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番外編SS3 ニコラスが健全か否かは筋肉だけが知っている(前)
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ガキの頃から魔力が高めだったせいか、腕力も同じ年齢の連中よりかなり強く、俺は遊んでいるつもりだったのに相手を吹っ飛ばしちまう事が何度かあった。
怪我をさせたら謝らなきゃいけない。
それはもちろん理解していたが、当時の俺はガキだったから、悪気があったわけじゃないのに謝らなきゃいけないってのがすげぇしんどかった。
親に叱られるのも、周りの大人達に白い目で見られるのも、友達だと思っていた連中に怯えられるのも、……全部が苦痛だったんだ。
それがなくなったのは十歳になる春だ。
何処で俺の噂なんて聞いて来たのか、王国騎士団の偉い人が俺の魔力の高さ、身体能力の高さを認めてくれて、王立学園に特別枠で入学させて貰えることになった。
卒業後は騎士団に入るのが条件だったが、もちろん俺に否はない。
平民の子は十歳前後で働きに出るのが普通だ。
家まで来た騎士団の偉い人は、学園に通うほとんどの生徒が貴族だってこと、そういう連中と同じ学び舎に通うからには礼儀や貴族の一般常識も知る必要があるからって、その教育料の代わりに俺を自分の邸の下働きとして雇うと言い出した。
あまりにも旨い話に、さすがに両親も警戒したようだったが、騎士団の偉い人の態度が平民に接している貴族とは思えないほど真摯だったからだろう、不安そうではあったが最終的には賛成してくれた。
俺が友達もおらず、一人で森や川で修行だと言いながら獣を狩っていた事。成人後は傭兵になるつもりでいた事などを両親も察していたんだろう。
「たまには兎や猪を土産に顔を出すよ」
「……くれぐれも気を付けて、頑張りなさい、ニコラス」
目に涙を浮かべながら見送ってくれた母親と、言葉こそなかったけれど真っ直ぐに自分を見つめてくれていた父親の姿は、その日から十五年以上が経った今でもはっきりと思い出せる。
両親は普通の平民だ。
ちょっと気を抜けば近所の子どもを怪我させてしまうような、貴族みたいに魔力が高い俺は、かなり育て難い子どもだったはずだ。
それなのに俺はこうして育った。
うっかり破いてしまった服は、あて布で補強された上にワンサイズ大きくなって母親の目の下の隈と一緒に翌朝に披露されたし。
父子の間で剣術もどきの遊びが流行ってると聞いて誘ってきた父親の、その手に握られた木の枝を思わず吹っ飛ばしてしまって気まずい思いをしていたら、どっかから角材を持って来て再戦だと言い出し、腰をやらかされた事もある。
友達こそいなかったが、俺は確かに恵まれていたと知っている。
だから努力だけは欠かさなかった。
俺を学園に入れるために下働きとして雇いながら様々な事を教えてくれた騎士団の偉い人の恩に報いるためにも、俺に出来るのは頑張る事だけだったんだ。
まさかその人が上司になり、俺が補佐である副団長に抜擢されるなんて、その頃は想像もしていなかったけれどな。
***
家を出て十五年以上が経ち、俺は騎士団の副団長に任じられていた。
団長はバーディガル侯爵――俺が下働きとして世話になっていた邸の主人だが、学園に入学してからは寮に。騎士団に入団してからは団専用の宿舎に住んでいるため、いざ昔のように接しようとしてみると気恥ずかしさやら恐れ多さなどがあって、最近は随分と距離を感じるようになってしまったように思う。
そんな団長の、最近の溜息の多さが気になった。
「……どうかされたのですか、団長」
「ん?」
「随分とお疲れのようなので」
「――……ああ、すまん。どうやら気を抜いていたようだな」
「……何かありましたか?」
「大したことではない、息子の思春期……いや、反抗期か? それで些か口論になってしまってな」
「ご子息というと、リント様ですよね?」
「ああ。少し前までは可愛いもんだったが、……あの件以降、子どもなりに思う事があったのかもしれんな」
「そうですね……」
あの件というのは、クロッカス公爵家の長男が王家主催の狩猟大会で亡くなられた件だ。
