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Ep.4:スライムは硬くて臭い(最初の戦闘)
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ゲートをくぐってから、三十分が経過した。
俺の体感時間では、すでに三時間は歩いている気分だ。ダンジョン攻略とか冒険とか、そんな胸躍る言葉はエアコンの効いた部屋でポテトチップスを齧りながらコントローラーを握っている奴らが使うものだ。今の俺にあるのは、ただの不快で過酷な「重労働」だけだった。
「はあ……はあ……どこだよ、スライム……ダンジョン広すぎだろ」
安全靴を引き摺りながら、薄暗い洞窟を進む。足元は最悪だ。ぬかるみという生易しいものではない。ヘドロのような粘液が靴底にねっとりとまとわりつき、一歩歩くたびに「グチャッ、ネチャッ」という生理的嫌悪感を催す音が響く。そのたびに俺のなけなしの体力ゲージがごっそりと削り取られていく。
会社でエレベーターが点検中の時、五階のオフィスまで階段で上がらされた時のことを思い出す。あの時感じた肺が焼け付くような感覚が、今エンドレスで続いている。四十代の心肺機能は、俺が思っている以上にポンコツだったらしい。
すれ違う「本職」のハンターたちが、俺を奇異な目で見ていく。蛍光グリーンのジャージに、白いヘルメット。そして右手には、錆びかけたモンキーレンチ。彼らの視線は「迷い込んだ素人」を通り越して、「頭の変なおじさん」を見るそれに近い。
「おい、見ろよあのおっさん」
「罰ゲームか何かか?」
嘲笑が聞こえる。恥ずかしさで顔から火が出そうだ。今すぐ回れ右をして、家に帰って布団に潜り込みたい。だが、俺の足は止まらない。なぜか。それは、このダンジョンという場所が持つ、ある「魔法」のためだ。
剣や魔法といったファンタジーなものではない。もっと現実的で、切実で、サラリーマンの魂を揺さぶる魔法。
――『ドロップアイテム売却益、非課税』。
これだ。これに尽きる。
昨今の税制改正で、副業収入への課税は厳しくなる一方だ。副業禁止の会社にバレれば、住民税の変動で経理部に呼び出され、最悪の場合は懲戒処分の対象にもなりかねない。
だが、ダンジョン産の素材売却は、国策により特例措置として「非課税」かつ「匿名性が高い」。つまり、所得税も、住民税も、社会保険料も引かれない。売った金額が、そのまま丸ごと、百パーセント俺の懐に入るのだ。
手取り一〇〇%。
この言葉の響きの、なんと甘美なことか。
額面と手取りの差に毎月涙している俺にとって、これは「錬金術」にも等しい。たとえスライムの核が一個五十円だとしても、それは「純利益」の五十円だ。会社で給料を五十円上げるのに、どれだけの労力と、どれだけの税金がかかると思っているんだ。
(歩け、俺の足。これは小遣い稼ぎじゃない。タックス・ヘイブンへの亡命だ)
不純すぎる動機を燃料に、俺は重い体を前へと進めた。
さらに十分ほど進んだだろうか。人の気配が少なくなったエリア――かつての地下駐車場の跡地だろうか、コンクリートの柱が並ぶ広場に出た時だった。
「……いた」
柱の陰に、青白く光る物体を見つけた。
スライムだ。テレビゲームやアニメで見るそれは、愛らしく、プニプニとしていて、初心者の良き練習相手として描かれることが多い。だが、実物は違った。
直径五十センチほどの半透明な塊。それが、地面の汚れや小石を取り込みながら、アメーバのように不規則に脈動している。
近づくと、鼻をつく刺激臭がした。強酸性のトイレ用洗剤を、真夏の生ゴミにぶちまけたような臭いだ。
「うぇ……キモいな……」
正直な感想が漏れる。動く消化液。汚れたゼリー。生理的な嫌悪感が背筋を駆け上がる。だが、こいつを倒さなければ始まらない。
俺はモンキーレンチを両手で握りしめた。ゴルフのグリップのように。いや違う、剣道の竹刀のように。どちらも素人だが、祈りを込めて握る。
「よし……いくぞ……」
自分を鼓舞し、忍び足で背後に回り込む。相手に目はないが、振動を感知するらしい。抜き足、差し足。これでも営業部時代、不機嫌な部長の背後を音もなく通り過ぎるスキルは磨いてきた。
距離、三メートル。二メートル。一メートル。今だ!
