つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

文字の大きさ
242 / 315

第242話 ノエル・ブラックウェルの手記(終)

しおりを挟む
 私が興奮している大勢の民をかき分けて彼女を見つけた瞬間、その凄惨な姿に言葉を失って身動き一つ取れなかった。

 木に括り付けられた彼女は既に何人もの人間に石を投げつけられたのか、顔は腫れ上がり、目はうつろで、体も至るところ傷だらけだ。
 何も隠し持っていないことを確認するためか、単にさらし者にしたいだけなのか、上半身を剥き出しにされ、下半身はスカートを高くたくし上げられたまま括り付けられている。

 肩口の星の痣は見せられませんと、恥ずかしそうに笑ったことがつい先日のことだったはずなのに。

「――エル様! ノエル様!」

 悲痛な女の子の声と腕をつかまれた感覚にはっと我に返る。視線を落とすとそこにいたのはアマンダさんだ。

「ノエル様、嘘よね! エスメラルダ様がルイス様を呪った魔女だなんて! 農作物を枯らした魔女だなんて!」
「もちろんです。そんな事をする方ではありません」
「だけど、エスメラルダ様がご自分でそう叫ばれたの。ルイス殿下を呪ったって。私は魔女だって。高らかに笑ったの!」
「まさか……なぜ」

 私が再びエスメラルダ様へと振り返った時。

「ネロ! ここよ、ネロ! ――首よ!」

 ネロを見付けたらしく目に精気が戻った彼女はあらん限りの声で叫ぶや否や、黒い塊が彼女に勢いよく飛びかかって行くのが見えた。

「止めてっ! 魔女の使い魔よ! 誰か今すぐその猫を止めて!」

 金切り声を上げる女性の声に反応すると、一人の体格がいい騎士が渾身の力を込めてネロに槍を投げつける。

「ネロ!」

 思わず叫んだその瞬間。
 ネロは耳をつんざくような鳴き声を上げ、ネロの体を貫通した槍はそのまま――エスメラルダ様の左の胸に突き立てた。

 それまでの喧騒が嘘のように静まり返る。直後、事態を把握した人らの悲鳴があちこちで上がった。

「エスメラルダ様! ネロ!」

 再び騒々しくなった場の中で、私は叫びながら必死で民衆と取り締まる騎士を無理やり押しのけた。
 エスメラルダ様らに近付き、反射的に刺さった槍に手をかけたが、手元へと伝ってきた血に正気を取り戻す。

 駄目だ。これをこの場で引き抜けばお命は――。

 私に気付いたのだろうか。彼女は唇に笑みをのせた。

「じ……とす」
「え?」
「ごめ、ね。ネロ」

 彼女の気高く澄んでいた青い瞳が伏せられ、目尻から頬へと赤が混じった雫が伝う。

「エス――」
「何やっているの! その男を取り押さえて、早く火を放って!」

 女性、アンジェリーナ様は再び叫んだ。
 その声に反応してエスメラルダ様はわずかに目を開く。だが、その瞳はもう誰の姿も映していないようだった。
 唇が細かく震えるように動く。

「たとえ死……もあな、気こ、を辿り、どこま、でも追う。あな、の……が絶、るその日まで。どれ……時がかか、ても、いつ、日にか、あな――っ」

 ごぷりと彼女の口から鮮血があふれ出した。

「エスメラルダ様!」
「魔女の血は毒よ! 早く火を!」

 アンジェリーナ様の鋭い声で、たいまつを持った騎士が今度こそ動き出す。

「止めろ! 止めるんだ!」

 たいまつを持つ騎士の腕をつかんだが、次の瞬間には数名の騎士が何か叫びながら私を取り押さえた。

「駄目だ。エスメラルダ様、ネロ! ――止めろ! 止めてくれ!」

 必死に伸ばす血濡れた手の先で、かすかに笑みをたたえたエスメラルダ様はネロと共に、赤く大きな炎に包まれた。


「ブラックウェル騎士官長。今回の君の言動のことで、殿下の護衛騎士官長を退任してもらうことになった。だが、陛下がこれまでの君の働きを鑑みて、地方への配属をとご提言してくださった」
「ありがたきお言葉、至極光栄でございます。しかし私は本日をもって騎士の称号を返上いたします」

 陛下の護衛騎士、マクレ官長から下る辞令を意味のない言葉の羅列のように流し、どこか他人事のように答える。
 どうせ私も独り身だ。誰にも迷惑をかけることはない。

「陛下のご厚情が分からないのか」
「私は騎士として失格です。この度のことで痛感いたしました。これ以上、ご迷惑をおかけするわけには参りません」

 人ひとり助けられなくて何が騎士だ。いや。殿下の御身も、エスメラルダ様やネロも、少女も誰一人助けられなかった。

「そうか。そうだな。今の君の瞳にはもはや光が無い。身命を賭す騎士は荷が重いだろう」
「……殿下のご容体はいかがでしょうか」
「君は何も心配しなくていい」

 言葉だけは強いが、いつも毅然としているマクレ官長が半ば目を伏せた。

「承知いたしました。よろしくお願い申し上げます。ただ最後の仕事として、自分の経験を教訓に騎士官長としての心得をしたためた物を次の者に引き継いでもらいたいと考えているのですが、よろしいでしょうか」
「……いいだろう」
「ありがとうございます」

