週末、パパはダンジョンに潜る〜家族に内緒で健康のために始めたら、Sランク探索者になっていた案件~

いぬがみとうま🐾

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Ep.9鋼鉄の草と娘の冷笑(すれ違い)

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 水曜日の夜。
 リビングには、お通夜のような重苦しい空気が沈殿していた。
 発端は、帰宅した一人娘のりんが、ソファにドカッと荷物を放り投げたことだった。

「ねえ、新しいの買って」

 凛は不機嫌そうに言い放つと、冷蔵庫から麦茶のポットを取り出した。
 放り投げられたのは、彼女が通学に使っているスクールバッグだ。
 俺はソファに置かれたそれを手に取り、検分した。

「……持ち手の付け根が、切れかかっているな」

 教科書、参考書、部活の道具、そして謎のファンシーグッズたち。
 女子高生の鞄はブラックホール並みに重い。物理的な耐用年数の限界だろう。
 俺は脳内の家計簿データベースにアクセスし、冷や汗をかいた。

 今月の俺の小遣い残高、五千円弱。
 指定鞄の定価、一万二千円。
 ……詰んだ。

「すまん、凛。今月はちょっとパパの財布が氷河期でな……」

 情けない声が出る。
 娘の頼み一つ聞いてやれない自分が不甲斐ない。
 凛は「はぁー」と深いため息をついた。その溜息の風圧で俺が吹き飛びそうだ。

「マジで? こんなボロボロじゃ学校行けないんだけど。恥ずかしいし」
「だ、だからさ! パパが直してやるよ!」

 俺は起死回生の提案をした。
 金がないなら技術でカバーする。それがDIY精神だ。
 だが、凛の反応は冷ややかだった。
 ゴミを見るような目で俺を見下ろしてくる。

「……は? パパが?」
「おう。構造を見る限り、単なる縫製不良と経年劣化だ。素材を補強して縫い直せば、新品以上の強度は出せるぞ」
「意味わかんない。素人が余計なことしないでよ」

 凛の声のトーンが絶対零度まで下がる。
 それは明確な拒絶だった。

「どうせガムテでぐるぐる巻きにするとか、変な接着剤でベタベタにするとかでしょ? ダサい。ありえない。そんなの持って歩くくらいなら、学校行かないから」
「ガムテじゃない! もっと画期的な――」
「うるさい! もういい、ママに頼むから!」

 凛はバッグをひったくると、足音荒く自室へと駆け上がっていった。
 バタンッ! ドアが閉まる音が、俺の心臓にヒビを入れる。

 キッチンで夕食の支度をしていた妻の友里|が、苦笑しながら顔を出した。
 「あなた……また空回ったのね」
「いや、俺はただ、最適なソリューションを提案しただけで……」
「女の子にとって、バッグはただの袋じゃないのよ。ステータスなの。ガムテで直すなんて言われたら、そりゃ怒るわよ」

 友里は呆れてキッチンに戻っていった。
 俺は一人、リビングに残された。
 胸が痛い。

 「パパ大好き」と言ってくれたあの頃の凛はどこへ行ったんだ。
 だが、落ち込んでいる暇はない。
 あんな切れかかったバッグで通学させて、もし満員電車の中で底が抜けたらどうする。中身が散乱して、凛が恥をかくことになる。
 それだけは、父親として阻止せねばならない。

(見返してやる……!)

 俺の中で、謎の闘争心に火がついた。
 ダサいと言われたままでは終われない。
 「パパすごーい!」と言わせてやる。

 そのためには、生半可な修復じゃダメだ。市販の糸や布では、またすぐに切れる。
 女子高生のハードな使用環境に耐えうる、最強の素材が必要だ。
 俺の脳裏に、ある素材が浮かんだ。

 俺はスマホを取り出し、週末の予定表に「ダンジョン出勤」を入力した。
 目的は、素材採取。
 ターゲットは、浅層の奥地に生息する厄介な植物モンスター。
 待ってろよ、凛。
 お前のバッグを、世界最強のオーパーツに改造してやるからな!

          ◇

 週末。
 俺は再び、東京第3ダンジョンのゲートをくぐった。
 背中には『勝利』の文字。
 左手には、光学迷彩で擬態したガントレット。
 装備は前回と同じ、安全靴にヘルメット、そしてモンキーレンチだ。

 すれ違うハンターたちが「うわ、またあの変なおっさんいるよ」とヒソヒソ話しているが、今の俺には聞こえない。
 俺の頭の中は、これから手に入れる素材へのワクワク感でいっぱいだった。

 目指すエリアは、地下3階相当の「植物浸食区画」。
 湿気が多く、壁や床が苔と蔦に覆われたエリアだ。

 三十分ほど歩くと、周囲の植生が変わった。
 壁から生えているのは、ただの雑草ではない。
 黒光りする、鋭利な刃物のような葉を持つ草。
 ターゲットだ。

カーボン・グラス炭素草』。

 炭素繊維のような構造を持ち、鋼鉄並みの強度と、鞭のような柔軟性を併せ持つ植物型モンスター。
 不用意に近づけば、カミソリのような葉がしなり、肉を切り裂いてくる。
 加工難易度Sランク。
 普通のハサミやカッターでは歯が立たず、刃こぼれ必至。そのため、ほとんどの探索者は見向きもしない「邪魔な雑草」だ。
 だが、俺にとっては宝の山だ。
 この繊維を編み込めば、防弾チョッキすら凌駕する最強の布ができる。
 ケブラー繊維? 古い古い。これからはカーボングラスの時代だ!

