時空を超えて──往く往く世界に彼女は何を望むのか

夜兎

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魔の章 第一節 二ノ段

其ノ九 恋と愛と

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「本当に来ちまったなぁ」

 黒猫を捕まえ、エリックにも確認を取ったが、マオである事は間違いないようだった。
 彼は少々気味悪そうにしてはいたが、それでも納得したように微笑んでいた。

 現在、二人と一匹はメシアの家の前まで来ている。
 気恥ずかしさなのか、気まずさなのかは不明だが、家の前まで来たエリックが、家の中に入る事を渋っているようにも見える。

「今更後戻りなんて許さないから。……メシアさんのためにも、あなたのためにも、会ってもらいます」

 フィーネの強い言葉と、マオを追いかけている時から打って変わって、潤ませたその瞳を見た彼が、ここで逃げ腰になる格好の悪さを理解しないはずがなかった。

「分かってるよ。……正直、俺もメシアとは会いたかったんだ。でも、会うべきじゃないと思っていた……」

 二人の間にどういった経緯があるのかは分からないが、彼ほど胆力ある男がそれほどに敬遠していたのだ。さぞ大変なことがあったのだろう。

「じゃあメシアさんが待ってるから」

 そう言ってフィーネが家の戸に手を伸ばすと、その扉は内側から開かれた。

「何をやっているんだ助手くん。戻って来たのであれば──ほう」

 当然、姿を見せたのはアリーシャなのだが、フィーネの隣にあるエリックを見やると沈黙し、彼を頭の上から足の先まで、まじまじと眺め出す。

 エリックはといえば、突然現れた、相変わらずメシアの服を着ている美人に、そんな食い入るような視線を向けられれば、自ずとかしこまるのも致し方ないことだろう。

「アリー、メシアさんの様子は?」
「ああ、あのまま安静にしている。あまり動きはないがちゃんと息があるのも確認できているから、安心していいだろう」

 アリーシャの言葉にほっと胸を撫で下ろすフィーネを余所に、アリーシャはもう一度エリックを見定めていた。

「助手くん。男を連れてくるのは構わないが、時と場合と場所と相手を選んで欲しい物だな」

 ほぼ全てである。

「いやまて。俺は別にこの子に連れてこられただげで……」
「……なるほど。君のそういう強引なところもまた、良いところであることを私は知っているぞ」

 アリーシャのその、暴走的な妄想癖もまた、彼女の魅力の一つなのかもしれない。
 しかし、彼女の言葉にフィーネが表情を変えることはなかった。

「アリー、変なこと言わない。エリックさんはいい人だけど、メシアさんよりも年上だよ」

 フィーネの言葉に、アリーシャの口元の笑みが消える。
 アリーシャの言葉に満更でも無さそうにしていたエリックも、彼女の雰囲気の変化を悟ったのか、表情を不安に染める。

「……なるほど、あるいは理想的な展開だな。よくやったぞ助手くん。とりあえず皆、中に入るとしようか」

 相変わらず、慣れないアリーシャの真剣な表情に、周囲の空気が重くなるのを感じる。
 アリーシャの指示に従い、三人と一匹が家の中に入ると、夜の闇に染まる、暗い空から一粒二粒と地面に弾かれる音と共に雨が降り始めた。

「まず第一に、先程の無礼への謝罪と、足を運んでもらったことへの謝意を伝えさせてもらおう」

 家の中に入り、居間の電灯のもと、アリーシャがエリックに手を差し出す。

「……いや、そんな畏まられても困る。結果として俺のためにもなっているんだから、俺こそ感謝させてくれ」

 エリックが手を握り返し、握手する。
 二人の行動の意味をフィーネが理解した様子はないが、二人の物悲しげな表情に、心を苦しめられるような思いになる。

「……さて、ここまでやって来たということは、彼女から大体の事情は聞いているはずだ」
「ああ。メシアが危篤だとか聞いたが、どんな状態なんだ?」

 エリックの落ち着きのない様子に、アリーシャが不穏な表情で、メシアがとこについている部屋に視線を向ける。

重篤じゅうとくと言って差し支え無いだろう。私の見解では恐らく、今日を乗り越えられるかと言った所だ」

 アリーシャの言葉に、フィーネが不安を隠しきれない表情に、エリックが悔恨の表情をそれぞれ浮かべている。

「……えっと、アリーとか言ったか? あんたのその見解とやらは信じても問題ないのか?」
「……アリーシャだ。彼女から聞いていないのか? ……まあいい。その問いに答えるのであれば、否と答えよう。私に医学の知識はない。故に素人の自己判断に過ぎない」