「うおおおおっ! 非課税えええええっ!」
魂の叫びと共に、俺はモンキーレンチを振りかぶった。スライムの脳天と思われる部分へ、渾身の力で叩きつける。
ボヨヨンッ! 間の抜けた音が響いた。手応えは、分厚いゴムまりを叩いたようだった。衝撃が手首に跳ね返り、痺れが走る。モンキーレンチを取り落としそうになるのを、必死で堪える。
「なっ!?」
スライムは無傷だ。それどころか、攻撃を受けたことで明確な敵意を持ったのか、身体の一部を触手のように伸ばしてきた。
ビュッ! 鞭のような一撃が、俺のジャージの裾をかすめる。
ジュワッ……。
嫌な音がした。ジャージのポリエステル生地が溶け、焦げ臭い煙が上がった。
「うわっ、溶けた!?」
俺は悲鳴を上げ、無様に尻餅をついた。スライムの体液は強酸だとは聞いていたが、これほどとは。慌てて確認する。肌までは達していない。だが、大事な「必勝」ジャージに穴が開いた。
もしも怪我をしたら、これは労災か? いや、無許可の副業だ。労災なんて下りるわけがない。全額自己負担の損害だ。
スライムがゆっくりと、距離を詰めてくる。その動きには「捕食」の意思が感じられた。こいつにとって、俺はただの餌、脂肪の塊だ。
「くそっ、来るな!」
這って逃げようとするが、足がもつれる。恐怖で思考が真っ白になる。たかがスライム。最弱モンスター。だが、武器もスキルもない中年男にとっては、猛獣と変わらない。
死ぬ。ここで死ぬのか。五十円のために? その時、俺の脳裏に、昨夜のネット検索の記憶が蘇った。『スライム攻略Wiki:物理攻撃は無効。打撃は衝撃を吸収されるため厳禁。核を狙え』
核。俺は目を凝らした。
半透明なゼリーの奥、中心部分に、アメ玉ほどの大きさの赤い固形物が見える。あれだ。あそこが心臓であり、急所だ。
だが、どうやってあんな奥を叩く? あのゼリー装甲は分厚い。モンキーレンチで叩いても、また弾かれるだけだ。
スライムが再び触手を振り上げる。俺は反射的に横へ転がった。泥水が顔にかかる。鉄錆と腐敗臭が口の中に入り込む。構っていられない。
観察しろ。仕事と同じだ。パニックになるな。クレーム対応だと思え。相手が理不尽な要求(攻撃)をしてくる時こそ、相手の論理の矛盾(隙)を見つけるんだ。
状況を分析し、解決策を見つけ出せ。
スライムの動きを見る。攻撃する瞬間。触手を伸ばすために、本体のゼリーが変形し、核の位置が移動する。ゼリーの質量は一定だ。触手として外側に質量を移動させれば、当然、核を守る層は薄くなる。
一瞬だ。触手を伸ばしきった瞬間、核を覆うゼリーの層が極端に薄くなるタイミングがある。
「……そこか!」
俺は立ち上がった。逃げるのをやめ、モンキーレンチを短く持ち直す。狙うのはフルスイングの破壊力ではない。点を突く正確さだ。
企画書の誤字を見つけるような、細かすぎる指摘力。それこそが、俺が二十年間培ってきた地味なスキルだ。
スライムが飛びかかってくる。怖い。足が震える。膝が笑っている。だが、逃げれば背中を溶かされるだけだ。
「来い……ッ! 人事考課より怖くないぞーーッッ!」
意味不明な叫びと共に、俺は踏み込んだ。触手が迫る。目の前でゼリーが伸びる。ヘルメットを掠める音。『安全第一』のシールが溶け落ちる。
俺は体を沈め、タックルするように踏み込んだ。モンキーレンチの先端を、露出しかけた核めがけて突き出す。
ガチンッ!
