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第113話 立派な悪役令嬢になってみせます
形のない思いは幾重にも重なる時間によって儚く風化していくものだとしても、どこかの片隅には残っていてほしい。
人間には過去は変えられなくても、たった一歩の勇気で未来を変えられる力があるのだということを。
「――ンナ。――アンナ」
奥深く眠り込んだ私を呼び覚ます声がする。
その声はきっと。
「――杏奈ぁぁぁ。起きっろおぃぃぃ!」
甲高い声と共に勢いよく布団を引ったくられたかと思うと、次は体揺さぶり攻撃だ。
「本当に寝坊助ね。起きなさい! 時間よ!」
「……由奈お姉ちゃん。もうちょっと優しく起こしてよ。私、病み上がりなのよ」
乱暴な起こし方に私は不満を漏らした。
朝はもっと穏やかな気持ちで目覚めるべきものだと思う。
「病み上がりって、たかが風邪でしょ。昨夜はもう元気にもりもりご飯食べていたし。それに優しく起こしたら、起きないでしょうが。――あら、杏奈。泣いているの?」
仕方なく起き上がった私を見て、由奈お姉ちゃんがそう言った。
「え?」
私は自分の頬に手をやると、確かに冷たく濡れている。
「夢を見て泣いたのかな」
「何の夢?」
「……忘れちゃった」
あらためて聞かれると分からない。ただ、昨日見た洋画の影響があったのか、舞台はヨーロッパだった気がする。
「まあ、夢ってそんなものよね。とにかく早く下りてきなさいよ。皆、もう待っているから」
「はぁい」
私は背伸びしつつ答えた。そして姉が部屋を出ると、手早く制服に着替える。
中学の時の同級生は私服の学校で、おしゃれができていいわと喜んでいるのを耳にしたけど、私は毎日服の事に気を取られなくて済むから制服でいいと思っている。ここの制服は可愛いし。
鏡台を前にそんな事を考える。
鏡に映る私は背中まで伸ばした黒髪に、当然ながら黒い瞳の日本人だ。瞳は上方に偏っており、常に人を睨んでいるかのよう。いわゆる三白眼というやつだろうか。けれど本人は至って大人しい性格(自分で言うけど)、むしろ引っ込み思案で、人付き合いを苦手としている。
高校に入学してもう一月は経っているというのに、これと言った友達がおらず、悩みの日々だ。
「杏奈、早く下りていらっしゃい!」
階下から呼ぶ母の声に私は慌てて髪を解かし、リビングへと向かう。そして部屋に入ると皆、席に着いていた。
「おはようございまーす」
「おはよう。お寝坊さんだね、杏奈」
「おはよう、杏奈」
父と兄が穏やかな表情で迎え入れてくれる。一方で、母は少し眉をひそめている。
「杏奈、早く座りなさい」
「はーい。……あれ? この光景、既視感が」
「当たり前でしょ。あなたは毎日お寝坊で、毎朝同じやりとりをしているんだもの」
「あ、そっか」
呆れる母に私は頬を掻いた。
「じゃあ、行ってきまーす」
兄と姉は私より一足先に出たので、私は両親に挨拶をして家を出る。
空を見上げると雲一つ無い青空、快晴だ。来月に入れば重い雲が空を覆い、雨の日が続くようになるのだろう。
「おはよう、杏奈。風邪はもういいのか?」
すぐ横から声がかかって私はそちらに視線をやった。
お隣で古くからの幼なじみである神宮寺琉生だ。
「琉生、おはよう。うん。もう平気。ありがとう」
私は笑顔で挨拶を交わすと歩き出す。
彼とは同じ高校で、さらに言うと同じクラスだ。だから一緒に登校している。高校生にもなってとは思うけど、彼が私の登校時間に合わせてくるから仕方がない。