いろいろと悪い条件が重なってしまったがゆえの悲しい事故だったという事になっているが、国内の大半の貴族が隣国の幼い王子が原因だと察している。
リント様が狩猟大会に参加していたのかどうかは知らないが、確か今年入学したばかりの未成年だ。もしかしたら問題の王子と直に接していて、事故と結論付けた父親を――騎士団の長を責めているのかもしれないと思う。
「学園に入って間もない世代に政治や外交の難しさは分かり難いものです。もう少し大人になれば自ずと理解するでしょう」
「うむ……」
無理に笑って見せた団長は、それから一つ息を吐いた。
「君の事は十歳から知っているが、同じ男の子でも成長の過程はまるで違うものだな」
「生まれからして違い過ぎますよ」
「そうだな……しかし……君のご両親に学べば息子に相談してもらえる親になれるかな」
「……それはどうでしょう。私も親に相談は終ぞしたことがありません」
「……そうか」
団長はあからさまに肩を落としていた。
夜。
騎士団の宿舎に向かいながら、俺は日中の団長との会話を思い出していた。
親に相談ねぇ……相談、どれだけ記憶を探ってみても思い当たるものは一つもない。頼りにしていないとかではなく、平民なのに高すぎる魔力が原因で友人が出来ないとか、そういう相談をしても両親にはどうする事も出来ないと知っていただけだ。
……その、なんだ。
俺が相談する事で親を悩ませるのが嫌だった、とも言うが。
かと言って反抗した覚えも……まあ、五歳とか六歳の時に謝るのが嫌で逃げ出した事はあったが、後で両親と一緒に近所を頭下げて回ったしな。
あの経験のせいで素直に謝るのが一番だと学んだってのは大きいかもしれん。
第一、十歳で親元から離れて侯爵邸で働いていたんだ。
たまの里帰りで親子喧嘩する事もないし、本当に、俺とリント様ではなんの参考にもなりゃしない。
「年齢も微妙に離れてるから実際に会ったことだって……まあ、あっちは覚えていないだろうな」
まだ奥様に抱っこされているような頃の話だ。
覚えている方が怖い。
それでも、俺の恩人である団長にあんなにも心労を掛けている息子に苛立ってしまうのは、俺としちゃ当然の感情だろう。
「しかし反抗期だ、思春期だって、経験ない俺にはさ……っぱ、り……」
んん?
自分の発言に自分で疑問を覚える。
思春期ってあれだろ、あの子が可愛いとか、好きとか、んんんしてみたいとか、ほら。
俺だってもう二十五過ぎたんだぞ、そんな経験の一つや二つ……、え。
ない?
そんなバカな!!
俺は混乱した。
だがどう考えても経験がない。え。俺もう二十五なのに??
女の子と無縁だったわけではない。
騎士団の先輩方と出歩けば可愛い子と出逢う機会はあったし……あった、けど。
「……嘘だろ……?」
俺は動揺した。
完全にそっちに意識が持っていかれて、そのせいで角の向こうから誰かが近付いている事にも気付かなかった。そのまま進んだ俺が最初に感じた衝撃は“ぽよんっ”。
「は――」
次いで無意識に手が動いて支えた腰の細さと“ぷりんっ”。
「きゃっ」
「はっ、やっ、すまん!!」
転ばせてはまずいと伸ばした手を慌てて離したせいで、彼女はまた転びそうになったけれど、そこは腕を掴んで引き寄せた。
ふわりと香る甘い匂いは、焼き菓子?
無意識に凝視していた視界を、幼さを残すくせに魅惑的な女の面立ちに覆われて、俺は。
「この……っ、変質者!!」
「ぎゃああっ」
頭上から火の玉が降ってきて頭を燃やす。
威嚇攻撃だったようでそれはすぐに消えたが、同様に女の姿もなかった。
「なっ……なっ……」
変質者と叫ばれて、違うと言い返せなかった。
否、断じて違うぞ。
俺は一般常識を身に付けている! 民を守る騎士団の一人だ! 害する側に回りはしない!
だが。
……だがっ。
ぽよんっとか。
ぷりんっとか。
「あれは一体……!!」
自分の両手を見下ろし、明らかに挙動不審な様子で呻いていた俺に、たまたま通りかかったのだろう先輩騎士が声を掛けて来た。
どうかしたのかと言うから事情を話したところ、何故か大笑いされた後で「よしっ、今日からは俺らと一緒におまえも体を鍛えろ」と命じられた。
意味が解らない。
というか、俺は先輩騎士に何をどう説明したのだろうか。
テンパっていてまったく覚えていない!!