硬い感触。次の瞬間、パリンという軽い音がして、スライムの体が痙攣した。ゼリー状の体が、水風船が割れたようにバシャリと崩れ落ちる。ただの濁った液体となって、地面に広がっていく。
残ったのは、泥水の中に転がる、小さな赤い石ころだけ。
「……はあ、はあ、はあ……」
俺はその場にへたり込んだ。心臓が早鐘を打ち、全身から脂汗が噴き出している。
勝った。俺は、勝ったのだ。
震える手で、泥水の中から赤い石を拾い上げる。スライムの核。直径三センチほどの、大きなビー玉のような魔石。ヌルヌルしていて、少し生臭い。が、倒したスライムは、どうやら強酸ではなくなっているようだ。
これが俺の初任給――ドロップアイテムだ。
「やった……これで……五十円……」
スマホを取り出し、現在の買取価格を確認する。ギルド公式アプリの画面が更新される。
『現在値:48円(↓下落中)』
「下がってるじゃないかーーッッ!」
絶叫が洞窟に木霊した。
四十八円。命がけの戦いの報酬が、四十八円。ジャージの損害、数百円。交通費、往復千円弱。
大赤字だ。損益分岐点など、遥か彼方にある。
俺は泥だらけのジャージを見下ろした。溶けた裾。汚れた靴。そして、傷だらけのモンキーレンチ。
割に合わない。ブラック企業も真っ青な搾取構造だ。これが探索者の現実か。夢も希望もありゃしない。
「……休憩だ。もう動けん」
俺は近くにあった瓦礫の山に腰を下ろした。どうやらここは、探索者たちが不要なアイテムや壊れた装備を捨てていく「廃棄エリア」らしい。曲がった剣。底の抜けたポーション瓶。カビの生えた革鎧。
さながら、社会からドロップアウトした俺の墓場のようだ。皮肉な笑いが漏れる。ここでこうして座っていると、俺自身も粗大ゴミの一部になった気がしてくる。
帰ろう。少し休んだら、帰ろう。
そう思って、地面に手をついた時だった。
指先に、奇妙な感触があった。ゴミの山の下。泥と錆にまみれた瓦礫の隙間に、何かが埋もれている。
それは、ただの鉄くずには見えなかった。周囲のゴミとは明らかに違う、異質な存在感。
吸い寄せられるように、俺はそのガラクタを掘り出した。出てきたのは、黒ずんだ金属の手甲――ガントレットだった。
左手用だ。装飾は剥げ落ち、所々が錆びている。一見すれば、誰もが素通りするようなボロボロの防具。
だというのに。
なぜだろう。俺の心臓が、スライムと戦った時以上に、激しく脈打ち始めていた。
その黒い鉄塊が、俺を呼んでいるかのように。俺の手は、無意識のうちにそのガントレットへと伸びていた。
俺の体感時間では、すでに三時間は歩いている気分だ。ダンジョン攻略とか冒険とか、そんな胸躍る言葉はエアコンの効いた部屋でポテトチップスを齧りながらコントローラーを握っている奴らが使うものだ。今の俺にあるのは、ただの不快で過酷な「重労働」だけだった。
「はあ……はあ……どこだよ、スライム……ダンジョン広すぎだろ」
安全靴を引き摺りながら、薄暗い洞窟を進む。足元は最悪だ。ぬかるみという生易しいものではない。ヘドロのような粘液が靴底にねっとりとまとわりつき、一歩歩くたびに「グチャッ、ネチャッ」という生理的嫌悪感を催す音が響く。そのたびに俺のなけなしの体力ゲージがごっそりと削り取られていく。
会社でエレベーターが点検中の時、五階のオフィスまで階段で上がらされた時のことを思い出す。あの時感じた肺が焼け付くような感覚が、今エンドレスで続いている。四十代の心肺機能は、俺が思っている以上にポンコツだったらしい。
すれ違う「本職」のハンターたちが、俺を奇異な目で見ていく。蛍光グリーンのジャージに、白いヘルメット。そして右手には、錆びかけたモンキーレンチ。彼らの視線は「迷い込んだ素人」を通り越して、「頭の変なおじさん」を見るそれに近い。
「おい、見ろよあのおっさん」
「罰ゲームか何かか?」
嘲笑が聞こえる。恥ずかしさで顔から火が出そうだ。今すぐ回れ右をして、家に帰って布団に潜り込みたい。だが、俺の足は止まらない。なぜか。それは、このダンジョンという場所が持つ、ある「魔法」のためだ。
剣や魔法といったファンタジーなものではない。もっと現実的で、切実で、サラリーマンの魂を揺さぶる魔法。
