時空を超えて──往く往く世界に彼女は何を望むのか

夜兎

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魔の章 第一節 二ノ段

其ノ十 兄妹

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「メシア……?」

 消え入りそうになりながらも聞こえたメシアの声に、フィーネとアリーシャも思わず部屋を覗いていた。

 当然体を起こすことは叶わないが、その白い瞳が薄く開いた瞼から覗いているのが確認できる。

「メシア、俺がわかるのか?」

 エリックはメシアの頭を抱え、自分に視線を向ける。薄く開いたその瞳でまっすぐとエリックを見つめ、発熱によって乾燥してしまったその唇をわずかに動かす。

「……なにを言っているの? わたしが、あなたを……」

 すでに体力はほとんど残っていないのだろう。少しずつ開くその口には、一切の力を感じられない。
 その弱々しく語られる言葉に、エリックは彼女の手を握る左手に力を込めた。しかし、恐らくは彼の感情とは裏腹に、その表情は優しく微笑んでいる。

「俺だって、お前のことを忘れたことなんか……お前と会いたいと思わなかったときなんか……一瞬たりとも無かったんだ……」

 彼の言葉にメシアがわずかに微笑んだように見える。恐らく笑顔を作るだけの力も残っていないのだろう。

「あな……なんと……わたし……いしています」
「……ばかだな」

 メシアの掠れる声にエリックが涙を落とす。そんな彼の声も消え入りそうになりながら、それでいて強い発言となる。
 しかし、その言葉は果たして、彼女への叱咤なのか、自分に対しての自責なのか、彼にすらわからなかっただろう。

 二人の会話が止まり、部屋の中に静寂と雨音が響き渡る。
 そんな中、マオが愛らしく泣きながら、メシアの頬に頭を擦り付ける。

「……ま、お……?」

 メシアの声を聞き、マオがその姿を彼女の視線の前まで運んだ。

「どうし……あなたは……」

 すでに体の水分もなくなりかけているのだろう。彼女が流す涙は一筋の涙痕さえ残すには至らない。

 彼女の問いに耳元で小さく鳴き、わずかに流された涙を舐めとる。
 そんなマオの仕草に力の残っていないはずのメシアが腕を伸ばし、抱き寄せる。

「そ……か。もう、わたし……でも……」

 すでに開いているのかどうかもわからないその視線を、エリックに戻す。
 そんな彼女の様子を見るエリックはただただ悲しみに暮れている。

「ばか言うな。お前はまだ死んでない。俺も死んでない。マオは生きていたんだ」

 メシアの手を両手で握り、顔を近づける。

「そ……うん。……私は生きてる……さいご……」
「アルマ……? ……っ、メシア何をやっているんだ!」

 メシアの横、エリックとは反対側に、半透明で、色の認識できない少年の姿が見える。
 綺麗に整えられた髪に、目尻の下がった大らかな雰囲気を持つその顔は、どこか幼く感じられる。
 少年の視線は、メシア、マオ、エリックと続き、部屋の外から眺めているフィーネ、アリーシャも確認した。

「皆さん、妹のために悲しんで頂き、深くお礼申し上げます」

 雰囲気に逆らい、大人のように振る舞う少年が深くお辞儀をする。
 エリックはその間もメシアの肩を抱きしめ「やめてくれ」と彼女に語りかけているようだ。

 当然、これほど不可思議な現象に見舞わられば、アリーシャは関心を持ち、フィーネも複雑な感情を抱く。

「あなたが、アルマさん……?」
「いわゆる、霊魂の類なのか……?」

 二人の声に、少年が不敵な笑みを浮かべ、わずかに首を傾ける。

「幽霊では、ないですね。まあ、似たようなものですが」

 無邪気に笑って見せる少年の顔は、本当にそこに一人の少年がいるかのようだ。

「メシア!」

 少年に見向きもせず、エリックがメシアに声をかけ続ける。

「エリック。メシアはお前が弔ってやってくれ。妹もそれを望んでいるから」
「アルマ! メシアはまだ──」
「エリック!」

 アルマと呼ばれる少年の顔が険しくなり、その強く返された声を聞くと、エリックの顔が絶望を目の前にしたかのように愕然がくぜんとする。

「……見苦しいところを見せました。二人もこちらへ」

 エリックを怒鳴った時とは打って変わって、相変わらずの朗らかな表情をするアルマが、二人を誘導する。

 二人も状況を正確に把握できず、とりあえず彼の指示に従っていく。

「二人は覚えていないかもしれないけれど、僕たち兄妹は、君たちと一度出会っています」
「なに……?」

 アルマの言葉にアリーシャが訝しげに彼を眺める。
 フィーネは状況についていけず、その場にいる人間を順々に眺めている。

「おそらく、いくら考えても思い出すことはないでしょう。あなたたちにも色々と事情があることを、僕たちは聞かされていますので」

 その言葉を聞いたアリーシャが「なるほど」と呟き、理解したように小さくため息を吐いた。

「アルマ、君の言葉を信じるのであれば、私の抱いていた疑問が一つ解消される。信じるとしよう。そして、君たちを思い出すことのできない我々を許してほしい」
「もちろん」

 アルマは屈託のない笑顔をアリーシャに返す。

「……アルマ。お前は本当にアルマなんだな?」
「……それはエリック、君が一番理解しているはずだよね」

 エリックに向けられたアルマの表情は、無邪気なそれとは違い、わずかに憂いや哀愁のようなものを感じさせる。
 その言葉を聞いたエリックも、すでに冷たくなりつつあるメシアの掌をさらに強く握っている。

 二人のやりとりが終わると、また沈黙の一時が訪れる。
 未だ状況を理解できていないフィーネが、およそ現状口にしてはいけない質問を投げかける。

「……エリックさん、メシアさんはどうな──」
「……君のその幼さは魅力であると共に、罪にもなり得るものであると、再確認させられるな」

 フィーネの質問は、アリーシャの手によって遮られる。その彼女の瞳に浮かぶ小さな涙が、フィーネに現状を伝えたのだろう。フィーネもまた、その両目から自然と涙が溢れてくる。

「……そんな……メシアさん……なんで……」

 相変わらず豊富な感情を持つ彼女の感性では、この現状では抑え切れるものでもないだろう。
 今日何度目かの彼女の嗚咽が、小さな部屋に響き渡る。
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