってるか?」
急に紫煙が、打たれた甲をさすりながら言い出した。
「いや……」
「じゃあ軽く話を教えてやるよ。一幕目だけな」
「何か関係があるのか?」
「聞けば分かるさ」
話の成り行きで、僕は紫煙の語りを聞くことになってしまった。
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昔、刀狂いの男がいた。男は刀士だったが、幸か不幸かその御代には長く戦がなかった。平和が長く続くと刀は無用の長物となるわけで、刀士であっても帯刀して店に入るのを断られる始末。男は道場の中で竹光(竹製の模造刀)を振るばかり、その道場にも他の者は誰も来ない。刀に魅せられていた男が、自分の刀以外を見る機会などそう無かった。
男はとうとう刀を狩り始める。刀を持つ数少ない者や家を襲っては、彼らと刀で斬り結ぶ事を悦び、刀を奪って自らのものとしたのだ。男は強く、正体がばれる事もなかった。この平和な世に刀を頑として持ち続けている者達は、やはり後ろ暗いところがある者が多く、奪われた盗まれたと言い出した者は少なかった。もっとも男は悪人から奪うと決めていた訳ではない。ただ妄執に取り憑かれて集めた刀は、とうとう九十九にも及んだ。
『次の一本でとうとう百。百の刀を己が物とすれば、おれの絶え間ない渇きもきっと癒されよう』
しかし、さすがの男もやり過ぎた。九十九もの刀が消えれば流石に刀持ちは警戒する。男は百本目の刀をなかなか探せずにいた。
ある日、男は背の低い旅の者が刀を帯びているのを見つける。それは、鞘入りの姿を見ただけで惚れてしまうような名刀だった。百本目の刀を奪おうと、男は人気のない橋まで旅の者を追う。
『その刀を寄越してもらおうか』
それはできない、と旅者は言った。
『ならば俺に勝てば良い』
それもできない、と旅者は言った。
『私は刀のいろはも知らぬただの女。この刀は、昔騙され売り飛ばされた娘の身請け金の代わりにするのに必要なのです。どうか、見逃してください』
女のような高い声なのを良い事に、よくもそんな嘘を吐く。激昂した男は旅者に斬りかかった。
旅者は刀を抜かなかった。いや、抜刀も知らなかったのだろう。倒れた旅者の被り笠と外套が外れて、長い髪と乳房が顕わになり、荒事に携わったことのない柔らかい手が空を掴んで力を失う。男は本当に、何も知らない女を斬ってしまったのだ。
『地獄に落ちるも道理のおれも、人を殺した事は無かった。刀士として、いつか戦が起こった時に天守の敵を刎ねるのがおれの初めてと思っていた。抵抗もできぬ女子を斬って何が刀士よ。何が刀狂いよ。おれにはもう、刀は持てぬ……』
男は涙し、血に塗れた愛刀をへし折った――
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「……それで、なぜここから得物を杖に持ち替えた男が殺した女の形見の娘を連れて全国を旅し、女子の形をした妖怪ばかりを退治する話が始まるんだ?」
「さあ? 脚本書いた奴に言ってくれ」
紫煙は肩をすくめる。
「この演し物、お披露目の年からかなり人気だったらしくてな。さすがに何年も経った今じゃ新しい演目に主流は移ってるが、たまにあちこちの芝居屋で演ってたりするんだよ。今度観に行かないか」
「なぜ観に行く話になる?」
「というのは冗談として。数年前、刃傷沙汰がやけに多かった年があったのを覚えてるか?」
「……なるほど」
話が見えてきた。
「刀士の奴らも、不安になったんだろう。今じゃ思いもよらないが、遠くないうちにもしかしたら、刀士なんてものは要らなくなるかもしれない。その心配は誰かしら抱えているところに、一幕だけ見れば刀士の要らない舞台で、刀士を悪く見せるような話が人気になった。刀士を皆、刀狂いだと思われちゃたまらないと気を張る奴がいる一方、気を張りすぎて張り子が破けちまった奴も居た」
こいつは、一見別々に見える事柄の繋がりを見つけ出すのが上手い。
「……ま、別にこの芝居を観て気が立った奴が今度の下手人だとまでは言わないが、刀士の奴らにも色々あるって事だよ」
ぽんと膝を打って、紫煙は暗くなりかけていた空気を散らした。
「さて、俺は少し昼寝するか! お前さんもちゃんと休めよ」
「ああ」
……紫煙が去った後、僕は紙をまとめながら、刀狂いだった男の台詞を思い返してみる。
『例え妖怪でも女は切れない、その気持ちはよく分かる。しかし、かの妖怪がただの女でないことは明白。そこでどうだ、女子を斬った事のあるおれならば、今更罪を重ねたところで地獄に落ちる運命は変わらぬーーおれに妖怪退治、任せてはくれまいか』
一度道を踏み外した者は、もう戻れない。よく聞く話だが、実際には、うち倒されても這い上がって元の道に戻る者も居れば、歩みに傷がついただけであっさりと道を自ら逸れていく者も居る。あの青白い仮面の犯人を元の道に戻らせることは、僕にできるだろうか?
