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第5章 マーへ大陸の陰謀

125.小休止

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 そうして訪れた10月の26日――オセアン大陸の、トル国を除く6カ国がトル国に向けて行軍を開始する前夜、船はトル国沖に停泊した。
 当初から肉眼では見つからない距離を保つ予定だったが、それより距離がある時点で進行方向の獄鬼ヘルネルの気配が強過ぎて耐えられず、随分と陸地から距離を取ることになってしまった。
 だって『応援』していない師匠セルリーやヒユナさんにも感じ取れるくらいなんだから相当だと思うんだ。

「大きく弓なりに侵攻してメール国側に近付くことにしました。そうすれば進軍中の陛下と連絡を取り合える距離まで近付き、状況を共有できるでしょう」

 そう伝えてくれたのは大臣さん。
 トル国の王都は、領内の銀級アルジョンダンジョンよりメール国側に近いから取れる手段だ。

「……それにしても、本当にひどい……こんな、遠目に見て土地全体に黒い靄が覆っているように見えるなんて初めての経験だわ」
「同じくです」
「師匠はエレインちゃんと二人、絶対に船から出ないでくださいね。対獄鬼ヘルネルに関してはたぶん一番安全な場所ですから」
「判ってる。……でもその前に、レン」
「はい?」
「『僧侶の薬』を作るわよ、手伝いなさい。あの様子じゃ獄鬼ヘルネルに憑かれなくたって体調を崩している人が大勢いるはず。放っておけないわ」
「はい!」
「ぁ、あの、私もお手伝い出来る事があれば何でもします……!」

 俺の即答の後にヒユナさんも手を上げる。
 と、グランツェさんが。

「もう少し帝都に近付くなら、海岸沿いの銀級アルジョンダンジョンに俺たちを降ろしてくれ。セルリーの薬に必要な薬草と、魔物除け……否、獄鬼ヘルネル除けの素材、ついでに魔石も採って来る」
「えっ」
「陸路より海路の方が速度を出せることを考えれば半日なら問題ないはずだ。あの銀級アルジョンダンジョンは踏破済みだから40階層に転移出来る」
「おおっ」

 銀級アルジョンダンジョンは最下層が第50階層で、転移陣は10階層ごとだ。

「そういうことならこれを預けるわ」

 言いながら師匠セルリーが取り出したのは肩から掛けるタイプの大きめの鞄で、中に入っていた薬草すべてを部屋の中に出し、空っぽになったそれをモーガンに手渡す。

「鮮度が保てるように時間停止機能付きだから入るだけ採ってきてちょうだい」
「わかった」
「魔石はなるべく大きいのを。鳥に限らなくてもいいわ、足の速い獣もアリだと思うの」
「賛成!」

 思わず声が大きくなってしまったが、四足歩行の魔獣は基本的に地球と変わらないし、普通に可愛いと思う。
 魔物も魔獣も人には懐かないけど、自分の魔力で顕現した子はとても従順だ。素直に撫でさせてくれるはずで……久々に生きたもふもふを心行くまで堪能したい……!

「ぜひお願いしますっ」
「お、おう?」

 欲望駄々洩れのお願いに、グランツェさんは目を白黒させつつも了承してくれた。



 かくして翌日、27日。
 大臣さんが陛下と遣り取りを開始する何時間も前。グランツェパーティは陽が昇るより早くから海岸沿いに入り口のある銀級アルジョンダンジョンに入場した。
 戻りの予定は約8時間後の昼12時。
 ヒユナさんも万が一の獄鬼ヘルネルの襲撃に備えてそちらに同行。
 俺と師匠セルリーは時間と在庫の許す限り、船内に設けられた工房で『僧侶の薬』を作り続けた。

「道具は、やっぱり師匠の工房の方が使いやすいですね」
「そう? 私が死んだら全部あげるから大事に使ってちょうだい」
「……そういう事じゃないんですが」
「ふふっ。弟子は師匠の言う事をきちんと聞くものよ」