もっとも彼曰く、私一人だと心許ないから合わせてやっているのだそうだ。
「それにしても、こんな時期に風邪を引くか?」
「慣れぬ環境に体調を崩したの。あなたと違って、私の半分は壊れやすく繊細なガラスでできているのです。心して丁重に扱いたまえ」
「柄じゃない」
琉生は手を左右に振って否定してくる。
……悪かったわね。
二つの電車を乗り継ぎして学校に到着する。
うちの学校は学力で言えば中の上といった程度だろうか。私はまだ将来の夢というものが明確に思い浮かばず、ここの制服が可愛いからという理由で決めてしまった。
一方、私の隣を歩く彼は頭が良く、県内一の進学校に合格できると言われていたが、この学校に進学することを決めて先生たちを驚かせたと共に落胆させた過去がある。
理由を尋ねたら、高校時代ぐらいゆっくりしたいとのことだった。大学進学にあたって、どこにいても志望校に悠々と入る自信があるからなのだろうか。
「実に憎らしい」
「は?」
「ううん。私も昔は頭が良かったのになと」
「お前が頭良かった時ってあったか?」
悪気のない素朴な彼の疑問に私は一瞬黙る。
「小学校の時? 幼稚園の時? ……あれ。妄想?」
「何だよ、それ」
首を捻る私に彼は屈託無く笑った。
校内に入ると登校したばかりの学生のざわめきで溢れ返り、様々な声が耳に入ってくる。
「お。大振蓮! 今日は遅刻せずに済んだか」
「僕がちょっと本気を出したらこんなもんですよ」
「そうか。ぜひ明日からもちょっと本気を出してくれ」
先生に苦笑いされている学生は遅刻魔らしい。私も姉に毎朝叩き起こされなければ、彼と同じかもしれない。
「ディアナ!」
突如、一人の女子生徒が名前を呼びながら横を駆け抜けて行った。
ディアナ? 交換留学生なのかな?
ディアナと呼ばれた女性は足を止め、振り返ると嫌そうな顔をした。その顔は端整だけれど、日本人に見える。
「恵里! ディアナは止めなさいと言っているでしょう」
「だって出井杏那なんだからディアナでしょ」
「普通に杏那でいいでしょう」
私たちの前で話をする二人に私はなるほどと心の中で頷く。
あ。アンナって私と同じ名前だ。漢字はどうか分からないけど。
「だって、何だかディアナの方がしっくりくるんだもーん」
そう笑った彼女は親しそうにディアナさんと腕を組んで歩いて行った。
いいな。仲良さそう。
学校にはこんなにも多くの人たちがいるのに、人付き合いの苦手な私は最初の友達作りに失敗し、ひとりぼっちだ。
「おはよう、神宮寺君! ……新藤さんも」
教室に入ると数人の女子生徒が寄ってきて、琉生に挨拶をする。私にもお情けで声をかけてくれた。
琉生は文武両道の上にいわゆるイケメンの部類で、入学当初より女子からの人気は高い。だから私が彼の幼なじみと知っても、面白く思わない人もいる。
まして元来の人見知りから人とはあまり話さないのに、彼とだけは話すから余計にそう思われているだろう。おまけに目付きのせいで睨んでいるとさえ思われているかもしれない。
私は挨拶を返して早々に席に着くと、琉生も私を追うようにすぐに彼女らに別れを告げて隣の席に座った。
隣の席というのは、入学当初あるあるの名前順に席順が決まるというやつだ。
「お前さ、もう少し女子と話をしろよな。高校生になったら友達五人作るんじゃなかったのか。と言うか、現実的すぎる数字だな……」
さっきの言動を咎める琉生に私は小さくなる。
「分かってはいるんだけど、き、緊張しちゃって。何を話せばいいのか」