首を振って、立ち上がる。ぼんやりしている暇はないだろう。あのような情けない捕り物逃しをしないために修練が必要だ。それに……。
「何用だ、烏羽」
話しかけながら振り返れば、背後にずっと感じていた悪意の主が、驚いたように跳ねた。椋実の「巴」が一人、烏羽だ。
「! ……ふん、多少は察しが良いようですね。ま、まあ、私が来た用事も見抜けないようでは、まだまだ小物、いえ、どうあがいても寸足らずの小物でしたねえ? 探すのに苦労したんですよ?」
烏羽は、会うたびいつも、墨染で最も小さい僕の背をからかう。確かにこいつは、墨染の者全てを集めても甲田くらいしか勝てないほどの背高だ。しかし、それを自慢にする理由はよく分からない。椋実の「弄り」に、さして背は役立たないはずだ。そして忍びとしては、忍ぶには、低い方が良い。
「……話を聞いているんですか? そんなことだから火事なんて起こすんでしょう、この無能が」
「聞いている。この刀を『直す』んだろう?」
僕は腰から「造花」を引き抜いた。
「聞いているなら、さっさとしてくださいよ。小物と違って私は忙しいんです。ふさわしくも評価されていますからね? ふん、受け取りましたよ。全く……わざわざ墨染などに私が足を運ばなければならないなんて、ああ忌々しい。針が刺さったのを放っておくなんて、なんと野蛮なんですか!」
「次からは椋実に持ってこいと?」
技術屋衆、椋実の仕事場には、様々なものが作られる関係で、あまり立ち入りが許されなかったはずだが。
「そうは言っていませんよ無能! 話の流れを読んでください。野蛮な扱いを受けている『造花』とこのような猥雑な場所に放り込まれる私に対して、何か思う所はないのかと聞いているんです。第一、紫煙殿が連絡しなかったら、このまま」
僕は話を切るように刀を烏羽に渡した。
「……これ、血濡れてはいないのですよね?」
たしか潔癖だったか、嫌そうに触れる烏羽に状況を説明する。簡単にまとめたが、
「そんな野蛮な事を?」
「まさか刀身を打ち合ってはいないでしょうね?」
「はぁ? そんな無粋なことを?」
「なぜそこで針を外したんです? 本当に無能じゃありませんか」
「麻痺毒の針?! そっ、そういう事は早く言ってくださいよ触れて私が昏倒したらどうするつもりですか!」
……烏羽の茶々が何度も入り、時間を取られる。
「もう麻痺は抜けている。何度も言ったように抜刀はしていない」
「はぁ……分かりましたよ、無能に刀は持ち腐れだということが」
烏羽は目を細め、呆れたように息をついた。
「持ち腐れとは?」
「言葉の通りですよ! どうしてこんな良い刀を持っていて橋上の輩ひとり捕縛できないんです? ただの刀じゃあありません、この私が、手ずから、歪みを細かく直して整えた自慢の刀ですよ?」
「……そうだったのか」
「私だけではありません、蘭茶が打って召鼠が紛った刀です。どれだけの価値があるか分かりますか? ……それを抜きもせず、むざむざ傷つけて帰ってきた? 馬鹿は貴方だけです、私を馬鹿にするのはやめてくださいよ! おまけに、煙の中に何もせず突っ込んでいくなんて。愚かとしか言いようがありませんね」
その指摘は、痛いところだった。完全に僕の落ち度だ。「それほど大事な刀ならば、模造刀を頼んでいた僕に渡すべきではないだろう」などと反じる気にもなれない。
「…………精進する」
「ええそうしてください、無能。無能は無能なりに、刀も使えるように鍛えるべきですね、そんな能がもしあれば。そのとき、小賢しく弄するだけでなく、抜刀できていれば、紫煙殿が近づく時間を稼げたはずですよ」
「え?」
「刀士は腐っても刀士だと言っているんです。そ奴は粗暴で下劣な通り魔には違いありませんが、それでも始めは貴方にゆるい一撃で抜刀の機会を与えた。刀での勝負、打ち合いを望んでいたのではありませんか?」
「!」
「考えもしませんでしたか。ふん、これだから墨染は嫌なんですよ。誇りも何もない陰気なねずみの臭いが骨にまで染みついている。それで刀士と張り合っているつもりなんですから滑稽ですよ」
烏羽は、舌を出して首を振り、嫌そうに僕を見下ろした。
