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第56話 噂の相手

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「ううん、そんなことないよ。大丈夫!」
「そうか? 顔色が悪いんじゃねえか?」

 怪訝そうにこちらを見るアイザックに、私は慌てて首を横に振って否定する。その様子を見ていたカトレアさんは、口に手を当てておかしそうに笑った。

「アイザック、あんたいつの間にそんな心配性になったの? それじゃあまるで、娘を心配する父親みたいだよ」
「いや、俺はそんなつもりじゃ……」
「ふふ、ねえセリちゃん、この間の服、全部サイズ直しができてるの。ちょっと試着してみてくれない?」
「は、はい」

 ぶつぶつとなにかを言ってるアイザックを置いて連れて行かれたのは、カウンターの横にある布で仕切られたスペースだった。促されて中に入ると、そこには真新しい服一式がハンガーにかけられていた。

「うわあ……可愛い……!」

 まず真っ先に目に入ったのは、ミルクティベージュのマント。膝が隠れる丈のマントはフードもついていて、すごく軽くて柔らかい生地でできてる。
 胸元に花の刺繍があしらわれた、ふんわりした白いオフショルダーのブラウスに、下に合わせた濃いグリーンのフレアスカートは、ロング丈だったのがミモレ丈になっている。
 そして、足下には茶色のレースアップのブーツまで用意してあった。
 ……こんな可愛い服、私が着ていいの? スカートとか久しぶり過ぎて、なんだか緊張するんだけど……!
 恐る恐る袖を通した服は、どれも見事なほど私にぴったりなサイズになっていた。

「セリちゃん、入っていいかしら。サイズはどう?」

 思わずぼーっと鏡を見つめていた私は、カトレアさんの声にはっと我に返った。

「あっ、はい! どうぞ!」
「失礼するわね。……うん、サイズはどれもちょうどいいみたいね。悔しいけどアイザックの奴、貴女に似合う服をよくわかってる」
「あの、カトレアさん、このマントは?」

 一通り服のサイズを確認して満足そうに頷くカトレアさんに、私は疑問に思ってることを尋ねた。だってこのマント、私は初めて見るんだけど……?

「ああ、これは私の力作、防御力上昇効果を付与したマントよ。アイザックに頼まれて制作したの」
「え? アイザックが?」
「あいつ、貴女のマントを破いて捨てちゃったんでしょう? それに、蟲に襲われて大怪我をしたって聞いたわ。だからかしら、一番薄くて軽い素材で、とにかく防御力が高いマントを作ってくれって注文だったの」

 そこまで言って、カトレアさんはなにかを思い出したようにクスクスと笑った。

「アイザックの奴、セリちゃんには淡い色が似合うだとか、丈はこれくらいがいいとか、本当に注文が細かくて大変だったんだから。まったく靴のサイズなんて、一体どうやって調べたのかしら」
「アイザックがそんなことを?」 
「ええ。貴女、余程あいつに愛されてるのね。羨ましいわ」

 そう言って笑う鏡の中のカトレアさんは、どこか遠い目をしている。
 緑の瞳を金色の長い睫がゆっくり覆うさまは物憂げで、女の私が見てもドキドキしてしまう。
 すらりと背の高い均整のとれた見事なプロポーションに、大輪の薔薇のように艶やかな美貌。カトレアさんならアイザックの隣にいても、さぞお似合いに違いない。ふとそんなことを考えて、胸がきゅっと苦しくなった。

「カトレアさん、あの、私……」
「はい? なあに?」
「おい、いつまで待たせるんだ」

 その時、外から聞こえてきたアイザックの声に、カトレアさんは顔を顰めた。

「まったく、あの男はしょうがないんだから。仕方ないわね。セリちゃん、行きましょう」
「え? ちょ、ちょっと待って、私まだ着替えてないのに」
「あら、そのままでいいのよ。ほら、アイザック、待たせたわね」

 カトレアさんに後ろからぐいぐい背中を押されて、外に出る。すると私を見たアイザックは少し驚いたように目を瞠り、それからゆっくり目を細めた。

「……ああ、思った通りよく似合ってる。セリ、すっげえ可愛いぞ」
「ふふ、そうでしょう? なにせこの私が腕によりをかけて頑張ったんだから、可愛くなって当然よ」
「相変わらず口は悪いが、腕はさすがの一言だ。悪くねえ」
「ちょっと、あんたは素直に人を褒めるってことができないの? 昔からほんとに……」
「ああ? 俺はいつだって素直だろうが。だいたいお前だって……」

 目の前で交わされるやりとりは、二人がいかにも気の置けない仲だってことが、ありありとわかる。
 そして、そんな二人を見ていると、はっきり自分が邪魔者なんだってわかってしまう。
 ……わかってたつもりなのに。勘違いしちゃ駄目だって、ちゃんと気をつけてたつもりなのに。私、なんだか馬鹿みたいだ。

「……ごめんなさい」

 私の声に、二人は驚いたように会話を止めた。

「セリ? どうした?」
「あの、私、アイザックとカトレアさんが付き合ってるって、全然知らなくて。本当にごめんなさい。その、あとでちゃんとお金を返しに来ますから」

 じりじりと後ずさりしていた私は、くるりと二人に背を向けて一目散に扉に向かう。

「え? セリちゃん?」
「おいセリ! 待て!」

 後ろから聞こえてくる声に耳を塞いで逃げるように店を飛び出した私は、気がつくと市場の人混みをかき分けるように走っていた。




「あれ、ここどこだろう……」

 お店を出て無我夢中で走っていた私は、見慣れない風景に足を止めた。
 街灯がともる前の薄闇に包まれた街は、まるで初めて来る場所みたいによそよそしく感じる。

「市場の反対側から出ちゃったのかな。ここはどこだろう。とりあえず大通りに……痛っ」

 一歩足を踏み出した私は、ズキンと刺すような足の痛みに、思わず顔を顰めた。
 初めて履いたブーツで走ったせいか、どうやら靴擦れしたみたい。咄嗟にそばにあるお店の壁に背中をつけて寄りかかった私は、大きく溜息を吐いた。
 ……あーあ、なにやってるんだろう。せっかく買った材料も、いつも持ってる自分の鞄も、着替えた時に全部置いてきちゃったよ。

「……まあ、もう料理の材料とか意味ないんだけどさ」

 そのままずるずると地面に座った私は、膝を抱えて顔を伏せた。
 精一杯できることをしようとか、和食を食べてもらいたいとか、馬鹿みたい。
 私には関係ないとか強がって、好きになっちゃいけないとか、ほんと馬鹿みたい。
 いつの間にかすっかり彼女になった気でいて、アイザックと一緒に王都に行きたいとか、心の底から馬鹿みたいだよ、私……。

 いつからなんてわからない。気がついた時には、とっくに好きになってた。
 だけど私は日本に帰るからって、自分ではちゃんと気持ちを封印したつもりだった。
 でも、あの二人を見たら、そんなの全然できてなかったんだって、よくわかった。
 
「あーあ、本当ならあと一日一緒にいれたのに。……でも、もう限界、だよ……」

 目尻から溢れた涙が、顔を覆った手の隙間からポロポロ下に落ちていく。
 濃い緑のスカートに染みが広がっていくのをぼんやり眺めていると、唐突に頭上から声が聞こえた。

「おい、大丈夫か?」

 驚いたように私を見つめていたのは、さっき市場で会ったばかりの、あの男だった。

「お前は……!」




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