「約一カ月経ってもゼロだから五人作るのに、そうだな、あと四百年はかかるぞ」
「どんな計算式でそんなとんでもない数字を導き出すの!」
大きく否定はできないけど。
「俺に見せるように笑顔の一つでも見せたらどう――いや、やっぱり無理強いは良くないな。うん。見せるな!」
「あ、そっか」
私はぱっと笑顔になって琉生を指さすと、なぜか彼は狼狽えた。
「な、何だよ?」
「琉生がいるからゼロじゃなかった!」
「そこじゃない! と言うか……俺を友達の分類に入れるなよ」
低く呟いた彼の最後の言葉は聞き取れなくて、聞き返すも何でもないと言って不愉快そうにしかめっ面をするだけ。
「でも本当、琉生が隣にいてくれて良かった。ありがとう」
「――っ。ずるいよな、お前って。昔から」
また不愉快にしたようで、とうとう彼はそっぽ向いてしまった。
私だって本当は色々考えている。このままじゃいけないって。だから高校生になったら絶対に変わるって。けれど思いとは裏腹に、私はまたこれまでと同じ日々をやり過ごしていくのだろう。
それがとても悔しいし、悲しかった。
「それでは学園祭の出し物についての続きを考えたいと思います」
ホームルームの時間、クラス委員長の村野君は教壇に立ってそう言った。彼の横には副委員長の赤井ゆかりさんがノートを見ながら黒板に何かを書いていく。
「六月の学園祭、何をすることになったの?」
私が休んでいる間に行われたようだ。琉生にこそっと尋ねる。
「ああ。劇だよ。下級貴族の娘が王子様と結ばれるって話」
どこにでもよくある玉の輿話らしい。
はなから参加するつもりもない私だが、配役はどうなっているのかと興味本位で黒板に視線を移す。
「王子役は琉生? そう。ぴったりね」
「真顔の棒読みで言うの止めろ……。押しつけられたんだよ」
彼は顔を引きつらせて苦笑いした。
「頑張って」
「無責任だな」
「文字通り責任が無いもの」
「だよなぁ」
ため息を吐く彼を横に私は黒板へと視線を戻す。
「ヒロイン役は向井恵美里さんか」
クラスメートでも一際目立つ美少女だ。
見た目は可憐なのに、明るくはきはきとしていて、おまけに性格までいいらしい。どこかの誰かさんとは正反対。
「お似合いね」
「……別に」
不機嫌そうにそっぽを向く彼の後頭部とぶっきらぼうな言葉に、なぜか惹かれる私はちょっと変な人かもしれない。
「誰か、公爵令嬢の役をする人はいませんか」
教室中を見回しながら尋ねる委員長の声が上がった。
「公爵令嬢って上流階級のお嬢様よね。どうしてまだ決まっていないの?」
「物語の中心人物だけど、ヒロインを苛める悪役の令嬢だから皆、嫌なんだろ」
「悪、役の令嬢?」
ドクン。
そのフレーズに心臓が反応し、鼓動を強く打った。
どこか胸が締め付けられるような気持ちを覚える。それでいて、なぜか慣れ親しんだ心地よさも。
「悪役令嬢」
ドクン。
言葉を口にして、また心臓が一つ大きく打った。
劇中ではたとえ相手を罵る言葉だったとしても、その悪役令嬢は、はっきりと自分の心を外に放つのだろう。そんな彼女が……ひどく羨ましい。
目立たず、ひっそり息を殺して、できるだけ人との接触を避けて過ごしてきた私には無縁の生き方だ。
――人間と人間の繋がりって強いんだ。良くも悪くもね。君の方から関わろうとするのならば、また彼らに繋がるかもしれない。
不意に誰かの言葉が頭によぎる。
え、何!?
――私はこれから自分のために生き、たくさんの人と関わっていく人生にする。明るく笑顔の絶えない毎日にしてみせる。
ドクンッ!