「より確実な方法に頼ろうとしたんでしょう? 手先のことに気を取られて、相手の誇りを踏みにじった。だから、そ奴は煙玉という同じく姑息な手段で応じたんですよ。貴方は、だから愚か者で無能で粗暴なんですよ。はぁ……『造花』は預かっていきますよ」
僕は……僕が、何も言えずにいるうちに、烏羽は去っていった。
(……)
僕はそれからすぐに道場に駆け込み、無人のそこで、ただひたすらに竹光を振るった。
『刀士の奴らにも色々あるって事だよ』
その色々が、まだ僕には分からない。僕があの下手人の何を踏みにじってしまったのかも、思い及ばない。ただもつれる頭の中を、真っ白にしたかった。
「はぁ、はあ……」
気がつけば、手元が薄暗くなっていた。見やる窓の外の空の青が、うっすら地平から伸びてきた赤い陽によって鈍くなりつつあるのだ。だいぶ長いこと打ち込んでしまったらしい。すべきことは幾らでもあったのだが、今日はもう無理そうだ。僕は低く息をついた。ため息をついたつもりはない。
「……ここに居たか、『霜月』」
「陽炎さん!」
威圧感のある声に姿勢を正すと、道場の入り口から墨染が長、陽炎さんが入ってくるところだった。気配に気付けなかった。
「何用でしょうか!」
「いい、楽にしろ」
不機嫌そうな顔だが、これが陽炎さんの常だ。声が張り上がっていなければ怒ってはいない。
「……露霧との合同練習、参加する気か?」
「はい」
「即答か」
「はい」
「お前は……」
陽炎さんは深く息を吐いた。
「何でしょうか」
「お前の正体が明らかになれば、俺の首が飛ぶだけでは済まない。分かっているな?」
「……はい」
僕は、内心ひやりとするものを抱えながら、頷いた。もう紫煙に気付かれてしまった、など、言えない。
忍びにならんとする者は、まずその身元を細かに調べられる。僕が女の身を隠してたった一人でこの環樹の国の中枢における忍び衆、墨染の忍びとなるのはほぼ不可能だ。……墨染の長である陽炎さんの手引きでもなければ。彼は唯一、僕の秘め事を初めから知っている方だ。
僕は、陽炎さんがなぜ僕に協力してくださったのか知らない。
『環樹に着いたら、陽炎という男を訪ねなさい。何も言うことはない。彼が助けてくれるだろう』
ただ、司様のその言葉だけを聞いて墨染に来た。そして、その通りだった。陽炎さんは本来あるはずの身元調べを何も行わずに、それどころか一言も話す間も無く、男忍び「霜月」を引き受けたのだ。その理由を聞いたことはない。もし陽炎さんも裁の国から来た間者だったとしても、僕に話せる事ではないだろう。
そんな事を思い返しながら、僕は陽炎さんを見上げた。
「誰にも悟られない自信はあるか」
「はい!」
僕にはこう答えることしかできない。変装が完璧でなかろうと、露霧国を調べる機会を失うわけにはいかないのだ。
「ふむ」
陽炎さんの目が、僕の身体を這った。嫌らしい目ではない。一身に激しい訓練をした後に、男の装いが崩れていないか確かめているのだろう。背まで見透すような強く苛烈な目だ。その中にわずか、哀しみがよぎったようにも見えた。
(……)
少し前に、風の噂で聞いた。彼には幼くして亡くなった娘が居たのだという。もし生きていれば、僕ほどの歳だったらしい。そんな、話だ。
「……早く今の任を終わらせろ。穴が空く分、先に済ませる事は多いぞ」
「はい!」
来た時同様、気配を消すようにして陽炎さんは出て行った。飄々とした紫煙とは違う、薄紙を剥いでいくような静かな去り方だった。陽炎さんほどの手練れに気配を消したまま近づかれたら、僕は気付けるだろうか? 本当に、誰にも気づかれず秘め事を隠し通せるだろうか。
……などと考えている暇はない。今夜の見回りに向けて、僕は着替えに向かった。
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指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
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