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第3章 宿敵の家と宿敵でなくなってから
第216話 運命の日
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俺がアークゲート家の屋敷に移ってから数日後、運命の日がやってきた。これまでの数日も緊張していたけど、今日は朝から心臓の音が聞こえるくらいだった。魔法を使って判明したシアの出産予定日が今日だから、である。
「もうノヴァさん……緊張しすぎですよ。お医者さんの先生も予定日はあくまでも予定だと言っていたではありませんか」
「そうだけど……でも今日これからかもしれないって思うと心配で心配で……」
「大丈夫ですよ。この後陣痛が起きたとしても、私はしっかりこの子をノヴァさんの腕に届けますから」
「で、でも……」
シアが安心させるように言ってくれるものの、俺の不安は一向に消えない。そのことに俺自身も気づいて、ごめんと謝った。
「不安なのはシアの方なのに……俺ばっかり……」
「いえ、少し珍しいノヴァさんを見れて私は嬉しいです。最近の逞しく頼りがいのあるノヴァさんも素敵ですが、昔を思い出させる弱気なノヴァさんもこれまた素敵ですから」
「……むぅ」
「ふふっ」
悪戯に笑う妻に、敵わないなぁ、と思う。彼女とは長く、濃い時間を過ごしてきた。お互いの事はなんとなく分かるし、シア以上に俺の事を分かってくれる人も他に居ないだろうと思う。
そんなシアは執務机で作業をしているユティさんの方を向いて、不安そうな顔をした。
「……ユティ」
「はい、当主様」
「……無理をしては……いけませんよ?」
「もちろんです」
シアの言葉にユティさんは満面の笑みで答える。安心させるような穏やかな笑み。けれどシアの表情から不安が消えることはなかった。
「ノヴァさん……お願いがあります」
「……ん?」
小さな声で呟かれて、俺はシアに耳を近づける。
「もし……っ……オーラ……と……ユテっ」
「シア?」
小さく囁かれた言葉に、少しずつ苦悶の声が混じり始める。それを聞いて、俺は思わずシアの表情を見た。
不安の色をかき消すくらいの苦しそうな表情が、視界に映った。
「シア? ……シアっ!? ユティさん! シアが……シアが!」
「落ち着いてくださいノヴァさん! 陣痛ですね……すぐに人の手配を行います! ノヴァさんは当主様の手を握っていてください!」
「は、はい……」
なにかの魔法を行使しながらすぐに部屋を出るユティさん。彼女に言われたとおりに俺はシアの手を握る。少しでも痛みが和らぐように、願いを込めて。けれど彼女の顔から苦しみが消えることはなかった。
「シア、大丈夫だからね。すぐにお医者さんが来てくれるから」
語り掛けることしかできないけれど、俺は屋敷のメイドさんやお医者さんが駆けつけるまで、その場でシアの手を握り、言葉をかけ続けた。
「……っ……」
シアと目が合う。決意が籠ったような強い目を向けられ、彼女の指が動く。それが、彼女が俺に見せたその日最後の力強い動きだった。その動きを終えて、シアはまた苦しみの中へと身を落としていく。
結局、シアが俺に何を耳打ちしようとしたのかは、この時は聞くことが出来なかった。
×××
それから数分後、俺は屋敷の廊下に設置された椅子に腰かけていた。あの後すぐにユティさんはメイドさん達十数人と何人かの先生を連れて戻ってきて、シアを専用の部屋に移した。今部屋の中ではシアだけでなくターニャを始めとするメイドさん達やお医者さんたちも頑張ってくれている。
もちろん俺は中に入ることは出来ない。けれどそれ以上に、この場から動くことが出来る程の余裕がなかった。俺は今、椅子に座った状態で手を組み、ひたすらシアの魔力に語り掛けていた。何度も何度も、心の中で語り掛けていた。
「やはり当主様の予想通りでしたね。魔力が落ち着いているように見えます……ノヴァさんが近くで無事を祈ってくれているからでしょう」
ユティさんの言葉が聞こえるけれど、そちらに目を向けるだけの余裕がない。もしも今別の事に気を割いてしまえば、どうなるか分からないから。
「これだけしか……出来ないなんて……」
だからなんとか声だけを絞り出して聞こえたことに返す。すると隣から声が聞こえた。