また別の誰かの言葉が頭に響き、生きている証拠である心臓の高鳴りが、よりいっそう強くなって思わず胸を押さえた。
「杏奈!?」
「だ、大丈夫」
心配そうに覗き込んでくる琉生に笑みで返す。
私は震える手を強く握りしめて黒板へと視線を移すと、公爵令嬢の下に追加で書かれた『悪役令嬢』の文字をあらためて見つめる。
役柄とは言え、彼女になれば私は自分の中の何かが変わるだろうか。いや、変わるのではなく、自分を変えたい……と思う。変える時だ。そして今この瞬間に踏み出すことこそが、私を変える最初の一歩となるだろう。
なぜかそんなワクワクした予感に駆られるのだ。
――踏み出す足はほんの一歩だけ。たったの一歩だ。
誰かが後押ししてくれるような声がまた響く。
呼吸を何度も繰り返し、心地良くも高鳴る鼓動を整えた。そして。
「わ、私! やります!」
私は思いきって手を挙げた。
「……は? え? おい!」
「こ、公爵令嬢の役をやります!」
横では琉生が驚いていたけど、私はそのまま立ち上がると、場が騒然とし、私に視線が集まる。だけど、まだその視線に耐えられるほど私は強くはない。
思わず視線を落としてしまうと彼と目が合った。
「お、おい! 劇だぞ!? 悪役だぞ!?」
「分かってる。でも頑張る」
ちゃんと琉生に伝えたいから。
……ん? 伝えるって何? 何の報告事項?
「友達五人計画にしても、いきなりハードル高すぎるだろ。人前に立つんだぞ」
思案にふけていたが、琉生の声によって我に返った。
私は拳を作って笑顔を見せる。
「確かに恐いけど、琉生も同じ舞台にいるなら私は大丈夫。そんな気がするの」
「……だから杏奈、それはずるいって」
「新藤杏奈さん」
会話を遮るように私の名が呼ばれた。優秀な委員長は私の名前すら覚えていてくれる。
「公爵令嬢の役でお間違いないですね。悪役ですが」
「は、はい! 私は――私は立派な悪役令嬢になってみせます!」
内心怯みながらも私はキラキラした期待を胸に、顔を前に向けてまた真っ直ぐに手を挙げた。
(終)
人間には過去は変えられなくても、たった一歩の勇気で未来を変えられる力があるのだということを。
「――ンナ。――アンナ」
奥深く眠り込んだ私を呼び覚ます声がする。
その声はきっと。
「――杏奈ぁぁぁ。起きっろおぃぃぃ!」
甲高い声と共に勢いよく布団を引ったくられたかと思うと、次は体揺さぶり攻撃だ。
「本当に寝坊助ね。起きなさい! 時間よ!」
「……由奈お姉ちゃん。もうちょっと優しく起こしてよ。私、病み上がりなのよ」
乱暴な起こし方に私は不満を漏らした。
朝はもっと穏やかな気持ちで目覚めるべきものだと思う。
「病み上がりって、たかが風邪でしょ。昨夜はもう元気にもりもりご飯食べていたし。それに優しく起こしたら、起きないでしょうが。――あら、杏奈。泣いているの?」
仕方なく起き上がった私を見て、由奈お姉ちゃんがそう言った。
「え?」
私は自分の頬に手をやると、確かに冷たく濡れている。
「夢を見て泣いたのかな」
「何の夢?」
「……忘れちゃった」
あらためて聞かれると分からない。ただ、昨日見た洋画の影響があったのか、舞台はヨーロッパだった気がする。
「まあ、夢ってそんなものよね。とにかく早く下りてきなさいよ。皆、もう待っているから」
「はぁい」
私は背伸びしつつ答えた。そして姉が部屋を出ると、手早く制服に着替える。
中学の時の同級生は私服の学校で、おしゃれができていいわと喜んでいるのを耳にしたけど、私は毎日服の事に気を取られなくて済むから制服でいいと思っている。ここの制服は可愛いし。