 揶揄うような笑みを浮かべる師匠セルリーの言葉が、年齢的にも決して冗談でないことは俺も理解している。
 頭では解っているけど理解したくない。
 僧侶は世界中を旅するために死ぬまで見た目を含む肉体年齢が若いままだと聞いて知っている。実際、師匠セルリーはもう70歳なのに40歳くらいにしか見えない。
 若いのは見た目だけだって彼女は言う。
 現実はそうだ。
 でも、まだまだ元気じゃないですかって、思ってしまう。

「俺が弟子になるって決めたのは、一緒にプラーントゥ大陸の金級オーァルダンジョンに挑んでくれるって師匠が約束したからですからね!」
「そうだったかしら」
「ぬぁっ、まさか忘れてたんですか⁈」

 思わず詰め寄ったら、師匠セルリーは吹き出した。

「あはっ、忘れるわけないでしょうバカね」
「ぐっ……」

 べチンとおでこを叩かれた。

「ほら、調薬に集中。その一本一本が病に苦しんでいた人を救うんだってちゃんと意識しながら神力を解いていくの」
「はい……っ」

 子供扱いは別にいい。
 彼女にそう扱われるのは、むしろ母親がいたらこんな感じなのかなと……恥ずかしくて本人には言えないけど感謝しているんだ。
 でも、自分が近い将来いなくなるって事実をこうして突き付けられるのはひどくモヤモヤしてしまう。
 それでもしっかりと手を動かせるのは師匠セルリーの指導の賜物だ。




 それから半日。
 薬草の在庫が尽きたことで調薬を終え、グランツェパーティの帰還を待つ間に陛下と大臣さんのメッセンジャーによる数回の遣り取りを経て、船はトル国沖に、獄鬼ヘルネルの影響を受けない距離を取って停泊する事になった。
 また、大陸の東西、端から端までは中継地点を2カ所設ける事でメッセンジャーがきちんと届き、各国の情報を共有できるようになったという。

『おまえたちの魔導具のおかげで、パエ国にも相当な数の獄鬼ヘルネルが侵入していた事が判った上に魔導具を嫌がって逃げ出したそうだ。各国に渡した魔導具に魔力を注いだのはレン、おまえだと聞いた。本当に感謝する』

 カモメそっくりの魔物から聞こえて来る陛下の声に「お役に立てたなら良かったです」と思わず返事をしてしまって、傍にいたクルトさんに笑われてしまった。

「クルトさんもやってみたら判りますよ、絶対に同じことをすると思います」
「そうかな。ふふっ、じゃあ魔石に余裕が出来たら俺とレンくんのメッセンジャーを作ろうか」
「はい!」

 グランツェパーティがどんな魔石を持ち帰ってくれるか非常に楽しみである。

『メールの行軍は順調、現時点では予定通り30日の朝6時にトル国王都の外周を6か国で囲む』
『オノ・マハがパエで合流、このままトル国の西に進軍します』
『パエ国はトル国西の国境に到着、待機します』
『ピティはメール領内を縦断中。途中で獄鬼ヘルネル3体を討滅。怪我人は出ましたが死者はゼロ』

 作戦の認識に齟齬が出ないよう細やかな伝達が届くのはメッセンジャーを使いこなす練習も兼ねているのかなと想像しつつ、一度は薄れていた緊張感が戻って来た船内だったが、グランツェパーティが帰還してからは彼らのお土産に意識を全部持っていかれてしまった。

「おかえりなさい!」
「すごい荷物ですね……!」
「ああ、ただいま。とりあえずこれは調理場に……今日は肉料理が食べたい」

 ディゼルが大きな肉の塊をリクエスト付きで船のスタッフに手渡す横で、モーガンさんは駆け寄るエレインちゃんを軽々と抱き上げた。
 モーガンさんだって大量の荷物を持っているのにすごいな!
 量が量なので、全員が集まっても余裕のある場所ということでお土産の公開は食堂ホールで行われることになり、スタッフがお茶を準備している間にテーブルの上には次々と戦利品が置かれていく。
 
「さすが金級オーァルパーティですね、下層の素材をこれほど持ち帰るとは……」

 感心し過ぎたのか、大臣さんは掠れた声で呟きながら山になった魔石の一つを手に取って眺めている。
 全部で50個くらいあり、お馴染み魔の鴎ムエダグットが一番多くて20個くらい。入口が海岸沿いなだけあってダンジョン内部ではひたすら砂浜を歩くそうで、出現頻度が高いのはカニや貝を模した、表皮がすごく硬い魔物なんだとか。
 でもカニや貝じゃメッセンジャーにならないと判断したグランツェパーティは「今後何かに使えるかも」の精神でそれぞれ3個ずつ持ち帰っていた。