――だが。
「健全な肉体には健全な魂が宿るんだ! 己を磨け、魂を鍛えろ!! 成果は筋肉となっておまえの心の美しさの証となる!!」
もはや先輩の迫力に逆らう気力も当時の俺には皆無で、気付けば同僚と肉体美を競い合う日々が始まっていた。
そして、これがアメリア・ミスティとの出会いだったと気付いたのはそれから半年が過ぎた頃。彼女が魔法師団の副団長に就任しての顔見せの時である。
更には、三年後だ。
まさか自分がリントやアメリアと共に『六花の戦士』に選ばれるとは思いもしなかった。
俺の人生、そんな驚きばっかりだな。
怪我をさせたら謝らなきゃいけない。
それはもちろん理解していたが、当時の俺はガキだったから、悪気があったわけじゃないのに謝らなきゃいけないってのがすげぇしんどかった。
親に叱られるのも、周りの大人達に白い目で見られるのも、友達だと思っていた連中に怯えられるのも、……全部が苦痛だったんだ。
それがなくなったのは十歳になる春だ。
何処で俺の噂なんて聞いて来たのか、王国騎士団の偉い人が俺の魔力の高さ、身体能力の高さを認めてくれて、王立学園に特別枠で入学させて貰えることになった。
卒業後は騎士団に入るのが条件だったが、もちろん俺に否はない。
平民の子は十歳前後で働きに出るのが普通だ。
家まで来た騎士団の偉い人は、学園に通うほとんどの生徒が貴族だってこと、そういう連中と同じ学び舎に通うからには礼儀や貴族の一般常識も知る必要があるからって、その教育料の代わりに俺を自分の邸の下働きとして雇うと言い出した。
あまりにも旨い話に、さすがに両親も警戒したようだったが、騎士団の偉い人の態度が平民に接している貴族とは思えないほど真摯だったからだろう、不安そうではあったが最終的には賛成してくれた。
俺が友達もおらず、一人で森や川で修行だと言いながら獣を狩っていた事。成人後は傭兵になるつもりでいた事などを両親も察していたんだろう。
「たまには兎や猪を土産に顔を出すよ」
「……くれぐれも気を付けて、頑張りなさい、ニコラス」
目に涙を浮かべながら見送ってくれた母親と、言葉こそなかったけれど真っ直ぐに自分を見つめてくれていた父親の姿は、その日から十五年以上が経った今でもはっきりと思い出せる。
両親は普通の平民だ。
ちょっと気を抜けば近所の子どもを怪我させてしまうような、貴族みたいに魔力が高い俺は、かなり育て難い子どもだったはずだ。
それなのに俺はこうして育った。
うっかり破いてしまった服は、あて布で補強された上にワンサイズ大きくなって母親の目の下の隈と一緒に翌朝に披露されたし。
父子の間で剣術もどきの遊びが流行ってると聞いて誘ってきた父親の、その手に握られた木の枝を思わず吹っ飛ばしてしまって気まずい思いをしていたら、どっかから角材を持って来て再戦だと言い出し、腰をやらかされた事もある。
友達こそいなかったが、俺は確かに恵まれていたと知っている。
だから努力だけは欠かさなかった。
俺を学園に入れるために下働きとして雇いながら様々な事を教えてくれた騎士団の偉い人の恩に報いるためにも、俺に出来るのは頑張る事だけだったんだ。
まさかその人が上司になり、俺が補佐である副団長に抜擢されるなんて、その頃は想像もしていなかったけれどな。
***
家を出て十五年以上が経ち、俺は騎士団の副団長に任じられていた。
団長はバーディガル侯爵――俺が下働きとして世話になっていた邸の主人だが、学園に入学してからは寮に。騎士団に入団してからは団専用の宿舎に住んでいるため、いざ昔のように接しようとしてみると気恥ずかしさやら恐れ多さなどがあって、最近は随分と距離を感じるようになってしまったように思う。
そんな団長の、最近の溜息の多さが気になった。
「……どうかされたのですか、団長」
「ん?」
「随分とお疲れのようなので」
「――……ああ、すまん。どうやら気を抜いていたようだな」
「……何かありましたか?」
「大したことではない、息子の思春期……いや、反抗期か? それで些か口論になってしまってな」
「ご子息というと、リント様ですよね?」
「ああ。少し前までは可愛いもんだったが、……あの件以降、子どもなりに思う事があったのかもしれんな」
「そうですね……」
あの件というのは、クロッカス公爵家の長男が王家主催の狩猟大会で亡くなられた件だ。
いろいろと悪い条件が重なってしまったがゆえの悲しい事故だったという事になっているが、国内の大半の貴族が隣国の幼い王子が原因だと察している。
リント様が狩猟大会に参加していたのかどうかは知らないが、確か今年入学したばかりの未成年だ。もしかしたら問題の王子と直に接していて、事故と結論付けた父親を――騎士団の長を責めているのかもしれないと思う。