鏡台を前にそんな事を考える。
鏡に映る私は背中まで伸ばした黒髪に、当然ながら黒い瞳の日本人だ。瞳は上方に偏っており、常に人を睨んでいるかのよう。いわゆる三白眼というやつだろうか。けれど本人は至って大人しい性格(自分で言うけど)、むしろ引っ込み思案で、人付き合いを苦手としている。
高校に入学してもう一月は経っているというのに、これと言った友達がおらず、悩みの日々だ。
「杏奈、早く下りていらっしゃい!」
階下から呼ぶ母の声に私は慌てて髪を解かし、リビングへと向かう。そして部屋に入ると皆、席に着いていた。
「おはようございまーす」
「おはよう。お寝坊さんだね、杏奈」
「おはよう、杏奈」
父と兄が穏やかな表情で迎え入れてくれる。一方で、母は少し眉をひそめている。
「杏奈、早く座りなさい」
「はーい。……あれ? この光景、既視感が」
「当たり前でしょ。あなたは毎日お寝坊で、毎朝同じやりとりをしているんだもの」
「あ、そっか」
呆れる母に私は頬を掻いた。
「じゃあ、行ってきまーす」
兄と姉は私より一足先に出たので、私は両親に挨拶をして家を出る。
空を見上げると雲一つ無い青空、快晴だ。来月に入れば重い雲が空を覆い、雨の日が続くようになるのだろう。
「おはよう、杏奈。風邪はもういいのか?」
すぐ横から声がかかって私はそちらに視線をやった。
お隣で古くからの幼なじみである神宮寺琉生だ。
「琉生、おはよう。うん。もう平気。ありがとう」
私は笑顔で挨拶を交わすと歩き出す。
彼とは同じ高校で、さらに言うと同じクラスだ。だから一緒に登校している。高校生にもなってとは思うけど、彼が私の登校時間に合わせてくるから仕方がない。
もっとも彼曰く、私一人だと心許ないから合わせてやっているのだそうだ。
「それにしても、こんな時期に風邪を引くか?」
「慣れぬ環境に体調を崩したの。あなたと違って、私の半分は壊れやすく繊細なガラスでできているのです。心して丁重に扱いたまえ」
「柄じゃない」
琉生は手を左右に振って否定してくる。
……悪かったわね。
二つの電車を乗り継ぎして学校に到着する。
うちの学校は学力で言えば中の上といった程度だろうか。私はまだ将来の夢というものが明確に思い浮かばず、ここの制服が可愛いからという理由で決めてしまった。
一方、私の隣を歩く彼は頭が良く、県内一の進学校に合格できると言われていたが、この学校に進学することを決めて先生たちを驚かせたと共に落胆させた過去がある。
理由を尋ねたら、高校時代ぐらいゆっくりしたいとのことだった。大学進学にあたって、どこにいても志望校に悠々と入る自信があるからなのだろうか。
「実に憎らしい」
「は?」
「ううん。私も昔は頭が良かったのになと」
「お前が頭良かった時ってあったか?」
悪気のない素朴な彼の疑問に私は一瞬黙る。
「小学校の時? 幼稚園の時? ……あれ。妄想?」
「何だよ、それ」
首を捻る私に彼は屈託無く笑った。
校内に入ると登校したばかりの学生のざわめきで溢れ返り、様々な声が耳に入ってくる。
「お。大振蓮! 今日は遅刻せずに済んだか」
「僕がちょっと本気を出したらこんなもんですよ」
「そうか。ぜひ明日からもちょっと本気を出してくれ」
先生に苦笑いされている学生は遅刻魔らしい。私も姉に毎朝叩き起こされなければ、彼と同じかもしれない。
「ディアナ!」
突如、一人の女子生徒が名前を呼びながら横を駆け抜けて行った。
ディアナ? 交換留学生なのかな?