「いえ、魔力の暴走は起こることなのですが、それをノヴァさんの力で制御できています。もしノヴァさんが居なければ、屋敷に被害が出ていたでしょう。もっとも重要な役割です」
ユティさんが言うように、出産の際にアークゲートの魔力が暴走するのはよくあることらしい。物や、人を傷つけてしまうこともあるそうだ。そしてそれは所持している魔力量が多ければ多いほど暴走も大きくなるらしく。
『それなら歴代で圧倒的な魔力量を誇る自分の出産時には暴走も酷くなるかもしれません。なるべく抑えるように努力はしますが……ノヴァさんにも協力して頂きたいんです』
そう依頼してきたシアに、俺は快諾した。むしろシアが余分な頑張りをしなくて済むように、今も全身全霊で彼女の魔力に祈っている。落ち着け、落ち着いてくれ、と心の中で何度も、何度も。
それが功を奏しているらしい。自分でもシアの魔力に語りかけることで、まだ暴走状態にないことは分かる。分かるけれど。
――なんだこれ……こんなに大きなものなのか……まるで、頂上の見えない山が目の前にそびえて震えているような
遥か高みを持ち、そして膨大な大きさを持つ山。その麓に立っているような感覚さえ覚える。こんな大きくて膨大なものがもしも崩れたりしたら、一体どうなるのか。考えるだけでも恐ろしい。
「……ノヴァさん、あと数時間ですが、頑張ってください」
「数……時間……」
それを聞いてますます不安になる。よくよく考えれば出産がすぐに終わるわけがないのに。こうしてひたすら祈ることは別にいい。けれどこれから数時間、シアは苦しむことになる。それが不安で不安で……その苦しみが数時間もの間続くなんて。
でも、それこそが俺のしなければならないことだと改めて考えたとき。
「っ……」
「すみません、少し失礼しますね」
また、シアの魔力の揺らぎを感じた。シアが出産で苦しんでいるからこそ、あるいは心が不安定になってるからこそ発生する魔力の乱れ。彼女の持つ魔力量はあまりにも膨大で、それを抑え込むのもこれまでにないほどの集中力を要する。
シアの事も心配だが、俺が持つかも大きな問題だった。いや、シアだって頑張ってくれているんだ。俺が頑張らないでどうすると自分に喝を入れる。
目の前には聳え立つ金色に輝く山。それが揺らぎ、ブレて見えるたびに強く祈る。落ち着け、落ち着け。そう、強く強く思い続ける。
……大丈夫だ。まだ形はしっかりとしている。一部が崩れてもいない。
この金色を、保ち続ける。保ち続けるんだ。
――金……金色……そういえば、オーロラちゃんは?
考えてはいけないのに別の事を考えてしまう。思ったのは今この場にまだ到着していない少女の事。シアが心配していた少女の事。彼女はもうこの屋敷に着いただろうか。
「っ……ユティさん、オーロラちゃんに連絡は……くっ……」
連絡はユティさんに頼んでいたので彼女に聞く。もしまだ来ていないならなるべく早くこの屋敷に、それもシアの居るこの部屋に近い場所に来てもらわないといけないから。
しかし、ユティさんからの返答はない。
「……ユティっ……さん?」
もう一度尋ねてみても答えはない。事前にシアと一緒に決めた筈だ。俺とユティさんはここで彼女の出産が終わるまで待つと。だから側にいる筈なのに、返事がない。
なるべくシアの魔力からは意識を逸らさずに、目を開けた。そして目線だけで隣を確認。
「ユテ――」
絶句した。ユティさんは、隣に居なかった。
「!?」
咄嗟に横を向いて廊下を確認しても、姿が確認できない。
分からない。声をかけてくれたか? それに気づけなかった? いやそんなことは今は良い。
なぜ今この場を去ったのか。たまたま忘れ物を取りに行ったとかなら全然良い。けれど。
「まさ……か……」
もしそれ以外。例えば屋敷を後にするようなことになれば。
「っ……だ、だれ――」
誰でもいい。誰でもいいからこの場にユティさんを連れ戻してくれ。そうじゃなくてもせめて屋敷の中に。そう誰かに声をかけようとした瞬間。
意識を割いていた金色の山が、震えた。
「まずっ……」
すぐに目を瞑り、魔力に祈る。収まれ、収まれと祈り続ける。何度も何度も心を込めて祈り、ようやく山の振動が収まり始める。
「く……そっ……」
目をつむったままで俺は唇を噛みしめる。俺はこの場から動けない。そしてこの場には、俺しかいない。シアが出産中のこんな状況でここを通りかかるメイドさんも居ないだろう。
誰にも頼むことが、出来ない。
「まずい……まずいっ……」
