週末、パパはダンジョンに潜る〜家族に内緒で健康のために始めたら、Sランク探索者になっていた案件~

いぬがみとうま🐾

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Ep.10:新人タナカと影のスーツ(英雄的行動)

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 悲鳴の主を見つけるのに、そう時間はかからなかった。
 通路の奥、袋小路になっている広場。そこに、一人の若者が尻餅をついていた。

 年齢は二十代前半だろうか。安っぽい革の軽鎧に、使い古されたロングソード。
 典型的なDランク、駆け出しの探索者だ。
 彼の顔は恐怖で引きつり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。
 その左手にはしっかりとアクションカメラ――GoProが握りしめられていた。

「あ、あ……終わった……」

 若者は震える声で、カメラに向かってブツブツと呟いている。

「みんな、今までありがとう……俺、ここで死ぬわ……チャンネル登録、解除しないでね……」

 遺言か? 今時の若者は、死ぬ間際まで配信のことばかり考えているのか。
 俺は呆れつつも、状況を分析する。

 敵は三体。
 『刃狼ブレード・ウルフ』。
 狼のようなシルエットだが、その前足には鋭利な骨の刃が生えている。
 動きが素早く、集団狩りを得意とする厄介なモンスターだ。
 Dランクのソロ探索者が相手にするには、荷が重すぎる。

(助けないと、死ぬな)

 結論は一瞬で出た。
 だが、問題がある。
 俺の服装だ。

 蛍光グリーンのジャージ。背中には『勝利』の文字。そして頭には『安全第一』のヘルメット。もし、あの若者のカメラにこの姿が映り込み、ネットで拡散されたらどうなる? 会社にバレる。娘にバレる。

 「パパ、変質者みたいな格好で戦ってたよ」なんて言われた日には、家庭崩壊だ。
 社会的死ソーシャル・デスのリスクが高すぎる。

 引くべきか? いや、目の前で人が食われるのを見過ごすのは、人として――いや、元現場監督として寝覚めが悪い。

 どうする。
 顔とジャージを隠す方法はないか。
 俺はボストンバッグの中身を見た。
 あるのは、大量に刈り取った『カーボン・グラス』の繊維束だけ。

(……待てよ)

 脳細胞が、瞬時に閃きという名の火花を散らした。
 隠せばいい。見られたくないなら、覆ってしまえばいいのだ。
 ここには最強の素材――カーボングラスがある。そして、俺の左手には、万能の接着剤があるじゃないか。

「やるか。現場加工。DIYだ」

 俺はバッグから繊維の束を鷲掴みにした。
 ガントレットに念じる。

「出ろ。粘着質の影だ。接着剤のような!」

 ドクン、と左手が脈打ち、ドロリとした黒い液体が染み出した。
 俺はそれをカーボン繊維に塗りたくり、自分の体に巻き付け始めた。

 ペタッ、グルグル。
 ペタッ、グルグル。

 足元から、胴体、腕、そして顔まで。
 カーボン・グラスは柔軟性が高い。

 体に密着させれば、動きを阻害することなく、鋼鉄以上の強度を持つ「装甲」となる。

 見た目? 知ったことか。
 今は機能性スペックが最優先だ。
 数秒で、即席の強化外骨格が完成した。

「よし。完璧な装甲だ」

 俺は自分の体を見下ろし、満足げに頷いた。
 全身黒ずくめ。

 光沢のある黒いテープを、ミイラのように何重にも巻きつけたようなフォルム。
 隙間から覗く目は、ヘルメットのバイザー越しに光っている。
 これなら、誰がどう見ても俺だとは分かるまい。
 完璧な偽装工作だ。

          ◇

「ギャルルルッ!」

 一匹のウルフが、若者に飛びかかろうとしていた。彼は腰を抜かし、動けない。
 その首元に、鋭い牙が迫る。

「ひいっ!」

 若者が目を閉じた、その時だ。

 ドゴォッ!!

 横合いから飛び出した黒い影が、ウルフを蹴り飛ばした。
 キャイッ! ウルフが悲鳴を上げて転がっていく。

「な……え?」

 若者が目を開ける。
 その視線の先に、俺は仁王立ちした。

 全身を黒い帯でグルグル巻きにした、正体不明の怪人。
 我ながら、威圧感は十分だ。

「さ……下がっていろ、新人くん」

 俺は極力低い声を作って言った。
 若者がポカンと口を開けている。
 恐怖で声が出ないのだろうか。無理もない。こんな状況だ。

「グゥルルルッ……!」

 仲間を蹴られた残りの二匹が、殺気立って俺を睨む。
 来るか。俺はモンキーレンチを構えた。今の俺は、ただのおっさんじゃない。
 カーボン複合材を纏った、DIY戦士だ。

 ザッ! 右のウルフが地を蹴った。
 速い。
 だが、ガントレットの補正が入った俺の動体視力なら追える。

 俺はモンキーレンチで迎撃しようとした。
 だが、左からも同時にもう一匹が迫っていた。
 連携攻撃か。小癪な真似を。

 ガリッ!!

 左のウルフの爪が、俺の脇腹を切り裂いた。
 はずだった。

「……ん?」

 衝撃はある。だが、痛みがない。
 見ると、ウルフの爪は俺の体に巻き付けたカーボン繊維の上を滑り、傷一つつけられずに弾かれていた。

「硬っ!?」

 若者が素っ頓狂な声を上げる。
 俺はニヤリと笑った。マスクの下で見えないだろうが。
 当然だ。
 カーボン・グラスの繊維は、鋼鉄の数倍の引張強度を持つ。
 たかが獣の爪ごときで裂けるような、柔な施工はしていない。

「勉強不足だな、ワンちゃん」

 俺は説教を垂れながら、無防備になったウルフの頭上にモンキーレンチを振り下ろした。

 ゴシャッ!