「学園に入って間もない世代に政治や外交の難しさは分かり難いものです。もう少し大人になれば自ずと理解するでしょう」
「うむ……」
無理に笑って見せた団長は、それから一つ息を吐いた。
「君の事は十歳から知っているが、同じ男の子でも成長の過程はまるで違うものだな」
「生まれからして違い過ぎますよ」
「そうだな……しかし……君のご両親に学べば息子に相談してもらえる親になれるかな」
「……それはどうでしょう。私も親に相談は終ぞしたことがありません」
「……そうか」
団長はあからさまに肩を落としていた。
夜。
騎士団の宿舎に向かいながら、俺は日中の団長との会話を思い出していた。
親に相談ねぇ……相談、どれだけ記憶を探ってみても思い当たるものは一つもない。頼りにしていないとかではなく、平民なのに高すぎる魔力が原因で友人が出来ないとか、そういう相談をしても両親にはどうする事も出来ないと知っていただけだ。
……その、なんだ。
俺が相談する事で親を悩ませるのが嫌だった、とも言うが。
かと言って反抗した覚えも……まあ、五歳とか六歳の時に謝るのが嫌で逃げ出した事はあったが、後で両親と一緒に近所を頭下げて回ったしな。
あの経験のせいで素直に謝るのが一番だと学んだってのは大きいかもしれん。
第一、十歳で親元から離れて侯爵邸で働いていたんだ。
たまの里帰りで親子喧嘩する事もないし、本当に、俺とリント様ではなんの参考にもなりゃしない。
「年齢も微妙に離れてるから実際に会ったことだって……まあ、あっちは覚えていないだろうな」
まだ奥様に抱っこされているような頃の話だ。
覚えている方が怖い。
それでも、俺の恩人である団長にあんなにも心労を掛けている息子に苛立ってしまうのは、俺としちゃ当然の感情だろう。
「しかし反抗期だ、思春期だって、経験ない俺にはさ……っぱ、り……」
んん?
自分の発言に自分で疑問を覚える。
思春期ってあれだろ、あの子が可愛いとか、好きとか、んんんしてみたいとか、ほら。
俺だってもう二十五過ぎたんだぞ、そんな経験の一つや二つ……、え。
ない?
そんなバカな!!
俺は混乱した。
だがどう考えても経験がない。え。俺もう二十五なのに??
女の子と無縁だったわけではない。
騎士団の先輩方と出歩けば可愛い子と出逢う機会はあったし……あった、けど。
「……嘘だろ……?」
俺は動揺した。
完全にそっちに意識が持っていかれて、そのせいで角の向こうから誰かが近付いている事にも気付かなかった。そのまま進んだ俺が最初に感じた衝撃は“ぽよんっ”。
「は――」
次いで無意識に手が動いて支えた腰の細さと“ぷりんっ”。
「きゃっ」
「はっ、やっ、すまん!!」
転ばせてはまずいと伸ばした手を慌てて離したせいで、彼女はまた転びそうになったけれど、そこは腕を掴んで引き寄せた。
ふわりと香る甘い匂いは、焼き菓子?
無意識に凝視していた視界を、幼さを残すくせに魅惑的な女の面立ちに覆われて、俺は。
「この……っ、変質者!!」
「ぎゃああっ」
頭上から火の玉が降ってきて頭を燃やす。
威嚇攻撃だったようでそれはすぐに消えたが、同様に女の姿もなかった。
「なっ……なっ……」
変質者と叫ばれて、違うと言い返せなかった。
否、断じて違うぞ。
俺は一般常識を身に付けている! 民を守る騎士団の一人だ! 害する側に回りはしない!
だが。
……だがっ。
ぽよんっとか。
ぷりんっとか。
「あれは一体……!!」
自分の両手を見下ろし、明らかに挙動不審な様子で呻いていた俺に、たまたま通りかかったのだろう先輩騎士が声を掛けて来た。
どうかしたのかと言うから事情を話したところ、何故か大笑いされた後で「よしっ、今日からは俺らと一緒におまえも体を鍛えろ」と命じられた。
意味が解らない。
というか、俺は先輩騎士に何をどう説明したのだろうか。
テンパっていてまったく覚えていない!!
――だが。
「健全な肉体には健全な魂が宿るんだ! 己を磨け、魂を鍛えろ!! 成果は筋肉となっておまえの心の美しさの証となる!!」
もはや先輩の迫力に逆らう気力も当時の俺には皆無で、気付けば同僚と肉体美を競い合う日々が始まっていた。
そして、これがアメリア・ミスティとの出会いだったと気付いたのはそれから半年が過ぎた頃。彼女が魔法師団の副団長に就任しての顔見せの時である。
更には、三年後だ。
まさか自分がリントやアメリアと共に『六花の戦士』に選ばれるとは思いもしなかった。
俺の人生、そんな驚きばっかりだな。
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