ディアナと呼ばれた女性は足を止め、振り返ると嫌そうな顔をした。その顔は端整だけれど、日本人に見える。
「恵里! ディアナは止めなさいと言っているでしょう」
「だって出井杏那なんだからディアナでしょ」
「普通に杏那でいいでしょう」
私たちの前で話をする二人に私はなるほどと心の中で頷く。
あ。アンナって私と同じ名前だ。漢字はどうか分からないけど。
「だって、何だかディアナの方がしっくりくるんだもーん」
そう笑った彼女は親しそうにディアナさんと腕を組んで歩いて行った。
いいな。仲良さそう。
学校にはこんなにも多くの人たちがいるのに、人付き合いの苦手な私は最初の友達作りに失敗し、ひとりぼっちだ。
「おはよう、神宮寺君! ……新藤さんも」
教室に入ると数人の女子生徒が寄ってきて、琉生に挨拶をする。私にもお情けで声をかけてくれた。
琉生は文武両道の上にいわゆるイケメンの部類で、入学当初より女子からの人気は高い。だから私が彼の幼なじみと知っても、面白く思わない人もいる。
まして元来の人見知りから人とはあまり話さないのに、彼とだけは話すから余計にそう思われているだろう。おまけに目付きのせいで睨んでいるとさえ思われているかもしれない。
私は挨拶を返して早々に席に着くと、琉生も私を追うようにすぐに彼女らに別れを告げて隣の席に座った。
隣の席というのは、入学当初あるあるの名前順に席順が決まるというやつだ。
「お前さ、もう少し女子と話をしろよな。高校生になったら友達五人作るんじゃなかったのか。と言うか、現実的すぎる数字だな……」
さっきの言動を咎める琉生に私は小さくなる。
「分かってはいるんだけど、き、緊張しちゃって。何を話せばいいのか」
「約一カ月経ってもゼロだから五人作るのに、そうだな、あと四百年はかかるぞ」
「どんな計算式でそんなとんでもない数字を導き出すの!」
大きく否定はできないけど。
「俺に見せるように笑顔の一つでも見せたらどう――いや、やっぱり無理強いは良くないな。うん。見せるな!」
「あ、そっか」
私はぱっと笑顔になって琉生を指さすと、なぜか彼は狼狽えた。
「な、何だよ?」
「琉生がいるからゼロじゃなかった!」
「そこじゃない! と言うか……俺を友達の分類に入れるなよ」
低く呟いた彼の最後の言葉は聞き取れなくて、聞き返すも何でもないと言って不愉快そうにしかめっ面をするだけ。
「でも本当、琉生が隣にいてくれて良かった。ありがとう」
「――っ。ずるいよな、お前って。昔から」
また不愉快にしたようで、とうとう彼はそっぽ向いてしまった。
私だって本当は色々考えている。このままじゃいけないって。だから高校生になったら絶対に変わるって。けれど思いとは裏腹に、私はまたこれまでと同じ日々をやり過ごしていくのだろう。
それがとても悔しいし、悲しかった。
「それでは学園祭の出し物についての続きを考えたいと思います」
ホームルームの時間、クラス委員長の村野君は教壇に立ってそう言った。彼の横には副委員長の赤井ゆかりさんがノートを見ながら黒板に何かを書いていく。
「六月の学園祭、何をすることになったの?」
私が休んでいる間に行われたようだ。琉生にこそっと尋ねる。
「ああ。劇だよ。下級貴族の娘が王子様と結ばれるって話」
どこにでもよくある玉の輿話らしい。
はなから参加するつもりもない私だが、配役はどうなっているのかと興味本位で黒板に視線を移す。
「王子役は琉生? そう。ぴったりね」
「真顔の棒読みで言うの止めろ……。押しつけられたんだよ」
彼は顔を引きつらせて苦笑いした。
「頑張って」
「無責任だな」
「文字通り責任が無いもの」
「だよなぁ」
ため息を吐く彼を横に私は黒板へと視線を戻す。
「ヒロイン役は向井恵美里さんか」
クラスメートでも一際目立つ美少女だ。
見た目は可憐なのに、明るくはきはきとしていて、おまけに性格までいいらしい。どこかの誰かさんとは正反対。
「お似合いね」
「……別に」