 鈍い音がして、ウルフが地面に沈む。
 一撃必殺。
 いい手応えだ。手首のスナップも効いている。

「ギャッ、ギャウッ!」

 残った一匹が、仲間がやられたことに動揺して後ずさる。
 逃がすか。
 ここで逃せば、また別の初心者が襲われる可能性がある。
 害獣駆除は、徹底的にやるのがプロの仕事ってもんだ。

「逃げるなよ。耐久テストはまだ終わってないぞ」

 俺は一歩踏み出した。
 黒いテープ状の繊維が、体の動きに合わせてギチギチと音を立てる。
 その異様な姿に、ウルフは戦意を喪失したようだった。
 尻尾を巻いて、キャンキャンと鳴きながら闇の奥へと逃げ去っていく。

「……チッ。まあいいか」

 深追いはリスクだ。
 俺はモンキーレンチを腰のあたりのテープの隙間に差した。

 戦闘終了。所要時間、約三十秒。素材の強度は実証された。
 これで凛のバッグも、自信を持って修理できるというものだ。

 俺は振り返り、へたり込んでいるタナカを見た。
 彼はGoProを向けたまま、震える声で俺に問いかけた。

「あ、あの……あなたは……?」

 名乗るべきか? いや、名乗れば身バレのリスクがある。それに、俺はヒーローではない。ただの、通りすがりの会社員だ。

「……君も探索するなら……安全第一でな」

 俺はそれだけ言い残し、背を向けた。
 現場における、至高のスローガン。
 それを若者に伝えることこそ、年長者の役割だ。
 俺は颯爽と、黒いテープをなびかせてその場を去った。

「く、黒い……変態……?」

 背後で、タナカが何か失礼なことを呟いた気がしたが、きっと空耳だろう。
 俺は足早に、誰もいないエリアへと向かった。
 早くこのスーツを脱がないと、影の接着力が強すぎて皮膚呼吸ができなくなりそうだ。

          ◇

 数時間後。自宅のリビング。
 無事に帰還し、シャワーを浴びてさっぱりした俺は、缶ビール片手にPCを開いた。

 今日の出来事を思い出し、少しだけ誇らしい気分になる。
 人助けをした。
 誰にも知られず、名もなき英雄として。
 これぞ男のロマンだ。

 ふと、気になって動画サイトを開いてみた。
 あの若者、配信者っぽかったな。もし動画が上がっていたら、俺の勇姿が映っているかもしれない。「謎の黒騎士、現る!」とか、「最強の剣士!」とか。
 そんなタイトルでバズっていたりして。
 少しドキドキしながら、「東京第3ダンジョン 新着」で検索をかける。

 あった。
 再生数、すでに十万回超え。
 サムネイルには、黒いミイラ男のような俺の後ろ姿がデカデカと映っている。
 俺は期待に胸を膨らませ、タイトルを読んだ。

『【神回】ダンジョンに全身黒ガムテの変質者が出たと思ったら、モンスターを撲殺して去っていった件www』

 ブホーーッッッ!!

 俺はビールを吹き出した。
 は? ガムテ? 変質者?

 震える手で動画を再生する。
 コメント欄が流れる。

『うわぁ……なんだこれ』
『全身黒ガムテwww』
『露出狂の逆バージョンか?』
『コナンの犯人かよwww』
『動きはガチだけど見た目が通報レベル』
『新手の妖怪「漆黒マン」爆誕』

「ふざけるなあああああっーーッッ!!」

 俺は机をバンと叩いた。
 変質者扱いされたことへの怒りではない。
 いや、それも心外だが、もっと許せないことがある。

「ガムテじゃない! カーボン・グラスだぞ!」

 俺はモニターに向かって叫んだ。
 あれは、Sランク素材のカーボン繊維と、ガントレットの影を複合させた、最新鋭のハイブリッド装甲だ。それを、ホームセンターで数百円で売っているガムテープと一緒にするな! 素材に対する冒涜だ! 職人への侮辱だ!

「失敬な! 訂正しろ! 概要欄に『※素材はカーボン・グラスです』って書け!」

 俺の悲痛な叫びは、虚しくガレージに響くだけだった。
 画面の中では、ガムテ男(俺)が「安全第一でな」とキメ顔で去っていくシーンが、面白おかしくリピートされている。

『名言キタコレwww』
『安全第一(見た目は危険人物)草w』
『これ流行るわww』

 俺は頭を抱えた。
 バズった。
 確かにバズった。

 だが、方向性が致命的に間違っている。俺が目指していたのは「孤高のダークヒーロー」であって、「ネットの玩具」ではない。

 ……まあ、いい。
 正体がバレなかったことだけは、唯一の救いだ。
 あんな「黒ガムテ男」が、俺だなんて知られたら、それこそ会社に行けなくなる。
 俺はそっとPCを閉じた。

 二度と、あんな格好はしない。
 そう心に誓った。

 だが、俺はまだ知らなかった。
 この「ガムテ男(漆黒マン)」が、今後、ネット民の間でカルト的な人気を博し、事あるごとに目撃情報が寄せられる都市伝説になっていくことを。

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