「さて、収穫といこうか相棒」

 俺はモンキーレンチを腰に差し、左手を前に出した。
 周囲に誰もいないことを確認し、念じる。
 イメージするのは、ホームセンターの工具売り場で憧れた、あのパワフルな電動工具だ。
 「切れ。切り裂け。電動カッターのように」

 ガントレットが反応する。
 擬態が解け、黒い金属の地肌が露出する。
 そして、拳から伸びた黒い影が、丸鋸まるのこのような円盤状に変形し、高速で回転を始めた。

 ヴィイィィィィィィィン!!

 重低音が洞窟内に響き渡る。
 うおおっ、すごい音! まるで工事現場だ。
 手首に、微細かつ猛烈な振動が伝わってくる。骨の髄まで痺れるような、暴力的なトルク感。普通の人間なら恐怖で手を引っ込めるだろう。
 だが、俺には、この振動がたまらない。
 機械がその性能をフルに発揮している時の、生命の鼓動のような振動。
 これだよ、これ! 男の子ってのは、こういうのが好きなんだよ!

 シュッ! 気配を察知したカーボン・グラスが、葉を鞭のように振るってきた。
 速い。
 だが、今の俺は無敵の職人だ。
 俺は避けることもせず、左手を突き出した。
 高速回転する影の刃が、迫りくる鋼鉄の草と接触する。

 ギャリリリリリッ!!

 けたたましい切断音が炸裂した。
 火花が散る。
 摩擦熱で、草の断面が瞬時に焦げ、辺りに青臭さと焦げ臭さが混じった独特の悪臭が充満する。
 草いきれと、鉄が焼ける匂い。まるで溶接現場のような、男臭い現場の匂いだ。

「くぅ~! いいトルクだ! 回転数が安定している!」

 俺は思わず叫んだ。
 カーボン・グラスの葉は、豆腐のように切断され、地面に落ちた。
 切断面は熱で綺麗に溶接されたように固まっている。
 これならほつれる心配もない。完璧な素材処理だ。

 ヴィイィン、ギャリリッ! ヴィイィン、ギャリリッ!

 俺は無心で草を刈り続けた。
 楽しくなってきた。
 襲ってくるカーボン・グラスを、片っ端から切断し、素材として回収していく。
 端から見れば、狂気的な光景だろう。
 不気味な黒い手甲をつけた中年男が、ニヤニヤしながら魔物を「庭の雑草」のように刈り取っているのだから。

 十分ほどで、ボストンバッグがいっぱいになった。
 黒く艶のある繊維の束。
 これだけあれば、凛のバッグの補修どころか、鞄を丸ごと一つ作れる量だ。
 なんなら、俺の作業着の補強にも使えるかもしれない。

「よし、大収穫だ。帰って作業するのが楽しみだなぁ」

 俺は左手の振動を止めた。
 プシュウ、と排気音のような音を立てて、ガントレットが沈黙する。
 手首に残る心地よい痺れを甩いて、額の汗を拭う。

 最高の休日だった。
 あとは家に帰って、ガレージでビールを飲みながら加工に没頭するだけだ。
 凛の驚く顔が目に浮かぶ。「パパすごい!」なんて言われた日には、一ヶ月はニヤニヤして暮らせる自信がある。

 その時だった。

「きゃあああああっ!」

 奥の通路から、悲鳴が聞こえた。
 若い男の声……いや、女の声か? 錯乱していてよく分からない。
 続けて、何かが激しく争う音と、獣の咆哮が響いてくる。

 俺は足を止めた。
 ヤバい。トラブルだ。関わるべきではない。俺はEランクの、ただの素人だ。
 人助けなどできる実力ではないし、怪我でもしたら明日の会社に響く。
 論理的思考は、「無視して帰れ」と告げている。

 だが。
 悲鳴の主は、助けを求めている。
 もしかしたら、凛と同じくらいの年頃の子かもしれない。
 そう思ったら、足が勝手に出口とは逆方向へと向いていた。
 俺は再びガントレットを起動した。

 ヴィイィン……。

 低い駆動音が、俺のやる気スイッチを入れる。
 俺はヘルメットの顎紐を締め直し、モンキーレンチを握りしめた。
 待ってろ、若者。通りすがりのDIYおじさんが、今助けに行くからな!



――

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