――『ドロップアイテム売却益、非課税』。
これだ。これに尽きる。
昨今の税制改正で、副業収入への課税は厳しくなる一方だ。副業禁止の会社にバレれば、住民税の変動で経理部に呼び出され、最悪の場合は懲戒処分の対象にもなりかねない。
だが、ダンジョン産の素材売却は、国策により特例措置として「非課税」かつ「匿名性が高い」。つまり、所得税も、住民税も、社会保険料も引かれない。売った金額が、そのまま丸ごと、百パーセント俺の懐に入るのだ。
手取り一〇〇%。
この言葉の響きの、なんと甘美なことか。
額面と手取りの差に毎月涙している俺にとって、これは「錬金術」にも等しい。たとえスライムの核が一個五十円だとしても、それは「純利益」の五十円だ。会社で給料を五十円上げるのに、どれだけの労力と、どれだけの税金がかかると思っているんだ。
(歩け、俺の足。これは小遣い稼ぎじゃない。タックス・ヘイブンへの亡命だ)
不純すぎる動機を燃料に、俺は重い体を前へと進めた。
さらに十分ほど進んだだろうか。人の気配が少なくなったエリア――かつての地下駐車場の跡地だろうか、コンクリートの柱が並ぶ広場に出た時だった。
「……いた」
柱の陰に、青白く光る物体を見つけた。
スライムだ。テレビゲームやアニメで見るそれは、愛らしく、プニプニとしていて、初心者の良き練習相手として描かれることが多い。だが、実物は違った。
直径五十センチほどの半透明な塊。それが、地面の汚れや小石を取り込みながら、アメーバのように不規則に脈動している。
近づくと、鼻をつく刺激臭がした。強酸性のトイレ用洗剤を、真夏の生ゴミにぶちまけたような臭いだ。
「うぇ……キモいな……」
正直な感想が漏れる。動く消化液。汚れたゼリー。生理的な嫌悪感が背筋を駆け上がる。だが、こいつを倒さなければ始まらない。
俺はモンキーレンチを両手で握りしめた。ゴルフのグリップのように。いや違う、剣道の竹刀のように。どちらも素人だが、祈りを込めて握る。
「よし……いくぞ……」
自分を鼓舞し、忍び足で背後に回り込む。相手に目はないが、振動を感知するらしい。抜き足、差し足。これでも営業部時代、不機嫌な部長の背後を音もなく通り過ぎるスキルは磨いてきた。
距離、三メートル。二メートル。一メートル。今だ!
「うおおおおっ! 非課税えええええっ!」
魂の叫びと共に、俺はモンキーレンチを振りかぶった。スライムの脳天と思われる部分へ、渾身の力で叩きつける。
ボヨヨンッ! 間の抜けた音が響いた。手応えは、分厚いゴムまりを叩いたようだった。衝撃が手首に跳ね返り、痺れが走る。モンキーレンチを取り落としそうになるのを、必死で堪える。
「なっ!?」
スライムは無傷だ。それどころか、攻撃を受けたことで明確な敵意を持ったのか、身体の一部を触手のように伸ばしてきた。
ビュッ! 鞭のような一撃が、俺のジャージの裾をかすめる。
ジュワッ……。
嫌な音がした。ジャージのポリエステル生地が溶け、焦げ臭い煙が上がった。
「うわっ、溶けた!?」
俺は悲鳴を上げ、無様に尻餅をついた。スライムの体液は強酸だとは聞いていたが、これほどとは。慌てて確認する。肌までは達していない。だが、大事な「必勝」ジャージに穴が開いた。
もしも怪我をしたら、これは労災か? いや、無許可の副業だ。労災なんて下りるわけがない。全額自己負担の損害だ。
スライムがゆっくりと、距離を詰めてくる。その動きには「捕食」の意思が感じられた。こいつにとって、俺はただの餌、脂肪の塊だ。
「くそっ、来るな!」
這って逃げようとするが、足がもつれる。恐怖で思考が真っ白になる。たかがスライム。最弱モンスター。だが、武器もスキルもない中年男にとっては、猛獣と変わらない。
死ぬ。ここで死ぬのか。五十円のために? その時、俺の脳裏に、昨夜のネット検索の記憶が蘇った。『スライム攻略Wiki:物理攻撃は無効。打撃は衝撃を吸収されるため厳禁。核を狙え』
核。俺は目を凝らした。
半透明なゼリーの奥、中心部分に、アメ玉ほどの大きさの赤い固形物が見える。あれだ。あそこが心臓であり、急所だ。
だが、どうやってあんな奥を叩く? あのゼリー装甲は分厚い。モンキーレンチで叩いても、また弾かれるだけだ。
