つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第277話 夢の中

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 鳴いている。
 何かが鳴いている。
 ニャアニャアと。
 猫が。
 ……ネロが鳴いている。
 私を起こすためにネロが――。

「起きろおぉぉぉっ!」
「は、はい! ご、ごめんなさい! お母様!」

 一気にばちこーんと目が開いた。

 私が慌てて身を起こすとそこには母の姿はなく、見覚えのない容姿端麗な男女が立っていた。
 いや。片眉を上げて偉そうに腕を組んでいる男性の方は、少しエルベルト殿下の雰囲気に似ている気がする。

「ルイス陛下。功労者ですよ。もう少し優しくお起こしになってください」
「いつまでも起きないからな。本当に寝ぼすけだな、お前」

 綺麗な女性が困ったように彼をたしなめる。
 待って。今、ルイス陛下と言った!? ……ということは、まさか横の女性は。

「エスメラルダ、様?」

 私の声で女性がこちらに視線をやり、優しく微笑んだ。

「ええ。ロザンヌ様。ありがとうございます。あなたのおかげで王族の呪いは解けました」

 そうか。これは夢なんだわ。だって、辺りが真っ白なんだもの。でも、たとえ夢でもエスメラルダ様にお会いできるだなんて。

 感動で震えていたが、はたと我に返って慌てて立ち上がるとエスメラルダ様に礼を取った。

「お会いできて光栄にございます。こちらこそネロには大変お世話になりました。ありがとうございます」
「おいこら。私はこの国の元だが、国王陛下だぞ。我が民のくせに私に礼は無しか」

 不服そうなルイス陛下に視線をやる。

「失礼いたしました。ですが考えてみますと、ルイス陛下には直接お世話になっておりません」

 むしろ元凶。

「ほう。いい度胸だな」
「お褒めいただき光栄にございます」

 スカートを広げて礼を取ってみせると、エスメラルダ様はくすくすと笑い、ルイス陛下は顔を引きつらせた。

「本当にいい度胸だ」
「いい度胸ついでにお伺いしたいことがあります」

 と言っても夢なのだから、望む答えが返ってくるとも思えないが。

「ついでって……。まあ、いい。何だ?」
「ルイス陛下はお目覚めになっ……いえ」

 やはりお目覚めになった後の現実を考えると、言葉にすることははばかれて、質問を変える。

「この事変について書かれた手記は見つかりませんでした。お書きになられたのでしょうか」

 もしかして誰かにもみ消されたとかもありうる?

「いや。何も残していない」
「のちの王族のためにも、手記を残されなかったのはなぜでしょうか。あなた様ならきっとどこまでも追求されたはずですよね」

 ブラックウェル様の手記には、ルイス陛下は実行力があるお方だと書かれていた。

「そうだな。ノエルは私が真実を生涯知ることはないだろうと考えていたようだが、もちろん私は追求したし、真実に辿り着いた。だが、偽りの現実を受け入れた」
「なぜです」
「自分が許せなかったからだ。エスメラルダとノエルを傷つけた自分が。……父を苦悩させ、手を汚させた自分が。ベルモンテ家の呪いは私が受けるべき当然の罰だと思った」

 ルイス陛下なりの贖罪だったということだろうか。

「もっとも子孫にまで迷惑をかけると考えが及ばなかったことは、私の完全なる失態だ。悪かったと思う」
「ルイス陛下。良いのです」

 私は顔の前で両手を組む。

「陛下には単に先見の明がおありではなかったに過ぎません。どうぞお気になさらずに」
「……ははっ。手厳しいな」

 あなたのせいで何の罪も無い王族方が迷惑を被ったのだから、これくらいは言わせてほしい。

 がっくりと沈みこむ陛下を放置してエスメラルダ様に目を向けた。

「エスメラルダ様にもお尋ねしたいことがあります」
「何でしょう」
「はい。わたくしはエスメラルダ様の眠る地に参りましたが、エルベルト殿下はお姿は見えないとおっしゃっていました。どこにおられたのでしょうか」

 エスメラルダ様は頷く。

「人は現世に長く定着すると、望まなくても悪しき影となってしまうため、地にはいられませんでした。ですからネロと血の契りでかろうじて意思だけ繋ぎ止めている状態だったのです。けれどロザンヌ様があの場所に訪れてくださったことで一時的に力が与えられ、呪いを解くほんの少しの間、地に足をつけることができました」

 あの時、怪我をして血を落としたからかな。

「そうですか。そのネロは」
「にゃあ」

 足元に気持ちよい毛の柔らかさを感じ、視線を落とすと綺麗な毛並みの黒猫がこちらを見上げていた。
 私は身をかがめる。

「……ネロ。そう。ネロは黒い瞳の黒猫ちゃんだったのね」

 殿下は、燃えるような赤い目だとおっしゃっていたけれど、これが本来のネロの姿なのだろう。穏やかで人懐こい。
 ネロは私の気が済むまで触らせてくれて、最後にネロから身を擦り寄せた。
 その意味が私にも分かり、私は手を離す。

「行くのね?」
「にゃあ」

 ルイス陛下もエスメラルダ様も笑顔だけれど、先程よりも薄ぼやけてきたから。前方に、背の高い男性が――ブラックウェル様がネロをお待ちだから。

 はっきりとは分からないが微笑み、礼を取られた姿に私も同じく返し、再びネロに視線を落とした。

「ありがとう、ネロ。今度こそ皆と一緒に幸せになって」

 ネロはもう一度身を擦り寄せて一鳴きすると、ブラックウェル様に向かって歩き出した。
 その姿を見守る私の背に、エスメラルダ様がそっとお声をかけてくださり、私は振り返る。

「ロザンヌ様、最後に」

 最後だと言われて切なくなるけれど、最後だからこそしっかりお言葉を受け止めたい。

「はい、エスメラルダ様」
「影を見る力は現王太子殿下に、ネロの影を祓う力はロザンヌ様に残しておきます」
「え?」
「いつの時代も光がある所には必ず影ができます。けれど、あなたの柔らかな光でその影を優しく癒やしてあげてほしいのです」

 影を優しく癒やす。
 それがエスメラルダ様の悠久なる願い。ならば、私はエスメラルダ様の願いを受け継ぎたいと思う。

「――はい。承知いたしました」
「ありがとうございます」

 私たちのやり取りを静かに見守っていたルイス陛下が、話を締めるように口を開かれた。

「ノエルとネロが待っている。そろそろ私たちも行こう。エスメラルダ」
「はい。参りましょう、ルイス陛下」
「エスメラルダ。私はもう殿下でも陛下でもない」
「……はい。ルイス様」

 エスメラルダ様はルイス陛下が差し伸べた手を笑顔で取る。

「じゃあ、ロザンヌ嬢。こっちはゆっくり高みの見物をさせてもらうから、後のことは頼んだ」

 ルイス陛下が、にっと笑ってそう言った。
 最後に残すお言葉がそれですか……。

「ロザンヌ様、お元気で。またいつか」
「はい!」

 さよならは 言わない。
 また、いつかどこかで。

「皆様、お幸せに!」

 私が笑顔で餞の言葉を送るとお二人は微笑み、背を向けてブラックウェル様の方へと歩いて行った。
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