 アリーシャの冷静で真摯な回答に、少なくとも嘘はついていないと判断したのだろう。
 エリックは辛そうな面持ちでアリーシャに頭を下げる。

「すまなかった。無礼を詫びさせてくれ」

 そんな彼の行動にアリーシャが口を開こうとしたが、その言葉を聞く前にエリックは頭を上げ話を続ける。

「とりあえず、メシアの様子を見てもいいだろうか」
「……ああ。会ってやってくれ。彼女も喜ぶことだろう」

 エリックはその言葉を聞くと、一目散にメシアの下まで駆け寄る。
 そんなエリックを追うように、フィーネも動き出すのをアリーシャが止める。

「アリー?」
「人の気持ちを汲め、と言ったのは君だろう」

 アリーシャの言葉に、フィーネが思わず目を見張る。
 そんな彼女たちの耳元まで、メシアの部屋からの声が聞こえて来た。

「……メシアお前、なんでこんなになるまで何も言わなかったんだよ。お前に死なれたら俺は……」

 エリックの今にも泣き入りそうな声。その声を聞けば、彼にとってメシアがどれほど大切な存在なのかを思い知らされる。
 しかし、この声を聞けば聞くほどに、ならばなぜ二人は出会わなくなってしまったのか、その疑問に対しての探究心が強まるばかりだ。

 その後も聞こえたり聞こえなかったりする、エリックの独白は続き、二人と一匹はしみじみと聞き入っていた。
 やがて声がやみ、赤く染まった両目から流された、二筋の涙痕るいこんを見せるエリックが部屋から出て来た。
 うつろに開かれた彼の琥珀色の瞳には、生気というものを感じられない。

「みっともないところを見せた。……二人ともありがとう」
「……メシアさんは……?」

 フィーネの問いにエリックは首を横に振る。
 彼がメシアにとってどれほどの存在だったのかは分からないが、少なくともアリーシャの言う奇跡を起こすには彼一人では足りないらしい。

「……そうか。エリックとやら、辛いとは思うがもう一度、今度は彼女たちと共にメシアの側にいてほしい」

 アリーシャの提案に、虚になるその目を閉じ葛藤する。
 閉じた目を開け、マオに視線を向けるとわずかに笑みを浮かべた。

「ああ……そいつならあるいは、奇跡を起こせるかもしれないな」

 エリックの言葉を聞くと、マオが可愛らしく一鳴きする。
 先ほどまで大人しくフィーネに抱きかかえられていたが、彼女の腕を振り解き、エリックの足元まで寄り添った。

「マオ……?」

 エリックの不思議そうにする声を聞き、マオがもう一度鳴き声を上げる。

「エリックさん、お願い。二人で……」

 フィーネが自分の胸を押さえ、消え入りそうな声で二人を催促する。
 ここで彼女の声に応えなければ男では無いだろう。当然、エリックは頷き、マオを連れ添いメシアの部屋へと入っていく。

「……君はいいのか?」
「……辛いよ……」

 なんとか涙を抑えている彼女の表情は、見られたものでは無い。
 それでもアリーシャは彼女の顔をまっすぐと見つめ、近づくと、そのまま彼女の頭を自分の胸へと抱き寄せる。

「アリー……私、ダメだね」
「ダメなものか。君がいたからこそ、彼らが集まれたんだ。すでに奇跡は起きているんだ。もう一つの奇跡もきっと……必ず起こるだろう」

 アリーシャの言葉に、涙を耐えきれずフィーネが胸にうずめた顔から嗚咽おえつを漏らす。
 アリーシャもそんな彼女の顔を強く抱きしめ、彼女にあるまじき涙を一筋流していた。

「私が、涙を……?」

 その涙を左で拭い、アリーシャが驚嘆する。彼女にとっても、その事実は不可解なものだったのかもしれない。

 わずかな沈黙が流れると、外から聞こえてくる絶え間なく降り続ける雨が、地面を叩く音がより激しく部屋の中に響き渡っていた。

「え、りっく……?」
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