 どうせ後で検閲されることは分かっている。だから箱の三重底にこれらの事実を記した物を残しておく。王太子の護衛騎士官長のみに引き継がれていくこの騎士規程書は、ルイス殿下の目に生涯触れることはないだろう。――それでも。

 私は鞄一つで王宮を出る。殿下の部屋の窓を見上げて一礼すると身を翻した。そして門扉の所まで辿り着いたところで。

「遅いですよ」
「リアーナ? どうしてここに。と言うか、その荷物は?」

 私よりもよほど沢山の鞄を抱えた彼女は侍女服を着ていなかった。

「私物です」
「いや。それは分かっ――まさか。私のせいで君も処分を受けたのか?」
「違いますよ。わたくしが自ら出てきたのです。これから王宮の外で仕事がありますからね」
「君は優秀だからどこからか引き抜きを受けたのか」

 彼女は呆れたように目を細めると、これだからとため息をつく。

「王宮での仕事を辞めたばかりの世間知らずで、心許ない男性を支えないといけませんの」
「っ! ……リアーナ。気持ちはありがたいが、私は一人で罪を背負って生きて」
「あのですね」

 彼女は荷物を落とすと左手を腰に、右手で私に向かってびしりと指を突き付けた。

「罪は背負うものではなく償うものです。人を不幸に落としたと言うのならば、あなたはこれから一人でも多くの人を幸せにするべきです。なのに、そんな死んだような目をした人がどうやって罪を償うと言うのです」
「人を……幸せに?」

 ――皆、幸せで笑顔となるような国へ。殿下の傍らにはきっとあなた様の支えが。私が少しでも殿下のお力になれるのであれば、それはとても光栄なことです――
 
 エスメラルダ様の笑顔と決意が蘇って目には感情があふれ出し、彼女が守りたかったこの国の景色がにじむ。

 殿下をお支えしよう。皆が笑顔となるような国へと導いていかれるのを見守ろう。一国民として遠くから。エスメラルダ様がそうされようとしたように。

「行きましょう。さあ、手が空いているなら持って持って」

 複数押しつけられた鞄を受け取って門から出ると、私たちは振り返らずに王宮を後にした。


 私が書いた貴族文字は廃止されることが決定されたと聞いた。隠蔽された事実と共にやがてこの国から消滅していくことだろう。それでもいつの日か、誰かの手によって日の目が当たって解読されることを切に願う。

 我が敬愛すべき主、ルイス・フォンテーヌ様が作る国ために。そして――汚名を着せられ、処刑されたエスメラルダ様の名誉のために。
しおりを挟む
感想 262

あなたにおすすめの小説

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」 ※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

アンジェリーヌは一人じゃない

れもんぴーる
恋愛
義母からひどい扱いされても我慢をしているアンジェリーヌ。 メイドにも冷遇され、昔は仲が良かった婚約者にも冷たい態度をとられ居場所も逃げ場所もなくしていた。 そんな時、アルコール入りのチョコレートを口にしたアンジェリーヌの性格が激変した。 まるで別人になったように、言いたいことを言い、これまで自分に冷たかった家族や婚約者をこぎみよく切り捨てていく。 実は、アンジェリーヌの中にずっといた魂と入れ替わったのだ。 それはアンジェリーヌと一緒に生まれたが、この世に誕生できなかったアンジェリーヌの双子の魂だった。 新生アンジェリーヌはアンジェリーヌのため自由を求め、家を出る。 アンジェリーヌは満ち足りた生活を送り、愛する人にも出会うが、この身体は自分の物ではない。出来る事なら消えてしまった可哀そうな自分の半身に幸せになってもらいたい。でもそれは自分が消え、愛する人との別れの時。 果たしてアンジェリーヌの魂は戻ってくるのか。そしてその時もう一人の魂は・・・。 *タグに「平成の歌もあります」を追加しました。思っていたより歌に注目していただいたので(*´▽`*) (なろうさま、カクヨムさまにも投稿予定です)

自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~

浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。 本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。 ※2024.8.5 番外編を2話追加しました!

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

【完結】地味な私と公爵様

ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。 端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。 そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。 ...正直私も信じていません。 ラエル様が、私を溺愛しているなんて。 きっと、きっと、夢に違いありません。 お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)

処理中です...