ただ焦るしかないが、それはシアの魔力の山の振動を再開させるきっかけにしかならない事を悟り、再び集中する。今まで何度も俺の、皆の窮地を救ってくれたシアの魔力。
それが今だけは、俺の足枷になっていた。
「もうノヴァさん……緊張しすぎですよ。お医者さんの先生も予定日はあくまでも予定だと言っていたではありませんか」
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「大丈夫ですよ。この後陣痛が起きたとしても、私はしっかりこの子をノヴァさんの腕に届けますから」
「で、でも……」
シアが安心させるように言ってくれるものの、俺の不安は一向に消えない。そのことに俺自身も気づいて、ごめんと謝った。
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「いえ、少し珍しいノヴァさんを見れて私は嬉しいです。最近の逞しく頼りがいのあるノヴァさんも素敵ですが、昔を思い出させる弱気なノヴァさんもこれまた素敵ですから」
「……むぅ」
「ふふっ」
悪戯に笑う妻に、敵わないなぁ、と思う。彼女とは長く、濃い時間を過ごしてきた。お互いの事はなんとなく分かるし、シア以上に俺の事を分かってくれる人も他に居ないだろうと思う。
そんなシアは執務机で作業をしているユティさんの方を向いて、不安そうな顔をした。
「……ユティ」
「はい、当主様」
「……無理をしては……いけませんよ?」
「もちろんです」
シアの言葉にユティさんは満面の笑みで答える。安心させるような穏やかな笑み。けれどシアの表情から不安が消えることはなかった。
「ノヴァさん……お願いがあります」
「……ん?」
小さな声で呟かれて、俺はシアに耳を近づける。
「もし……っ……オーラ……と……ユテっ」
「シア?」
小さく囁かれた言葉に、少しずつ苦悶の声が混じり始める。それを聞いて、俺は思わずシアの表情を見た。
不安の色をかき消すくらいの苦しそうな表情が、視界に映った。
「シア? ……シアっ!? ユティさん! シアが……シアが!」
「落ち着いてくださいノヴァさん! 陣痛ですね……すぐに人の手配を行います! ノヴァさんは当主様の手を握っていてください!」
「は、はい……」
なにかの魔法を行使しながらすぐに部屋を出るユティさん。彼女に言われたとおりに俺はシアの手を握る。少しでも痛みが和らぐように、願いを込めて。けれど彼女の顔から苦しみが消えることはなかった。
「シア、大丈夫だからね。すぐにお医者さんが来てくれるから」
語り掛けることしかできないけれど、俺は屋敷のメイドさんやお医者さんが駆けつけるまで、その場でシアの手を握り、言葉をかけ続けた。
「……っ……」
シアと目が合う。決意が籠ったような強い目を向けられ、彼女の指が動く。それが、彼女が俺に見せたその日最後の力強い動きだった。その動きを終えて、シアはまた苦しみの中へと身を落としていく。
結局、シアが俺に何を耳打ちしようとしたのかは、この時は聞くことが出来なかった。
×××
それから数分後、俺は屋敷の廊下に設置された椅子に腰かけていた。あの後すぐにユティさんはメイドさん達十数人と何人かの先生を連れて戻ってきて、シアを専用の部屋に移した。今部屋の中ではシアだけでなくターニャを始めとするメイドさん達やお医者さんたちも頑張ってくれている。
もちろん俺は中に入ることは出来ない。けれどそれ以上に、この場から動くことが出来る程の余裕がなかった。俺は今、椅子に座った状態で手を組み、ひたすらシアの魔力に語り掛けていた。何度も何度も、心の中で語り掛けていた。
「やはり当主様の予想通りでしたね。魔力が落ち着いているように見えます……ノヴァさんが近くで無事を祈ってくれているからでしょう」
ユティさんの言葉が聞こえるけれど、そちらに目を向けるだけの余裕がない。もしも今別の事に気を割いてしまえば、どうなるか分からないから。
「これだけしか……出来ないなんて……」
だからなんとか声だけを絞り出して聞こえたことに返す。すると隣から声が聞こえた。
「いえ、魔力の暴走は起こることなのですが、それをノヴァさんの力で制御できています。もしノヴァさんが居なければ、屋敷に被害が出ていたでしょう。もっとも重要な役割です」
ユティさんが言うように、出産の際にアークゲートの魔力が暴走するのはよくあることらしい。物や、人を傷つけてしまうこともあるそうだ。そしてそれは所持している魔力量が多ければ多いほど暴走も大きくなるらしく。
