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第6章 変遷する世界

167.連休の過ごし方(6)

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 大きな声で言い合っていたせいで、船に残っていたディゼルさんも気付いたんだろう。部屋から顔を出して、今にも泣きそうな顔で俺を引っ張って行くクルトさんに驚いたようだったけど「大丈夫です、それより」って立ち尽くしているバルドルさんを視線で示したら、苦笑混じりに「はいはい」って応じてくれた。
 他にも船のスタッフさん数人に目撃されて一様に驚かれたけど「夕飯までには戻りまーす」って伝えたら了解してくれた。


 で、連れて来られたのは港にほど近いこじんまりとしたカフェの、奥の席。
 クルトさんは顔を覆いながら何度も謝っている。

「ごめん……本当にごめんね、レンくん。こんな、勝手に……ごめん……」
「いえ、俺も一人でいたくなかったので誘ってもらえて嬉しかったですよ。それにせっかく来たんですし美味しいもの食べましょう。ほら、メニューに載っているのどれも美味しそうです」

 イラスト付きの可愛らしいメニュー表には飲み物もスイーツも数種類並んでいる。
 チョコレートも、こっちではショコラという名前で普通に流通しているのが嬉しい。チョコレートのレシピはグロット大陸の金級オーァルダンジョンで発見され、素材は世界各国複数の金級オーァルダンジョンから採取出来るカカオの実。カカオはこっちでもカカオ。高級品扱いではあるけど、プラーントゥ大陸でも採取可能だと聞いている。

「クルトさんは何が良いですか? 紅茶もアイスとホットで、ストレート、ミルク、シトロンから選べますし、果実水もシトロン、オロンジュ、レザンって」

 シトロンはレモン、オロンジュはオレンジ、レザンは葡萄。

珈琲カッフィもあります」
「……珈琲カッフィはいいや。レンくんが淹れてくれるの以外は飲めなくなったから」
「ふはっ」

 急に褒められて変な笑いが零れる。

「なんですか急に」
「急じゃないよ。それに珈琲カッフィだけじゃなく、レンくんが作ってくれるご飯だって本当に美味しくて、ダンジョンでのご飯が楽しみに思える日が来るなんて思ってもみなかった」
「それは……あの、とても光栄ですけど、照れるのでそれくらいに」

 お願いしたら、クルトさんが笑った。
 うん。
 やっぱり笑ってくれている方がいい。

「美味しい物食べるって言ったのはクルトさんなんですから、早く選んでください」
「うん。……うん、ありがとう」
「いーえ」

 とん、とテーブルの真ん中にメニュー表を広げた。


 注文を終えて、俺の前にシトロンの果実水と冬果物のタルト、クルトさんにホットのミルクティーとクレープが運ばれてくるまでは他愛ない話をしていたけど、もう店員さんが近付いて来ないってなったら、やっぱり気になるのはさっきのバルドルさんとの言い合いなわけで。

「ケンカの原因は何ですか?」
「……ケンカというか」

 クレープをフォークで器用に切って口に運ぶクルトさんは非常に言い難そうに眉間に皺を刻んでいる。

「ひどいことされた、とか」
「ううん。そんなことは、全然」

 全然と言いつつも、ますます眉間の皺が深くなるクルトに、俺の眉間も寄って来た、その時。

「どうせイヌ科シアンの悪癖が出たんだろ」
「っ」
「なっ……」

 思わず立ち上がってしまった俺とクルトさんににんまりと笑っているのは、いつの間にか俺の後ろに立っていたウーガさん。

「ちょ、え、気配なんて全然……!」
「弓術士の凄さを見たか!」
「街中でスキルの無駄遣い……っ」
「ははっ。俺も座っていい? 喉乾いた」
「それはもちろんですけど、どうして此処に?」
「歩いてたら偶々ここが見えたからさ。神妙な顔しているし問題でも起きたかと思ったけど、そうでもなかったね?」

 確かに痴話げんかは大した問題じゃないと思う。
 犬も食わないし。

「おねえさん、ストレートのアイスティとチーズケーキお願い」
「は、はい!」

 いきなり立ち上がった俺達に驚いていた周りの人たちが、ウーガさんが注文して座った事で視線を外し始めた。俺はごめんなさいの気持ちを込めて周囲に頭を下げてから座り直す。

「……一人?」

 ウーガさんに聞いたのはクルトさん。俺は騎士団長さんからそう聞いていたけど、クルトさんからしてみると確認せずにはいられなかったんだろう。

「ん? 一人だけど……あぁ、バルドルに探してって言われたと思った? 俺は朝から街に出てたし、メッセンジャーも飛んできてないよ」
「そう……」
「で? やっぱケンカした原因ってイヌ科シアンの悪癖?」
「悪癖って何ですか?」

 訊いたら、ウーガさんは面白そうに教えてくれた。

イヌ科シアンって一途だから恋人や伴侶にするには浮気の心配がなくていいんだけど、たまに度を越して過保護になったりするんだよね」
「過保護」
「そ。もう赤ちゃん相手かよってくらい、ご飯食べさせたり、着替えさせたり」
「えー……」
「他には嫉妬深くなって、年齢性別一切関係なく自分の番に近付くのを許さなかったり。あぁでもこれは獣人族ビーストだとほとんどの連中が当てはまるか……あ、ありがとー」