不機嫌そうにそっぽを向く彼の後頭部とぶっきらぼうな言葉に、なぜか惹かれる私はちょっと変な人かもしれない。
「誰か、公爵令嬢の役をする人はいませんか」
教室中を見回しながら尋ねる委員長の声が上がった。
「公爵令嬢って上流階級のお嬢様よね。どうしてまだ決まっていないの?」
「物語の中心人物だけど、ヒロインを苛める悪役の令嬢だから皆、嫌なんだろ」
「悪、役の令嬢?」
ドクン。
そのフレーズに心臓が反応し、鼓動を強く打った。
どこか胸が締め付けられるような気持ちを覚える。それでいて、なぜか慣れ親しんだ心地よさも。
「悪役令嬢」
ドクン。
言葉を口にして、また心臓が一つ大きく打った。
劇中ではたとえ相手を罵る言葉だったとしても、その悪役令嬢は、はっきりと自分の心を外に放つのだろう。そんな彼女が……ひどく羨ましい。
目立たず、ひっそり息を殺して、できるだけ人との接触を避けて過ごしてきた私には無縁の生き方だ。
――人間と人間の繋がりって強いんだ。良くも悪くもね。君の方から関わろうとするのならば、また彼らに繋がるかもしれない。
不意に誰かの言葉が頭によぎる。
え、何!?
――私はこれから自分のために生き、たくさんの人と関わっていく人生にする。明るく笑顔の絶えない毎日にしてみせる。
ドクンッ!
また別の誰かの言葉が頭に響き、生きている証拠である心臓の高鳴りが、よりいっそう強くなって思わず胸を押さえた。
「杏奈!?」
「だ、大丈夫」
心配そうに覗き込んでくる琉生に笑みで返す。
私は震える手を強く握りしめて黒板へと視線を移すと、公爵令嬢の下に追加で書かれた『悪役令嬢』の文字をあらためて見つめる。
役柄とは言え、彼女になれば私は自分の中の何かが変わるだろうか。いや、変わるのではなく、自分を変えたい……と思う。変える時だ。そして今この瞬間に踏み出すことこそが、私を変える最初の一歩となるだろう。
なぜかそんなワクワクした予感に駆られるのだ。
――踏み出す足はほんの一歩だけ。たったの一歩だ。
誰かが後押ししてくれるような声がまた響く。
呼吸を何度も繰り返し、心地良くも高鳴る鼓動を整えた。そして。
「わ、私! やります!」
私は思いきって手を挙げた。
「……は? え? おい!」
「こ、公爵令嬢の役をやります!」
横では琉生が驚いていたけど、私はそのまま立ち上がると、場が騒然とし、私に視線が集まる。だけど、まだその視線に耐えられるほど私は強くはない。
思わず視線を落としてしまうと彼と目が合った。
「お、おい! 劇だぞ!? 悪役だぞ!?」
「分かってる。でも頑張る」
ちゃんと琉生に伝えたいから。
……ん? 伝えるって何? 何の報告事項?
「友達五人計画にしても、いきなりハードル高すぎるだろ。人前に立つんだぞ」
思案にふけていたが、琉生の声によって我に返った。
私は拳を作って笑顔を見せる。
「確かに恐いけど、琉生も同じ舞台にいるなら私は大丈夫。そんな気がするの」
「……だから杏奈、それはずるいって」
「新藤杏奈さん」
会話を遮るように私の名が呼ばれた。優秀な委員長は私の名前すら覚えていてくれる。
「公爵令嬢の役でお間違いないですね。悪役ですが」
「は、はい! 私は――私は立派な悪役令嬢になってみせます!」
内心怯みながらも私はキラキラした期待を胸に、顔を前に向けてまた真っ直ぐに手を挙げた。
(終)
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婚約者候補の調査。
悪意ある貴族の排除。
王子との縁談の調整。
気付けば原作は崩壊し、攻略対象たちは皆セシリアに夢中になっていた。
そして妹はまだ知らない。
誰よりも自分を愛し守っているのが無口な兄だということを。
最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である
megane-san私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。