週末、パパはダンジョンに潜る〜家族に内緒で健康のために始めたら、Sランク探索者になっていた案件~

いぬがみとうま🐾

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Ep.12:特定班と娘の書き込み(冷たい嘘)

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 翌朝。
 通勤ラッシュの山手線は、今日も今日とて人間を圧縮するプレス機の様相を呈していた。
 俺はドア付近の僅かなスペースを確保し、スマホの画面を見つめていた。

 『RIN:このバッグ、私のと完全に同じスペックなんですけど……』

 昨夜、俺の動画に投下されたコメント。
 ハンドルネーム『RIN』。
 そして、バッグの傷の位置やスペックへの言及。
 十中八九、娘の凛本人だろう。

 普通なら、ここで顔面蒼白になり、脂汗を垂らしながらスマホを取り落とす場面だ。

 「バレた! 終わった! 家庭崩壊だ!」と脳内で警報が鳴り響き、胃薬を求めてカバンをまさぐるのが、かつての二条賢志郎という男だったはずだ。

 だが。
 今の俺は、奇妙なほど冷静だった。
 心拍数は平常時と同じ六十前後。
 手汗ひとつかいていない。

 まるで、他人のトラブルを遠くから眺めているかのように、俺の脳は淡々とリスク計算を開始していた。

(凛にバレるリスクは……現段階では三十パーセント程度か)

 俺は心の中で呟いた。
 『RIN』というハンドルネームはありふれている。
 バッグも市販の指定鞄だ。傷の位置が似ているというだけでは、決定的な証拠にはならない。

 ここで慌ててコメントを削除すれば、逆に「図星」だと認めることになる。
 いわゆるストライサンド効果だ。
 それは悪手だ。

(放置が最善手。もしくは、適当に流すか)

 俺はスマホをポケットにしまった。
 本来なら感じるはずの焦燥感が、どこか遠い場所に置き去りにされている。
 左手のガントレットが、スーツの下でひんやりと冷たい。
 俺の焦りを吸い取っているかのようだ。
 俺は無表情のまま、会社の最寄り駅で電車を降りた。

          ◇

 その日の業務も、俺は機械のように淡々とこなした。
 定時退社。
 帰りの電車内でも、俺の心は凪いでいた。

 これから家に帰れば、凛との対決が待っているかもしれない。
 尋問されるかもしれない。だが、不思議と怖くはない。
 「どう切り抜けるか」という戦術だけが、頭の中で組み立てられていく。

「ただいま」

 玄関を開ける。
 靴を脱ぎ、リビングへ向かう。
 ドアを開けた瞬間、張り詰めた空気が肌を刺した。
 ソファに座っていた凛が、バッと立ち上がり、俺の方へ歩み寄ってくる。
 その手にはスマホが握られ、画面がこちらに向けられていた。

「ねえパパ」

 声が低い。
 怒っているのか、疑っているのか。
 凛はスマホの画面を俺の鼻先に突きつけた。映っているのは、俺が投稿した『週末ダンジョンDIY』の動画だ。

「この動画、知ってる?」

 直球だ。
 逃げ場のない問い詰め。

 俺の視線が、画面の中の「包帯を巻いた手」と、自分の左手を行き来する。
 今の俺の左手は、スキル『影の偽装』によって普通の肌に見えている。
 だが、包帯を外した時期と動画の投稿時期が重なれば、疑われる余地はある。

 心臓が早鐘を打つ……ことはなかった。
 俺の精神は、静まり返った湖面のままだ。
 恐怖がない。
 娘に嘘をつく罪悪感すらない。
 ただ、この状況をクリアするための「最適解」を口にするだけだ。

「ああ、その動画か」

 俺は眉一つ動かさず、平然と言った。
 声のトーンも一定。動揺の色など微塵もない。

「知ってるよ。というか、パパもそれを見て勉強したんだ」
「……は?」
「お前のバッグを直す時、ネットで修理方法を検索してたら、たまたまこの動画を見つけてな。凄い技術だろう? だから、見よう見まねで真似してみたんだよ」

 嘘だ。
 息をするように、滑らかに出た嘘。「自分が投稿者だ」という事実を隠し、「投稿者を模倣した」という設定にすり替える。
 これなら、修理方法が同じであることも、スペックが似ていることも説明がつく。

 凛は狐につままれたような顔をした。
 探るような目で俺を見つめる。

「でも、傷の位置が私のと完全に一緒なんだけど。そんな偶然ある?」

 鋭い。
 だが、俺の口は淀みなく動いた。

「量産品の指定鞄なんて、壊れる箇所はみんな同じなんだよ。持ち手の付け根と、底の四隅。構造上の弱点が決まってるからな。たまたま同じ壊れ方をした人の動画が上がってたんだ。ラッキーだったよ」

 俺は淡々とロジックを並べた。
 偶然ではない。工業製品としての必然だと言い切ることで、疑念の入り込む隙間を埋める。
 凛は数秒沈黙した後、大きなため息をつき、スマホを下ろした。