 ウェイトレスのお姉さんがウーガさんの前にドリンクとケーキを置いていく。
 ウーガさんはドリンクを半分くらい一気に飲んで、思い出したように言う。

「他に多い悪癖って言ったら、後追いな」

 ピクッて反応したクルトさん。
 後追いって不吉なイメージしかないんだけど。

「それって先立った相手を追いかけて……みたいな」
「違うよ。いや、充分有り得る話だけど」

 有り得るらしい。
 ツライ。

「それより、ほら、赤ん坊が親の後を付いて回るあれ。姿見えなくなると不安になって泣きながら追いかけるじゃん」
「あー……」

 ピクピクッってクルトさんの耳が動いてる。
 まじか。
 ウーガさんも気付いたらしい。

「へぇ! バルドルはどこまで追っかけた? 風呂? トイレ?」
「っ」
「あははははっ、そりゃ大変だね!」
「笑い事じゃない!」

 店内なので声は一応抑え気味だけど、それでも興奮して来たら声は通ってしまうわけで。

「見えないところで倒れたらどうするとか俺は素直に甘えないとか具合悪いの隠すとか決めつけて……っ、部屋のトイレで倒れたからってどうにでもなるだろ!」
「あははは!」

 ウーガさんは笑っているけど先日の発情期の件を知っている身としては甘えない・隠すの部分についてバルドルさんに軍配を上げたいと思ってしまった。
 いや、もちろんトイレまで付いて来られるのは困るけど。

「くくくくっ、そりゃあケンカにもなるよね。しゃーないしゃーない」
「ですね……イヌ科シアンの後追いって止められないんですか?」
「どうかなぁ。俺はそれ、ないし。いっそ部屋を分けたら? 俺と変わろっか? ドーガは安全よ」
「だったら俺の部屋を使えば良いと思います。夜は無人ですもん」
「おお、いいじゃん」
「……お願いするかも」
「はい、ぜひ」

 とはいえ、いつまでもそれで顔を合わせないわけにはいかないはず。

「ダンジョンの中ではどうしていたんですか?」
「どうも何も、普通だったよ。昨日から急にだ」
「そりゃあダンジョンじゃ命掛かってるもん、あれでもパーティリーダーだし切り替えるっしょ」

 なるほど。
 公私混同はしないという点でしっかりと分けられるなら他人があれこれ言うのも憚られる。

「赤ちゃんの後追いなら成長と共に治まりますし、バルドルさんもクルトさんが大丈夫だって思えたら落ち着くんじゃないですか?」
「俺もバルもいい年齢した大人なんだけど!」
「そこは、ほら。クルトさんに前例があるから」
「っ……」

 本人も自覚はあるらしく、言葉を詰まらせる。

「それか、さっさと番っちゃえば?」
「えっ」
「結婚式して、互いに術式刻んじゃえば離れていてもどこにいるか判るし、後追いしなくても安心するんじゃん? しかも余計なのも近寄って来なくなるし……あぁ、まぁ人族ヒューロンには通じないけどさ」

 体に術式を刻むと聞いて思い出したのはまだトゥルヌソルで宿暮らしをしていた頃に、リーデン様に胸に刻まれたアレだ。周囲に番持ちだと勘違いさせるために婚姻のそれっぽいことをして、でもいつか俺が番いたい相手を見つけた時のためにって、それがなかったことに出来るよう徴を残された。
 胸元に残る痣は今も鮮明で、何故かチクリと痛む。

「こっちの結婚式って、教会に家族や仲間を呼んで、皆の前で永遠の愛を誓ったりするんですか?」
「そういうのする場合もあるよ。貴族なんかは多いかな」

 ウーガさんが頷いて説明してくれる。
 異世界出身の俺がこっちの常識に疎いのを知ってくれている分、内容は詳細だ。

「ただ、式より重要なのが番の術式を互いの任意の場所に当てて魔力を流すことだから、二人で済ます方が多いイメージ。術式自体は体の中にスッと入って消えちゃうからさ、結婚の記念にその場所に入れ墨を彫ったりする奴もいるよ」
「お揃いの入れ墨?」
「うんうん、そういう二人もいるね。ただどっちかが人族ヒューロンだと術式を刻んだ場所に印をつけておくって聞いたことがある」
「しるし……?」
「ん。獣人族同士だと皆無なんだけど、人族ヒューロンにはたまにあるんだよ、離婚。心変わりするらしくて。原因は匂いに鈍感だからって言われるけど、まぁ保険的な意味合いで解除出来るように印をつけておくらしいよ」

 徴って、これだよね。
 胸元に手を当てて考えるが、いや、ウーガさんはお互いにって言ったからやっぱり違う。俺はリーデン様に術式なんて当ててない。
 ただの牽制のための楔に過ぎない。

「レンの場合は……あぁそっか、まだ牽制なんだっけ?」
「へ?」

 心を読まれたかと思って驚くが、ウーガさんの態度はとても自然で。

「牽制にしてはとんでもない圧だけどレンの場合は匂いに鈍感で良かったかもね。こんなの常に自覚していたら、俺ならちんこ勃ちっ放しになりそう」
「っ」
「ウーガ!」
「あはは」

 クルトさんが叱ってくれるけど、ウーガさんの話は身に覚えがあるようなないような気がしてほんの一瞬でもいいから獣人族の鼻が欲しいと思ってしまった。
 だってウーガさんの話からすると、愛情は目では見えないけど、獣人族は鼻で嗅ぎ分けられるって言っているように聞こえる。
 リーデン様の気持ちを疑うわけじゃなけど、それは、ちょっと、羨ましい。

「ま、いまはレンよりクルトだよ。どう? 結婚式するなら派手にお祝いするし、サプライズだって協力しちゃうけど」
「そ、それは、まだ」
「へぇ、まだ?」
「っ……」

 遠慮のなさ過ぎるツッコミに真っ赤になるクルトさんは大変に可愛らしかった。
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