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Ep.19:娘の憧れと父の分析
しおりを挟むその日の夜。
リビングの空気は、黄色い歓声によって支配されていた。
「キャーッ! レオ様カッコいいー!!」
娘の凛が、リビングのテレビに動画を映して、食い入るように見つめている。
画面に映っているのは、昼休みに俺が職場で見た、あの金ピカ男――『ゴールド・レオ』だ。
どうやら彼は、今日の動画で『巨大マンティコア』を討伐したらしい。
スローモーションで再生される、トドメの一撃。
黄金の剣が閃き、マンティコアの首が飛ぶ。
カメラ目線でウィンクするレオ。
背景には、エフェクトが合成され薔薇の花びらが舞っている。
「やばーい! マジ尊い! この剣さばき、神じゃない?」
凛はクッションを抱きしめながら、恍惚とした表情を浮かべている。
俺に向けられる冷徹な視線とは、月とスッポンだ。
妻の友里も、キッチンの入り口から苦笑いしながら見ている。
「凛、あんまり大きな声出さないの。近所迷惑よ」
「だってママ! 見てよこれ! SSR装備だよ!? 一生遊んで暮らせる値段なんだって!」
凛は興奮冷めやらぬ様子だ。
俺はソファの端で、冷めた茶を啜りながら、画面の中の英雄を眺めていた。
嫉妬?
ない。
羨望?
それもない。
俺の胸にあるのは、ガントレットに感情を食われた後の、乾いた凪と純粋な「解析欲」だけが機能していた。
(……フォームが崩れているな)
俺は心の中で呟いた。
画面の中のレオは、派手に剣を振り回している。
だが、その剣筋は雑だ。
剣の重さに体が振り回されている。
『聖剣・レグルス』は、刀身に高密度のオリハルコンを使用しているため、見た目以上に重いはずだ。
それに対し、柄の装飾が華美すぎて、重心が切っ先寄りにズレている。
いわゆる「フロントヘビー」の状態だ。
(あんなバランスの悪い剣を、腕力だけで振り回せば、手首と肘に過負荷がかかる。三十代で腱鞘炎コースだな)
さらに、気になる点がある。
剣がマンティコアの皮を切り裂く瞬間。
一瞬、刃が引っかかっている。
切れ味が鈍っている証拠だ。
脂と血糊が酸化して、刃の微細な凹凸を埋めてしまっているのだろう。
研ぎ直した形跡もない。
「……下手だな」
つい、口に出してしまった。
リビングの空気が凍りついた。
凛がバッとこちらを向き、鬼のような形相で睨みつけてくる。
「は? 今なんて言った?」
「いや、客観的な事実としてだ。彼の剣はメンテナンスが不十分だ。あれでは聖剣のポテンシャルを三割も引き出せていない」
俺は淡々と解説した。
良かれと思ってのことだ。
誤った知識で道具を扱うことは、事故の元だ。
若者に正しい道具の使い方を教えるのも、大人の義務だろう。
「重心が悪い。柄の宝石を外してウェイト調整をするべきだし、使用後はちゃんとシリコンオイルで拭かないと、オリハルコンでも錆びるぞ」
「……」
凛はプルプルと震えていた。
感動しているのではない。
激怒しているのだ。
「うっざ!」
凛が叫んだ。
「なんなのパパ! 自分がダサいからって、レオ様に嫉妬しないでよ!」
「嫉妬ではない。技術的評価だ」
「それがウザいって言ってんの! 何様? 評論家気取り? パパなんてEランクの雑魚じゃん! レオ様はトップランカーなの! 格が違うの!」
凛はクッションを俺に投げつけた。
ボフッ。
俺はそれを顔面で受け止めた。
痛くはない。
心も、痛まない。
以前なら「娘に嫌われた」とショックを受けていただろう言葉が、今は「コミュニケーションエラー」という記号として処理される。
「……事実を言っただけなんだがな」
「うるさい! 負け惜しみはいいから! もうパパとは口きかない!」
凛はテレビの電源を乱暴に切り、自分の部屋へと逃げ去っていった。
残されたのは、俺と友里、そして床に落ちたクッションだけ。
「……あらあら」
友里が困ったように眉を下げる。
「あなた、今のタイミングでそれは火に油よ。女の子の『推し』を否定するのは、宣戦布告と同じなんだから」
「そうなのか? 俺はただ、道具が可哀想だと思っただけで……」
「そういうところが、理系男子の悪い癖ね」
友里は苦笑しながら、クッションを拾い上げた。
俺は自分の手を見た。
左手のガントレット(擬態中)が、静かに脈打っている。
俺には分からない。
なぜ、あんな「手入れのされていない剣」を振るう男が、称賛されるのか。
なぜ、俺の「的確な指摘」が、拒絶されるのか。
世の中の評価基準は、俺の理解を超えているらしい。
だが、一つだけ確かなことがある。
あの剣は、遠からず限界を迎える。
道具は嘘をつかない。
持ち主の愛に応え、持ち主の怠慢を暴く。
それが「モノ」の理だ。
「……まあ、彼がどうなろうと知ったことではないが」
俺は冷めた茶を飲み干した。
娘との溝は深まった。
だが、焦燥感はない。
感情がないということは、ある意味で「最強のメンタル」を手に入れたということかもしれない。
俺は立ち上がり、ガレージへと向かった。
ネットの向こうの虚像よりも、目の前の「素材」と向き合う方が、今の俺には有意義だ。
背中で友里が、心配そうに俺を見ている気配がしたが、俺は振り返らなかった。
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