「……あー、なるほどね。そういうこと」

 納得したようだ。
 だが、その納得は、俺にとってあまり名誉なものではなかった。

「パクリか。通りで似てるわけだ」
「人聞きが悪いな。参考にした、と言ってくれ」
「はいはい。まあ、パパごときにオリジナルの技術があるわけないもんね。納得したわ」

 凛は鼻で笑った。
 彼女の中の方程式は強固だ。

 『パパ=ダサい素人』。
 『動画の投稿者=凄腕の職人』。

 この二つがイコールで結ばれることは、天地がひっくり返ってもあり得ない。
 だから、「パパが職人の真似事をした」という嘘の方が、彼女にとっては真実味があるのだ。

「紛らわしいことしないでよ。私、てっきりこの職人さんがパパなのかと思って、ちょっと焦ったじゃん」

「まさか。パパに動画編集なんてできるわけないだろ」

「だよねー。あー、よかった。パパがあんなユーチューバーみたいなことしてたら、マジで引くし」

 凛は興味を失ったように背を向け、ソファに戻っていった。
 危機は去った。
 俺は安堵の息を吐く……はずだった。

 だが、俺の胸に去来したのは、安堵ではなかった。
 寒気だ。
 絶対零度の冷気が、背筋を這い上がってくる。

 俺は今、愛する娘を騙した。
 小細工で誤魔化した。
 なのに、心が全く痛まない。
 「よし、上手くいった」という無機質な感想しか湧いてこない。

(……俺は、壊れているのか?)

 洗面所へ行き鏡を見る。
 そこに映る男は、能面のように無表情だった。
 左手の擬態は完璧だ。
 だが、その下にある黒い金属は、俺の感情を喰らい尽くし、ただの「機能的な人間」へと作り変えようとしているのではないか。
 俺は蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗った。
 水の冷たさだけが、俺がまだ人間であることを教えてくれている気がした。

          ◇

 その夜。
 俺はガレージに籠もり、いつものようにネットの反応をチェックしていた。
 凛の件は片付いたが、ネットの海はまだ凪いでいなかった。
 それどころか、新たな波紋が広がりつつあった。

 『週末ダンジョンDIY』のコメント欄。
 そこには、俺が予想していなかった方向からの指摘が増え始めていた。

『この黒い繊維、どこかで見たことあるな』『質感が、例のアレに似てないか?』『アレって、あの変態?』

 嫌な予感がする。
 俺はマウスを持つ手を止め、画面を凝視した。
 関連動画の欄に、数日前にバズったタナカの動画が表示されている。

 『【神回】漆黒マン、ゴブリンを撲殺』。

 そして、掲示板のまとめサイトには、新たなスレッドが立っていた。

『【速報】漆黒マンの素材と、週末DIYおじさんの素材、完全に一致』

 クリックする指が、少し重い。

1:名無しの探索者: 特定班、仕事早すぎw 比較画像貼っとく [画像リンク]

2:名無しの探索者: うわ、マジだ 漆黒マンの黒ガムテだと思ってたやつ、拡大すると繊維の編み込みが見える これ、DIY動画で使ってる「カーボン・グラス」と同じじゃね?

3:名無しの探索者: DIYおじさん=漆黒マン説、浮上

4:名無しの探索者: いやいや、まさかw あんな職人芸持ってるやつが、なんで全身タイツの変態やるんだよ キャラが違いすぎるだろ

5:名無しの探索者: でもさ、この高度な編み込み技術、素人じゃ無理だぞ 漆黒マンのスーツ、同じ技術を持った人間が、同じ時期に、同じダンジョンにいる確率…

6:名無しの探索者: つまり、こういうことか? 凄腕の職人が、魔が差して変態ヒーローになった

7:名無しの探索者: >>6 その説推すわ 技術の無駄遣いすぎて好き

 ……特定されている。
 いや、まだ確証はない。状況証拠の積み重ねだ。
 だが、ネットの「特定班」の執念深さは、俺もよく知っている。
 彼らは点と点を繋ぎ合わせ、面白おかしいストーリーを作り上げる天才だ。

 『週末DIYおじさん』と『漆黒マン』。
 全く別のベクトルでバズっていた二つの存在が、ネット民の手によって紐付けられようとしている。

 もし、これが同一人物だとバレたら? 「凄腕職人の正体は、黒ガムテの変質者だった!」
 そんな見出しがネットニュースに躍る未来が見える。

「……笑えないな」

 俺は乾いた声で呟いた。
 以前なら頭を抱えていただろう。
 だが、今の俺は、モニターの明かりに照らされながら、無表情で次の手を考えていた。

 バレたらバレたで、どう情報操作をするか。
 どうやって凛の目から遠ざけるか。
 漆黒マンのキャラで、DIY動画の宣伝に利用するか。

 自分の思考が、あまりにも合理的すぎる。
 それが、ネットの炎上よりも怖かった。

 俺はPCを閉じ、左手を見た。
 擬態した肌の下で、ガントレットが静かに脈打っている。
 それはまるで、俺が追い詰められる状況を楽しんでいるかのような、あざ笑うようなリズムだった。

 外は雨が降り始めていた。

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