スライムが再び触手を振り上げる。俺は反射的に横へ転がった。泥水が顔にかかる。鉄錆と腐敗臭が口の中に入り込む。構っていられない。
観察しろ。仕事と同じだ。パニックになるな。クレーム対応だと思え。相手が理不尽な要求(攻撃)をしてくる時こそ、相手の論理の矛盾(隙)を見つけるんだ。
状況を分析し、解決策を見つけ出せ。
スライムの動きを見る。攻撃する瞬間。触手を伸ばすために、本体のゼリーが変形し、核の位置が移動する。ゼリーの質量は一定だ。触手として外側に質量を移動させれば、当然、核を守る層は薄くなる。
一瞬だ。触手を伸ばしきった瞬間、核を覆うゼリーの層が極端に薄くなるタイミングがある。
「……そこか!」
俺は立ち上がった。逃げるのをやめ、モンキーレンチを短く持ち直す。狙うのはフルスイングの破壊力ではない。点を突く正確さだ。
企画書の誤字を見つけるような、細かすぎる指摘力。それこそが、俺が二十年間培ってきた地味なスキルだ。
スライムが飛びかかってくる。怖い。足が震える。膝が笑っている。だが、逃げれば背中を溶かされるだけだ。
「来い……ッ! 人事考課より怖くないぞーーッッ!」
意味不明な叫びと共に、俺は踏み込んだ。触手が迫る。目の前でゼリーが伸びる。ヘルメットを掠める音。『安全第一』のシールが溶け落ちる。
俺は体を沈め、タックルするように踏み込んだ。モンキーレンチの先端を、露出しかけた核めがけて突き出す。
ガチンッ!
硬い感触。次の瞬間、パリンという軽い音がして、スライムの体が痙攣した。ゼリー状の体が、水風船が割れたようにバシャリと崩れ落ちる。ただの濁った液体となって、地面に広がっていく。
残ったのは、泥水の中に転がる、小さな赤い石ころだけ。
「……はあ、はあ、はあ……」
俺はその場にへたり込んだ。心臓が早鐘を打ち、全身から脂汗が噴き出している。
勝った。俺は、勝ったのだ。
震える手で、泥水の中から赤い石を拾い上げる。スライムの核。直径三センチほどの、大きなビー玉のような魔石。ヌルヌルしていて、少し生臭い。が、倒したスライムは、どうやら強酸ではなくなっているようだ。
これが俺の初任給――ドロップアイテムだ。
「やった……これで……五十円……」
スマホを取り出し、現在の買取価格を確認する。ギルド公式アプリの画面が更新される。
『現在値:48円(↓下落中)』
「下がってるじゃないかーーッッ!」
絶叫が洞窟に木霊した。
四十八円。命がけの戦いの報酬が、四十八円。ジャージの損害、数百円。交通費、往復千円弱。
大赤字だ。損益分岐点など、遥か彼方にある。
俺は泥だらけのジャージを見下ろした。溶けた裾。汚れた靴。そして、傷だらけのモンキーレンチ。
割に合わない。ブラック企業も真っ青な搾取構造だ。これが探索者の現実か。夢も希望もありゃしない。
「……休憩だ。もう動けん」
俺は近くにあった瓦礫の山に腰を下ろした。どうやらここは、探索者たちが不要なアイテムや壊れた装備を捨てていく「廃棄エリア」らしい。曲がった剣。底の抜けたポーション瓶。カビの生えた革鎧。
さながら、社会からドロップアウトした俺の墓場のようだ。皮肉な笑いが漏れる。ここでこうして座っていると、俺自身も粗大ゴミの一部になった気がしてくる。
帰ろう。少し休んだら、帰ろう。
そう思って、地面に手をついた時だった。
指先に、奇妙な感触があった。ゴミの山の下。泥と錆にまみれた瓦礫の隙間に、何かが埋もれている。
それは、ただの鉄くずには見えなかった。周囲のゴミとは明らかに違う、異質な存在感。
吸い寄せられるように、俺はそのガラクタを掘り出した。出てきたのは、黒ずんだ金属の手甲――ガントレットだった。
左手用だ。装飾は剥げ落ち、所々が錆びている。一見すれば、誰もが素通りするようなボロボロの防具。
だというのに。
なぜだろう。俺の心臓が、スライムと戦った時以上に、激しく脈打ち始めていた。
その黒い鉄塊が、俺を呼んでいるかのように。俺の手は、無意識のうちにそのガントレットへと伸びていた。
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