「こっちの大きなのは?」

 待ちに待った3センチ以上の魔石を見つけて訊くと、オクティバさんが苦い顔になる。

「それは休憩のために海岸沿いを離れて、芝生で休んでいた時に襲って来たイポポタムが一つと、ゲパールが4つだ」
「よ……ゲパールの群れに襲われたんですか?」
「今回に限って言えば幸運だったけど、普通は遭遇したくない連中だね」

 エニスさんとオクティバさんの会話が謎でクルトさんに視線を向けると、イポポタムはどうやらカバに似た魔物らしい。ものすごい巨体のくせにすばしっこく、体当たりしてくる危険なやつだけど、グランツェパーティには大した敵じゃないらしい。
 でもゲパールは金級冒険者でもなるべく出会いたくない魔物。何故なら必ず群れで行動しているうえに、数多いる魔物の中でも最速の移動速度を誇るそうだ。

「最速!」
「ああ。だからメッセンジャーに使えるかと思って何とか狩ってきたが……ヒユナを連れて行って正解だったよ。倒すまでに何か所も爪で裂かれた」
「ひぃっ」

 想像したらしいウーガが悲鳴を上げ、バルドルはホッと安堵の息を漏らす。

「無事で良かったです」
「ほんとに。しかもゲパールは俺の魔力が足りなくて顕現出来なかった」
「え。グランツェさんがですか?」
「そう。これ以上魔石に持っていかれたら帰れないなって思ったから途中で止めたんだけど、そもそも底なしみたいに魔力を持っていかれる感じが怖くてね」
「ちょっと意外です……あ、でもダンジョンで他の魔石は顕現出来ましたか?」
「それは、バッチリ」
「おお!」

 つまり強い魔物の魔石を手に入れられたら共闘も夢ではないわけで、それって浪漫じゃ?
 あ、魔力の問題は残るのか……。

「というわけで、これがそのゲパールの魔石だが君はどうだ?」

 トンとグランツェから手の平に置かれたそれは、淡いオレンジ色をした3センチ以上の魔石だった。

「試して良いんですか?」
「もちろん」

 周囲の全員の反応を確認してから、俺はそれに魔力を流す。

「……確かに、結構持っていかれますけど……」

 30秒ほどそうしていると、急に魔力が入らなくなり魔石は微かに発光。直後に手から跳ねた魔石が床に着地する時には、俺の身長とそんなに変わらない体長の四足歩行の獣の姿が――。

「チーター⁈」
「っ」
「ち……は?」

 毛の柄を見て思わず大きな声を出してしまい、周囲を驚かせてしまったが、間違いない。ゲパールの毛はヒョウ柄。顔つきもそうだし、……何よりも、毛が。

「もふもふ……!」

 しかも大きいよ、体長が160センチくらいって事は立たせたらもっとだし!
 尻尾長いっ、可愛いっ、うわあああっ。

「レンくん?」
「大丈夫か?」

 大丈夫。
 いや、違う。
 きっと顔が酷いことになってるって自覚はあるんだけど、でも、我慢出来ない。
 周りに反応する余裕もない。

「ぁ、あの、撫でてもいい?」
「ギィィィァ」

 返事、してくれたんだろうか。
 首をぐるりと巡らせるように声を上げたその子の喉を、撫でる。

「グルルルルル」
「うっ……わぁ……っ」

 あったかい。
 ふわふわしている。

「お……おぉ……ぉぉぉぉっ」

 恐る恐る首に腕を回して、ぎゅってした。
 俺の魔力で顕現した魔物は大人しくされるがままで、ごろごろと喉を鳴らしていて、俺個人はとてつもない至福の時間を過ごしたのだけど、……周りの皆にとっては異様でしかなかったらしく。
 こちらを凝視している彼らの視線に俺自身が気付くまで、ホールには何とも言えない雰囲気が漂い続けたのだった。 
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