『それなら歴代で圧倒的な魔力量を誇る自分の出産時には暴走も酷くなるかもしれません。なるべく抑えるように努力はしますが……ノヴァさんにも協力して頂きたいんです』
そう依頼してきたシアに、俺は快諾した。むしろシアが余分な頑張りをしなくて済むように、今も全身全霊で彼女の魔力に祈っている。落ち着け、落ち着いてくれ、と心の中で何度も、何度も。
それが功を奏しているらしい。自分でもシアの魔力に語りかけることで、まだ暴走状態にないことは分かる。分かるけれど。
――なんだこれ……こんなに大きなものなのか……まるで、頂上の見えない山が目の前にそびえて震えているような
遥か高みを持ち、そして膨大な大きさを持つ山。その麓に立っているような感覚さえ覚える。こんな大きくて膨大なものがもしも崩れたりしたら、一体どうなるのか。考えるだけでも恐ろしい。
「……ノヴァさん、あと数時間ですが、頑張ってください」
「数……時間……」
それを聞いてますます不安になる。よくよく考えれば出産がすぐに終わるわけがないのに。こうしてひたすら祈ることは別にいい。けれどこれから数時間、シアは苦しむことになる。それが不安で不安で……その苦しみが数時間もの間続くなんて。
でも、それこそが俺のしなければならないことだと改めて考えたとき。
「っ……」
「すみません、少し失礼しますね」
また、シアの魔力の揺らぎを感じた。シアが出産で苦しんでいるからこそ、あるいは心が不安定になってるからこそ発生する魔力の乱れ。彼女の持つ魔力量はあまりにも膨大で、それを抑え込むのもこれまでにないほどの集中力を要する。
シアの事も心配だが、俺が持つかも大きな問題だった。いや、シアだって頑張ってくれているんだ。俺が頑張らないでどうすると自分に喝を入れる。
目の前には聳え立つ金色に輝く山。それが揺らぎ、ブレて見えるたびに強く祈る。落ち着け、落ち着け。そう、強く強く思い続ける。
……大丈夫だ。まだ形はしっかりとしている。一部が崩れてもいない。
この金色を、保ち続ける。保ち続けるんだ。
――金……金色……そういえば、オーロラちゃんは?
考えてはいけないのに別の事を考えてしまう。思ったのは今この場にまだ到着していない少女の事。シアが心配していた少女の事。彼女はもうこの屋敷に着いただろうか。
「っ……ユティさん、オーロラちゃんに連絡は……くっ……」
連絡はユティさんに頼んでいたので彼女に聞く。もしまだ来ていないならなるべく早くこの屋敷に、それもシアの居るこの部屋に近い場所に来てもらわないといけないから。
しかし、ユティさんからの返答はない。
「……ユティっ……さん?」
もう一度尋ねてみても答えはない。事前にシアと一緒に決めた筈だ。俺とユティさんはここで彼女の出産が終わるまで待つと。だから側にいる筈なのに、返事がない。
なるべくシアの魔力からは意識を逸らさずに、目を開けた。そして目線だけで隣を確認。
「ユテ――」
絶句した。ユティさんは、隣に居なかった。
「!?」
咄嗟に横を向いて廊下を確認しても、姿が確認できない。
分からない。声をかけてくれたか? それに気づけなかった? いやそんなことは今は良い。
なぜ今この場を去ったのか。たまたま忘れ物を取りに行ったとかなら全然良い。けれど。
「まさ……か……」
もしそれ以外。例えば屋敷を後にするようなことになれば。
「っ……だ、だれ――」
誰でもいい。誰でもいいからこの場にユティさんを連れ戻してくれ。そうじゃなくてもせめて屋敷の中に。そう誰かに声をかけようとした瞬間。
意識を割いていた金色の山が、震えた。
「まずっ……」
すぐに目を瞑り、魔力に祈る。収まれ、収まれと祈り続ける。何度も何度も心を込めて祈り、ようやく山の振動が収まり始める。
「く……そっ……」
目をつむったままで俺は唇を噛みしめる。俺はこの場から動けない。そしてこの場には、俺しかいない。シアが出産中のこんな状況でここを通りかかるメイドさんも居ないだろう。
誰にも頼むことが、出来ない。
「まずい……まずいっ……」
ただ焦るしかないが、それはシアの魔力の山の振動を再開させるきっかけにしかならない事を悟り、再び集中する。今まで何度も俺の、皆の窮地を救ってくれたシアの魔力。
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